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17-17【ゾフィー】ガンディーナ式拳闘術

 王城に寄り添うように建つ神聖典教会で何やら密談を交わしていたユピテルとクロノスがゾフィーの接近を知り、見つからないよう慎重に退避が完了したころ、こちら大通りから外れて甘食屋の屋台のある裏通りでは、ゾフィーが甘食屋に注文した100袋のうち、70袋までを受け取っていた。


 アツアツのままストレージに納め、最初の一袋をつまみ食いしながら、ほっぺたの落ちそうな、うっとりとした表情を隠しもせず、次の甘食が焼きあがるのを待っていた。


 バタバタと物々しい足音が響き渡る。


 大人二人がすれ違えないような狭い路地を通って、体格の良い男たちが次々と出てきた。

 ゾフィーは衛兵のひとり、オラムを倒したあと。伝令を使って撒き餌を撒いた。つまり今こうやってゾフィーの後姿を発見した10人の小隊を組んで捜索している衛兵たちは、ゾフィーによって誘き寄せられた、哀れな者たちだ。




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 たったいまゾフィーのもとに駆け付けた衛兵たち、ここに直行してきた訳ではなく、まずはオラムが殺害された現場に向かった。オラムの死体には誰が被せてくれたのかわからないが、麻布でできたシートが被せられていて、押っ取り刀で駆け付けた衛兵の代表がシートをめくり、顔を確認すると確かに間違いなくオラムであった。


 首をザックリと斬られている、一太刀で致命傷を受けたことが分かる。


 この衛兵たち10人の部隊で小隊長を務めるのは、ロメルという勤続30年の大ベテランだ。オラムとはあまり気が合わず、何度か喧嘩をしたことがあるが、その実力は認めていたし、仕事の手を抜いたりなどというサボタージュをしない男だという事も知っている。


(オラム……残念だよ……)

小さな声でそうつぶやくと、全員に指示を出した。


「周囲にいたもの、見ていたものはいないか! どんな奴だったのか、どっちの方向へ向かったのか、情報を照合して精度をあげるんだ!」


 周囲を取り囲む野次馬どもから聞き取り調査を始めたところ、すぐに有力な情報が入った。

「裏通りの屋台で買い食いしている」という信じられないようなピンポイント情報だ。


 聞いたロメルも一瞬、開いた口が塞がらなかった。衛兵を殺しておいて、自分は買い食いをしているという。


 だが複数の証言もあり、ロメルは隊を率いて目撃者の指さす方向へ向かった。


 大通りを左に折れ、狭い路地を通り抜けて、裏通りに出ると視界が広がった。

 2、3の屋台が集まっているところ、遠巻きに人だかりがあった。あそこの屋台がこの時間帯にこれほど人を集めることはない。だいたいいつも閑散としているのに。


 小隊長ロメルは、渦中の容疑者、ベルセリウス派魔導師、ゾフィー・カサブランカがここにいると確信した。細い路地を歩くのに奇襲があるかもしれず、警戒していた足取りが急に軽くなり、小走りで近づいた。


 ゾフィーの足跡や匂いを追跡してきたわけではない、ただ野次馬たちが大勢で後に続き、ゾロゾロとついていったせいで、ゾフィーそのものの目撃情報よりも、野次馬たちがどっちに行ったかを聞いてその足取りを追えば、自然と辿り着くものだ。


 甘食屋の屋台に張り付いている黒ずくめの女、その後ろ姿を見た衛兵10人の小隊は、身長約190センチの大女なんて見たことがなかったので、容疑者であると確信、ロメルからの号令を待たずに散開し距離をとって4人が弓を引いて狙いを定めた。


 弓装備ではない残りの6人が剣を抜くが、そのうちの数人は野次馬の取り巻き連中に解散を命じた。意地を見せてこの場に留まろうとすると逮捕されるのがオチなので、取り巻き立ちの大部分は諦めてこの場を離れ、もっと離れた位置で、この捕り物を見物することとなった。


 遠巻きに弓の4人、剣を抜いたのが6人だったが、ロメルは剣を鞘に戻して、後ろ姿を見ただけで分かる、自分よりも大きなエルフ女に声をかけた。


「そこのエルフ、両手を見える位置に出して、ゆっくりとこっちを向け」


 黒髪のエルフは指示に従わず、両手を見せることなく無防備に振り返った。


「わたしの事ですか?」


 情報にあった通り、紅い眼をした黒髪のエルフだ。


「ベルセリウス派魔導師、ゾフィー・カサブランカだな」


「はい。あなたはどちら様ですか?」


「おまえを衛兵の殺害容疑で連行する」


「お断りします、まだ甘食があと30袋ぶん焼けるのを待っていますので」


 甘食をテキパキと焼いていた露天商の男もさすがに驚いた表情を見せる。


「ベルセリウス派? 伝説のドラゴンを退治して、ここのオークションで売ったっていう? あの?」


「はい、その時わたしたちお兄さんの屋台で買った甘食を食べたんです」


 屋台の店主はみたところ40から50ぐらいの年齢、誰が見てもオヤジなのだが、ゾフィーのような美女が「お兄さん」と言ってその甘食を作る腕前を褒めるものだから、少々舞い上がってしまった。本当なら衛兵が取り囲むような状況であれば、衛兵に協力するのがプロテウス市民の務めなのだが、100袋などという大口の注文であるし、70袋焼き上げて手渡したのに、まだお代ももらってない。


「おおっ、じゃあアンタ有名人のリピーターだ! あとで色紙にサインしてくれ、サインしてくれたらひと袋サービスするからよ!」


「わあ、ありがとう。私のサインでよければいくらでも」


 ゾフィーは武器を構えて圧力を増してくる衛兵たちに目もくれず、まるでそこには最初から誰もいなかったかのように完全に無視を決め込んだ。ゾフィーはたった今ハッキリと衛兵たちの脅しに屈することなく断ったのだから、もう衛兵たちのことを気にすることはない。


 だがロメルは相手が丸腰であることを確認すると、無視されたことを根に持ったのか、かなり荒っぽく、ゾフィーのその細い肩を掴もうと野太い手を出した。


「連行すると言っている!」


 肩をガっと掴んだ……はずだった。しかしそこには何の感触もない。


 ゾフィー・カサブランカの細い肩を確かに掴んだはずが、手に戻ってくる感触は何も触れてはいなかった。


 何度か瞬きをしてみたが、ロメルの眼前には、目を疑うような光景があった。


 肩を掴もうと伸ばした腕が、女の身体を貫通して、向こう側にまで突き抜けているではないか。


 紅い眼が怪しく光る。


 ロメルが目を白黒させる中、ゾフィーは突き抜けた手首を掴んで関節をキメると、それをぐいっと引いた。


 関節をキメられ、逆らうことができない男は、女の肩から首へと貫通して通り抜けていた腕をひっぱられ、バランスを崩すと、もたれかかるような恰好になり、肩から先の腕すべてが貫通することになった。


 次に襲ってきたのは激痛だった。


 ロメルは自分の身に何が起きたのかまだ理解できては居ない。

 ゾフィーは剣を構えてきょとんとしている衛兵たちの列に向かって、何か丸太のようなものを投げた。下手から、まるでトスして渡すかのようだった。


 投げられたものを無意識に受け止めた男は驚きあまり悲鳴を上げてしまう。

 それは奇しくも肩から先、つまり腕を一本まるごと切り取られたロメルの声なき声と同時であった。


「う、うわあああぁぁああっ!」

「ぐあああぁぁぁぁぁっ!」


 叫んでもどうしようもない状況でも声が出る。

 目の前で起こっていることが信じられない、絶望の叫びだ。


 ちょっと肩を掴もうとしただけなのに、その手が、腕ごと持っていかれた。

 ちょっと手首の関節を逆手に取られ、バランス崩しただけなのに、次の瞬間には肩から先の腕をまるごと失っている。


 この現象は単純な転移魔法の応用によるものだった。要するに、ゾフィーの身体をオートで守っている転移魔法の結界に触れた手がゾフィーの身体を突き抜け、向こう側に貫通しているように見えたのだが、その実、ゾフィーの身体には一切触れることなく、身体の向こう側に空間転移しているだけだ。


 その昔、アリエルがストレージの魔法を覚えた時、小石に糸を結んで転移させたとき、その糸はぷっつりと切れた。その現象がそのまま、ロメルの腕で起きた。



 ゾフィーは腕を突っ込ませた状態から瞬間的に転移魔法の結界をオフにした。

 これにより腕の接合部に矛盾が生まれ、その空間により腕が切断されたという、ただそれだけのことだ。


 武器で攻撃されたら正確にその攻撃を相手に返す。

 素手で攻撃されたら、肉体の一部を転移させて転移の扉を閉じる。防御と反撃を同時に行う、ゾフィーの防御フィールドは物理攻撃に対して完全防御と言っていい。


 切断部分からはまるで身体が思い出したかのように、ワンテンポ遅れて血液が滝にのように流出し始めた。

 腕の根元から綺麗に肩まで切り取られている、この場所は効果的に止血することができない。ロメルが助かるには、熱した剣などで傷口を焼き、高位の治癒術士がくるまでの時間を稼ぐ必要がある。


 止血不可能な血管を切断するのは、治癒魔法を持つ軍勢と戦ってきたゾフィーからすると極々当たり前のことだった。肘から先を切って落としても、布切れ一枚あれば止血して治癒魔法を受けると数分後には戦線に復帰してくる。だからこそ、一手で致命傷を与えるのは基本中の基本なのだ。ゾフィーが生き、戦った時代は現代スヴェアベルムのように甘くはない。


 ゾフィーは流れるような動作で身をかがめると、左腕を失ったロメルはまるで馬車に跳ねられたかのように吹き飛ばされ、剣を構えた衛兵二人を巻き込んだ。



 掌底しょうてい打ち。


 ゾフィーはもともと剣を使わず、徒手空拳の格闘術で無敗の王者だったこともあり、素手での立ち回りは極めて効率的だった。とにかく最小限の力で相手を倒すことにかけては、16000年前の戦乱の時代にあってゾフィーの右に出る者はいなかった。


 ちなみにゾフィーが修めるガンディーナ式拳闘術は、戦乱を逃れてドーラに渡ったとされるゾフィーの姉ルビスが伝えたドーラ式から、エルダー大森林へと派生したエルダー式という亜流へと分化していった。


 ロザリンドはドーラ式の拳闘術を、サオは同じくドーラ式だがこちらは盾術じゅんじゅつという、盾を使う派生型の格闘術を修めているし、サナトスの妻レダはエルダー式の拳闘術を使う。格闘技はエルフにとって決してメジャーではないし、そもそも弓や魔法など遠隔攻撃を得意とする種族的な都合もあってガチ肉弾戦の格闘を修める者は少ないが、遥か古代から脈々と受け継がれる伝統の格闘術は現在も進化の途上にある。


 そこに古式のガンディーナ式格闘術である。

 ロザリンドやサオの修めたドーラ式格闘術の稽古を見たゾフィーは、口には出さないが、現代の格闘術は、ずいぶんと丸くなったものだと感じていた。素手で敵を倒すための技であるはずの格闘術が、いつの間にか伝統やら格式やらでその技能の真意が歪められ、心を鍛えるだのという"ふわっ"としたものに変化していることを少し残念に思っていた。


 ゾフィーの生きた時代、いや現代も同じであるが、敵を倒す戦術として、奇襲攻撃はもっとも有効であるとされていた。


 敵に強化魔法を唱える猶予を与えず、一撃で倒してしまえば、ひとなど脆い。容易く倒せる。

 リラックスしているとき、たとえば自宅の暖炉で暖をとりながらグラスに蜂蜜酒をゆらす至福の時なども常に帯剣しているものなどいない、腰につけた剣を壁に立てかけて、椅子に深く腰を沈めたらそれが油断となる。後にゾフィーはストレージの魔法を覚えたので、帯剣する必要はなくなったが、それでも剣を抜いた者に対し素手で圧倒する拳闘術を使えることの意義は、ことのほか大きい。


 たかが掌底しょうてい、されど掌底しょうていである。

 これは鎧を着込んだ者に対して打撃を撃ち込む際、こちらの拳を壊してしまわぬよう、経戦能力を維持したまま敵を倒す技能だ。猫も杓子も拳を握って殴っていたのでは、ひとりで多数の敵とは戦えない。


 ゾフィーは掌底突き(しょうていづき)を繰り出した姿勢から、息を吐きながらゆっく戻す。

 これも残身というもので、本来は静と動が切り替わった静のかただが、それ以外にもゆっくりとした動作の中で自分を囲む者たちに向けて無言のプレッシャーをかける戦術でもあった。別に威圧するようなスキルを使わなくとも、圧倒的な力量を見せつけてやりさえすれば、迂闊には手を出せなくなるものだ。


 しかし衛兵たちはここまでされてもまだ包囲を解くことはなかった。

 プロテウス市民の安全を守る、これが為されなければ衛兵の存在意義すら失われてしまうからだ。


 衛兵たちは命をかけて自らの職務を全うする覚悟を示す。

 広く間合いを広げたが、いつでも飛び込んでこられる絶妙の距離で包囲を解かない。これは訓練の賜物だった。


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