17-16【ゾフィー】偶然居合わせた神々
一方、プロテウス城に寄り添うように建てられた神聖典教会では、いつでも、誰にでも門戸を開放することが信条であるのに、礼拝堂の大扉を固く閉ざしていた。
向こう側から閂が掛けられたようにビクとも動かない礼拝堂の大扉をノックする衛兵の姿があった。厳しい訓練のせいで、嫌でも筋肉質になる第二衛兵隊員でありながら、身長はそこそこ高いのにスマートというよりも痩せ細っているといった印象の若い衛兵、シセルドだ。
シセルドは衛兵隊長ウズに命じられ、王国騎士団と神聖典教会に応援を要請するために来た。
いつもは常に解放されている礼拝堂の大扉が閉じられていることに焦りすら覚え、分厚い無垢の木扉をせわしなくノックしている。
「第二衛兵隊より伝令! 第二衛兵隊より伝令であります!!」
何度かノックと呼びかけを繰り返したところで、礼拝堂右側の小さな扉が開き、隙間から初老の男が顔を出した。
男は扉を完全に開くことをせず、片手でノブを握ったまま訝し気に応えた。
「来客中なので後にしてはいただけませんか?」
「現在、市街地にてベルセリウス派の襲撃を受けております。緊急事態法第四条に基づき救援を要請します。あなたは伝令を受けて責任を負う立場にありますか」
「ベルセ……、分かりました。大司教にお取次ぎします。どうぞこちらへ……」
シセルドは小さな扉を潜り抜け、ステンドグラスで彩られた華やかな印象の礼拝堂から入らず、大扉の脇にある、とても質素でおくゆかしい、小さな扉から案内された。
まるで古い役所の渡り廊下を思わせる、煤けた壁を眺めながら牧師が好んで着るアンクのマークが織り込まれた宣教師のローブについて、狭い廊下を奥へと進んでゆく。
シセルドは休みになると礼拝に足しげく通うような信者ではなかったが、両親が敬虔な女神信者だったので、子どものころから両親に連れられて日曜の休日に礼拝するぐらいのことはしていたせいか、教会の華やかな面だけは印象に残っているのだが、今日のこの、誰もいない礼拝堂からは静けさしか伝わってこない。
コツコツと廊下に響く二人分の靴音は決して同調することなく、不文律を刻みながら行き止まり、ヒビの入った白壁にはめ込まれたような、重厚な一枚板のドアの前に立った。
男がノッカーを鳴らす。
中から「来客中である、控えよ」と声がした。
男はドアを開くことなく、狭い廊下によく響く声で言った。
「大司祭さま、衛兵隊からの救援要請です」
しばしの沈黙のあと扉の中から「お話を伺いましょう、どうぞ」と声がした。
男がドアノブを大切に包むように両手で握り、できるだけ音のしないよう、持ち上げるようにゆっくりドアを開くと、重厚なドアは音もなくスッと開いた。
「どうぞ」とシセルドに入室を促すとドアから一歩中に入ったところで、重厚なドアは閉じられた。
大司祭の居室だ、ここまで歩いてきた、何もない廊下がまるで洞窟に思えるほど煌びやかな装飾品に囲まれた、豪華な部屋だった。ソファーには礼拝でもないのに法衣を着ている大司祭さまと、机の対面のソファーは移動させられていて、車椅子に掛けた男と、その傍ら立っている騎士服の若い男が一人。
来客というのはこの二人の事だろう。
シセルドは踵を鳴らしビシッと敬礼を3秒止めたあと、大声ではきはきと内容を伝えた。
「ベルセリウス派の襲撃を受けました。現在プロテウス城の東門に王国騎士団とアルド派の魔導部隊が集結中。緊急事態法第四条に基づき救援を要請します」
息継ぎもなしに早口でまくし立てたが、いま話を聞いていた車椅子の男がどうやら興味を持った。
「ベルセリウス派? くくくく……クロノス、お前のことか?」
クロノスと呼ばれた青年は表情を崩さず目を伏せていて、何も答えることはなかった。
車椅子の男がシセルドに視線をやりつつ、質問を被せた。
「ベルセリウスは今、ダリルなんとか? を襲撃しておると報告を受けたのだが? 間違いか?」
「いえ、別動隊かと思われます」
「ほう、それは好都合ではないか。ベルセリウス派というと、アシュタロスの眷属なのだろう? 死体にして目の前にぶら下げてやると、奴は喜ぶ」
そういって口角を上げる、狂気じみた笑みを浮かべる車椅子の男に気持ち悪さを感じながら、シセルドは大司祭に直接伝えた救援の可否を返事として待っていた。教会の治癒術師をどれぐらいの規模で出してもらえるのか、また、プロテウス城東門にはいつ到着するのか、伝令は話を伝えるだけではなく、返す情報を持って帰らないと片手落ちだ。
しかし口を開いたのは大司教ではなく、車椅子の男の傍らに立つ騎士服の青年だった。
「王都を襲撃しているベルセリウス派の名前は分かるか? 人数は?」
シセルドの伝令する情報には守秘義務がある。見ず知らずの男に言って良い話ではない。シセルドは大司教に視線を送った。大司教がコクリとゆっくり頷いたのを見て、シセルドに話をはじめた。
「ハッ、分かっている情報では襲撃してきたベルセリウス派の魔導師は一人、ゾフィー・カサブランカという女だということです」
食い気味にきた騎士服を纏った青年が引いて、顔色がみるみる変わっていった。大司祭の居室に深刻な空気が流れ始めると、車椅子の男は大げさに困り果てたような顔をしてみせた。
「それは、ちょっと困った……な」
車椅子の男は柿渋を噛んだように顔をしかめ、騎士服を着た青年は『ゾフィー・カサブランカ』の名を聞いた途端に落ち着きをなくしはじめたが、まるで思い出したかのように左手を前に突き出すと、その手にパッと鞘に納められた方手持ちの剣が握られた。
騎士服の青年は、まるで難しい手品を成功させたかのように、いま手に出してみせた剣をぎゅっと握りしめ、ホッと小さく息を吐いた。
「魔法が使えます。この男が案内役というわけではなさそうです。状況からユピテルさまを狙った襲撃だとは考えにくいので、速やかにこの場を逃れましょう」
要するにゾフィーがこの男を案内役にして、いまユピテルの居場所を突き止めたのだとすると、ゾフィーの事だから当然もうアンチマジックを使われていて、マナを使う魔法という魔法、すべてが使えなくなっていると考えるべきであるから、魔法が使えるという事は、まだ気付かれていないということだ。
「あの女は苦手だ。余は好かん。……んー? だが待て、敵はいま二手に分かれておるということかな?」
「はい、そのようです。まさかダリルマンディとプロテウスを同時に攻める手を打ってくるとは私も予想していませんでした。完全に誤算です、ユピテルさま、急ぎ撤収を進言します」
車椅子の男は、顎を指で揉みながら天井を見上げ、何か考えているような様子だったが、ひとつの結論を導き出した。
「あの女がここを襲撃しているのなら、これは好都合ではないか。逆の手を打ってやればよい、ダリルなんとかに侵攻しているアシュタロスのほうを逆にこちらから襲撃するというのはどうだろう? 余はジュノーの顔を見たい」
「お言葉ですが危険です」
「なあに大丈夫だよ、防御魔法陣は完成しておる。あの女さえいなければ奴らなど烏合の衆ではないか。何ならあの合成獣人のクマ1号をテストしてもよいな。余はジュノーの絶望した顔も見てみたい! さぞかし美しかろうや」
合成獣人クマ1号というのは、他でもない、ベアーグ族とエルフ族を足して4で割ったような人工生命、合成獣人であり、エルフ族の魔導適正とベアーグ族のタフさを併せ持った改良品種でもある。そしてその器にフォーマルハウトの魂が移植されている。ゾフィーの使うマジックジャミングを再現した技術を確立し、アリエルたちの魔法を使えなくすることができる、対アリエル用に開発された生物兵器であった。
「素晴らしい慧眼、恐れ入ります。しかし今は何事もなく、この場を逃れることが先決です。ひとまずこの場を離れて、体勢を立て直しませんと何もできませんゆえ」
「転移魔法でパッと逃げれば良いではないか」
「いけません、ここは東門から近すぎます。たった2ブロックしか離れておりません。万が一にでも時空振動を感知されると必ずトレースで追ってきます。それではユピテルさまをお守りできません」
「ああもう面倒な女だな、ではどうすればよいのか」
「私がユピテルさまの車椅子を押し、何食わぬ顔で戦闘エリアを離れます。探知されないよう十分に距離をとったところで転移しましょう」
「余は石畳のガタガタが嫌いなのだが……」
「申し訳ございません、我慢してください」
「酷い話だな……」
いうと二人はすぐさま大司教との話を切り上げ、急用ができた旨伝えた。
騎士服の青年は大司教に向かって「それではご武運を」と別れの挨拶を交わすと、すぐさま車椅子を押してドアのほうへ車輪を向けた。
普段、王都プロテウスはユーノー大陸にあるすべての都市で、最も治安のよい都市と言われているほど、安定した治安が保たれている。そりゃあベルセリウス派の魔導師が襲撃してくるなどというのはこれまで無かったことだが、それでも近い未来、必ず敵として戦わなければならない相手ということは分かっていたため、衛兵隊の仲間内で驚くような者もいない。その時が来たか……と、逆に気合が入っている。
確かにベルセリウス派の魔導師は強力な魔法を使うと聞いている。だがしかし、報告を受けた限りではたった一人であるし、そもそもここの大教会はプロテウス城の東門から300メートルは離れている。
そんな青い顔をして、一目散に逃げる必要などどこにあるのかと考えると、自然と笑いがこみあげてくる。
恐れるにも程があるというものだ。
直立不動の姿勢を崩さないシセルドの傍ら避けるのを待たず、車椅子を押しながら小走りですり抜け、自らの手でドアを開けて早々に出て行ってしまった。
見事な引き際であった。
----




