17-12【ゾフィー】野次馬たちの喝采
時間と空間を操る魔導師、ゾフィーを古代に最強の戦神たらしめた理由のひとつが、この時空魔法防御だった。
オラムという男が未熟だったからではない。むしろ正確に急所を捕えていたからこそ、その攻撃が一撃で自らの命を奪うものとなった。それがロザリンドの研ぎ澄まされた剣であっても、たとえ秒速30万キロで圧倒するジュノーの熱光学魔法であっても、攻撃がゾフィーに届くことなく、何も操作しなかった場合は自動的に防御が発生するという、少数vs圧倒的多数の戦いにおいて、ゾフィーが有利に戦う理由のひとつがこの防御システムだ。
弱点がない訳ではないが、剣や槍、または矢やファイアボールなど、一方向にしか作用しない攻撃については100%完全な防御を誇り、同時に攻撃されたのと同じ力で、攻撃を試みた部位と同じ場所に、寸分たがわぬ精度で反撃を加える。いや反撃といっていいのだろうか、要するにゾフィーに対して、心臓を狙って槍で突くといった攻撃をしたとすると、勢いよく直進する槍の切っ先はゾフィーの胸にぽっかり空いた転移魔法に吸い込まれ、攻撃を加えた者の胸に、まるでシールを貼り付けたかのように転移魔法が貼り付き。そこから槍の切っ先が飛び出してくるといった仕組みになっている。
簡単に説明すると、まさに書いて字のごとく、自業自得ということだ。
加えられた攻撃と同じ力で反撃をしているわけではない、そんな小難しいことをせずとも、自分を攻撃しようとする武器をそのまま、時空を捻じ曲げ、空間転移で正確に返してやってるだけ。殺意が深ければ深いほど、攻撃は自らの命を奪うことに躊躇がなくなり、手加減してやろうという心がそこにあったのならば、命まで奪われることもなかったろう。
オラムは、会心の一撃のようにたったひと振りで、喉を輪切りにするよう、ざっくりと斬った。
あるいは苦しませないよう即死させてやろうとしたのかもしれないが、明確な殺意があっての攻撃を自らが受けた。まるでパンでも押し込んだら飲み込めるんじゃないかというほど、ぱっくりと大きな傷口が開いた。その傷は深く、肉だけでなく、生命活動において最も重要な血管とされる頸動脈を真っ二つに切断し、頚椎まで達するほどの致命傷だった。
狙った頸動脈だけでなく、食道、気管、経静脈のすべてを横に薙ぎ、スパッと切断している。首の骨の関節部分に刃が通り、今にも首が落ちそうなほど、後頭部、首の皮一枚だけ繋がっていて、頭がゴロンとぶら下がる格好になり、オラムは同時に膝からストンと崩れるように倒れた。
ゾフィーの背後で剣を抜いて囲むように威圧を強めていた別動隊の男たち二人は、剣の間合いの届かないセーフティーゾーンまで下がって辺りを警戒した。目の前の女エルフは脱力していて、構えもしていないし、そもそも丸腰である。オラム士長が首から血を吹き出して倒れたのは、きっと誰か別人の、例えば遠隔武器を投げて首に命中させたなど、他人の介入があったからに違いないと考えての行動だったが、二人ともそのまま、半ばパニックになりつつある民衆の中に紛れてどこかへ行ってしまった。
見えない相手が遠隔から攻撃しているとでも思い、民衆を避難させることもせずこの場から逃げたのだろう。
ゾフィーの前には剣を引いた若い衛兵だけが残った。上役のオラム士長が突然倒されたことに驚き、また柄に手をかけてはいたが、それを抜くほど動転しているわけではなかった。
ゾフィーは若い衛兵の男に問うた。
「私は、あなた方のいうところ、ベルセリウス派? の魔導師で、ゾフィー・カサブランカといいます。あなたの名は?」
「アリエル・ベルセリ……ベルセリウス派の魔導師……だと?」
愕然とした表情でアリエルの名を口にした若い男は、柄に手をかけ、いつでも抜ける姿勢のまま、言われた通り質問に答えた。帯剣し、柄に手をかけているというのに、丸腰の、ただ美しいだけの女を目の前にして、その声は自信なさげに震えていた。
「あ、あの。メ……、メイラー・ハ、ハミルトンだ」
ハミルトンの選べる選択肢の中で、最も生存率の高いものは、早々にこの場から逃げ出してこの場を離れることだったのだが、血にまみれたオラム士長の姿と、ゾフィーのどこまでも深い血の紅を彷彿させる紅眼の前で一歩どころか、指一本動かすことも出来ず、柄から手を離すこともできなかった。
魅了されたわけではなく、のまれたのだ。目の前に現実にあって、すぐにでも自分に襲い掛かろうとする、リアルな死そのものから逃れることもできず、恐怖しているせいで、指一本、ピクリとも動かすことができない。
次第に肉体的な変調も表れはじめた。まず顕著だったのは横隔膜がうまく動かず、呼吸すらままならないほどの緊張感に苛まれた。猫に捕らえられた鼠は恐怖で死んでしまうというが、この若い衛兵にもその傾向が表面化し始める。
額には脂汗が滲み、赤く充血した目にはなみなみと涙があふれ、今にもこぼれ落ちそうだ。ぎゅっと結んだ唇の奥、顎の震えを抑えきれず、歯がカチカチと音をたてはじめた。
ただゾフィーから漏れ出した、僅かばかり殺気や怒気の含まれたにオーラに当てられてこのような体調不良を起こす。ゾフィーが戦闘モードになると、それまで纏っていた緩い空気はどこへやらか消し飛び、ひとの気配はなりをひそめ、ただ濃厚な殺意の塊となるが、いまは少しだけ苛立ちを覚えただけだ。
ゾフィー自身、平常心を保つよう冷静に振る舞い、抑えに抑えていたとしても、この男のように抵抗力を持たない、弱い人間は恐怖で体調を崩したような状態異常に陥ることがある。
超一流の武人から漏れ出したオーラのようなものだ。その濃厚な殺気を真正面から受け止めると、まだなにもされていなくとも、全身の細胞が死んだと錯覚を起こしたかのように生きることを諦めてしまう。
ゾフィーは息も絶え絶え、気を失いそうになりながらも、まだ立っている若い衛兵、ハミルトンを見て、多少大人げなく苛立ちを抑えられなかったことに気付き、深く深呼吸をして心を落ち着けた。
するとハミルトンの体調が徐々に正常にもどってきたのか、みるみる顔色が良くなってきた。
「ごめんなさいねハミルトンさん。この男の物言いがあまりに酷かったので、ちょっと気分を害してしまいました」
「……い、いえ、あの、オラム士長は……」
「この場にジュノーでも居れば助けられたかもしれませんが、私には人を治癒する力なんてこれっぽっちもありませんから……」
「そ、そうか。では職務を優先させてもらう。ベルセリウス派の魔導師が、何をしにこの王都へこられたのか、聞かせてもらって構わないだろうか」
体の芯にまだ震えが残っているのだろう、声が上ずってスムーズに言葉が出てこないことを隠しきれてはいなかったが、ゾフィーの後ろで退路を断つように取り囲んでいた2人組の衛兵たちはどさくさに紛れて、とっくに逃げてしまった。この場で話の出来そうな人間は、ハミルトンだけだ。
「失敗したなあ……いきなり来たのが悪かったのでしょう。準備が必要ですものね。ではあなたに伝言をお願いします。いいですか?」
「伝言? わ、分かった。聞こう」
ゾフィーは通りの向かう先、遠くのほうに見えるプロテウス城を指さした。
「はい。私はこれからあのお城へ向かいます。そうですね、国王と実際に会って、直接お話を伺いたいですね。あなたは先に行って、伝えてくれませんか? 私はこの美しい街並みを見物たり買い物を楽しんだりしながら、ゆっくりと歩いてゆきます。お城に着くまで小一時間ぐらいでしょうか」
「こ、国王様と?」
「はい、話をしに来ました」
「あ、あの? きっと取り合ってもらえないと思うのだが……」
「あなたは私の言ったことをしかるべき立場の人物に伝えてくれたら、それでいいのです」
「なっ……わ、分かりました。ベルセリウス派魔導師の、ゾフィー・カサブランカが国王に謁見を求めに来ていると伝えればいいですね」
「はい、お願いします」
「しかと承った」
いうとハミルトンは周囲の野次馬の中から肝の座ってそうなものを数人ピックアップし、オラム士長の遺体に触れず、略奪者に装備品を奪われないよう見張りを頼むと、遠く、小高い丘の上に見えているプロテウス城へ向かって、強化魔法の為せる最大パワーで通りをダッシュで駆け抜けてゆく。
ゾフィーは自分を囲む野次馬たちの対応は心得ていて、四方に向かって両手を広げて膝をちょこんと折るという、エルフ式の優雅なお辞儀をして、見物人の喝采と歓声を受けた。
とはいえ野次馬たちは解散することなく、そのままゾロゾロとゾフィーのあとをついて歩く。
衛兵がひとり殺されたのは、皆で目撃した通りだ。しかし、その事件を最初から最後まで固唾を飲んで見守っていた民衆たちには、どちらに非があるのか、わざわざ口に出して言うまでもなく、明らかに衛兵の対応が悪かった。市民の安全を守るという務めを果たしたのは、4人のうち1人だけ。もっとも小柄で、もっとも若いハミルトン衛士だけが職務を全うすることができた。
ハミルトンは当たり前に仕事をしただけだが、市民の評価が上がり、オラム士長の酷い対応により、逆にベルセリウス派の人気も上昇、人心なんてこんなものである。
王国を滅ぼすという噂のアリエル・ベルセリウスという男、下級貴族や役人、特に騎士を含む軍人たちは悪魔だの死神だのと罵り、蛇蝎のように嫌われているのだが、平民層の一般プロテウス市民には、そこそこ人気があることに、少しだけ心が温まった。
大衆演劇で何度も追加公演を繰り返した『100ゴールドの賞金首』や、少年期にサルバトーレ会戦を戦い、神殿騎士団長アウグスティヌスとの一騎打ちを制したこと、王都の南、サムウェイ区、神殿騎士団本部の門前で、神殿騎士たちと乱闘になり、死者25名、重軽傷者114名という、ただの乱闘騒ぎだったはずが大事件にまで発展してしまったという事件があった。今回のゾフィーと同じように、そのときアリエルの周囲に集まった野次馬たちも、神殿騎士たちのほうに非があったと証言したせいで、アリエル・ベルセリウスは王都での人気を確固たるものとした。当時から神殿騎士たちの横暴は王都でも知れ渡っていて、市民たちにはあまり良く思われていなかったことから、多勢に無勢でありながら神殿騎士たちを一方的に打ちのめした、あの、100ゴールドの賞金首の渦中にあった天才少年剣士で、実在するボトランジュ領主の孫、アリエル・ベルセリウスに人気が集まらないわけがない。
もちろんその後、少女たちに大人気のボーイズラブ系春画家が指名手配の似顔絵を描いたため、アリエルは女性人気は、ごく一部、腐っていると表現される層ではアイドルとして狂信的な支持を受けているのだが……。
王都プロテウスに住んでいて、そんなベルセリウス派の魔導師を見られる機会なんて、そうあるものではない。
今夜の酒場では、きっと『ベルセリウス派の魔導師には、ゾフィーという美しいエルフの女がいる』という話でもちきりになるだろう。




