17-11【ゾフィー】いわれのない横暴
「オラム士長、この女、魔人族ではありません。エルフのようです」
「魔人族もエルフも関係ない。ここはプロテウス城につながる大通りだ、魔族が一匹だけでうろついていい場所ではない。主の名を言え!」
一匹だけ、という言葉にちょっと引っかかりつつも、主の名を言えと言われたので、アリエルの名を出そうかと思ったが、どうやらこの衛兵たちの様子から察するに、主という言葉を奴隷の所有者として使っているようだ。
「主というのは? いったい誰のことでしょうか?」
質問に対して質問で答えたゾフィーに対し、剣を抜いて威圧していた男は、ぐいっと一歩踏み込み喉に突き付けた切っ先を、首の動脈、薄皮一枚のところまで触れさせて威圧を強めた。もはや威圧ではなく脅迫であり、実力行使の第一段階だった。
「聞かれたことに答えるだけでいい、お前のような薄汚いエルフがうろついていい場所ではないと言ったのだ。おまえの主はプロテウスの条例に違反している、処罰してやるから主の名を言うんだ」
二人は言いながら周囲を見渡している。騒ぎを聞きつけて奴隷エルフの所有者が駆け込んでくることがよくあるので、念のため周囲を警戒する必要があった。
しかしゾフィーには、愛する夫はいるが、奴隷でもなければ所有者たる主もいない。
酷い物言いに曝され、笑顔の仮面を貼り付けてはいたが、その涼しい顔の裏で、少しの苛立ちを覚えていた。そもそも種族的に穏やかな性格をもっていて争いごとを嫌う森エルフ族の性質につけこんで、奴隷として扱っていること自体、ゾフィーは腹に据えかねている。
ゾフィーの生きた16000年前の時代にも奴隷に近い制度はあった。現代スヴェアベルムと比べると、どうしても完成度の低い社会であったため、人をもののように扱うことは珍しくなかった。
だがゾフィーの知るそれは国を失った者が生きてゆくための手段として考えると、確かに悪いばかりの話ではない。国家という庇護のもと国民たちは守られて生活しているのが当たり前だと思っているだろう? しかしそうではない、たとえばある二つの国が戦争をしたとする、片方が勝利し、必然的にもう片方は敗北するのが必定だ。
敗北した国は滅ぼされ、その国土と資産は勝利した国のものとなる。略奪にあうと全てを奪われるのが普通だった。
ここまでは現代スヴェアベルムでも同じだ、しかし敗北し滅亡した国を支えていた国民たちは、ヒト族であれエルフ族であれ、同等に労働力として駆り出される。
どちらかと言うと、ヒト族であっても敗戦国の者に二等国民という、ワンランク下の地位を与えて労働力を搾取するアシュガルド帝国に考え方は近い。それが常であったため、ゾフィーの中で奴隷という制度そのものにはそれほど嫌悪感はなかったが、エルフもヒトだ。家畜のように扱って良いわけではなかったし、種族がエルフであるという、ただそれだけのことで奴隷という扱いを受けることもなかった。
「私を誰かの奴隷だと思っていますか? それと、魔族って誰の事ですか?」
「話が噛み合わんな! お前のようなヒト族にあらざる者で、人語を解する牛や豚の類を魔族と呼んでおる。そしてここは王都プロテウスである。お前のような家畜が主の庇護なしで踏んで良い石畳など、ただの一枚もありはしない。いいか、もう二度とは言わんぞ? 主の名を言え。言わねば駆除対象として、この場で殺処分するぞ」
さすがにこれまで家畜の扱いをされたことはなかったゾフィーは、少し背伸びをして身長差を見せつけるよう顎をあげ、上から見下ろしながら嘲笑ってみせた。
「うふふ、だって私は奴隷などではありませんから、当然ですが、あなたの考えておられるような主などおりません。私は由緒正しい家系に生まれたエルフ族です。あなたのように育ちの悪さが透けて見えるような下賤の輩に、そのような酷い物言いをされたのでは私の立つ瀬がありません。幸い、私の家族の前で罵られたわけではないので、恥をかかされたとも感じていませんから今回に限って不問とします。あなたはまず、名を名乗り、謝罪したうえで私の名を聞くのが筋道というものではありませんか?」
すました顔で淡々と言ってのけたゾフィーの言葉。物腰は柔らかいが、その内容は挑発そのものであった。
要するに、売られたケンカは買います! と言ってる。
そもそも、この街の者たちは、エルフというだけで奴隷だと決めつけている。
アリエルのいう『話し合い』と言うのは、そもそも対等の立場、対等の力関係がなければ成立しないものであることは、昔から政治にも少し携わっていたゾフィーだからこそ理解している。
圧倒的に弱い立場の者が、力で支配する側の人間に向かって『話し合い』を呼びかけても、無視されるだけ。むしろ踏みつぶされるのがオチだ。
お互いに力を認め合い、相互利益が確立していなければ話し合いなど成立しようがない。
ならば力を見せるまで。この人とは争わず、話し合いで解決したほうが得策だと、そう思わせればいい。いや、話し合いで解決したほうがいいと思わせなければ、話し合いなど成立しようがないのだ。
この偉そうに、人を人だと思わないような物言いをする衛兵たちに『まってくれ、話せばわかる、そうだ話し合いで解決しようじゃないか』と言わせればいい、たったそれだけのことだ。
ゾフィーは稚拙な対応しかできない衛兵を心底蔑んだ眼で見下すと、口元に少し笑みを浮かべながら、喉元に剣を突き付けている若い男に注意を促した。
「命が惜しくば剣を引きなさい。ケガじゃ済まないわよ?」
今の今まで喉に剣を突き付けて威圧していた男の目が泳ぎ、上役なのだろう、剣を抜くこともせず、ただ偉そうに振る舞った男の顔色を窺がう。
先ほどまでの威圧と脅迫がウソのように、不安そうな表情をみせはじめた。
上役の男は弱気を嫌い、いままさに剣を喉元に突き付けている部下に向かって、目を細め、とても暖かい血のかよったヒトであるとは思えないほど冷淡な声で命令を下した。
「構わん、殺せ」
プロテウス城が見える大通りで、白昼堂々、大勢の見物人が野次馬となって辺りを囲んでいるというのに、まさかの殺害命令を聞いた。見物人の中には子供だっている。それなのにだ。
そもそも衛兵の権限では、捕り物の際に相手が抵抗したとしても、すすんで殺すようなことはあってはならない。相手が盗賊の類であっても、街の治安を守るという役目を負っている以上、人を傷つけることはあっても殺すようなことがあってはいけないのだ。何らかの不幸な事故が重なって、相手を死に至らしめたという事案はあれど、殺意をもって剣を振るうなどということはありえない。
だがそれもゾフィーがヒト族であったのならという条件が付く。
ここ王都プロテウスは、アルトロンド、ダリルに続いて、シェダール王国で3番目に奴隷制を制定した大都市であるから、エルフ族に人権など存在しない。ここ王都プロテウスは、エルフ族が人として、慎ましやかに暮らすという、当たり前の権利すら剥奪された土地なのだ。
ヒトではなくモノ。
この場で殺してしまったとしても、誰も咎める者はいない。ヒトではないのだから、殺したところで罰則もない。それが衛兵に対して育ちが悪いだの云々と、小馬鹿にしたような態度をとったのでは、殺してくださいと言ってるようなものだ。実際、ゾフィーがそうなるよう誘導している節があるとしてもだ。
しかしゾフィーの細い首に剣を突き付けていた若い衛兵は、殺せという命令を受けてなお躊躇した。
エルフとはいえ女だ。それも丸腰で抵抗する意思も明確に示してはいない。
それをちょっと挑発されたからと言って、殺してしまえというのは感情的に過ぎるし、無抵抗の女を殺すのは衛兵として街を守ると誓った男の矜持に触れる重大な禁忌に触れることになる。
ゾフィーには殺せと命じられて躊躇する男の手が震えていることがありありと見て取れた。
喉元に突き付けられた剣の切っ先が震えているのだ。
「何をしている? 早くせぬか」
弱気を嫌うオラム士長が早く殺せとせかす。だがしかし若い男は震える切っ先を引くと、苦渋を噛み締めたような表情をうかべ、剣を鞘に戻した。
「できません。女です」
この若い衛兵は、変な男気を見せたことで命を救われた。しかし衛兵として、これが当たり前の対応だった。広い間合いで取り囲む見物人たちの声援が大きくなる、やはりこういった義侠心を持つ者に民衆は熱狂する、たとえ衛兵のルールを破り、上役の命令を無視したのだとしても、丸腰の女を剣で斬り殺すのは断固として断る。これこそ、およそこの場を囲んで見物している民衆の考えている社会正義と寸分たがうものではない。むしろその『できません』といった弱気な言葉は人々の共感を呼び、声援と共に、惜しみない拍手が送られた。
逆にブーイングを受ける羽目となった上役のオラムは「ひっこめ」だの「横暴だ」だの「女の敵」とまで大声で罵られ、みるみるうちに顔が赤くなってきた。
プロテウス市民に罵声を浴びせられたことで、怒りは治まるどころか、目の前にいるこの生意気なエルフ女と、ハッキリと自分の敵に回った野次馬たちを同時に黙らせる方法が一つあることに気付いていた。
「魔族のメス一匹殺せないとは情けない、評価を下げたなハミルトン」
そういって心ここにあらず、ゾフィーの背後で退路を断つため取り囲んでいる別動隊に目配せをして、何らかのサインを送ると刹那、剣の柄を握るや否や、構えも取らず、不十分な体制で抜剣した勢いのまま、ゾフィーの首を狙って薙いだ。一応、強化魔法の乗った剣である。並の剣士が振る剣速ではない。
だがしかし、いつもロザリンドの居合の稽古をみているゾフィーにとって、それはあくびが出るほど遅く、退屈な攻撃だった。腕の筋肉の張りで次の動きが分かる。柄に手をかけた時の姿勢で、突いてくるのか、それとも薙いでくるのか分かる。剣を抜き出す角度で刃の通る軌道が読める。そんな事よりも鞘に納められた剣を腰にさげたまま、これ見よがしに見せびらかしているのも素人ならでは、無知の為せる愚かな行為だ。
鞘よりも長い剣が存在しないことから、その鞘を見ただけで攻撃の間合いまで読めるのだ。
殺意を持って剣を抜くということは、これから命のやり取りをするということなのに、剣を抜く前から重大な情報をいくつも相手に与えてしまっている。これでは力量の差云々という以前の問題だ。
こんな、虎の威を借る狐以下の男が繰り出す剣など、所詮はこの程度のものかと。オラムの実力をかなり下に見ていたゾフィーの予想を更にずっと下回る剣筋を見せられてしまうともう何も言うことはない。
ひとつ小さなため息をつくと、今まさに強化魔法の乗った腕で剣を振り出されたというのに、もう興味を失ったかのように視線をそらし、たったいままで喉に突き付けられていた剣を鞘に戻したばかりの若い男のほうに向き直った。
あっさりと余所見を決め込むゾフィーの首、皮膚を切り裂いて剣が入ろうとすると、平時から展開している魔法防御がオートで起動する。ゾフィーの身体に触れようとした切っ先部分が空間転移し、頸動脈の脈打つ首の皮膚一枚、傷つけること叶わず、転移した切っ先は、攻撃した者の首を薙ぐ。
自分の繰り出した剣の先だけが、自分の喉を斬り裂く。こんな想像だにしていない悪夢がオラムを襲った。
いや、襲ったのは自らの稚拙な剣だ。ゾフィーが殺す価値もないと興味を失った男の力でも、十分に殺傷能力があったことのみ証明された。
オラムは振りかぶった剣を最短距離で振りぬくと、喉に少しの衝撃を感じた。
無意識に手をやってみるとおびただしい量の血液を噴水のように噴き出したことに驚いた。
「熱っ……」
これがオラム士長、最期の言葉となった。
剣を持たない左手で何か跳ねられたように感じた首元を触って、ぬるっとした感触を確かめたが、自分が死んだことにまで理解が及ぶ前に意識を永遠の闇に閉ざした。




