17-10【ゾフィー】狂気の沙汰
ゾフィーはひとまずパシテーたちをアルトロンドに送り届けたあと、センジュ商会の倉庫に転移すると、トラサルディの付き人だった男が朝の一番から掃き掃除をしている場面に出くわした。
男は手に持っていた箒と塵取りを落とすほど驚いた様子だったが、すぐに気を取り直し、まずは挨拶をしてみせた。
「おはようございます」
この男、トラサルディと一緒にアリエルたちに捕まったことから、ゾフィーの顔は覚えていた。
グローリアスの拠点をノーデンリヒト軍の拠点として使うことは知らされていたので、ベルセリウス派の魔導師であることが分かった時点で、深々とお辞儀をしたのだ。お客様というよりも、雇用主に対するものと同等の対応だった。
「おはようございます。ごめんなさいね、お仕事を続けてください」
いうとゾフィーは荷車の出入りする大きな吊り式の引き戸を開けた。
すっかり高いところまで昇った太陽からは、眩しい光が差し込む。ノーデンリヒトでは初雪の観測があり、そろそろ冬支度を始めているというのに、ここ王都プロテウスは過ごしやすい秋のちょうどど真ん中といった空気感だ。
空には柔らかく荒れた群雲が多く空に浮かんでいて、高空にはどこまでも青い空が広がっている。ゾフィーは手で陰をつくって直射日光を遮り、空を見上げたままひとつ大きく深呼吸をして気合を入れた。
ゾフィーは以前アリエルたちと王都に来た時、そう、銀龍ミッドガルドをハイソサエティオークションに出したとき、遥か空の上からこのプロテウス市街を見て、だいたいの地形は頭に入っていた。
王都にある16の通りは、プロテウス城を中心に放射状に伸びている。
まさに『すべての道はプロテウス城に通ずる』を地で行く配置だ。こういった作りの城下町は産業発展させやすいが反面、戦で攻められると意外と脆い。
ゾフィーは戦神だからというわけではないが、生きた時代そのものが天下泰平の世ではなく、どちらかと言うとあちこちで小さな紛争や戦争が起きるということが珍しくない環境であった。
自身、今は亡きソスピタ王国に属する小国にあり、南ガンディーナ地方のエルフを束ねる族長の娘として常に戦の中に身を置いていたので、城や都市の弱点を見抜く能力に長けている。
石畳をコツコツと踏みしめながら、遠くのほうに見えるプロテウス城を眺めながら、いまはここに暮らす市民たちの生活を観察しているところだ。
この前来たときは祭りのような騒ぎだった。
まだ午前中だからか、今日はそれほど騒がしいこともなく、以前来た時のような人出はないが、それでもゾフィーの生きた時代からすると考えられないほど人が溢れかえっていた。
道端に座り込んで酒を飲む者や、物乞いの姿も見えない。浮浪児もいない。
時間のほとんど流れていない空間に囚われ、16000年もの間、眠っていたゾフィーには、この世界の現在の常識を理解するのに時間がかかった。口は悪いが、いちいち細かく指摘してゾフィーの知らない物事を教えてくれるジュノーのおかげで、自らが眠っている間にこの世界がどう変わっいったのか、聞いた情報ではあるが、おおよそ理解はしている。いまゾフィーはジュノーに教わった現在の状況を自分の目で見て、整合性を確認しているところだ。
(ずいぶんと平和なものね……)
この城下町に住む人を見ての第一印象がこれだった。
外から見るとシェダール王国が建国されてから4000年の歴史の中で、いま現在最大の危機を迎えていている。ドーラ軍、ノーデンリヒト軍が我が物顔で国土を通ることに何ら抑止力を示せなかったし、いまやフェイスロンド領都グランネルジュもノーデンリヒトとドーラの手の内にある。
ノーデンリヒト軍は王都プロテウスを中心に、ボトランジュから反時計回りにフェイスロンドを迂回し、ダリル方面へ向かう道すがら、その道中にある市街の悉くを占領した。そして最終的にはフェイスロンド領都であった、30万都市、グランネルジュまでをもその手の中に納めてしまった。
シェダール王国にしてみると、これは王国の半分を切り取られたようなものだ。
こうなるに至った原因を考えるに、フェイスロンド領とダリル領の紛争を止めることができなかった王都プロテウスの発言力の低下が招いたことは明らかだった。フェイスロンド領の東北部にあるカナデラル、グランネルジュの北に位置するべラール、そして領主フェイドオール・フェイスロンダールが死亡し、領都グランネルジュを押さえられた以上、あとはノーデンリヒト国家元首トリトン・ベルセリウスか、もしくは、魔王フランシスコのどちらかが占領と併合の宣言を出せばフェイスロンドの長い歴史は終わりを告げる。
今でもこれほど腰の引けた外交政策しか取れない王都プロテウスがフェイスロンドを奪われたことで戦争などできるわけがないというのがアリエルの予想だった。兵をグランネルジュに向けたら、その背後から大喜びで帝国軍が雪崩れ込んでくることは火を見るより明らかなのは、他でもない、王都プロテウスを守護する王国騎士団がいちばんよく分かっているからだ。
帝国の動きを煽り、いつ攻め込んでくるか分からないという危機的な状況を作り出しておいて、身動きの取れなくなった王都プロテウスの背後に、ズケズケと土足で踏み込んでは通りがかった街のすべてを奪ってゆく。これは性格の悪いアリエルの悪だくみあってのことだ。今後、その悪だくみは更にエスカレートし、どんどん王都プロテウスを苦しめてゆくだろう。
だがしかし、この王国は、この期に及んでまだこれほど呑気にしていられるのかと。
ゾフィーはこの状況を『平和』だと思った。
国が滅ぶほど激しい嵐が起きる前というのは、得てして風も凪いで、まるで鏡面の水面のように穏やかなものだ。ゾフィーは斜陽の王国、波の穏やかな夕凪のような城下町を一人散策しながら歩く。
いま滅びに瀕している傾いた王国である。まさか自分たちの歴史が終わりに向かって下り坂を転げ落ちているだなんて、誰も考えていないのだろうか。行きかう人々は早足で通り過ぎる。夢中になってあくせく働いているように見えた。遅かれ早かれ、この王国は滅びる運命にある。つい先日、セカの街が戦場にり、王国軍、アルトロンド軍、帝国軍の連合軍は敗北し、多大な死傷者を出してセカを追い出されたというのに、街を巡回する兵士の数が少なすぎるし、住民は帯剣すらしていない。
これを平和と言わずして何というのか。
ゾフィーは少しだけ侮蔑を含んだ言い方で『平和』という言葉を使った。
要するに平和ボケといったほうが分かりやすかった言葉だ。とにかく今は休戦中とはいえ戦時であることに変わりはない、それなのに住民たちの、この自覚のなさはどういうことなのか、ゾフィーにはまるで理解できなかった。スヴェアベルムで休戦なんて約定、いつ破られるやもしれないというのは、他でもないゾフィーがよく知っていることだ。
きょろきょろと気ぜわしく道行く人々に冷ややかな視線を浴びせている、身長190センチ近くもあるゾフィーの姿がちょっと目立ってしまうのは仕方がない。だがそれよりも法が先に立つ。魔族排斥が進んだ王都プロテウスでは、エルフの一人歩きは許されないからだ。
当然、このプロテウス在住のエルフ族は奴隷であることが前提なので、その主人がついていなければならないというルールがある。
いや、本来は逆である。エルフの奴隷は主の訪れた先で荷物を持ったりする労働力として、主のあとをついて歩くというのが規範とされている。もともと人権を失ってしまって、殺されても文句を言えないエルフ族が一人で出歩いて、酷い目に遭わされたりしないよう、これはグローリアスが先導し、息のかかった元老院議員たちが議会で決めたルールなのだが、ゾフィーにとってそれは過保護としか言いようがなかった。
アリエルがそのことを知っていれば対応もできたろう、だがアリエルは王都ではそんなルールがあるなんてこと、つゆも知らずにゾフィーを送り出してしまった。
身長190センチ近くもある真紅の瞳をもつ、黒髪のダークエルフをだ。
ダークエルフなんて神話戦争で絶滅してしまったとされる、今はもう伝説上の種族が白昼堂々とプロテウス市街に現れ、プロテウス城に向かう目抜き通りの歩道を、まるで物見遊山でも楽しむようにキョロキョロしながらのんびり歩いているのだ。
すれ違おうとする者たちは、みんなゾフィーの姿を見ては戦慄し、大げさに道を開けた。
衛兵を呼びに行った者までいる始末、ゾフィーはただのエルフじゃない。
目を引かれる者たちはダークエルフなんて見たことがないのだ。
ダークエルフと同じく見たことはないが、ヒト族よりも大きな身体に黒髪、森エルフよりも大きく角度の緩やかな耳と、褐色の肌。ダークエルフではなく、魔人族に見られてしまうのも仕方のないことだ。
そしてこの国では魔王フランシスコがそうであるように、真紅の瞳に彩られた紅眼は恐怖の対象だった。
すれ違う際、大げさに避ける者が多く、ゾフィーはただ真っ直ぐ、せかせかと早足で歩く街の人たちとは違い、ゆっくりとゆっくりと歩いているにも関わらず、周囲の反応はとても冷やかなものだった。
真昼間から堂々と通りを歩いて、エルフ族だけじゃなく、ヒト族以外のすべての種族を排斥したという、斜陽の王国を観察しておきたかったのだが、まさかの悪目立ちに半ば辟易してしまう。
「まっ……、魔人族だあっ!」
中には魔人族だと叫んで、腰を抜かすように走っていった男までいる。
アリエルの前世、サルバトーレ高原で最強の名を欲しいままにしていたノゲイラ将軍を一騎打ちで、何もさせず一方的に倒したことで悪名が轟き渡った、アリエル・ベルセリウスの妻であり、魔王フランシスコ・アルデールの妹、今でもアルトロンド領と、ここ王都プロテウスでは『勇者殺し』と呼ばれ恐れられている魔人族の女、ロザリンド・ルビスと、ただ、特徴が似ているというだけの話なのだが……。
16年前、バラライカ決戦で死んだはずのロザリンドが、アリエル・ベルセリウスともども生きていて、戻ってきたというのは、たった1日でセカに駐留する帝国軍を港ごと吹っ飛ばし、頑強に抵抗したアルトロンド軍も蹴散らしたということで信憑性の高い情報となった。
噂好きの下級貴族たちの口から洩れずとも、セカ港が爆発した衝撃派が有感地震となったことで、プロテウスに住む人たちにも周知の事実となっている。
銀龍ミッドガルドを売ったオークションの時とは違う、あれは主催側が出品者であるアリエルたちベルセリウス派を招待していたので、穏便に済まされた、だが今は危険度最高ランクの魔族がたった一人、丸腰で通りを歩いていて、このままいくと王城まであと数分というところにまで接近している。
けたたましくホイッスルが吹き鳴らされ、その不愉快な音を鳴らす者たちが、背後から徐々に近付いてくるのが分かる。衛兵がホイッスルを鳴らすのは、主に捕り物のときで、一般市民に道を開けさせ、近くに寄ると危険であることを知らせるのだ。
通行人は、頭ひとつ分突出したダークエルフがホイッスルの音の元凶であることを察し、すぐさまゾフィーから距離をとったが、野次馬根性だけは健在で、遠巻きにこの捕り物を見物する構えだった。
通りに人が溢れはじめた。馬車の通行もできないほど、馬車道にも人が出てきた。
紅眼の魔人族がいるという騒ぎと、衛兵が出動したことから、その捕り物を一目見ようと、続々と集まってくる。土魔法建築で5階建て、7階建てのビルディングが立ち並ぶ大通り、建物の窓や屋上からの見物人も目立つ。
狂気の沙汰だ。
そもそもゾフィーの生きた時代、町に敵性の者が入り込んだのだとしたら、住民はとりもなおさず、メシを食っていたとしても食卓にスープとスプーンを残し、一目散にその場を離れ、できるだけ遠くへ逃げるというのがセオリーのようなものだった。
何しろ自分の夫は稀代の悪役で世界の敵、ひとたび剣を向けられたらその村や町もろとも消し飛んでしまうような大量破壊魔法の使い手なのだ。戦いを挑んでさえ来なければ、そのままやり過ごすつもりであったとしても、悪名が知れ渡ると蜘蛛の子を散らしたように人は逃げてゆく。
それなのに、王都プロテウスの人間は、自分の命よりも刺激が欲しいらしい。
ゾフィーはフッと鼻を鳴らし、腹の底から湧き上がってくる笑いを抑えることができなかった。
その昔、今はもう滅びてしまった故郷、ガンディーナで毎年行われていた武闘大会を思い出していた。
闘技場などない、ただ大勢の見物人に囲まれて、戦ったという、ただの思い出だ。
鎧を着こんで盾と剣で武装する者、長槍で遠間から突く戦術を得意とするもの、弓を使う者、はたまた四属性の魔法を駆使する者、ゾフィーはすべての挑戦者の前に立ちはだかり、『超えられぬ壁』として戦神の名を遺憾なく見せつけることで、民衆の熱狂を煽った。自分より強い奴はいないのか、挑戦者は? と。
自分の恥ずかしい黒歴史を思い出してしまった。これが自嘲せずにいられようか。
ゾフィーは一人で思い出し笑いをこらえきれず、クスクスと微笑みながら、大勢の人たちに囲まれる中、さも当然という顔で、プロテウス城に向かう足を緩めることをしなかった。
すぐ後ろからけたたましくホイッスルの音が大音量で響いた。見物人の輪の中で吹き鳴らされている。
分かっていても肩をすくめるほど不快な音である。
振り返ると人垣を割って2人組の衛兵が2組、輪の中に入ってきた。
16000年も眠っていて、世の中は様変わりしていた。さぞや高度な文明ができあがっているのかと思いきや、こういうところはゾフィーの生きた16000年前と余り変わっていないように思えた。
洗練されているのは、装備品ぐらいか。
先ほどからけたたましい音を立てて周囲に不快な高周波を撒き散らしていた衛兵の男が2人、ホイッスルを口からはなしてゾフィーの前面に回り込んだ。
ゾフィーを囲む4人はすでに強化と防御の魔法を展開している。
さっき、あれほどけたたましくホイッスルを吹き鳴らしながら、遠く離れた場所で、ちゃっかりと強化魔法の起動式を入力してから、満を持して登場したのだろう。
帯剣してはいるが、ゾフィーの姿を見て警戒を露わにし、柄に手をかけたまま、抜くことまではしていない。2人組でワンセットなのだろう。片方が話しかけ、もう片方はじっと睨みを利かせながら、柄に手をかけた。何かあれば抜くぞ!という威圧を感じる。これはそういうセオリーでやっていることなのだろうか、前の衛兵も、後ろの衛兵も、寸分たがわず同じ動きをしていることにゾフィーは嘆息を漏らし、ひとつ感心してみせた。
「止まれ!」
「止まれ!」
前後から同時に、まったく同じ言葉が投げかけられた。こういうセリフまで訓練しているのかと考えると、またおかしくなって、クスクスと笑ってしまった。
今日は人質になっているボトランジュ領主の身柄はいつ返すのか? ということを聞くため、アリエルから託かって来ている。熱い展開になることは別に構わないを通り越して、むしろ望むところだが、荒事にはするなとくれぐれも言われている。
ゾフィーの目の前で剣の柄に手をかけ、いつでも抜いてやるぞと威圧をかける男が、クスクスと笑われたことで激高し、素早く剣を抜くと見上げるゾフィーの首元に突き付けた。




