17-08 ベルセリウス家の朝の食卓
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アリエルたちが魔王軍といっしょにダリルマンディを攻略し、ユピテルやプロスペローと死闘を繰り広げている間、アリエルたちとは別行動をとっていたゾフィー、パシテー、真紗希たちのお話です。
まずはゾフィー編、次いでパシテー編に移行する予定です。
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アリエルたちが軍を率いてダリルマンディに侵攻し、ユピテルやプロスペローと戦闘した日の朝にまで時間が戻る。
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ここはノーデンリヒト、ベルセリウス家の屋敷に隣接する物見の塔、ニュクスとインドラの襲撃を迎え撃ったあと、死体を片付けることもせず、アリエルの鍛冶工房にこもって熱の一方通行魔法『相転移』を使って効率的に刀を打っていた。とはいえ、ロザリンドやタイセーのために打った「北斗」と同じウーツ鋼のインゴットを使ったので非常に効率よく作業を進められた。ウーツ鋼は亡くなったレダの父親、タレスさんが製錬したものを打つ。テルスとの戦闘シミュレーションを考えながら打ったものだから、少し力が入りすぎて、思ったよりも硬い刃物になってしまった。研ぎにくくはあるが、これはこれで業物に仕上がったと自負している。
姉のアイシスは身長約175センチ、つまりアマンダを想定して打った。刃渡り150センチでも身長からすると野太刀を彷彿させる長刀だ。幼い今でもハデスをよく殴って泣かしているお転婆さんなので、将来は嫁の貰い手があるかどうか、今から心配している。
弟のハデスには身長190センチぐらいにまで伸びるんじゃないかと思う、サナトスぐらいの体格をイメージして刀を打った。ずっしりとした重みの剣はロザリンドの好みではないが、タイセーがこの世界に残るといってくれてるのだから、剣を教える先生にも事欠かないだろう。ハデスには刃渡り160センチの斬馬刀を打った。北斗と比べたら切れ味は劣るが、何百という相手と打ち合ったとしても、刃こぼれ一つしない頑強な刀に仕上げたつもりだ。
性格がおとなしいからと言って戦わなくていい理由にはならない。サナトスが王になって、戦いのない世界が実現したのなら、アリエルが今日打ったこの二振りの刀は研がなくてもいい。
だが、必要とあらばアイシスとハデスの力になってくれるだろう。
そう願い、まだ熱の残った打ちたての刀をストレージに仕舞い込み、工房から外の空気を吸いに出ると、あくび半分、息の白いのに少し肌寒さを実感し、引き締まる頬を叩いて溜息半分で明け行く空を見上げた。
星空は藍から青に変わる空に消えてゆき、高くすじを引く雲が少し赤く染まる。
空が白んできた、東の空にグラデーションが広がっている。
屋敷のほうからポトフのいい香りが立ち込めてきた。これはクレシダのポトフの香りだ。
アリエルは足元に転がっているニュクスとインドラの死体を警備兵に任せ、自分はいつものように塀を飛び越えて屋敷に戻った。
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ベルセリウス家では朝食の準備ができると、使用人たちが部屋に声をかけて回るというのが慣わしなのだけれど、アリエルは匂いに釣られて会食場に一番乗りで席に着いた。
今日は全員分の食事を用意してくれたというので、アリエルのネストに棲むてくてくを除く7人が全員揃って食事することとなった。だいたいいつも朝が弱く、こういう席には絶対遅れそうになるはずのパシテーがどういうわけか、髪もとかしたうえで、部屋着からもうすでに着替えて、外出着で準備完了状態で会食場にスタンバイしている。サオは砦を守っていた頃からのクセで、いつものようにセルフサービスで朝食をもらいに行こうとしてクレシダに怒られたらしく、キッチンから押し出されてきた。当然だがエアリスもいっしょだ。
本当なら国家元首であるトリトンを待って、トリトンと一緒に食事をとるべきなのだろうが、アリエルにしてみるとここは実家だ。腹が減ったのにオヤジが起きてくるのを待たなきゃいけない道理もない。日本に住んでた頃は夜中に腹が減ったらコンビニに行くなり、牛丼チェーンに行くなり、いくらでも選択肢はあった。だがここは異世界スヴェアベルムだ。星空を見上げて見覚えのある星座が一つもないことから推測するに、ここは太陽系じゃない、別の恒星系にあると推測される。最寄りのコンビニまでは想像上最短でも数光年の距離がデンと横たわっているのだ。
そもそもアリエルのように不規則な生活をしている人にとって、食事を朝、昼、晩と定期的にとるのは意外と難しい。なのでアリエルは実家に帰ると食べたいときに食事を出してもらうことになっている。もちろん、食事ができていればの話だが。
もし食事が用意できていなければ、自分の工房の前の広場に日本から持ってきたキャンプ用バーベキューセットをストレージから引っ張り出して、肉かピザでも焼いて食えばいいだけのことだ。それを『こっちにいる間は、できるだけでいいからメシぐらい家で食え』と言ったのは、他でもないトリトンだ。
仮にも国家元首であるトリトン・ベルセリウスがそう言ったのだからクレシダ率いる使用人たちは、毎食、アリエルが食事を食べに来なくても、何も言わず、アリエルたちの分も作って確保している。
おかげさまで、アリエルたちが不在で食べなかったものは、使用人たちのまかないになる。アリエルですら実感がなくて忘れそうになるので何度でも言うが、トリトンはノーデンリヒト国家元首、つまり国王だ。国王の食事と同じものが、残り物であれ使用人のまかないとして口に入るのだから、正直なところ使用人たちの中では大好評であった。
アリエルたちが会食場の端っこ、普段は誰も使わない来客用のテーブルに陣取っていると、サナトス、レダ、二人の孫たちの手を引いてグレイスが会食上に入り、扉を閉じることなく、少し遅れてトリトンとビアンカも入ってきた。いまのベルセリウス家にはオフィーリアさんやトラサルディ叔父さんなど、他にも大勢の食客がいるが、食事の時間はずらしているらしい。特にトラサルディ叔父さんが食事中、トリトンと政治の話をするのをビアンカが嫌うのだそうだ。
ビアンカはまだトラサルディ叔父さんを許してないようだ。
アリエルは朝食を食べていた手を止めて、髪まで結ってバッチリ決めてきたビアンカと、無精ひげも剃らず寝癖でボサボサ髪のトリトンを見て、ホッとしたように微笑んだ。
「おはよ、先にいただいてるよ」
アリエルが挨拶をするとゾフィーやジュノーたちも着座のまま食事の手を止めて黙礼でトリトンを迎えた。
「アリエルおはよう、ゾフィーさんたちも今日は早いね」
今日は朝からノーデンリヒト軍がダリルマンディを攻めることになっているので、トリトンは朝まで会議していたらしく、睡眠不足丸出しの顔をしている。
「もしかして寝てない? 無理の効かないトシなんだから」
「今日は連合軍がダリルマンディを攻めるんだろ? アリエルが爆破魔法を使わずとも10日かからずダリルマンディは落ちる。じゃあそのあとどうするんだ? 無法地帯になってしまうともともと立場の弱いエルフたちが酷い目に遭う」
「今頃対策会議してたの? 遅すぎるよそれ。こそこそ隠れてる領主の居場所はもうすぐ知れるだろうから、アタリだったらそうだな、うまくすればダリルなんて大規模な戦闘しなくても半日あれば落ちる可能性が高い。そしたら移動式の転移魔法陣を設置するからね、どうせ対策なんかしても後手に回って今すぐしなきゃいけないことに忙殺されるんだから、無駄な会議なんかせずしっかり100%の仕事ができるよう寝ておくべきだったと思うよ、おつかれさま」
トリトンはため息が出そうになるのをグッとこらえた。
「おつかれさまって……、それが私の苦労を労う言葉か。ありがとうよ。ところでさっき警備兵が慌ただしく駆け込んできて、ガラテアが血相変えて出て行ったんだが、もしかしてまたお前絡みか? アリエル」
「あー、ちょっと襲撃されてさ」
「襲撃? 穏やかじゃないな……」
びっくりしてその場に立ち止まってしまったトリトンは白髪の混じり始めた無精ひげとしか言いようのない顎ひげを手ですかしながら考えた。アリエルたちが日本に居て不在だった16年の間にノーデンリヒト独立をかけて戦争していたシェダール王国と、奴隷資源を求めて侵攻してきたアシュガルド帝国とは、ひとまず春までの休戦が決まっている。
休戦に応じる意思がないと明確に返事をよこしてきたのは、王国南部、ダリル領を治めるセルダル家の現当主、エースフィル・セルダルと、そこから更に南にある南方諸国連合だけだ。
ダリル領主が休戦の申し出を断ってきた理由は言わずもがな、一騎打ちではあったが前領主である父親をアリエルに殺されたという怨恨がまだ残っているからに他ならない。
まさか何千キロも離れたダリルから襲撃者が送り込まれていないなどと考えるほど頭が日和ってもいないが、今日にも領都ダリルマンディが攻められるという日に小規模な襲撃などしないだろう。
トリトンが考えるに一番怪しいのは……、
「神聖典教会か?」
「ブッブーー、不正解。そっちの戦争には関係ないヤツだから気にしなくていいよ」
てかあれほど鳴り響いてた雷鳴にも気付かなかったってことは、ベルセリウス家の屋敷全体に分厚い障壁を張り巡らせていたのだろう。この屋敷は狂犬に守られてるといって過言ではないのに、そのことに誰も気が付いてないのは不公平だと思った。
そもそもニュクスとインドラを殺したのはエリノメであってアリエルではない。
それなのにトリトンだけじゃなく、みんなアリエルの仕業だと思い込んでいる。誰も口に出しては言わないが、そう仕向けられた節もありちょっと納得がいかないのだが。
とは言ったものの、トリトンが『神聖典教会』がいちばん怪しいと口に出したことで、プロスペローがアルトロンドにある教会の本部を訪れていたという話を思い出した。
もしやとは思ったが、この時はプロスペローたち神話の神々と教会の繋がりについて疑うこともなかった。
今日はこの食事を終えたらパシテーと真紗希がアルトロンドに向かう。
万が一のことを考えると、ゾフィーを付けておくのがいいと結論付けた。
トリトンたちが食卓につき、アリエルたちも中断していた朝食の続きをとっていると、
「ときにアリエル、アルビオレックス卿の救出はいつになるのかね?」
フォークとナイフを持ったまま、何か事のついでのように言い放ったのはビアンカの兄、トラサルディだった。
アリエルは怪訝そうに顔を上げると、フォークに刺したソーセージを口に運び、よく咀嚼もせず心持ち急いで飲み込んで、ナプキンで口元を拭いたあと、再び同じ質問をした。
「そんな驚いたような顔せずともよかろう。なに、ボトランジュ領主、アルビオレックス卿が神殿騎士団の管轄から、国王の管轄に移されたという情報をジュリエッタに流したのだがね? もしかして伝わってなかったかな? 当然すぐに救出されると思っていたのだが?」
「聞いたよ。セカを解放したとき、王国軍の隊長に伝言を頼んだんだけどな。ボトランジュ領主の開放と、セカやマローニをぶっ壊した復興資金と、あと財産や家族を失ったものに賠償金を出せって言ったよ。その伝言が王国の偉い人に伝わったからこそ領主の身柄は神殿騎士団から王国軍に移されたんだと思ってたけど?」
「それが昨夜トリトンに話を聞いたら、シェダール王国の側から何の音沙汰もないというから不審に思っているのだよ。アリエルは確かにアルビオレックス卿の身柄を返せと言った、アルビオレックス卿がプロテウス城内に移送されたのはそれからほどなくしてのことだ、人質の身柄をよこせと言われて神殿騎士団が『はいそうですか』と素直に応じるわけがないからね、かなり強引だったと聞くよ。ではなぜそれから何の音沙汰もないのだろうか、考えあぐねておるところだよ」
確かに、そう言われてみればそうだ。
アリエルはてっきり神殿騎士団で酷い目に遭わされたであろうアルビオレックス爺さんを国王が助け出したように取り繕うため、いま割と好待遇で人質ライフをエンジョイしてるんじゃないかと思っていたのだが、人質を帰す期限を明確にしてなかったせいで、引き伸ばされている可能性もある。
おそらく何らかの交渉材料に使うつもりなのだろうが……。
「そっか。じゃあこっちで探っておくよ。ご馳走さま」
アリエルは日本式に手を合わせて、ごちそうさまをした。スヴェアベルムにはそのようにする習慣はないが、ロザリンドもジュノーもパシテーもみんな手を合わせるので、これがアルカディア式なのだろうなと思って、トリトンも手を合わせた。
アリエルはいちいち指摘するのも面倒なので、軽く、ちょっと学校にでも行ってくるかのように「ちょっと行ってくる」とだけ言って席を立った。
トリトンやビアンカも食事を中断して席を立とうとする。
息子が戦場に行くのだ、エントランスまで見送りに出て、必ず帰る旨の約束を取り付けなければならない。それが古くからのならわしだと言われている。
しかしアリエルはついてこようとする両親を手で制止した。
「いいよ、ダリルマンディ攻略は戦闘なしで切り抜ける作戦だからね。いざとなったら魔王に全部ひっかぶせて帰ってくるさ」
アリエルなら本当にやりそうだと皆一様に言葉を失ったが、ロザリンドとサナトスだけはクスッと失笑を漏らした。アリエルとしては笑ってもらえると思ったのだがどうやら失敗したらしい。
「んじゃゾフィー、ダリル行くんだけどさ、先にちょっと隣の工房までヨロシク、たぶんパシテーのお母さんが来てるはずなんだ」
アリエルがそういうと、ゾフィーはトリトンとビアンカに向き合い、両手を広げる古いエルフ族のするお辞儀を優雅にしてみせたあと、パチンと指を鳴らしてアリエルたちは全員、ベルセリウス家の会食場からパッと姿を消した。徐々に薄くなって消えるのではなく、足のほうから徐々にグラデーションのかかるように消えてゆくでもなし。ただ動画をつなぎ合わせたかのようにパッと消えてしまった。
ビアンカはなんだか残念そうに、トリトンに座ろうと促されるまで、アリエルが、たった今の今までたっていた場所から視線を外すことができなくなった……。
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