02-22 ナンシー救出依頼 後編
20210810 手直し
―― コン……。
ドアがノックされた。山小屋の中にいる2人の誘拐犯の注意が一瞬だけドアに向いた。
その瞬間。
―― ズバン!!
ドアのノック音はパシテーが土の魔法で小石をぶつけた音。
アリエルとユミルのコンビは山小屋の木でできた押し窓を破れる程度に調節した小さな[爆裂]の中に突入した。小屋の外にいる誘拐犯2人は、窓を破った音に驚いて振り返った一瞬のスキを狙いポリデウケス先生たちが急襲するという作戦。と言えば聞こえはいいけど、爆発とほぼ同時に、その爆発に飛び込むのだから、突入部隊はけっこう痛い目にあう。とくにユミルが痛い。
アリエルとほぼ同時に飛び込み、ぴったり打ち合わせ通りの動作でナンシーを確保したユミル。
ナンシーの前を庇える位置に回転レシーブのように転がり込み、膝をついた姿勢で矢をつがえて弓を引き絞り構える。ごくごく小さいとはいえ『爆裂』の衝撃波を顔面に受けて心なしか涙目になっているように見えたが、やせ我慢も男の意地だ。いつもはハティの影に隠れて目立たないユミルが主役級の働きでナンシーの前に現れた。
アリエルはまだ椅子から立ち上がることもできていない盗賊の棟梁ロゲの頭を、強化の乗ったスピードで回し蹴り。死なせてしまわないように手加減、足加減はしたけれど壁まで吹っ飛んだロゲはズルズルと滑り落ちても動かなかった。しばらくは立ってこないだろう、これで一丁あがり。
そのまま残るもう一人に斬りかかろうと抜き身の剣を出して振り返ったけれど、さっきまでベーコン食ってた誘拐犯はロゲなんかよりもずっと咄嗟の判断が早かった。強化魔法を展開する時間がないならないなりに筋力だけで応戦するほかにないことは自明の理、最初からナイフを握っていた男は慌てもせず、一番近い場所に転がり込んできたユミルを相手に選んだ。いや、その背後に守られたナンシーを人質に取ろうとしたのかもしれない。
男は手に持ったナイフで襲い掛かろうと立ち上がったが、ユミルには躊躇がなかった。
必殺のタイミングで放たれた矢は喉に命中して頚椎を貫通したところで止まり、立ち上がった男はそのまま再び椅子に腰かけることになった。もう二度と立ち上がることはないだろう。
どっちにしろアリエルが指をくわえて見ているわけがなかったのだが、アリエルが手を煩わせることなく落ち着いて急所に弓を射たユミルが勝った。
「ユミル、ナンシーに声をかけてあげて。縄も切ってあげてね。俺は外の応援に……」
と、ドアを蹴り開けたらそこにはポリデウケス先生がいて、2人の人攫いどもは揃って、バタリ……と倒れたところだった。
「中は終わり。ナンシーを確保しました。そっちは?」
「私の出る幕はなかったよ」
呆れ顔のポリデウケス先生の後ろではパシテーが短剣の血脂を綺麗にふき取ってるのが見えた。
小屋の中に戻り、うずくまるロゲの首に剣を突きつけて指一本動かせない状況を作り上げたのと同時に外に居たパシテーが飛び込んできた。
「ナンシー、もう大丈夫なの」
ナンシーを椅子に縛り付けていたロープは、ユミルがハンティングナイフで切ったところだ。
ポリデウケス先生は外の2人が絶命しているのを確認すると、小走りで小屋に入り、うずくまるロゲを一瞥した後、ナンシーに声をかけた。
「ナンシー、ケガはないか? ひどいことされなかったか?」
「ポリデウケス先生! パシテー先生!」
ナンシーはボロボロに泣き崩れて、ポリデウケス先生の胸に飛び込んでいった。先生はというとナンシーを抱き上げると、ぎゅっと力強く抱きしめて、教え子の無事を心から喜んだ。
だけどそれは役得だ。羨ましいったらありゃしない。抱きしめなくてもいいだろうに……。
先生たちが無事の再会を喜んでいる間、たった数歩離れたところに立ち尽くしているユミル。寸分たがわず喉に命中させた矢の回収もできずに、射殺した盗賊の前で呆然として、歓喜の声も耳に入っていない。パシテーの方もやり遂げた事を誇るでもなく、ホッとしたという表情を見せてはいるけれど、また人を殺してしまった後悔の方が大きいようで、その表情はすぐれない。
そんな中、アリエルはというと、もう二度と見たくなかったハゲ頭の頸に剣を突き付けている。
「ようセンパイ。拾った命、無駄にしたな」
「お前さえいなければ俺は………」
「奇遇だな、実は俺もそう思ってる。あの時お前を殺していればナンシーは怖い目に合わずに済んだだろうからな」
「ははは、無抵抗の者を殺せるのか? 丸腰だぜ? 限定解除さんよ」
ここで殺されなくても衛兵に突き出されたら死罪は確定している。ノーデンリヒト難民に対する盗賊行為に加えて、営利誘拐なんてダブル役満みたいなもので、どんないい弁護士が付いたとしても縛り首は免れない。ロゲもそれが分かっているから自棄を起こしたように挑発して見せているのだろう。
こいつはもう死体も同然だと思った。死ぬことが確定したのに、悪態を吐いてる。
そんな時、横からヒュッと空を切る音がしたと思うと、ロゲの首に細身の剣が突き立った。
さっきまで嗚咽を漏らしながら泣いていたナンシーをパシテーの胸に預け、ポリデウケス先生が剣を振るったのだ。
大柄なロゲがぺたんと尻もちをついたあと、そのまま壁にもたれかかるように倒れた。
ロゲは首からおびただしい量の血が流れ出ているのを自らの手で押さえようとしているのだけれど、そうしているうちに意識が遠のいていったように見える。悪党の死にざまとしては安らかなものだった。
「私の大切な生徒を攫っておいて無抵抗も丸腰もあったものか。アリエル、殺した奴がこんな悪党でも、どういう訳か夢に見るんだ。こういうことは先生に任せておきなさい。キミがやるべきことじゃない」
そう言ったポリデウケス先生はアリエルの無事を確認し、そしてユミルのほうを見て、ようやくユミルの様子がおかしいことに気付いた。
「ああユミル、人を殺させてしまったな……。悪かった、これは私の責任だ」
「は……、はい、僕は大丈夫です。だけど、こんなに気分が悪いのは……、初めてです」
「頭の中でどう折り合いをつけるかだけどな、ユミルはナンシーと、こいつらがこれから襲うはずだった大勢の人を救ったんだ。そう考えれば少しは楽になる」
「ユミルも、パシテーもさ。俺の父さんの言葉なんだけどさ……『今は助かった命を喜ぼう』」
「アリエル、おまえいいこと言うな」
「俺の言葉じゃないってば」
誘拐犯の6人は一人残らず死んで全滅、ナンシーは無事に救出することができた。
あとはもう、ナンシーにとってトラウマのような小屋から早々に退散して山を下り、マローニに向かうべきだ。
アリエルは誘拐犯が全員死んでしまったのを気配で確認した。生き返って突然襲ってきたりということもないだろう。転生して日本に生まれたりするのかな? こいつらも。
結局、誘拐犯の一味は皆殺しと言う、その結果がもたらす後味は悪いけれど、ボトランジュの刑法としては当然の報いを受けさせてやった形になった。
「じゃあ、ナンシーを心配してる家族に早く知らせてやらないとだから、マローニに戻るとするか」
「ナンシー大丈夫なの? 歩けるの?」
「私の馬に乗せるから、炭焼き小屋まで抱いて降りようか」
「てか先生が走って馬をこの下まで連れてくれば早いじゃん」
「じゃあナンシーは任せる。無理させちゃダメだぞ。下の山道に入るとこで落ち合おう」
というとポリデウケス先生は強化魔法をかけた戦闘速度でバビューン!と駆けて行った。
足もとの悪い山道をスッ転ばなければ、すぐ炭焼き小屋に着くだろうし、そこから馬を引いてきたとしても、たぶん数分といったところか。
だったらちょっと急がないと、先生の方がかなり早く着くことになるのは明らかだ。ナンシーを抱きあげて、スケイトで飛ばして下山したほうがよっぽど早い。
俺がナンシーを抱きかかえようとしたら、パシテーが間に立ち塞がった。
「ダメ。兄さま魅了あるの」
「ねえって。説明したし」
「ユミルお願い」
「あ、はい。じゃあナンシー。パシテー先生のお願いだから、イヤだろうけどちょっと失礼するよ」
というわけで、ユミルがナンシーを抱いて山を下りることになった。
てか、ユミルってば頬を赤らめながらガチガチに緊張して視線を真正面から外さずに歩いてるじゃないか。大丈夫か?
「ユミル、よそ見したら躓いて転ぶの」
まだ言うか! いっぺんでも弱みを見せたら死ぬまで言われるパターンだこれ。
「はい、ごめんなさいね。反省してます。反省してますとも。ああそうだユミル、女の子をお姫様抱っこしたのなら、じっと目を見るのが礼儀だよ」
「えっ? そうなの?」
礼儀作法には疎いユミル、あっさりと騙されて、自分の腕で抱いているナンシーを見つめた。
チラチラと足下を確認しながら歩を進めるユミル。確かにいい雰囲気になってきた。だけどそうじゃない、そうじゃないんだ。もっとこう、じっと見つめて見つめて、相手がウットリするまで見つめ倒してやるのが作法だろ。
「ユミルさん、助けてくれて、ありがとうございました」
「無事でよかった。ホッとしてるよ」
お姫様抱っこで見つめ合ったままそんな会話をするふたり。なんという甘酸っぱい空気なんだろうか。側にいるこっちのほうがいろいろ痒くて耐えられなくなった。
(ほら見ろ、ユミルも魅了を使ったぞ)
(違うの。魅了を使ってるはナンシーなの)
アリエルはおもむろにパシテーを抱き上げた。
そして、力いっぱいのキメ顔を作ってあらかじめ用意していた決め台詞をのたまう。
「無事でよかった。ホッとしてるよ」
「ああ、ユミルさま……」
さすがパシテーだ。突然アドリブを振られてもノリだけで切り抜ける実力がある。
「なっ! ちょ、パシテー先生そんなキャラだったの? マジで?」
からかわれて赤面するユミルと、あと、ナンシーは今日初めて笑った。たぶん。
からかわれながらもナンシーを抱いて山を下りるという大役を果たしたユミル。山道を出たところにはすでにポリデウケス先生が馬を引いて待機していたので、ナンシーを先生の馬に乗せて、やっと一息つくことが出来たと思ったら、急にうずくまってしまった。
ユミルはどうやら今になって足がガクガクしてきたらしく、膝が笑って立てなくなったようだ。これはさっきまでの緊張感が解けた証拠だろう。
「ユミル、やっと緊張が解けたみたいでよかった。次はだいたいおなかが空くんだけど? こないだノーデンリヒト関所でいっぱいもらったステーキあるから、みんなで食べない? 白パンでよければストックいっぱいあるよ?」
ナンシーを馬に乗せてポクポクと先生が手綱を引くようなスピードだとマローニに戻るのに3時間かかるらしい。ユミルも炭焼き小屋の馬繋ぎに馬を繋いでいるので、どっちか二人乗りでマローニまでの時間は短縮される。
あと、ナンシーは昨日から何も食べてないと言うので炭焼き小屋についたら、なにか食べることにした……それにしても、先生って馬持ってるんだ。ユミルのような狩人ならまだしも、先生は特に馬を必要としない教員兼冒険者だから、コスト掛かりすぎると思うのだけど。
「先生、この馬の名前は何?」
「ジュリア」
うっわ、なんかもう生々しい。過去の女しか頭に浮かばない……。
「いい名前だろう。従順だけどな、ちょっとお転婆なんだ」
といって、愛おしそうにジュリアの首を撫でながらも、救出作戦がうまくいったことに、ホッと胸をなでおろしている。
ふわふわと空を飛びながらナンシーの傍にずっとくっついているパシテーのおかげか、ナンシーもようやく落ち着きを取り戻した様子だった。
炭焼き小屋は近くて、何の障害もない帰り道はすぐに到着した。
「パシテー、テーブルと椅子つくって。土で」
「簡単な応急品でいいの?」
「複雑な調度品なんか要らないってば」
パシテーが両手をフッと上げるとそれに呼応するように地面がモコッと隆起して、天板が石のように固くなった。むしろ磨かれた大理石のような空が写るほどの出来だ。これが簡単な応急品だなんて絶対にウソだ。施工も早い。むちゃくちゃ早い。テーブルひとつと椅子5脚、40秒で完成した。
アリエルは姑の埃チェックのごとく、ストレージから丸い金属球を取り出すと、パシテーが施工したテーブルにコトッと置いてみた。
動かない。転がらない!
どうやって水平を知ってこうまでピタリと合わせるのか。アリエルにはまったく理解できなかったが、パシテーの応急品は歪み一つ見られない完璧な作品だった。
アリエルはたったいま見せつけられた土魔法の、その作品の出来上がりに感心しつつ、このまえノーデンリヒト関所でみんなから勝ち取ったディーアのステーキと買い込んでストックしてあったパンをテーブルの上に並べた。
「ちょ、なんでいきなりホカホカの完成品が出てくるのかその訳を教えてくれ」
「私もそれを聞きたいな」
「聞いても無駄なの」
「収納したときにホカホカの完成品だったからだよ。ガルグネージュを新鮮なまま持ってこられるのと同じ理由だと思うよ?」
「マジわかんね」
食事を終えるとアリエルは洗い物もせずに、お皿を重ねてストレージに収納し、パシテーはあんなにも完璧に作ったイスとテーブルを土に帰した。文字通りそのままの意味だ。さっきまでここに大理石をピカピカに磨いたかのようなテーブルがあったなんて誰も分からないぐらい元の状態に戻った。
いざマローニに向かって帰ろうといったときナンシーがユミルと一緒に馬に乗ると言い出したので、ちょっと冷やかしてやった。ポリデウケス先生のジュリアがなんだか寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
炭焼き小屋からは馬が2頭になったので、帰りは余裕をもって1時間。
アリエルはスケイトで滑り、パシテーは歩くのが面倒だとでも言いたげに飛んで帰った。
まあ、パシテーが飛んでることに対して質問はあったけれど、『魔法』の一言で有無も言わせず済ませてしまうあたりがパシテーの凄いところだ、なるほど、嘘は言ってないし、魔法しか使っていないのだからこれ以上ないほど正確に説明している。何しろパシテーは魔法の先生なのだから、一言で説明してしまえる説得力の方も流石といったところだ。今後はそういう『一言で済ませる技術』を磨きたいと思う。
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さて、マローニに帰ってきたので無事に保護したナンシーをギルドに連れて行き、引き渡しを完了すると現場から飛び入り参加のユミルも依頼達成を認められ、ギルド貢献度がぐんとアップしたらしい。(カーリ談)
ポリデウケス先生は頑として報酬を受け取らず、12ゴールドの報酬はアリエル、パシテー、ユミルの3人山分けすることになり、ユミルは手のひらに金貨4枚を乗せて、それからは終始興奮気味だった。
アリエルとパシテーはまた一発でランクアップを果たし、揃ってBランクとなった。ここから上に上がるのはなかなか困難らしいのだが、割のいい仕事をやってればBランクなんてすぐに達成できることが分かった。
誘拐犯の一味を全滅させてしまったことから、ボトランジュ領軍組織の中の『衛兵隊』と言われる、日本でいうところ警察のような人たちがユミルに対して念入りに事情聴取をしている。アリエルとパシテーも、さすがに現場にまではいかなくてよさそうだけど、人を何人も殺してしまっている以上、何も話さずにもいられないだろう。
衛兵の話によると、どうやらユミルが倒した短剣ベーコンの男は、シェダール王国のみならず、南方諸国でも誘拐と人身売買で広域指名手配されている極悪人だったらしく、いま衛兵たちが確認と後片付けに行ってるけれど、もしかすると賞金が支払われるかもしれないとのこと。
ユミルの幸運は、賞金もそうだけれど、何よりも、避けられない戦闘で殺してしまった相手が根っからの悪党だった事かもしれない。おかげで悪夢にうなされることも少なく済むだろうなと思う。
夕食には間に合わなさそうなので、パシテーと二人、うまいものを出してくれそうなレストランに入ったら、ガルグネージュの肉をお勧めされたので、ちょっと顔を見合わせて苦笑したあと、二人でおすすめの料理を注文し、美味しくいただいた。
ベルセリウス別邸に戻ったらもう夜の10時を回っていた。先にパシテーをシャワーに送り出し、ビアンカとポーシャには今日あったことをすべて説明した。
「そういうわけで、パシテーは誘拐犯を2人殺してしまったんだ。ちょっと精神的に不安定になってるっぽいから、しばらく一緒に寝てやることにするけど、心配するようなことはないからね」
「母さんもね、実家が大きな商家だったから誘拐されそうになったことがあります。お義兄さんがちょっと話したわよね。その時ね、私の目の前で、一緒にいた奉公人が2人殺されてしまって、馬車に連れ込まれそうになったのを必死で抵抗したわ。ものすごく怖かった。偶然トリトンが通りかからなければ、私はどうなっていたか分からないわ……」
ビアンカはいつもの優しい目でアリエルをしっかりと見つめながら、いつもとは違った強い言葉を使った。
「私はね、誘拐とか人身売買なんてする人、この世からいなくなればいいのにと思ってます。だからエルが殺してしまった人にも、パシテーさんが殺してしまった人にも、私にはひとひらの同情すらありません。本当ならよくやったと褒めてやるのが親なのでしょうけれど、そんな危険なことにパシテーさんを巻き込んで、人を殺させてしまうなんて、一生消えない傷を負わせるようなものです。とても褒められたものじゃありません。家族に心配かけるのもダメですからね。ああ、私も心労で倒れてそのまま死んでしまいそう。もうトリトンとは会えないかもしれないわ………」
いつものビアンカとは一味違うお説教だったけれど、決して怒っているようなことはなく、優しく諭すように言葉を選んでいたのが印象的だった。それでも最後の一言がいかにもビアンカしててホッとしたのは内緒なのだけど。
「母さん、心配させてごめんなさい。争い事は可能な限り避けるよ。父さんの教えだし。明日は午前中から衛兵の屯所に行かなきゃいけないから俺もシャワー浴びたらすぐに寝るよ」
シャワーを浴びるため居間を出ると、ドアのところで控えていたポーシャに呼び止められた。
「アリエルさまは立派なことをなさいました。誇ってください。胸を張って。シャワーは空いています。お召替えは出しておきますから。それではおやすみなさいませ」
「いろいろありがとう。ポーシャ」
ポーシャの言葉には、小言を含めて、いつも救われる。
アリエルはシャワーを浴びて汗を流すと、洗い髪をタオルで拭きながら廊下を移動し、パシテーの部屋をノックして入った。パシテーはいつも通りを演じてはいるけれど、無理をしているのが手に取るようにわかる。
「んー、眠いか?」
「うん、今日は疲れたの。眠くてふらふら」
アリエルはパシテーが疲れ果てているのも知っているし、もう眠くなっていることも知っている。
おもむろにロウソクを吹き消すと部屋は真っ暗になってしまったが、しばらくすると目が慣れて少し見えるようになってくる。ベッドに座ってるパシテーを布団に入れて寝かせ、アリエルもその横に滑り込んだ。
「え、えと、兄さま……」
「どうした? 眠くてふらふらじゃないのか?」
「こんなの眠れないの。無理なの」
「俺のマナは癒しにならないかな?……と思って」
「間違いが起こるかも」
「大丈夫だよ。10歳そこらの男児なんて大した間違いを起こさない。もし俺が14とか15になったらきっと大問題だろうけど、それはまたその時に考えたらいいよ」
「ああっ、だめなの」
横たわる小さな身体を抱き寄せると意図せずマナが流れ込む。
パシテーは例えようのない安心感と引き換えに、心の中を覗かれてしまう。
最初はアリエルに手を出そうとした見張りの男。次いで誘拐犯二人を一瞬で葬ったときの、短剣が喉を裂いて血管を破り、肉に刺さるとても嫌な感覚が、パシテーの操る土魔法のマナを伝って、手応えとして伝わった。
いやな感触がどうしても消えない。
あの時は、急いで山小屋に行きたいのに前に立ち塞がった誘拐犯二人を容赦なく死なせてしまうほど余裕もなかったのだけど、終わってから考えると殺さなくてもよかったんじゃないかと、どこかで後悔してる自分もいる。何より自分が、また人を殺してしまったという事実に身体を震わせていたところに、抗えないマナの流入が優しく慰めてくれているように感じた。
人は許しを求める生き物だ。心の底で葛藤し、仕方なかったとか、そうする他に方法がなかっただとか、うまく言い訳をして帳尻を合わせることで前を向いて生きていける。だけどいくら自分を正当化しても、心の奥底でそれは違うと否定する気持ちが残り、矛盾が澱みを生む。
アリエルのマナは、直接心の蓋をこじ開けて、中にたまった澱みを強制的に濯ぎ出す。力強く、許しを与えてくれる神のような存在だった。
6つも年下の、齢10歳の男児に対して、パシテーは徐々に依存し始めることになる。




