17-06 ユピテル、現る(6)綻び
ユピテルの使う魔法防御「ネガティブフィールド」を破る付近で加筆を行いました。
あとでまたまとめてネタバレするつもりだったのですが、パシテーたちアルトロンドチームと、単独行動しているゾフィーの話をやらなきゃいけないため、読者さまが覚えているうちにと書いておくことにしました。
イオの胸元に何か禍々しい深紫色の文様が浮かぶ。
ジュノーの治癒魔法でも救うことができない、即死の魔法陣? が現れた。
アリエルは咄嗟に相転移の魔法を使ってイオの動きを止めた。
「くっそ、この……わざわざ殺されに出てきやがって!」
イオの身体から陽炎が立ち、一瞬激しい水蒸気が"わっ"と立ち込め、その直後、ユピテルの放ったデスマークの文様からグロテスクな触手が何十本も現れ、イオの身体に巻き付いた。
アリエルはトントンと自分の影を2度踏んだ。←
ノーデンリヒト軍の集団の中から飛び出してきた女がいた。
「イオ!! イオオオオ!!」
イオの名を呼ぶ声が悲痛に響き渡った。
これはアリエルにも予想できなかったイレギュラーだ。
ロザリンドの魔人族の姉、ベリンダだった。必死でイオに話しかけている、だがイオはもう返事をすることはない。光を反射しない真っ黒な触手に巻きつかれている。
巻き付いている触手を引きはがそうとするベリンダをロザリンドが羽交い絞めにして、力ずくで止めている。即死魔法に直接素手で触れるのは危険すぎる。
「ベリンダ、触れちゃダメだって!」
「ロザリィ助けてやってくれ、イオが……イオがぁ」
即死魔法、デスマークはイオに突き刺さって起動した。だがしかし、アリエルの相転移が一瞬だけ早く起動したように見えた。また、吊られて出てきたアンデッド、嵯峨野寛一と柊桜花もまた同時に氷結し、動きを止めた。
一瞬、激しい水蒸気が戦場に立ち込め、プロスペローの目にも、ユピテルの目にもアリエルの姿が見えなくなった。
だが次の瞬間、もわっとした熱気のなか、激しく立ち昇る蒸気を割ってアリエルが前に出た。
「おめでとうプロスペロー、お前の数少ない理解者に即死魔法が刺さったぞ……。ぜひとも感想を聞かせてほしいのだが……、どうした?」
アリエルの皮肉は、幼馴染であるイオをみすみす見殺しにしたプロスペローの精神を激しく揺さぶるものだった。
目の前でイオを殺されたプロスペローは狼狽を隠せず、盾を構えていた腕をだらりと下ろしていることにも気が付いていない。
―― ドオオオォォンンン!
一瞬の静寂を破る炸裂音がした。
不意を突いた爆破魔法は、ユピテルでもプロスペローでもなく、傍らで様子を伺っていたのっぺらぼう仮面に命中し、激しい炎を撒き散らした。
サオの爆裂に呼応し、アリエルも爆裂を練り上げ、手のひらに浮かべる。
プロスペローの注意がアリエルに向いた、その僅かなスキを突いて飛び出した影があった。
ベリンダだ。
瞬きほどの僅かな時間、反応が遅れた。慌てて盾を構えるしかないプロスペロー、ベリンダは斧を両手で振りかぶり、ジャンプして空中から襲い掛かった。
ベリンダもその斧がユピテルに届くとは思っていなかった。しかし、こうまでして派手に攻撃を加えると、プロスペローはベリンダの斧を防御せざるを得ないはず、そういったミエミエの攻撃だった。
プロスペローはさきの攻防で足を負傷したことにより、踏ん張りが効かないことも当然織り込み済みで実際に一太刀入れたロザリンドだからこそ、どれだけの傷を負わせているか分かっている。
サオがのっぺらぼう仮面を狙ったのは、いくばくかの時間、ジャミング魔法を使わせないための援護射撃だった。直情的に何も考えず飛び込んだベリンダを援護する意味もあったろう、しかしサオの援護のタイミングこそがジャストだった。
邪魔な盾を投げ捨て、ロザリンドが間合いに飛び込む。
プロスペローの目には強化魔法のかかってないロザリンドのスピードが焼き付いている。強化魔法が使えるようになってからはスピードを抑えている。こうした錯覚を引き起こすための布石もギリギリの攻防では薄皮一枚だけ上回るために必要なのだ。
ロザリンドの踏み込みが速い!
プロスペローはロザリンドの狙いを瞬時に理解し、落ち着いて警戒の構えを取った。ノーデンリヒト砦でロザリンドの一太刀の攻防を経験している。その時の経験が役立った。ロザリンドが考えているほど容易く手玉に取れるような男ではなかったのだ。
プロスペローはジャンプしたベリンダを脅威ではないと判断し、ロザリンドを視界の中央に据えた。ベリンダはまるで投げられたボールのような軌道を描いて自由落下してくるのだから迎え撃つのは容易い。
ユピテルはプロスペローの構えた盾の角度からそれを読み取り、空中にいるベリンダに狙いを定め、
「デスマーク」を放った。これもコンビネーションのひとつだろう。
デスマークは避けることができない空中にいるベリンダを迎撃したはずだった。しかしベリンダを捉える刹那、ベリンダの身体ひとつ分ズレた。瞬きすら許されない攻防だ、ほんの少し天秤が傾いただけで状況が逆転してしまう。
いま空中にいるベリンダの軌道をずらしたのは、見えない角度から立ち上がった闇の触手だった。
デスマークは命中せず、空へと消えていく。
ベリンダの描く落下軌道を変えたおびただしい数の闇の触手はアリエルの影から束になって生えていた。
さっきアリエルがトントンと足で2度影を踏んだ合図に、てくてくが応えたのだ。
てくてくは相転移の魔法で熱を奪われ氷結した嵯峨野寛一の放出する水蒸気と陽炎に隠れ、この戦場の土を踏んだ。目の前に現れたにもかかわらず、プロスペローもユピテルも、のっぺらぼうの仮面も、誰も気づくことはなかった。この僅か数舜の時間があったおかげで てくてくは先手を打てた。
プロスペローはゾフィーさえいなければユピテルの力と、のっぺらぼう仮面のジャミングを含め、3人で十分だと考えていた。ありえないことだが、万が一、危機に陥った場合であっても転移魔法で退避すればいい、どちらにせよ負けることはない。
その戦力分析は間違ってはいなかった。だけどアリエルたちの計算しようのないコンビネーションこそがプロスペローの分析をわずかに上回った。
天秤はぐらりと傾く。
次の瞬間にはロザリンドが神速の踏み込みからの抜刀術でプロスペローを襲う。
これも間一髪で盾に防がれた……はずだった、しかしロザリンドの抜刀術を防いだはずの盾がスパッと真っ二つに割れた。
ロザリンドの狙いは最初から盾だった。間合いも、速度も、角度も、斬撃も、すべては盾を破壊するために撃ち込まれたものだ。
プロスペローの体勢が崩れた。ロザリンドは返す刀を燕返しのように下段から斬り上げ、剣を抜いた小手を狙った。
プロスペローの攻防で少し不利を感じながらも、ユピテルはデスマークを連射し、迂闊に顔を出した てくてくを狙った。ユピテルは てくてくをそんじょそこらのエルフの少女と見誤った。デスマークで狙えば必ずや誰かが助けに入る、そして大きなスキが生じるはずだと、高をくくった。
「デスマーク!」
明らかに押し込まれている。その声には焦りの感情が色濃く感じられた。
アリエルにもてくてくにもデスマークが間近にみえた。わざとよく見えるように放たれたものだ。
紫色の楔のような形をしているが、あれは変形しているが確かに魔法陣だ。決して避けられない速度で撃ち出されるようなものではないが、てくてくは避けようともせずにデスマークの魔法陣を胸に受けた。
アリエルは相転移でてくてくを凍らせるつもりでいたが、てくてく本人が"待って"のハンドサインでアリエルの干渉を止めた。
てくてくが『デスマーク』の魔法陣を読み取っている? ……ように見えた。
てくてくの身体に漆黒の触手が巻き付く。しかしすぐさまデスマークの魔法はてくてくの身体から黒い煙となって蒸発して空気に溶けて消えていった。てくてくは涼しい顔をしながら霧散するデスマークの黒い霧を指で触れて確かめるように観察している。つまり、デスマークはてくてくには通用しない。
てくてくは最初から死体なのだ。そんなものを即死魔法でどうこう出来る訳がない。
信じられない……いったい何が起きている? まるで理解できないといった表情を見せるユピテルの傍ら、ロザリンドの返す刀が、プロスペローの小手を跳ね上げた。
いや、肘から先がくるくると回転しながら跳ね上がり、その手にしっかりと握っていた剣も空に舞う。
ロザリンドの踏み込みが強力すぎた、プロスペローはその勢いを殺しきることができず、そのまま尻餅をつくように倒れた。
プロスペローは尻餅をついたことが幸運だった。転倒した勢いのまま後方に逃げることで次の瞬間には空中から襲い来るベリンダの斧も避けることができた。立っていたら脳天から真っ二つにされているほどの必殺のタイミングだった。
「ちいっ!」
一撃必殺の攻撃を外したベリンダの舌打ち!
しかし鉄壁だった防御の一端がたったいま崩れた!
アリエルは練り上げておいた爆破魔法を、こんどはプロスペローに狙いを定めた。ユピテルたちはネガティブフィールドによって守られている。とうぜん髪の毛ほどの傷をつけること叶わないだろうが、援護にはなる。
アリエルがいままさに撃ち出そうとしたその刹那、誰も予想しない角度から光の筋を引いて魔法球が撃ち込まれ、炸裂する! アリエルよりも一瞬だけ早く爆破魔法が撃ち込まれた!
―― ドウオォォ!
高速で飛び込んだ爆破魔法。炸裂と同時にナパームのように高温の炎が吹き上がった。
ロザリンドとベリンダを巻き込んでおいてドヤ顔を決めた、この爆破魔法はサオだ。
サオはアリエルの爆破魔法とジュノーの熱光学魔法を見事に防いで見せたネガティブフィールドの防御魔法陣を見て、そのおおよその効果範囲を把握、範囲外で爆裂を起爆させたのだ。
サオの爆裂が起こした爆風はネガティブフィールドに吸収された。ここまではアリエルの爆裂と同じだった。だが火炎瓶の破裂した後のように撒き散らされる可燃性のマナをかぶって、車椅子に座るユピテルに引火したのだ。
高そうなシルクの服とプラチナブロンドの髪がメラメラと音を立てて燃え上がる……。
耐火障壁を張っているだろうからダメージは期待できないが、それでもネガティブフィールドの中で引火し、ユピテルたち攻撃範囲に居るもの全てを焼いた。その事実こそが重要だった。
―― はっ……!
アリエルは目の前がぱっと明るくなった。
「そ……そうか! やはり波だったのか!」
それは突然だった。テルスの使うネガティブフィールドについて、なんとなく理解し始めていたところに、ようやく解にたどり着いた。テルスの防御は、アリエルの爆破魔法とジュノーの熱光学魔法、そのどちらも一緒くたに纏めて防御する耐魔法障壁だと考えていた。そして爆破魔法と熱光学魔法の共通点は『波』であるところまでは辿り着いていた。あと、いかにして波を障壁魔法に組み込んで防御するのかと考えていたのだが……、難しく考えすぎていたようだ。
過去の戦闘の記憶が生々しくよみがえる。テルスには爆破魔法の衝撃波も、ジュノーのビームも通じなかった。その理由がたったいま分かった。
これは逆位相というものだ。
サオの爆破魔法は、衝撃波だけがかき消され、副次的に出る粘っこいマナは何の抵抗もなく、ユピテルの頭からびちゃっとかかり、それが炎上した。そう、衝撃波は通らないが、簡単な燃焼魔法なら通るということだ。
アリエルはまるで目から鱗が落ちるように、すべてを理解した。
『ネガティブフィールド』は逆位相の技術を使っている。衝撃波も音だから、空気中を波として伝わるし、ジュノーの光も周波数を持つ電磁波だ。つまり、波形の山と谷を180度逆の波形で打ち消しているだけだ。ウォークマンなどのヘッドフォンステレオにも使われる騒音軽減技術なのだが、まさかテルスがそんな高度な防御技術を使っていたとは考えもしなかった。
まさかテルスの絶対魔法防御なんてものの正体が、なんと他愛のないものだったのか。
絶対魔法防御なんてなかった。仕組みを理解してさえいれば、ネガティブフィールドとやらを抜くのは……容易い!
「ジュノー! ユピテルを撃て!」
「届かなくてもいいのよね!」
ジュノーの頭上に光輪が現れ、差し出された指先から熱光学魔法が放たれた。
しかし予定調和、ジュノーの熱光学魔法は秒速30万キロでユピテルのすぐそばにまで到達するとネガティブフィールドに阻まれ、虹となって消失してゆく。
ジュノーのビームを防御している間、ネガティブフィールドは光を通さない。ユピテル本人は闇の中に居るはずだ。もちろん、フィールド内で逆位相の恩恵に与っている、プロスペローも同じく、今だけは何も見えてないはず。
そう、ユピテルがノコノコとアリエルの目の前に姿を現したのは、プロスペローがすべての攻撃を受けきるという自信の表れだ。そのプロスペローが、いまこの瞬間だけ、盲目と化している。
このスキに気付いたことで勝敗は確定したも同然だった。
―― トスッ
―― トスッ
―― トスッ!
アリエルの不慣れな土魔法。パシテーのようにミリ単位の精度も出せないし、対象物を加速させ、一瞬で音速を超えさせるようなこともできない。だが、そんな拙い土魔法により、ユピテルの身体に3本の槍が突き刺さった。
首と、心臓と、肺を貫いている。まるで昆虫標本のように車椅子の背もたれに縫い付けた。
てくてくは追い打ちとばかりにデスマークと同じく死を与える闇の魔法ををユピテルに向けて畳みかけた。傍目にはいつもより多めに出した触手で敵を絡めているだけだが、触手から生命力そのものを吸い取るタイプのエナジードレインだ。もっとも、てくてくのエナジードレインではデスマークほどの性能はなく、闇の触手で相手を捕らえてから魔法を完了するまで、並の相手でも20秒ほど時間がかかる。即死魔法と言うには時間がかかりすぎる。だが触れていさえすれば確実に命は吸い上げることができるものだ。これは追撃の意味が大きい。
ユピテルを貫いた槍は折れていた。長さはまちまちで、明らかに短いものもあった。ゾフィーを救出したとき身体を貫いていた37本の槍のうち、たった3本に過ぎない。
それはアリエルの強い怒りをほんの少しだけ表現したに過ぎなかった。
たった3本の槍が刺さっただけでユピテル死んでゆくのを感じる。
たったこれだけのことで死んでゆく。
まるで逃げるようにこの世界から消えてゆく気配。
「うおおおおおぉぉぉああああぁぁぁぁぁ!!」
アリエルは愛刀美月を手に取って大上段に振りかぶり、撃ち出された弾丸のように飛び込むと、力の限り、魂を込めて振り下ろした!
愛刀美月から伝わってくる確かな手ごたえ。
脳天からざっくりと頭蓋骨を割って眉間に達したところで、ユピテルは目の前から消失した。
アリエルは刀を地面に叩きつけた。
ロザリンドとベリンダは引火したにも関わらず、炎を纏ったままプロスペローの倒れていた場所を叩いた。
突然目標が消えてしまったのだから地面を叩いてしまうのも致し方ない。
プロスペローは転移魔法を使って逃げたのだ。
真っ二つに割られた盾も、剣を手放してしまった右腕も、その場に残したまま。




