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17-05 ユピテル、現る(5)デスマーク

 何の策もなく、ただ闇雲に突っ込み、押し返されたアリエルは不安そうにジュノーを見つめた。こんな時は目と目で通じ合う。

 ジュノーの治癒魔法をもってすれば、心臓に槍が刺さっていようと命をつなぐことはできる、しかし何らかの攻撃を受け、治癒魔法が途切れるようなことになれば、次の瞬間には命を落とす。



 一方ユピテルはまた姿勢を斜めに崩して頬杖をつくと、勝ち誇ったようにありったけの槍を使って嵯峨野佳純さがのかすみを貫いた。まるでハリネズミかヤマアラシのように、槍を隙間なく突き刺す。


 それだけでは飽き足らず、意識のない人質の身体を立ち上がらせ、槍を組んで磔にしてみせた。


 だがしかし、それでも治癒のほうが上回る。神話の時代から数えても、治癒ではジュノーの右に出る者はいない。

 その治癒効果を見たユピテルは目を輝かせ、感嘆の声を上げた。


「ほう、驚いたな。これを生かすのか! ジュノーよ、やはりお前が欲しい」


 言うとユピテルは機嫌をよくしたのか? 人差し指を立て、鼻歌交じりで唇を触って投げキッスのボーズをつくると、うっとりした表情で、また別の魔法陣を起動する。


「デスマーク」


 無数の槍に貫かれ、はりつけにされた人質、嵯峨野佳純さがのかすみの胸元に小さく禍々しい文様が現れ、闇の触手が巻き付く。



「ああっ……」


 ジュノーの治癒ではどうしようもない即死魔法が嵯峨野佳純さがのかすみの身体に突き刺さったのだ。

 怪我ではないのだから治癒できない。体力を消耗するわけでもないから、回復させることに意味はない。

 突然死という事象に対して、治癒師は無力だ。


 母親の気配が消えてしまったのを、まるで手に取るように理解しながら、アリエルはただ絶句していた。


 ダリルマンディの神聖典教会は憎しみと、怒りと、悲しみが渦巻く、激情のるつぼと化した。


「あー、言っておくがな、こいつらは余の所有物であるからして、生かすも殺すも余が決定権を持っておるからな。恨んだりするのはお門違いというものだぞ?」


 ユピテルが話し終わったのに合わせて、嵯峨野寛一さがのかんいちは腰に装備していた剣を抜いた。

 小柄でか細い柊桜花ひいらぎおうかは腰につけていた短剣を抜いてジュノーに向かって構えた。


 死者を蘇らせるというヘリオスの権能がひどく弱体化した能力だ。ユピテルの力では死者に命を与えるには足りない。だが、ユピテルの中途半端な力でもアンデッドを作り出すことができる。



 アンデッドにされてしまった嵯峨野寛一さがのかんいちは、もうはや自らの意志など持ってはいなのだろう、たった今、妻がむごたらしく殺されてしまったというのに悲しむこともせず、一心不乱に剣を振り回し、アリエルに襲い掛かった。

 それはそれは悲しい光景だった。


 嵯峨野深月アリエルの父、嵯峨野寛一さがのかんいちは、一流の鍛冶師だ。剣士ほどではないが、刀剣の扱いには長けている。それがどうだ、生まれて初めて棒を持った類人猿のように、知性のひとかけらも感じさせることなく、手に持った剣を、ただ振り回して叩きつけるといった行動に出た。


 隣に立つ柊桜花ひいらぎおうかも同じだった。その短剣を握った手を力の限り振り回し、ジュノーに向けて斬りかかる。


 アリエルもジュノーもその攻撃を避けることもなく、防ぎもせず、ただ受けた。

 強固な防御魔法があるおかげで、髪の毛の一本すらも傷つくことはない……。


 だが、心に深く剣を突き立てられた。胸をえぐるこの痛みだけは、決して慣れることなどない。



 これがユピテルなのだ。

 昆虫や魚類、獣人からヒト、すべての生物に対して等しく平等に、冷酷になれる男だ。

 人があぜ道を歩くとき、踏みつけにしてどれだけの命が失われるのか気にも留めないのと同じく、人を踏みつけにして、多くの人間が命を落としたとしても、まるで気にも留めないという。



 ただ立ち尽くし、防御魔法の上から攻撃を受けているアリエルに向けて、ユピテルは勝ち誇ったように顎を上げ、満足したように目を細めると、さらに揺さぶりをかけた。


「ふむ。やっとおとなしくなったか。では、ここでさきほどの話に戻そうか……。なあアシュタロス、もう終わりにしようではないか。実はヘリオスさまが最高神の地位を引退することとなった。そして、その地位と世界のすべては、余が引き継ぐことになる。当然ここスヴェアベルムも余の所有物になるのだが……、アシュタロスよ、お前の存在がとにかく目障りなのだ。お前はアルカディアに帰れ、戦争をしたいのならアルカディアで、いくらでもやればよいではないか。壊したければアルカディアを壊せばよかろう、滅ぼしたければアルカディアを滅ぼせばよい。どっちにせよヘリオスさまがお前に与えた世界だ、自由すきにすればよい。せっかく時間が巻き戻って何もかもリセットするようにしてやったというに、何が気に入らないのか。あれは簡単なことではないのだぞ?」



「ノーだっ! ふざけるな! 断る!!」


 アリエルは断固として断った。その声は心なしか震えていた。


 この世界がユピテルのものになる? 最悪を通り越して絶望しかない。


「うむ。そう答えるであろうことは分かっておったよ。しかし懲りん男だな、少しは学習したらどうだ? お前の国、アマルテアはどうなった? 一人残らず皆殺しにされて滅んでしまったではないか。なのに

なぜ今度はノーデンリヒトが同じことになると思わんのだ? 何度も何度も同じことを繰り返すのはアルカディアだけでよかろうが」


 ユピテルがこんな近くにまで出てきたということは、ノーデンリヒトにいる家族も、当然だが、人質にされることぐらい頭に入れておかなければならなかった。


 周囲にいる魔王軍、ノーデンリヒト軍の者たちの耳にもこの声は響いている。これほど重大なことが語られているにも拘わらず、シンと静まり返っている。皆が皆、この常軌を逸した神話戦争の続きを、固唾を飲んで見守っているのだ。


 そんな時だ、ノーデンリヒト軍のほうから静寂が破られた。


「待て! ノーデンリヒトをどうするって!?」


 最前列で爪を研ぎながら話を聞いていたウェルフの戦士を後ろから押しのけ、ガチャガチャと鉄のグリーヴで石畳を鳴らしながらしゃしゃり出てくる男がいた。


 男の名はイオ・ザムスイルガル。

 ノーデンリヒト軍の参謀幹部であり、プロスペローとはマローニの町で初等部ガキのころからずっと一緒に育った幼馴染であり、親友でもあり、そして、戦友でもあった。


 プロスペローが帝国軍のスパイだということをバラされる瞬間まで、イオはその相棒として背中を預けて戦場に出ていた。



「プロス!!」


 イオは怒りの感情を抑えきれずに、プロスペローを、子供のころからそう呼んだように、愛称を叫んだ。


 プロスペローもイオの声を無視することができなかった。

 忸怩じくじたる思いを具現化するような、こわばった表情で、イオと睨み合った。


「プロス! おまえ本当にどうしちまったんだ! 俺たちから離れて行くとき、間違ったことはしていないと言ったな! ……もう一度言ってみろ、お前のその口で、もう一度同じことを言えるのか!!」


 プロスペローにはイオの怒りの理由が痛いほどわかった。

 言葉もない、何も答えられない。


 こうして、アリエルのアルカディアでの両親を人質に取って痛めつけることで、今後ここスヴェアベルムで起こるであろう、激しい戦闘を避けることができるかもしれないとしてもだ、イオはこんな非道な行いをただ指をくわえて見ていられるような男ではない。


 プロスペローは口を真一文字に結び、何も話すことはないと言いたげに口をつぐんだ。

 何も答えてもらえないことに苛立ちを募らせたイオは、歩きながら手甲を外して投げ捨て、プロスペローに向かって歩き始めた。肩を怒らせて、もう我慢できないと全身が表現している。


「いったい何に加担してやがる!! プロス! このイオが許さん!! お前が目を覚ますまでブン殴ってやる!」


 拳を握る手がギリギリと軋む音を立てた。爪が手のひらの肉を裂き、血が流れるほどに。


 アリエルは憤懣ふんまんやるかたないイオを止めねばと考えた。

 頭に血がのぼっていて湯気が出ているように見えた。イオはプロスペローがこんな奴の片棒を担いでいることがどうあっても我慢できないのだ。だがしかし、いま下手なことをすると即死魔法で狙われる。


「イオ! 出てくんな、無駄に殺されるぞ!」


 アリエルはこのややこしいときにしゃしゃり出てきたイオを止めようとした。ユピテルは防御フィールドに包まれていて、アリエルたちの攻撃を無効化している、いわばずっと向こうのターンだ。今、あちらさんが本気で攻撃に転じたら、のっぺらぼう仮面の実力にもよるが、ここにいる者たちの大半が命を落とすだろう。


 案の定イオはアリエルが止めたたところで聞く耳を持たなかった。


「うるせえな、ここで死んでも無駄じゃねえよ。これは俺とプロスの問題だ、入ってくんな」



 これ以上ユピテルの目の前で下手に動くのはマズい、必ずよくない結果になる。

 それはユピテルの側に立つプロスペローも重々承知していることだった。


「止まれ! それ以上近づくな。このお方は世界を統べる最高神となられるユピテルさまだ、この世界の所有者でもあらせられる。控えるんだイオ、お前の出る幕はない、下がっていろ」


 ユピテルは少し顎を上げ、イオを見下すように振舞った。支配者として名を呼ばれたのだ。ここで控えて膝を屈するのが礼儀というものだ。

 しかしプロスペローの忠告はイオの怒りに油を注ぐだけだった。


「何が世界を統べる王だこの、俺がお前を殴ることに変わりはない、こっち来いやオラ!」


 その言葉はチンピラのようでありながら、ガキのケンカそのものだった。

 イオは幼馴染として、プロスペローの間違いを正すため、ぶん殴ると言ってる。しかし、傍目には怒りに我を忘れた物言いに思えるだろう。目の前にいるのがユピテルじゃなければ、あるいはその言動も見逃してもらえたのかもしれない。



 イオの物言いが癇に障ったのか、プロスペローの忠告に効果なしと見たユピテルはまるで不快害虫を見たかのような嫌悪感を露わにし、近づくことを嫌った。


「醜い男だ、こっちを見るでない。……デスマーク」


 ユピテルがイオに向けた魔法は先ほど嵯峨野佳純さがのかすみに使ったのと同じ即死効果を持つ『デスマーク』だった。



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