17-04 ユピテル、現る(4)吊られた死体
仮にすべての爆破魔法を起爆したとしてもユピテルはどうせヘリオスの権能で生き返るだろうし、そもそも起爆する瞬間にプロスペローが転移魔法で逃げ出すだろうことは目に見えている。
これもまた極めて安直な挑発だ。
ここでそんな挑発に乗って爆裂を起爆したら、周囲一帯が消し飛ぶ。兵士や市民たち大勢の命が失われるが、ユピテルのほうは涼しい顔で逃げおおせる。
喉元に刃を突き付けられているのは、相変わらずアリエルだ。その状況は1ミリも変わってなかった。
どうすれば被害を最小限に抑えたまま、ユピテルを殺すことができるのか。
いや、せっかく目の前にいるんだ、ついでにプロスペローも殺してやりたい。二人とも殺したうえで人質になっている母を救出したいと欲張ったことを考えていては考えが纏まるわけもない。ただでさえデッドエンドに追い込まれようとしているのに。
アリエルがいつものようにガバガバの作戦を即興で考えていると、影から魔法陣が起動し、まばゆいばかりに輝く光が飛び出した。誰も直視することができず、視線をそらしてしまうほどの強い光を纏っている。
ジュノーだ。
「やっと出られた!!」
咄嗟の判断が一番早かったのはプロスペローだった。
「危険です、引きましょう」
ユピテルはプロスペローの忠告をまるで聞かず、手のひらで『構わないよ』とジェスチャーで伝えながら、急きも慌てもせず、落ち着いて足元に魔法陣を起動した。
「ディストーションフィールド」
直径2メートルほどの小型魔法陣だ。アリエルは起動した魔法陣よりも、ユピテルほどの使い手が魔法陣の名前を呼んで起動したことを不審に思った。魔法陣を起動するのにわざわざ名前を口に出して言う必要などないからだ。
魔法陣が起動するとアリエルたちの目にはユピテルが3人に分身したように画像がブレた。プロスペローも同じく、その姿は角度を変え何人にも見える。
次の瞬間には激しい光がユピテルたちを包んだ。
しかし魔法陣の展開するフィールドにより光は屈折し背後にある崩れかけた礼拝堂の壁を穿つ。石造りの土魔法建築は熱に強いはずだが、真っ赤に焼けたマグマとなってこぼれ出てきた。大穴を穿たれた礼拝堂は、さっきサオが破壊した尖塔とは新たな火災が起こった。建物火災というのはだいたいが木造建築で起こるものだ。石造りの建造物での火災は、木造の内装部分が燃えるに過ぎない。だがジュノーの熱光学魔法は石や土も燃やす。
「母さんが人質になってるんだ、気を付けて」
「肉片の一つからでも再生させてみせる! 目の前にユピテルがいるのよ? あなたなにしてるの!」
ジュノーの檄が飛ぶ。瞬間湯沸かし器のようなジュノーに同調するように、アリエルは小さな[爆裂]を手のひらに練り上げた。
あのディストーションフィールドという防御術式はユピテルの足下で起動している魔法陣だ。その一角でも破壊すれば機能しない。魔法陣を狙えば次の攻撃は直進する。
アリエルが爆破魔法を練り上げたのを見たユピテルは、ひとまずディストーションフィールドの魔法陣を解くと、プリズムの屈折効果が消え、視界が広がった。
「おおおおっ、なんと美しい光か。相変わらず眩しいな、ジュノー! 今からでも余のものになれ」
「四つの世界でアンタが一番イヤ! ところで『余』って誰? あんた自分のこと『ボク』って言ってなかったっけ?」
「まったく、いつの話をしておるのか……」
語りかけるユピテルに応えている振りをして、ジュノーの頭上に光輪が広がる……。次の熱光学魔法を撃ち込む予備動作に入った。そりゃあこれだけ派手に頭の上に輪っかが出て光るのだから、誰にでも攻撃の来るタイミングは分かる。だがしかし、タイミングが分かったところでどうしようもないのがジュノーの熱光学魔法だ。
アリエルは練り上げた爆破魔法を魔法陣に撃ち込むため、ユピテルの足元に狙いを定めた。
「むう、落ち着いて話もできんではないか。ネガティブフィールド」
ユピテルは一瞬早く魔法陣を起動した。
真正面からジュノーの熱光学魔法が発動した。同時にアリエルの爆破魔法がユピテルの足元に向かって撃ち出された。狙いは正確だった。
ジュノーが放った高出力熱光学魔法はフィールドの境界線に触れたとたん虹色になって消失してしまった。
ユピテルにまで届かず、曲げられたり反射させられたりといったことでもない、虹になって消えたのだ。
防御魔法陣そのものを狙ったアリエルの爆破魔法はというと、ジュノーの熱光学魔法に遅れて、確かに着弾した。
だがしかしその威力は虫も殺せないほどのものだった。フィールド内に入るか入らないかのところでシュワっと消えてしまった。[爆裂]の詰まったカプセルは確かに起爆したのに、ただ、爆発が小さく小さく収まってしまったという、ただそれだけの効果にとどめた。
まるで線香花火の燃えている玉がバケツの水に落ちたかのように、シュワっと消え去った。
この消え方はアリエルにもジュノーにも覚えがあった。
忘れることなどできようはずがない。
いまユピテルが起動した魔法陣は爆破魔法も熱光学魔法も無効にしてしまう防御フィールドだ。
アリエルの記憶ではテルスしか使い手はいないと思っていたが……、ユピテルが魔法陣としてコピーしている。
魔法陣をコピーするためには主たる使い手の技術が必要だ。つまり、テルス本人がユピテルに技術供与したと考えるべきだ。
「ふむ、こちらのほうが予後の視界がよいな。よし、今度からはこれにしよう。ジュノーの怒った顔が見られるのは至福である。だが泣いた顔も見てみたいものであるな」
ユピテルは頬杖をついていた腕から顎を持ち上げると、車いすにかけたまま両手を広げてみせた。
その動作に呼応するように地面に黒い影が広がるとローブが2本が空中に飛び出した。
空中に向かって巻き取られるように舞い上がると、ピンとテンションがかかる。
その魔法はアリエルの『ネスト』に酷似していた。
重いものがぶら下がっているのか、ギリギリと音をたてながら、ゆっくりだ、ゆっくりと引き上げられ、出てきたのは首を吊られた人?
短髪でちょっとガタイのいい中年男性と、150センチちょい? 少女に見えたが、こちらも年齢的には母親世代……いや、気配を感じない……。だらりと脱力し、揺れる手足と、首に食い込んだロープ……。
人の死体だ……。
死体が二体……。
母を人質に取られている、それだけでもうアリエルは身動きが取れないのに、なぜ吊った死体を見せつける必要があるのか? 訝るアリエルに、ユピテルは問うた。
「んー? どーうしたぁ? もしかして気分が悪いのかアシュタロス。お前たちもいまそこの塔から死体を吊るしておったではないか。珍しく趣味が合うと思ったのだよ」
ロープに吊るされた死体は……、嵯峨野深月の父、嵯峨野寛一。
もう一体、小柄な女性のほうは……、柊桜花、日本でジュノーを生み、女手ひとつで育てた母だった。
皮肉を言ってやろうにも言葉にならない。
母親を人質に取られていて、一歩も動けない状況なのに、更にもっと、もっと、と絶望を重ね、畳み込まれる。
ユピテルはたった今このダリルマンディで起きたことを再現しているに過ぎない。
まるで『お前たちもやっていることではないか。べつに酷いことじゃないよね?』とでも言わんばかりの清々しい表情で微笑んでみせた。
二人の遺体はすうっと降ろされた。ロープからテンションが抜けて"するっ"と落ちると、俯いていた死体の顔が前を向いた。死体ではないのか? アリエルは一瞬、二人が生きているのだと思った。
しかし相変わらず気配を感じない、アリエルに向けられた父の瞳は乾いていて、まるで生気を感じないのだ。
ユピテルの後ろで車いすを押していたアリエルの母、佳純が叫び声をあげ、いま吊り上げられ、この場に引き出された遺体、嵯峨野寛一のもとへ駆け出した。
何世代も夫婦として連れ添ってきた夫なのだ、身体が勝手に動いたのだろう。
「いやああああああ!!」
すぐ近くで突然悲鳴を聞いたユピテルの表情から微笑みが消えうせ、嫌悪感を露わにした。
「うるさいなあ。誰が動いてよいと言ったか。黙っておれ」
―― がふっ!
吐血が叫び声を止めた。嵯峨野佳純は糸が切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。
胸から槍がいくつも突き出している。あれはテルスの槍……。ゾフィーを異次元の匣から救い出したとき、大量に突き刺さっていた槍と同じものだ。
嵯峨野佳純は力を振り絞り、わなわなと震える手で槍を引き抜くと、その槍でユピテルの首を狙った。
しかしユピテルに力が及ぶわけもなく、再び崩れ落ちた。
仮にも十二柱の神々の序列で二位にいた男だ。最高神ヘリオスの息子だから、親の七光りで手に入れた地位ではない。嵯峨野佳純ごとき元下級神の女が槍を持ったところで、どうこうできるような実力差ではないのだ。
テルスの鎧に装備されている数多くの槍はすべてユピテルの土魔法によって操作されている。
そのうちの一本を握ったところで、手の届くところに座っていて、よそ見をしたまま、いままさに槍で襲い掛かる女のほうを見ようともしないこの傲慢な男に、ただその手に握った槍を突き刺すという、それだけのことが叶わない。
ジュノーは治癒魔法を飛ばし、嵯峨野佳純が死んでしまわないように失われてゆく命を助けた。
「私の目の前でっ!!」
咄嗟にアリエルが突っ込む! 盾をもっているせいで抜刀術が決まらなかったロザリンドはアリエルの援護に徹し、ユピテルを守るため半歩踏み出したプロスペローに狙いを定めた。
ロザリンドは盾をもって守りに徹するプロスペローを崩さねば現状を打破し得ないと考えたのだ。
加えて言うなら目の前でアリエルを殺されたという私怨もある。
ユピテルを狙ったアリエルの剣はプロスペローの盾にアッサリ阻まれた。とくに練り込まれた作戦ではなく、人質となった母親が殺されようとしたのを止めるため、無策で飛び込んだに過ぎない。
しかし同時に繰り出したロザリンドの攻撃がうまかった。フェイントで小手を狙い、その実、足を狙った変則的な攻撃は、さすがのプロスペローといえども対応することができず、膝をざっくりと切り裂いた。
苦し紛れのシールドバッシュでアリエルともども押し返すことができたのは意地だったのかもしれない。プロスペローは膝の怪我をものともしない強靭な精神力でアリエルたちを跳ね返し、これまで抜く必要のなかった剣を抜いてユピテルの前に立ちふさがった。
ジュノーが出てきたことにより余裕をもって捌ききれなくなったというのもあるが、申し合わせたわけでもないのに、アリエルと同時に飛び込んできては、必ずイヤな攻撃をしてくるロザリンドの変幻自在の剣技がとにかく煩かった。これは前世、アリエルと再会したとき、勇者キャリバンと戦ったときのリプレイのようだった。アリエルとロザリンドの二人は、強敵に対しコンビネーションでその力を発揮する。




