17-03 ユピテル、現る(3)人質
「フン!」
プロスペローは鼻を鳴らすと、涼しげな表情を崩さないまま柄に入ったままの剣をもってアリエルの斬撃を防いだ。アリエルの斬撃がさきほどの一撃よりも幾分か重いと判断してのことだった。
万が一、振り下ろされた剣の重さが勝り、攻撃を防ぐために出した自らの剣で守るべきVIPを傷つけてしまうのを恐れた。
アリエルの斬撃の重さはプロスペローの予想していた通り、スピードよりも重さを重視していた。
プロスペローはユピテルの頭上、がっちりと剣撃を受け止めた。
刹那、アリエルが飛び込むのと同時にロザリンドも敵の間合いに踏み込み、斬り込んでいた。
「もう! なんであんな安い挑発に乗るかな!」
見え見えの徴発に警戒心もなく乗せられて真正面から当たるわけもない斬撃を繰り出したアリエルに文句の一つでも言わないと我慢できないのだろう、ロザリンドはアリエルの援護に出た。
アリエルの斬撃は簡単に受けられる。受けてしまえば後の先を与え、次の瞬間に攻撃を受けるのはアリエルのほうだ。
ロザリンドの狙いはプロスペローだった。アリエルを攻撃するか、それともロザリンドの攻撃を防ぐかの二択を迫った。左から抜きざまに首を狙った抜刀術だ。
しかしプロスペローはロザリンドの攻撃を目で見て、上体を反らすことで切っ先は届かなかった。
盾を使わず避けたほうがいいと判断した理由は、空振りした刀の軌道にアリエルが居たからだ。
つまり同士討ちを誘った。やはり斬り合いの駆け引きではプロスペローが一枚も二枚も上手をいく。
しかしアリエルは予めこうなることぐらい分かっていたかのような、慣れた動作で頭を下げてこれを躱すと、突っ込んだ勢いそのままに前蹴りを放つ、ターゲットはプロスペロー。うまくすれば車いすを押しているテルスにぶつけてやれる。
プロスペローは崩れた姿勢のままアリエルの蹴りを盾で受けた。真正面から受けず、わずか数度の角度をつけることで衝撃を受け流そうとした。
しかしだ、アリエルが蹴りを繰り出した靴はアルカディア製のスニーカーだった。ウレタンの滑りにくい靴底はプロスペローの知らない素材だった。スヴェアベルムの戦士が履く革のブーツではない。ツルツル滑る形状のミラーシールドならまだしも、豪華な彫刻が施された紋章の盾だったこともアリエルの側に有利に働いた。滑りづらい表面加工がされていたおかげで、アリエルの靴底がグリップし、わずかにプロスペローの姿勢が崩れた。
とはいえこの程度で畳み込まれるようなプロスペローではない。しかし同じ攻撃を失敗するにしても、相手の想像の上をいくことは重要だ。思っていたよりも手ごわいと思わせることで焦らせ、そこに付け込むスキができる。
プロスペローの表情は変わらなかったが、一瞬たしかにヒヤリとしただろう。気を取り直す時間を与えてしまってはチャンスなど永遠に訪れない。もちろんロザリンドの返す刀がある! アリエルの背後になり、プロスペローからは死角だった。見えない角度から二の太刀が襲う。アリエルは蹴りの姿勢を戻す前にしゃがみ込み、ロザリンドの斬撃を通した!
手足の長いロザリンドの切っ先が伸びて再びプロスペローの首を狙う。
必殺の間合いだった。十分に仕留められるタイミングだ。もしプロスペローに避けることができたとしても、その場合、アリエルがプロスペローよりも優先的に狙った車椅子の男の横っ面に剣を突き立てることができる、二段構えの攻撃だ。
しかしプロスペローは姿勢を崩されるままに膝を折り、斬撃の下を潜り抜けることで凌いだ。
アリエルの蹴りを受け、執拗に首を狙うロザリンドの切っ先を二度とも避けきった、こんどは最初にアリエルの剣を受けたまま右手にある鞘にさしたままの剣を立て、ユピテルを狙うロザリンドの剣を柄の尻で止めた。
ロザリンドに強化魔法が乗っていないとはいえ、振りぬいた剣を片手で、それも柄尻で止めたことは素直に感心してもいいだろう。何しろプロスペローはこれだけの攻撃を受け流しながら、ただの一歩も動いていないのだから。
剣士が本職ではないアリエルの剣など赤子の手をひねるように容易くしのいでみせた。
強化魔法の補助を受けていないロザリンドの攻撃など剣を抜く必要もなく防ぐことができる。
アリエルを見下す冷ややかな目と唇にうっすら浮かぶ笑みが苛立ちを誘う。
その時、車いすに座ったままのユピテルは、自分の頭の上を、殺意のこもった刃がギリギリの攻防を戦っているというのに、怠惰に崩した姿勢を正そうともせず、例のように頬杖をついたまま口を開いた。
「ふむ。魔法のいくつかを封じてやればこの程度か……」
安い挑発に乗った結果、こうして戦闘力を値踏みされてしまう。
きっと挑発の意味もあるのだろう、言うとユピテルは小さくあくびをしてみせたりもした。
ユピテルの目にはアリエルが怒りに任せて攻撃しているようにも見えただろう。だがしかしロザリンドとの絶妙なコンビネーションが滞りなく繰り出せている。頭は冷静さを保っている、とまでは言い難いが、怒りに我を忘れているというほどでもない。
アリエルの攻撃が手詰まりとなった。ここで間合いを取って呼吸を整えるか、それとも意地を張ってさらにもう1セットの連撃を加えるかの選択を迫られた。どちらにせよ先に動かねば命取りになる。
アリエルが一歩さがって間合いを取ろうとした、一瞬のスキを狙われた、そのとき不意に右サイドから青白い光球が撃ち込まれた。前方から注意を外すことができないアリエルは無防備に死角からの魔法攻撃を受けた。
ほんの瞬きほどの時間で着弾する光球。ほとばしる熱気と激しい炎が巻きあがる。
まるで水風船が割れたかのように炎がこぼれ、空気と混ざって激しく燃焼した。
しかし着弾した炎はみるみるうちに引いてゆく。
アリエルの防御魔法はロザリンドの斬撃も通さないほど強固だし、サオの爆裂を無防備で受けてもダメージを負わないほどの耐火性能を持っている。少々強力な魔法攻撃を受けたところで深刻なダメージを負うとは思えないのだが、不意討ちの魔法攻撃は、サオの操る盾によって防がれた。
タイミングは完璧だった、狙いも正確だった、撃ち出す角度もアリエルには見えない死角からだった。これ以上ないチャンスだった。しかし、後ろで守りを任されたサオがそれをただ黙って見ているわけがない。
サオの盾は神器、神殿騎士団の誇る絶対魔法防御の盾だ。この場を遠巻きに包囲しているダリル配備の神殿騎士に支給されるようなものではない、神殿騎士の中でも最高のエリートにしか配備されていない、最新兵器だ。
サオは周囲に展開した4枚の盾のうち、1枚を巧みに操ってアリエルへの魔法攻撃を防いだ。
不意討ちを仕掛けてきた術者は、名も知らぬ術者、便宜上のっぺらぼう仮面と呼んでいるローブの男だ。仮面をかぶっちゃいるが、そのローブの下がどんな姿なのかはだいたい想像できる。あの巨体と体型から、おそらくはベアーグ族だ。どうせヘリオスが作った合成獣人ってやつなのだろう。
ベアーグ族は種族的に魔導師には向いていないはずだが、アスモデウスが魔人族に転生していた例もある。現にこののっぺらぼう仮面、魔法の腕前は相当なものだ、それは着弾を見たときにわかった、あれはファイアボールだ。しかし、ただのファイアボールではない。青白い光を放っているということでもわかる、相当な高温で燃焼する。あののっぺらぼう仮面は、アリエルやサオと同レベルの炎魔法を使うということだ。
とはいえ高等技術であるはずの青白いファイアボールも、サオの操るたった1枚の盾に防がれた。たまたまサオの持っていた盾が神器の盾だったという、たったそれだけのことだが、プロスペローの余裕の表情がなりを潜め、一瞬だけ動揺したように見えた。
サオが神器の盾を持っているのを見て、明らかに驚いている。おそらくは何か計算違いがあったのだろう。
アリエルがプロスペローの表情に、ほんの僅かな違和感を感じとった瞬間、別のところで大きな違和感を感じ取った。
神器の盾が敵の魔法攻撃からアリエルを守った、その時、アリエルの気配察知が突然使えるようになったのだ。ユピテルの気配、プロスペローの気配、そしてのっぺらぼう仮面からもしっかりと気配が出ていた。
アリエルは訝り、首をかしげてみせた。黄金の獅子を模したテルスの鎧の中に、知った気配があったからだ。
「ロザリンド! ストップだ下がって!」
ロザリンドはアリエルの雰囲気が少し変わったことを不審に思ったが、それよりも冷静であることが分かったので、おとなしく刀を鞘に納め、間合いの外にまで下がった。
「サオ、盾を1枚貸してくれ。ロザリンドにもな」
「はいっ」
「えっと、私盾使えないんだけど……」
左手のところにいきなり現れた神器の盾を手に取ったアリエル、ロザリンドは使えない盾もって見様見真似で構えて見せた。アリエルはというと盾をパラボラアンテナに見立て、電波の来る方向を調べるかのように微調整すると、やはりのっぺらぼう仮面の方向で位置を決め、土の魔法を使ってその場に固定した。
そう、ファイアボールの直線的な攻撃を防ぐために、サオは神器の盾をアリエルと術者の間に割り込ませた。アリエルはその時だけ、気配察知が使えるようになった。神器の盾はありとあらゆる魔法を遮断するチートな盾である。
つまり、アリエルたちが得意の魔法を一部使えなくなった原因の、その発生源が分かった。
のっぺらぼう仮面が魔法の使用を阻害するなにかをしているということだ。
アリエルは盾の後ろで手のひらの上に[爆裂]を作り、魔法が使えることを再確認すると、これ見よがしに手を上げてみせた。大雑把に計算して半径50メートルほどのクレーターができる大きさのの[爆裂]が輝き、徐々に、ゆっくりと上空へと昇ってゆこうとしている。
この場にいる皆がその光に目を奪われた。一瞬、プロスペローの気がそがれた。
アリエルはその機を逃さなかった。テルスの背後、プロスペローの足元など、見えない場所に隠すだけでなく、まるでプラネタリウムのように周囲を[爆裂]で囲んだ。ハエの飛び出す隙間もないほどに。
これほどの爆破魔法を同時に起爆すると、ユピテルやプロスペローだけじゃなく、アリエルたちは言うに及ばず、エアリスや魔王フランシスコも含め、ダリルマンディ市民も当然無事では済まないが、圧倒的不利だった状況を、なんとか膠着状態に持ち込むことができた。
ゾフィーの留守を狙い、魔法を阻害することで負けることはないと高をくくっていたユピテルの誤算だ。
どうだこの野郎! とドヤ顔を決めて言ってやりたいのはやまやまだが、アリエルはユピテルの車椅子を押す金獅子の鎧を指さした。
「あんたテルスじゃないだろ? 仮面をとって素顔を見せろ」
金色の鎧は獅子の面具が少し俯いたように見えた。
ユピテルは肩越しに振り返り「くくくくく、素顔がご所望らしい。ヘルムを外して見せてやるがいいよ」といった。
テルスだと思われた金色の鎧を付けた女はが後頭部に位置する留め金をパチンと外すと、その素顔が白日の下にさらされた。
アリエルはその素顔を見て、天を見上げ、そして目を覆った。
ロザリンドも動揺を隠せず、「なぜ?」としか言えなかった。
テルスの鎧を着ていたのは嵯峨野佳純、アリエルが日本に残してきた、実の母だった。
いまにも泣き出しそうな表情で目を伏せている。久しぶりに会ったはずのアリエルと視線を合わせようともしない。
何があったのかはおよそ窺い知れる、嵯峨野佳純はもともとユピテルの側にいて神話戦争を戦った下級神だった。きっとアリエルがスヴェアベルムにきて大暴れしていることを咎められたのだろう。
「んー、この女はいわゆる、えーっと、人質? というやつでね、万が一のことを考えて仕込んでおいたものだ。な?、それみたことかクロノス(プロスペロー)、その試作品はダメだ。こうも容易くジャミングが途切れたのでは使い物にならん。未完成のものを実戦に持ち出すと必ず不具合を生じるのだ。あのなあ、人の命が大切だなどという愚か者には、その命を盾にとってやるのが効果的なのだよ。みよアシュタロスの顔を、いい表情になったではないか。くくくくく、もっと余を喜ばせよ!! さあアシュタロス、景気よくドカーンと起爆するといい。余はすぐにでも生き返るぞ? お前は転生するんだったな? だがほかの誰も生き返りはしないがな。さあ、はよう。余を楽しませるのだ」
人質戦術をとるのなら、いくら不利な状況に追い込まれたとして精神的優位だけは絶対に崩してはいけない。現状を客観的に捉えて見ると、どう贔屓目に見てもアリエルのほうが旗色が悪い。しかも圧倒的に。




