16-42 ダリルの終焉(6)礼拝堂の扉ひらく
一方、市民たちの手で私刑を受け命を落としたエースフィル・セルダルの一部始終を見ていた
魔王フランシスコは、煮え切れないもやもやした、何とも言えない不愉快な気持ちをアリエルにぶつけた。
「エルダーで戦死したダンは子どものころからよく知る……、親友だった。真に信頼できる男だからこそレダの家族の護衛を任せたのだ……。ダンの仇は私がとるつもりだったと言うに、領主の首を名もなき市民に譲るとは……。なあアリエル、お前は本当に趣味が悪いな、私はこんな後味の悪い見世物、好きではない、領主を引きずって、ただ通りを歩いただけなど、このような茶番、まるで道化ではないか」
「新しい支配者として権威をつけておくにはこうするのが一番だよ。エースフィルはダリルマンディ市民の手で討たれた。たぶんあの雑踏の中には王都の斥候も紛れ込んでいただろうね、で、第一報を持ってもう走り去ったはずさ。ドーラ王フランシスコ・アルデールは領主に対し誠実に対応し、約束を守り、慈悲を重ね、エースフィル・セルダルを即時解放したよね。それを石投げたり、とっ捕まえて叩き殺したのは、他でもないダリル領民じゃないか。これでシェダール王国がダリルに介入することが難しくなった。あとは難民のほとんどが南のアムルタを避け、アルトロンド方面へ向かうよう仕向けてくれたら嬉しいのだけど……」
もちろんアリエルの姿も斥候に見せた。当然、アリエル・ベルセリウスが絡んでいるこも王都に知られているはず。
「分かった分かった、ハリメデ、そのように図ってやるように」
「はっ、承知しました」
東側に向かう交差点で盾を構え、獣人たちを一歩も通さない気迫で市民たちを守っているレイヴン傭兵団が守っていた。ハリメデは領軍とは別の戦力である傭兵団に向かって対話を呼びかけた。
ドーラの魔族は対話を重視することを印象付けるためだ。
「そちらはどうするつもりだ? 領主が死んで一歩も動かないところを察するに、貴殿ら正規軍ではないようだが? お聞きの通りである、この土地は今日よりドーラ王、フランシスコ・アルデールのものとなった。この地を治める支配者に向かって剣を抜き、盾を構えるなど無礼であろう」
レイヴン傭兵団の最前列で盾を構えていた男が剣を収め、盾の防御を解いてフランシスコとハリメデに敬礼したあと応えた。
「我らレイヴン傭兵団は市民の安全を守れと命令を受けている、領地だけならまだしも、領民を売り渡すような領主など知らん!」
この傭兵団は予めこうなることを知っていたかのようだった。当然、領主が失脚することも知っていたとしか思えない。
ハリメデは王の傍らにいるアリエルをチラッと見た。『これはアリエルどのが仕組まれたことか』という疑惑の眼差しである。
目の合ったアリエルは小さく頷き、目配せでハリメデに応えた。
「ふむ、なるほど、ではレイヴン傭兵団とやらに問う。我らドーラ、ノーデンリヒト連合軍と一戦交えるか?」
傭兵団の隊長は拳を胸に当てたまま力強く答えた。
「もし貴公らが戦う力を持たぬ市民に刃を向けるならば、我らレイヴン傭兵団は命を懸けて戦うつもりだ! しかし先ほど貴公は、奴隷になりたく無くばこの地を去れとおっしゃった。去る者は追わぬとも。つまり、我々はこの生まれ故郷であるダリルの地を捨て、出てゆけば自由と安全は担保されると、そういう意味にとってよろしいか」
ハリメデはフランシスコとアリエルの顔を窺うと、フランシスコの面倒くさそうな表情から『そうしてやれ』と受け取った。
「うむ、この地はすでにドーラである。出てゆくならば後を追うようなことはしないと約束しよう」
「はっ、ありがたき幸せ。もうひとつ、ダリルマンディには旅慣れてない老人や女こどもがおります。住み慣れた土地を明け渡すまで、いくばくか猶予をいただきたい。我らレイヴン傭兵団は市民を護衛し、共にダリル領外へと出てゆきましょう」
「わかった、話し合いに応じよう。日没までに話を終わらせたい、可及的速やかに代表者をここへ!」
「了解しました。すぐさま伝令を出し、エレノワ代表に伝えます」
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こうして魔王フランシスコ率いるドーラとノーデンリヒト連合軍は、わずか2週間ほどの行軍でフェイスロンドとダリルを手中に収めた。ほとんど戦闘することなく、ただ行軍するだけで訪れた土地の全てを奪うことに成功したのだ。アスモデウスの重力魔法ミーティアがアリエルの頭上を狙って、フェイドオール・フェイスロンダ―ルの居るグランネルジュに落ちたという幸運も手伝ってか、その領土はボトランジュ、ノーデンリヒトを加えると広大なユーノ―大陸の20%にも及び、もしスヴェアベルムという世界にユーノ―とドーラ、2つの大陸しか残っていないとするならば、魔王フランシスコの影響力は世界のおよそ半分に及ぶこととなる。
スヴェアベルムの長い歴史で世界の半分を支配し得た覇王など、未だかつて一人としていなかった。
ドーラ王フランシスコ・ルビス・アルデールは世界の歴史に名を刻む偉業を成し遂げたのだ。
とはいえ、フランシスコの心中は穏やかではなかった。
結果、自分の後継者を指名してまで戦場に出てきたと言うのに、背負った王の剣を振るうどころか、敵に向かって構えたこともない。義弟であるアリエルたちが先行してお膳立てしてくれたステージでハリメデの決めた役割をしっかりと演じるのみ。さきほどアリエルに『道化ではないか』と愚痴をこぼしたのは心から出た本心だった。
ダリルと命を懸けて戦うつもりだった獣人軍も、まさかほとんど戦闘せずフェイスロンドとダリルを奪えるなどとは思っておらず、グランネルジュの守りに半分の兵を置いてくるのに反対していたハリメデもアリエルの手際の良さに開いた口が塞がらなかった。実際問題として、500ほどの兵でこの30万大都市であるダリルマンディを制圧したも同然なのだ。上出来すぎて怖いぐらいだ。
相当な覚悟をして戦場に出たフランシスコの長男パンドラも、娘アマンダも、戦場の空気までは体験できたものの、実戦は先行したアマンダが少々経験した程度だ。まるで肩透かしでもくらったかのように、勝利だけが転がり込んできた。この戦で功績を挙げたものなどひとりもいないのだ。
パンドラに至っては計略とまでは行かなくとも、あらかじめ必要な情報を精査し、作戦に組み込み効果的に使うと戦争に勝つのに剣などいらないことを学び、これまで懐疑的だったアリエルを見る目が変わった。
今では師匠と呼びたいぐらいだ。
父であり王でもあるフランシスコがあれほど肩いからせて海を渡ってきたというのに、まともに戦闘することなく正に破竹の勢いで勝ち続けた。グランネルジュを取り戻そうとしたダリル軍10万と戦闘になったときも、フランシスコやパンドラたちのいる部隊中盤にまで手が届くことなく、アリエルたちが壊滅させてしまったのだから。
パンドラからは叔父にあたるアリエルや叔母にあたるロザリンド、サオたちが見せた桁違いの戦闘力に圧倒されて、ただ見惚れていただけ。
パンドラは小走りになってアリエルを追い、そして問うた。
「アリエルさん! いったいどうやればこうまで人を操れるのですか?」
アリエルにしてもパンドラがよくなついてくれて嬉しいことに間違いないらしく、少し機嫌をよくしたように鼻を鳴らして応えた。
「俺は何もしてないよ。エースフィル・セルダルを操って、領民を奴隷として売り渡すよう仕向けたのはハリメデさんだからね。いやあ、あの人も怖いな……」
「ハリメデは私に計略を教えてくれないのですよ『パンドラさまは知らなくても良い事です』が口癖なのです。だから学ぶことも出来ません。今日あったことの種明かしをしてほしいです」
「何でそんなことを知りたい? 魔人族の考え方とは相容れないことだよ?」
「いいえ、戦死者ゼロでこれほど大きな町を奪った、素晴らしい事です」
「そっか、じゃあちょっとだけな。今回、ハリメデさんはダリル領主エースフィルに、吊るされた息子の死体を見せることで、正常な判断ができなくさせたんだ。愛する家族が殺されて死体をぶら下げられてるんだ。エースフィルの頭の中は激しい怒りと深い悲しみに支配されてたはずさ。あの状況で冷静に判断できる奴が居たら、そいつは人間じゃないさ。家族の死体を吊るしておいて、どっちにせよダリルは負けて制圧されるのに、生きるか死ぬかの選択を迫る、冷静さを失った頭でも『え? 生きる道があるの?』って思うよね」
「そうですね、私も捕えられて処刑されるよりは戦って死にたいです」
「ここがハリメデさんの意地の悪いところでさ、あの人はエースフィルの復讐心を利用したんだ。エースフィルは何もかも奪われたからね、もう何もかも手遅れ、全てを失った。だけど、この場を生きて逃れることができれば、少なくとも復讐するチャンスが残るだろう? いったんこの場を逃れることができさえすれば、再び兵を集めて、ダリルを取り戻すための戦いだってできたはずだ。現にやつの父親を殺したのは俺だし、奴の息子を殺してあそこに吊るしたのも、こっちの身内だ。エースフィルは俺のことが憎くて仕方なかったのだろうな、俺を殺すためなら悪魔に魂を売り渡すことだって厭わないだろう」
「……うーん、じゃあハリメデはアリエルさんをエサに譲歩を引き出したってことですか?」
「ははははっ、エサとは酷い言われようだと思うけど……、ま、そういうことになるな」
「そっ、それは失礼にあたります。ハリメデに限って父王の義弟にあたるアリエルさんをエサになどするわけがありません、きっと何かほかに狙いがあったのだと思います」
「んー、狙いも何も、エースフィルが領民に殺されるまでがハリメデさんの計略ではワンセットだったんだ。魔王フランシスコも、俺も、サナトスもレダも、トリトンも……、たぶんカタリーナもだな、みんなエースフィルの首を欲しがってた。自分の手で殺してやりたいと思っていたはずだ。誰もエースフィルの首を譲る気がないし、首を欲する理由が相応のものだから諦めてこっちに譲れとも言いづらいだろう? だからと言って魔王フランシスコが奴の首をとると、俺も不満だし、サナトスも、トリトンも不満に思うだろう。せめて捕えてノーデンリヒトに連行するのが筋だって怒るよね? だけどそれをやっちゃうと王都プロテウスと真っ向から対立することになる。だからさ、こういう惨めな結果が最良の結末だったのかもしれないな、周りを見てみろ、ダリル市民たちはもう戦おうという気すらない、抵抗も最小限にダリル占領は滞りなく行われるだろう」
アリエルとパンドラの会話にちょっと聞き耳を立てていたハリメデも、尖った耳に突き刺さるような言葉の数々に、ちょっとは弁明しておかねばならなくなった。
「アリエルどの、それは酷うございます。私はアリエルどのが企てた作戦のお手伝いをしたまでです。ささ……、パンドラさまも本気にはならぬよう。それに私はアリエルどのがおっしゃるほど意地悪ではございませぬゆえ……」
「ほう、アリエルさんの作戦とは?」
「パンドラさまは知らなくても良いことでございます」
「聞きましたかアリエルさん、これです。ハリメデは私のことなどまだ子どもだと思って何も教えてはくれません、アリエルさんも何とか言ってやってください」
「ええっ? 言ってやってくださいと言われてもなあ……、でもまあ、ハリメデさん……、今ここは戦場だし、戦場でしか学べないことって少なくないと思うんだけど」
「わかりました。では種明かしをしましょう。まず、我々は10万の兵をもってノーデンリヒトからボトランジュを南下し、西に回り込んでダリル軍と戦闘状態にあるフェイスロンドを通ってここ、ダリルマンディまでくるのが目的でした。もちろん我々ドーラ軍としては進軍する各所で戦闘があり、その戦闘に勝利してグランネルジュを解放、そしてダリルマンディを陥落させるまで何万の戦士たちが命を落としても、勝利するまで戦うつもりだったのです。ですがノーデンリヒトで合流したアリエルさまがこうおっしゃったのです『兵士たちを無駄に死なせることは絶対に許さない』と、それは名誉の戦死すら許さないという強い言葉でした」
「ええっ? それは?」
パンドラは何を言ってるのか分からない? といった表情でハリメデの顔とアリエルの顔を交互に見返した。パンドラの疑問にはアリエルが答えざるを得ない。
「フェイスロンドとダリルって土地はね、合わせるとドーラと同じぐらい、ものすごく広いんだ。しかも気候が温暖だから、隅から隅まで人が住んでるし、人口は100倍近いんじゃないか? ってほど人が住んでる。そんなだだっ広い土地を、たった10万の兵士で制圧しなきゃいけないんだ。ただの一兵だって死ぬことは許さなれない、その理由は分かっただろ?」
「は、はい……まさかそこまで考えてらっしゃるのですね……では、ダリル領主の首を市民に委ねたその理由はなぜなのでしょうか? 先ほどの説明では少し納得がいきません」
「さすがでございますなパンドラさま、我々はさっき言われた通り、ダリルの土地を奪いました。だけどこれからが本当の戦いです。フェイスロンド領とダリル領の隅々まで支配力を及ぼさなければなりません、10年かかるか、20年かかるかもしれません。ですがアリエルどのは我々エルフ族を奴隷としか見ないような醜い人族の、力を持たぬ市民ですら殺すなとおっしゃいました。これまでエルフ族に対して行ってきた非道な行いに対しても罰を与えるなということです。いくらアリエルさまの要請でもそれは聞けないところでしたが、その狙いを聞くと唸らざるを得ませんでした……」
ハリメデがパンドラに今回の作戦を饒舌に説明していて、話が佳境に差し掛かった、そのときだった。
アリエルがハリメデを制止した。何も言わず無言で手のひらを見せているだけだが、その緊迫した表情が戦慄を深く刻む。
パンドラは反射邸にアリエルの視線の先を見た。
これまで気持ちが悪いほどに動きのなかった教会、盾を構えた神殿騎士たちの背後で礼拝堂に続く大扉が開かれ、中からローブを纏った人物が出てきたのだ。
顔はマスクに顔面をすっぽり覆うのっぺらぼうの、ただ真っ白な硬質のマスクで覆われていて、性別すらも分からないが、身長はロザリンドほどもあるように見えたし、ローブの下に鎧でも着込んでいるのか、ただ身長が高いだけではなく、相当体格が良いように見えた。例えるなら熊獣人の戦士が教会の鎧の上から神官のローブを着込み、すっぽりと目深にフードをかぶっているとでも言うべきだろう。
瞬間的に何か空気が変わったのを感じると、ロザリンドもストレージから愛刀を取り出し、腰巻に装備し、サオもエアリスとアマンダを後ろに下げて、すでに一歩前に踏み出している。
ただ教会の扉が開いて、中から人が一人出てきただけだ、たったそれだけの事なのにアリエルはハリメデにパンドラを後ろに下げるよう指示すると、肉眼でも見えるほどに分厚い障壁を展開し、戦闘体制に移行した。
「ささ、パンドラさまは後ろに……」
「な、なにを? 子ども扱いしないでほしいな!」
パンドラもアリエルたちの警戒心に応じ、教会の大扉から出てきた者に対して斜に構え、背負った剣の柄に手を掛けて威圧を放ちながら、ハリメデの制止を振り切り、一歩、二歩と前に出た。
仮にも剣の腕に自信のある魔人族の若者だ、兵士たちの目もある、ここで一番先にケツをまくって後ろに下がれるわけがない。
「アリエルさんもです、私をお客様扱いしないでいただきたい。今は王子ですが、つぎの王にはサナトスが指名されてます。王子なんて肩書きに意味はありませんからね」
血気はやるパンドラに、アリエルはそれでも前に出るなと制止した。
「違うよパンドラ、迂闊な行動は戦場じゃ命取りだ。あいつはあそこには居ない。気配がないんだ、視覚がアテにならない以上、十分に間合いを取って敵の出方を窺うのが得策なんだ。あれがセオリーどおりの幻影だったらいいのだけどな、サオに聞いてみる必要があるが、どうやら期待薄だ。それにあいつはアルトロンドでプロスペローと一緒にいるところを目撃された奴と外見が似ているように思う。奴らだいたいツーマンセルで動いてるからな、最低でも2人いると考えるべきで、目の前に見えてる奴の正確な位置すら掴めてはいないんだ。つまり俺たちは今もうすでに攻撃を受けている可能性すらある」




