16-40 ダリルの終焉(4)
長らくダリル領軍の将軍として30万の兵のトップに君臨していたアルベルト・ゲンナーは、領主を奪われたことで事態はもう詰みの状況にあることを理解した。
号令ひとつで街の外で待機している5万のドーラ軍がダリルマンディになだれ込んでくる。
領主はすでに敵の手中にあり、この場に集まっていて、装備をつけている、つまり即戦力、いわゆる今すぐ戦える兵士の数は500といったところ。絶体絶命を絵に描いて額に入れたような、最悪な状況だ。
東側の通りを守っているレイヴン傭兵団は数が少ないが、包囲を嫌ったダリル軍が背後、挟撃する敵軍に向かうときの補助ぐらいはできるはずだ。
ゲンナーは取りも直さず、いまは全力で領主を救出することに戦力を集中すべきと判断した。
実際に自分の目で見たわけじゃないが、門外には5万ものドーラ兵が陣を敷いていると言う、なぜそんなすぐそばに接近するまで誰も気づかなかったなど今さらどうだっていい、既に奪われてしまった領主の身柄を取り戻さなければ、セルダル家直系の血縁は潰えてしまう。
「転身! ご領主の救出を最優先とする! 皆の者、我に続けえええっ!」
急な命令の変更が逆に背後に向かうことだった。
突然、思いもよらぬことが重なると、いくら訓練された兵士でも、意外と脆い。
ノーデンリヒト所属のウェルフ族戦士カルメは、一斉に背を向けたダリル軍の行動に驚いた。
「ねえテレスト、本当にアリエルさんの言った通りになったね、ウェルフの戦士と対峙していながら背を向けるとは……この人たち、命のやり取りをしてる自覚あるのかな?」
この状況は予めアリエルから聞かされていたものだ。
「ほーんと舐めてるというか、いまいちやる気が出ないんだけどね、仕方ないからハリメデさんの作戦通りにしとこうか、カルメ。あのひとうるさいし」
耳の穴をほじくりながら、呆れたようにため息をつくテレストがここぞとばかり、イマイチやる気のない号令を下した。
「よーし今だよ、僕たちを舐めた代償に痛い目みせてやろう!」
「「「「「うおおおおぉぉぉぉぉっっっ!!!」」」」」
北門を占拠していた獣人たちは敵の主力が反転したのを合図に挟撃戦を開始した。
アリエルはこの状況を予見していて、予め決められたルートを、およそ時間通りに通ってきたのだ。
ダリル兵たちは、これまで経験したこともないようなスピードで侵略するウェルフの爪と牙がいかほどのものかを思い知らされることとなった。
ダリルマンディ市民は、自らの目で、地獄絵図というものを見た。こんな酷いことがあっていいのかとまで思った。それほど一方的な戦いだった。
しかし、ここ数年のうちエルダーで奴隷狩りに遭い、無理やり連れてこられたエルフはこの騒動を冷ややかな目で見ていた。
ヒト族の奴隷狩りは、売れなさそうな者を皆殺しにしたが、獣人たちは武器を持って、戦う意思を見せた者しか殺すことはなかった。初めて戦場を目の当たりにした市民とは違い、真の地獄を体験してきたのだ。
そしてエルフたちは口には出さなかったが、みな自由が手に入るとは思わず、ただ『仕える主が変わるだけの事だ』と思った。
誰も助けが来るなどと甘いことは考えないし、もしも精霊さまが幸運を授けてくださったとして、エルダーの森に帰れるのだとしても、もう自分の帰りを待つ家族も居ないし、帰る場所もないのだ。
だけど、いい身なりをした男が奴隷の首輪をつけられ、紐で引きずられているのを見て、幾分か心が晴れるような気がした。支配する側だったヒト族の男が、紐で引かれているのだ。
一方、こちら背後から挟撃されたアルベルト・ゲンナーは自軍の圧倒的不利を理解し、もはや敗北は免れなくとも、領主を取り戻すことしか考えてなかった。いくら犠牲が出ようと、領主の救出を最優先にした。
領主さえ生きてこの場を逃れることができれば、王都プロテウスの力を借りて軍を立て直すことができる。ダリルマンディの陥落を防ぐことは出来ないだろうが、エースフィル・セルダルは先代の跡を継いで領主になってからというもの、今にも財政破綻する寸前だったダリルを救い、たった10年で急激な経済成長を成し遂げた。
領主さえ無事に逃げることができれば、必ずやダリルマンディを取り戻すことができる。
今日は負けても、次は勝つ、ダリル領主、エースフィル・セルダルはそういう長期的な視点で政治を行うことができる稀有の才能を持っている。ダリル領民にも人気があり、支持も堅い。
いま奴隷の首輪で引かれている領主を取り戻したところで、挟撃されて絶体絶命という戦況は変わらない。それでもだ、領主を奴隷の首輪から解放することしか頭になかった。
剣を振りかぶって一直線に斬り込む。
狙いは領主を引きずっている獣人に定めた。
「ご領主、いまお助けしますぞ! うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!」
アルベルト・ゲンナー将軍は若いころこそ剛剣でならした豪傑だが、年を取ってからというもの、技巧派で知られるようになった。面倒見もよく、若い兵士たちからも厚い信頼を受けている。
ゲンナーにいつものような冷静な判断力があったならば不用意な攻撃は避けるべきと考え、まずは交渉に打って出るだろう。
朝起きたら負けていた。そんな訳の分からない状況に放り出され、指示を仰ぐべき領主を先に奪われたのだ、ゲンナーには全く周りが見えていなかった。
北門を占拠され、ダリルマンディに獣人たちがなだれ込んでくるのも時間の問題かというときに、背後からの挟撃、しかも領主が捕らえられているのでは敗北は確定したようなもの、ここは頭で考えず、脊髄反射で敵に斬りかかるのも悪い選択肢ではない。
ひとつ、ゲンナーの思考からアリエル・ベルセリウスの存在がすっかり抜け落ちていたことを除けば。
ガチガチの脳筋強度で張られた強化魔法、ウェルフの戦士を彷彿させる斬り込みを見せたが、2歩目で激しく転倒することとなった。スピードに乗せて剣を振りかぶっていたので地面に手をつくことも出来ず、顔面から石畳にヒットし、その後、縦に転がるという、まるで不慣れなくせにスピードを追及していたロザリンドばりの大転倒を演じた。
何のことはない、先頭を歩いていたアリエル・ベルセリウスに気付かず、横をすり抜けようとしたものだから、アリエルに足をかけられた、ただそれだけの事だ。
転がり込んだゲンナーは領主の脇をすっ飛び、王の御前に転がり出ると、勢いのままハリメデの前蹴りで跳ね返された。ハリメデも普段は帯剣しているが、王を守る最後の壁として立ちふさがるため、武器がなくとも戦える徒手空拳の格闘術を使う。
その一挙手一投足はアリエルの知るところ、サオの使うドーラ流格闘術とよく似ている、ハリメデはその実力で王の最側近という地位に上り詰めたのだ、エルフ族最強を自負するだけの力を持っている。とはいえ、アリエルたちの陣営を抜きにして、精霊使いを除外し、更に異世界人とのハーフも数えず、純血エルフという括りでならばという条件は付くが。
そのハリメデは王の身に降りかかる火の粉を払ったまでのこと、蹴り飛ばした相手が誰なのか知りたいとも思わなかったが、ゲンナーの強化魔法のノリと踏み込みの速さに加え、壁に激突してもなお、ゆっくりと起き上がろうとする、その防御力とタフさに感心した。
「ほう……まだ動くか?」
「ハリメデさん、そいつがアルベルト・ゲンナー。ダリル軍のトップだよ」
その男の正体をアリエルに聞いたハリメデは少し残念そうな表情を浮かべた。
確かにタフであることは認めよう、だがしかし30万とも50万とも言われるダリル軍の頂点に君臨する将軍としては力が足りないからだ。
「フッ……、やはり女を攫うしか能のない下種どもか、所詮はこの程度、カトル、その男をひっ捕えて列に加えよ!」
カトルと呼ばれた男はハリメデの部下であり、エルフ族の戦士だ。
ゲンナーの強化魔法を解除させることなく関節を極め、後ろ手に捕えた。
訓練ではいつもベアーグやウェルフの戦士を相手にしている、ヒト族のおっさんが強化魔法を残していたところで、ヨロヨロとしていてまだ立ち上がれずにいるのに、取り押さえるのは難しいことではない。
「おのれ亜人め! 汚らわしい手で私に触れるんじゃあない!」
たったいま、ダリル軍の将軍、アルベルト・ゲンナーが抵抗むなしく強引に押さえつけられ、手枷をはめられた挙句、奴隷の首輪がかけられた。
あろうことか、これまで奴隷として蔑んでいたエルフの手によって、奴隷の首輪をつけられたのだ。
魔族の王フランシスコは市民に対し敢えてここで名乗らず、何も語らず、領主セルダル家の代表と、ダリル軍の全軍を与る将軍に奴隷の首輪をつけ、通りを引きまわし、ゆっくりと進軍を続ける。
誰も見たことはなかったが、誰もが知っている双角と、伝説となった紅眼を見せつけて凱旋した。ダリルマンディ市民に『敗北』という現実を見せつけながら。
征服した都市の中央の大通りを、一歩一歩踏みしめる。
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