16-38 ダリルの終焉(2)
「紹介しておくよ、こちらが義兄にあたる、フランシスコ・アルデール。ドーラを治める王サマなんだけど、人の世では魔王といったほうが通りがいいね」
エースフィルは魔王フランシスコ・アルデールを紹介してもらったにもかかわらず、自ら立ち上がって挨拶し、名乗ることも忘れ、ただただ奥歯を噛み締めていた。シェダール王国ではドーラを国と認めていないし、王を王と認めていない。
とはいえ、いまエースフィルの置かれた状況から察するに、ここでの応対の仕方ひとつ間違っただけで命の保証はない。エースフィルの頭の中は混乱の極みだ。
いつもなら苛立ち、声を荒げるハリメデが淡々といつものセリフを述べ上げた。
「名乗られよ、王は名乗ることを許された」
憎しみのオーラを隠そうともせず、ハリメデが名を名乗れと催促すると、エースフィルはちゃんと背筋を伸ばして座り直し、気丈に振舞った。いま自分の置かれている状況を鑑みると従っておいたほうがいいと考えたのだ。
「エースフィル・ダン・セルダル。ダリル領主です」
フランシスコはエースフィルが名乗るのを最後まで落ち着いて耳を傾け、そして少し大きめのトーンで威圧を含ませた。
「うむ。ドーラ王フランシスコ・ルビス・アルデールだ。ときにエースフィル・ダン・セルダル、貴様の首とこの領土、このフランシスコがいただくことにした。最後に何か言葉はないか? あるなら聞いてやろう」
フランシスコの単刀直入すぎる要求に慌てふためくエースフィル。
だけどベルセリウスが堂々とドアから入ってきたのだから、頼みの綱の親衛隊も、執事兼屋敷守のスチュワートも、もうここへは来られないだろうことも、漠然とだが理解できている。
「ま、待っていただきたい! ドーラ王ともあろうお方が、ベルセリウスなどに唆されてはいけません。それは早計といわせていただきます。我らダリル領はボトランジュ戦、ノーデンリヒト戦に参加してはおりません、王よ、ダリルはドーラと事を構えようなど考えたこともないのです、それなのに一方的に宣戦布告もなしに襲撃され領主である私が暗殺されたとなれば一方的な侵攻。我らは宣戦布告も受けてはおりません、それでは義に反します。シェダール王国も黙っておりませんぞ」
エースフィルは、いかなる故あってドーラ王とアリエル・ベルセリウスが襲撃してきたのか、まるで理解してなかった。
「コホン、ダリル領主、エースフィル・セルダルどの、なぜゆえ殺されねばならないのか理解されておらぬようですので、では不肖このハリメデめが、説明しましょう。何も知らぬ男を吊るし上げたのでは、こちらとしても寝覚めが悪うございますからな」
「私がドーラに何か? 待ってほしい、確かにエルフを奴隷にして使役しているが、それは我々だけではない、いまや世界が……」
「まあ落ち着いて、まずは話を聞かれるがよいです。話を聞く前から否定されたのでは、私の立つ瀬がないではありませんか?」
「そ……、そうだな。わかった、我らダリルがドーラに攻められる理由とやらを聞かせていただこう」
「はい、ではまず、あなた方ダリルの軍は奴隷狩りと称して、エルダーの森を攻めました。もっともドーラでは奴隷などという卑しい身分を甘んじて受け入れるような輩が何万人殺されようと一向に関知しません。ですがエルダーでひっそり暮らしていたアルデール家ゆかりの王族がダリル軍の手によって無残に殺害されました、宣戦布告もなしに尊き血が流されたのです。その時からドーラとダリルは戦うさだめにあります……」
エースフィルはくわっと目を見開いたまま、瞬きすることすら忘れたように微動だにできなくなった。
一方的に王族を殺害してしまったからには、もう後に引くことは出来ない。
ハリメデはエースフィルがショックで動けなくなったのを察すると、後ろで手を組んでゆっくり、革靴の底をコツコツと鳴らしながら続けた。
「ふむ、では続けます。ちなみに殺害された王族というのは、次期魔王を襲名されることが決まったノーデンリヒト王子、サナトス・ベルセリウスさまのご家族にございます。つまりエースフィル・セルダルどの、あなたはノーデンリヒトともすでに交戦状態にあります。ご自分の立場というものを少しは理解されましたでしょうか?」
さすがのエースフィルも、まさか相手のほうに大義名分があろうとは考えてなかったのか、ハリメデから現在自分が置かれている状況を詳しく聞かされ、もう『詰み』であることを認めざるを得ない。王族を一方的に殺したとなれば、シェダール王国も及び腰となる。なぜならもし、大義名分ドーラになしと裁定を下し、戦になると、王族にとって命取りになる。
混乱する頭をフル回転させてこの場をいかに収めようかと考えていたエースフィルだったが、しばらく茫然として虚ろな目で空間を凝視することしかできなかった。
もはやこれまでと観念すると、力なくうなだれようとしていた腕と、いったんは途切れてしまった精神に今一度炎を灯し、静かに椅子を引いて立ち上がった。
エースフィルはアリエルをキッと一瞥し、小さな声でつぶやいた。
「またベルセリウスか……」
死を覚悟した男の顔というのは、まるで憑き物が取れたかのように清々しくもあった。
「くっくっくっく……。まさか、こうも容易くダリルが敗れるとはな……。ところで私の家族は? どうなる?」
生きる目がないと知ったエースフィルは自棄を起こしたのか、すこし軽口めいた口調で、先ほどまでの厳かな雰囲気はもうない。真っ先に出た問いが領民のことではなく、家族のことだった。 ハリメデがその問いに応えようとしたが、それを制止しアリエルが答えた。
「ああ、ダリルではどうなるんだっけ? たしか……、グランネルジュ陥落のとき、フェイスロンド領主の側室と息子を捕えただろう? どうなったっけ? なあエースフィル、あんたの口から教えてやってくれ」
エースフィルは答えなかった。いや、正直なところ側室とその息子がいることは知っていて、処刑したと報告は受けていたが、具体的にどうやって処刑されたのかまでは把握していなかったからだ。
フェイスロンダ―ル家はシェダール王国を支える大貴族でありながら、千年も前からエルフの血が混ざっている、エースフィルはフェイスロンダ―ルの血縁を世界から絶やしてしまうことを命じていたので、同じことをされるのだとしたら、家族も無事では済まないだろうことは明白だ。
エースフィルは愕然とした表所で机に両手をつき、支えにしないと立っていられないようであったが、アリエルの問いには何も答えることができなかった。
アリエルは更に畳みかける。
「グランネルジュからこっちに来る途中でダリル軍と会ったから戦闘になったんだけど……あんたの息子と会ったよ。ラングレー・セルダルって言ったかな?」
このままエースフィルは何も答えるつもりはなかったのだろう、しかし息子の名を出されては無視することもできなかった。力なくアリエルを横目で見てつぶやくように問うた。
「ラングレーは勇敢だったか?」
「ああ、ロザリンドが興味をもつぐらいには勇敢な戦士だった。だけど力が足りなかったな。いまあんたの息子はドーラ軍の手によりダリルマンディ北門の塔に吊るされている。ドーラでは『牙には牙を、爪には爪を』という格言があってね、やられたことと同じことをやり返すのは当たり前のことなんだ。けっこう人が集まって騒ぎになってるようだけど? あんたも見に行くかい?」
ダリルマンディ北門の塔は王都プロテウスからの街道に繋がる最も賑やかな通りに面していて、ダリルマンディでは最も目立つ建物のひとつだ。通りを挟んで斜め向かいには神聖典教会のダリル大教会がある。
そんなところでわざわざ目立つように騒ぎを起こしているのだ、衛兵も領軍も黙ってはいないだろうし、女神に仇為すような行いをすれば教会も黙ってはいない。
エースフィルは絶望の中にあったが、不思議と思考だけはクリアに回った。
これまでベルセリウスのことを考えただけで頭に血がのぼって感情的になることもしばしばあったが、こうして現にベルセリウスを目の前にして、こうも冷静で居られるものかと思うと、少し鼻で笑ってしまった。たったいま息子の死を告げられたのにもかかわらず……だ。
「そうか……、もはやこれまでか、セルダル家は断絶するのだろうな、ダリル領は今後どうなる? ……いや、もうそんなことどうでもいいな……私は父と息子の仇を目の前にしてただ何もせず死んでしまいたくはない。ならばダリル領主エースフィル・ダン・セルダルが貴殿アリエル・ベルセリウスに一騎打ちを申し込む! もちろん受けていただけるのだろうな」
一騎打ちを申し込まれたアリエルだったが、それは想定内だとでも言いたげにスルーしてみせた。
「ん――? あんたさ、俺としては別に全裸にひんむいて息子の隣に吊るしてやってもいいんだが? なんでそうやって自分の名誉を守ることが最優先なんだ? 息子の戦死で自棄になってるのかもしれないけど、まだ奥さんと娘がいるのだろう? 二人の今後の処遇とかどうでもいいのか? 命乞いして懇願すべきじゃないのか? 最後の最期まで自分の名誉が最優先なのか? ここにいるドーラ王はセルダル家亡きあと、この土地、ダリルの全土を治めることになる。これまであんたを支えてくれてた領民のことも、お願いすることはないのか?」
アリエルが諭すように言って聞かせると、エースフィルは激昂したようにまくしたてた。
「ないっ! 汚らわしい魔族どもに頭を下げて懇願しろとでもいうか! 私がはあっ……」
息子が殺された父親が、殺した相手に向かって頭を下げてお願いなどできる訳がない。
もうどうなってもいいと観念しアリエルにつかみかかろうとしたが、それもかなわずエースフィルは突然喉を押さえて苦しみ始めた。
「話し合いは終わりだ、一騎討ちは断る。アンタには名誉などもったいないよエースフィル・セルダル」




