16-37 ダリルの終焉(1)
いつもは一番最後まで寝ているパシテーが今朝は寝坊せずに起きて、クレシダの作ったポトフを食べていた。サナトスは結局徹夜したようで、疲れた顔をしていたが、言葉少なに朝食をついばんでいる。むしろロザリンドがまだ起きてない。あとで起こしに行かないと。
パシテーと真沙希がダイネーゼたちと合流するためガルエイアに向かった。
直線距離でも往復で数千キロをわずか数秒という短時間で行って戻ってきたゾフィーにまた長距離転移魔法をお願いするのも悪いけどゾフィーは息をするように転移魔法を使えるので気軽にお願いできる。
アリエルはダリルマンディに行く前、この朝っぱらから会いたくないのだが、グランネルジュに立ち寄って魔王フランシスコを訪ねることにした。
「じゃあなサナトス、レダ。ちょっくら戦争やってくる!」
複雑そうな表情を隠しもせず、サナトスは黙ったまま見送った。レダは朝だと言うのにテンション上げ上げで手を振っている。アリエルはもう戻ってこられないかもしれないなんておくびにも出さず、ちょっとセカにでも遊びに出かけるような気軽さで、軽い会釈で応えた。
「さあ行こう、ゾフィー頼むわ。まずはグランネルジュから」
「もういいの? お父さんお母さんに挨拶しましたか?」
「ん。昨日の夜のうちに済ませたよ」
「はい、分かりました。グランネルジュですね」
―― パチン!
パシテーと真沙希はパシテーの家族がいるアルトロンドに、アリエルたちはダリルに向かう道すがら、魔王フランシスコのいるグランネルジュに飛んだ。
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一方、ここは現在進行形で戦時下にあるダリル領都ダリルマンディの郊外。
広大な集団農場があり、主に小麦を生産している。今年は豊作だったおかげで何百人もの農夫たちが夜になっても作業を続けている。
そんな集団農場の外れに石造りの四角い建物があった。ダリル領主、エースフィル・セルダルは18年前アリエル・ベルセリウスに襲撃されたことで、効率よく身を守る必要があった。
要は屋敷から離れて隠れているだけなのだが、その石造りの建物というのが物理的にも魔法的にも頑強で、見てくれは質素なただの石の箱を並べたようなものだが、王都にある神殿騎士団本部なみの強度があるという。外からベルセリウスの攻撃を受けたとて、地下通路を通って領主が逃げるまでの間に壊れてしまうことはない。何よりも中にいる領主を守るためと、そういう設計で建てられたシェルターだ。
アシュガルド帝国が大悪魔アリエル・ベルセリウスを討伐したと発表してから、このシェルターは文字通りお払い箱になるはずだったが、フェイスロンドと事を構えるのだ、万が一、カタリーナ派魔導師がダリルマンディを襲撃してきたとしたら役に立つかもしれないと思ってそのままにしておいたら、驚くべき報せが入った。
アリエル・ベルセリウスがセカに現れたと。
最初はよくある与太話だと思った。酔っ払いの見間違い、墓守りが子供を怖がらせるゴースト話、そんなくだらない話だと思っていた。
しかし、セカを探らせていた間者から正式な報告が届いた。
驚くべき内容だった。セカを占領していた屈強な帝国軍、アルトロンド軍、王国軍という最強の連合軍がたった数人の襲撃者と戦闘になり占領地から撤退したこと、そしてセカに攻め込んでたった一発の爆破魔法で港を消し飛ばしたという。一報がはいってから4日後、吹き飛ばされたセカ港を実況検分した結果に加え、ベルセリウスはセカを襲撃する前ノーデンリヒトを攻めていた8000の帝国軍を倒し、マローニに駐留していた王国軍、帝国軍、アルトロンド軍の大連合も降伏させたとあった。
セカに潜ませている間者はセカ市民でありながら抵抗組織として水面下で戦っていた男だ、情報の精度は極めて高い。
エースフィル・セルダルはすぐさま決断し、フェイスロンド各地に展開している占領軍に向け『いますぐ転進しダリルに戻るよう』と伝令を走らせたが、未だ一兵たりとも戻らない。
アリエル・ベルセリウスが戻ってからというものダリルには悪い知らせばかりが飛び込んでくる。
多大な犠牲を払い、やっとの思いで手に入れたグランネルジュがアッサリと奪い返されたという敗戦の報が飛び込んでくるわ、貴族位を与えてやったエレノワも4万もの兵を引き上げていった。
自分の周りにいた人間が離れてゆくのを肌で感じている。
これが落ち目になるということなのだろう。
エースフィル・セルダルは子どものころ父に厳しく叱られ、意識して直した『爪を噛むくせ』が再発していることにも気付かず、状況の見えない不安に怯えていた。
しかし、ベルセリウスがダリルに再度襲撃して来る可能性は低いと考えていた。
ダリルに手を出す暇があったら、先にアルトロンドと全面戦争になるのが定石だからだ。
ならばまだ時間はある。ベルセリウス対策はグランネルジュの基盤を固めてからでも十分だ。
「スチュワート!」
足音もさせずスルスルと早足で駆け寄る、スチュワートと呼ばれた白髪の男、執事とも違う役人の出で立ちをしている、エースフィルよりずいぶん歳のいった風貌であった。
「はい、ここに」
「グラフトをここに呼べ」
「はい、グラフト親衛隊長は今、衛兵隊長が訪ねてきておりまして。それの対応をしておられます」
「なに? 衛兵隊長? エリック隊長か? 何用だ?」
「それが……あの……」
領主に直接伝えることが憚られる内容なのだろうか、先ほどまでハキハキと受け答えしていたスチュワートの奥歯になにか大きなものが挟まったように口ごもり始めた。
「いいから。聞かなかったことにしてやるから申せ」
「はい、実は先代の親衛隊長を務めていたデストラーデどのの屋敷が何者かに襲撃されたとか……」
「デストラーデの屋敷に襲撃? バカな奴もいたものよ、年老いたとはいえハクダン流槍術の実力者だ、そんなことを報告に来たのか? エリックは」
「いいえそれが、応戦に出たであろう男衆は皆殺しにされ、デストラーデどのは攫われてしまったとのことです……」
「なっ! なんだと? グラフトとエリックをここに呼べ。話を聞きたい」
「はっ、かしこまりました」
音もなくドアを開け、またドアを閉めるときも音を立てないスチュワートはつい数年前までシェダール王国諜報部に在籍していた人物だ。スチュワートという名が本名かどうかも分からないが、諜報部を退職したあとの天下り先としてダリル領主セルダル家に雇われた。
侵入者に対する気配察知が極めて鋭敏であるのと、類稀なハイディング技術をもっていることで屋敷を守る特殊警備員だけではなく、執事職も兼ねている。
領都ダリルマンディ中心部にある屋敷をダミーにしておいて、自らは郊外のこじんまりした二階建ての別荘に隠れ住んでいるのも、このスチュワートの助言であるし、いま領主が本宅を離れていることを知る者はダリルにもほとんどいない、トップシークレットに属する情報だ。万が一の事も考え守りも精鋭を揃えた。スチュワートと親衛隊と合わせて頑強な防壁を二重に張り巡らせたようなものだ。
ベルセリウスに襲撃され、あっさり殺されてしまった父親の轍は踏むまいと考えたからこそ、こうやって不自由な生活を甘んじて受け入れる。そうでなければ誰がこんな穴倉のような別荘にじっと隠れてるわけもない。
すべてはベルセリウス対策だ。
ベルセリウスを退けるために、アルトロンドは12万の犠牲を払った。
生きていたというなら全ダリル軍を合わせた30万の兵をぶつけて、今度こそ息の根を止め、ダリルマンディの中央公園に死体を吊るしてやりたい。むしろその日は祝日に値する。
デスクに座したまま時間だけが流れる。
スチュワートの戻りが遅い。なぜデストラーデの屋敷が襲撃されたのか、その理由が分からない。
ベルセリウスがすでにダリルに入り込んでいるとすれば、必ずやセルダル家本宅の屋敷で騒ぎがあるはずだ。にも拘らず、応戦に出た男衆だけが皆殺し? そのあたりも詳しく聞きたい。
「遅い、何をしている……」
火急の用あってすぐさま報告を聞きたいのに、もたもたする部下にひとつ説教せねばならないことが増えた。ゆびさきでトントンとデスクを叩く音が木霊する。
我慢できず、椅子を立とうとしたそのときだ、コンコンとノックの音がした。
エースフィルは立とうとして引いた椅子に再び腰を深く座り直し、背もたれに身体を預けたのち、
「入れ」といった。
ドアを開けた者がスチュワートなら音を鳴らさず足音も聞こえないはずなのに、静かな室内に軋む音を響かせながらドアはゆっくりと開いた。
コツコツと歩行する音が複数。
真っ先に入ってきた男は特徴的な耳と藍色の長髪を隠そうともしない、長身のエルフだった。
続いて入ってきたのは、扉をくぐる際にドアの高さが足りず、頭を下げる姿勢で入ってきた。豪奢な濃紺のマントを羽織っているが、その頭には金で装飾された巨大な角があった。
「王よ、このような場で頭を下てはなりませぬ! 今すぐこの男を引きずり出しますのに……」
「かまわぬよハリメデ、別に招かれてここに来たわけでもあるまい……」
魔人族というものを初めてその目で見たエースフィルは、瞬きをすることも、またその人外の証である荘厳な双角に目を奪われて、言葉を発するどころか指先ひとつ動かすことができなくなった。
血のように紅い瞳、天を衝くと言われる角。名を聞かずとも知らぬわけがない。
エースフィルの隠れ家を突然アポなしで訪れたスカーレットの魔人こそ、ドーラの魔族をまとめ上げる長、魔王フランシスコ・アルデールだ。
その背後から遅れて入ってきた小男がエースフィルの顔を見るなり、馴れ馴れしくのたまうた。
「やあ、久しぶりだね」
見覚えがない、この少年にも見える男は何者だ? と一瞬混乱したが、招いてもいないのに、こんなところに押し入ってくるような男だ、顔に見覚えがなくともだいたいの想像はつくというもの。しかも魔王フランシスコを連れてくるような奴、ひとりしか思いつかない。
エースフィルの脳裏に浮かんで消えるベルセリウスの面影……。
「ベルセリウス……、アリエル・ベルセリウス……なのか?」
「へー、理解が早くて助かるよエースフィル。説明したり本物だとか騙りだとか言われると面倒だと思ってたんだけど、さすがと言ったところかな。コソコソ隠れてるもんだから探したよ、まあ衛兵の隊長がここまで案内してくれたんだけどさ」
前親衛隊長デストラーデの屋敷を襲撃し、本人を誘拐すれば必ずや現任の親衛隊長に連絡がいくはずだと考え、デストラーデを襲撃したアリエル。攫った身柄はエレノワにくれてやることにして、ノコノコ親衛隊のもとに向かった衛兵隊長をつけてきた。つまり、捕えたデストラーデはエレノワへの手土産になるし、前親衛隊長の屋敷が襲撃され、攫われたなら、事件を担当する衛兵はいまの親衛隊長に報告する義務がある。そして親衛隊長は領主と共にある、要は一石二鳥というわけだ。
思惑通り事が運んだらしく、アリエルはほんの少し微笑みを浮かべていた。




