【番外編】破壊魔法(後編)
獅子を模した金色の鎧こそがテルスというアルカディアの主神だったのだと知ったのはそれからしばらくしての事だった。テルスとの戦闘はだいたいからして敗戦することが多かったので、アリエルもあまり思い出したくないのだけど、いま改めて記憶に照らし合わせて考えると、さまざまな事実が浮かび上がってくる。
ひとつが飛行魔法だ。
パシテーが使う飛行魔法はアリエルのスケイトを昇華させたものだ。
なるほど、同じ飛行魔法を使うテルスが土属性なのだから容易に説明がつく。
だがしかし、テルスが浮かんでたのは目測で3000メートルの高空だった。いまのパシテーでも地上から100メートルぐらいの高さを飛ぶと不安定になると言うのに、3000メートルというのは破格の性能だ、すんなり同じ仕組みの飛行魔法だとは考えにくいが、土魔法での飛行魔法ということで、地面に作用するものだと考えるのは間違ってないはずだ。
たとえばテルスが飛行しているとして上空から破壊魔法を落としたとする。
破壊魔法が発動したら半径1キロ、直径にして2キロメートルという広範囲で地面が消失するのだから魔法の効果範囲にいると底に向かって真っ逆さまに落ちる可能性が極めて高い。
アリエルの仮説が正しいとすれば、テルスは自分が飛行している真下の地面を消すことができないということだ。ひとつ辿り着いたのかもしれない。テルスの破壊魔法は接近戦、特に地上戦では使えない。
つまり、接近戦に持ち込むことができればこっちは有利に戦うことができるが、これまで通り遠隔魔法戦闘を仕掛けてこられたら、この世界が滅ぶ危険性すらあるということだ。
アリエルは自分自身がこの世界を滅ぼしかけたことを棚に上げて、いまはサナトスたちが暮らすこの世界のことを憂う。
テルスの破壊魔法は範囲魔法だ。
アリエルの記憶では破壊魔法で消えてゆく物質は地面、海水、岩や木々に至るまで全て空気に溶けるように消失し、その際には強風が吹き荒れる。この強風の正体も、いまのアリエルにはなんとなくだが、推理できている。
テルスの破壊魔法で生じる強風は、おそらく急激に膨張する可燃性のガスだ。
引火して誘爆でもしようものなら当時のアシュタロスといえども無事では済まない大爆発に曝される。しかしその大爆発の渦中にいたはずのテルスはまるで無傷という不公平さだ。
テルスには爆破魔法でもダメージを与えることができないし、ジュノーの熱光学魔法も届かず消える。当時はゾフィーの使う時空魔法のようなものを防御に応用しているのかと思ったが、そんな器用な魔法を使うなら愚直に破壊のみに追求したかのような破壊魔法なんか使わなくとも、他にいくらでもやりようがあるはずだ。
とにかくテルスと戦うなら、あの爆破魔法を食らっても涼しい顔で居られて、ジュノーの熱光学魔法ですら届かない完全防御フィールドを何とかする必要があるのだが……。
いろいろ試してみたいことはあるけれど、対策と言えば近接でゾフィーに任せることぐらいしか思いつかない。
つまり、アリエル本人は何一つ対策ができていないという事なのだが、破壊魔法のほうは更に輪をかけて理解不能だったせいか『分解』と言われても『もしかすると……』という仮説すら出てこない。
だが破壊魔法の使い手、テルスを敵に回し圧倒的不利な戦いを強いられてきたアリエルに初めてもたらされた破壊魔法の秘密に関する情報なのだから有効に使いたいものだ。
アリエルはそんなことを考えながら火の魔法と風の魔法で炉の温度を上げ、真っ赤に熱を帯びた鉄を叩きながら、孫たちの事を憂う。
サナトスはこの世界をいまよりずっと良いものにするため、自らの自由を捨て王などという窮屈なものになる決心をした。アイシスやハデスが大人になる頃には平和な世の中になってほしいと、願いを込めての決断だったはずだ。
アリエルにはもう迂闊な行動は許されない。テルスがこの世界に来ている以上、衝突は必至だが、テルスの襲撃を受けてノーデンリヒトが消失してしまうなんて事態だけは避けねばならない。
アリエルは鉄を打つ段になって、いつもは余り気にしない槌音の響きが気になった。
トライトニアもずいぶん大きい街になった、こんな未明にカンカンと槌を打つと近所迷惑になるじゃないかと。
それはただの思い付きっだった。
いつかサオが使った防御の魔法、真空の断熱層を作り出し、工房の外まで音が伝わらないよう消音して槌を打つことにした。
……っ!!
「音が伝わらない??……」
そうか!
アリエルは思い付きに作った真空の断熱層が、音をも遮断する防音壁になっていることに着目した。
いま工房の周囲に張り巡らせたのは真空の断熱層で、これは温度も音も伝わらない。
温度は空気を伝わってくる、これは熱伝導だ。
では音が伝わるのは? 空気の振動、つまり音は波であり、空気を振動させた波が耳に伝わり、同じ周波数で鼓膜を震わせることから人には音として認識される。
音とは波そのものなのだ。
「そうだ! じゃあテルスも真空の層を作って……違うな……」
工房で剣を打つ作業をしながら、ブツブツと頭の中のことが口に出てしまう。アリエルは小さく首を横に振って自らの考えを否定する素振りを見せた。
ジュノーの熱光学魔法も霧散するように消失してしまった。
太陽からの光が真空を直進し熱エネルギーも同時に伝わるのだから、いくら頑強な真空層を作っても光を防ぐことはできない。
アリエルはちょっと残念そうに小さなため息をついた。
せっかくテルスの使う絶対防御のことが分かったと思ったのに、はかなくも思い過ごしかと思い、少し残念そうな面持ちで再び槌を振り上げる。
赤熱する鉄を打ちながら、空気中を伝わってくる『鉄が発する光と熱』をぼんやり見ていた。
カン! カン! カン! と甲高い槌音が工房内にだけ響く。
ベースはレダの父親、タレスさんが精製したダマスカス模様の浮き出たウーツ鉱、これを薄いミスリルで挟んでマナの伝導率を上げる、アリエル得意の工法だ。
ハガネとミスリルという、硬度も比重も異なる金属同士を挟んで、剣として実用できるよう強度を出すのが腕の見せ所だ。作業のほとんどをこの行程に時間を費やす。
炉の中ではコークスが真っ赤に燃えていて、鋼材を真っ赤に発熱させる。
これは紛れもなく鉄が光っている。鉄という金属が光を発している。
鉄を熱するということは、言い換えれば鉄に熱エネルギーをどんどん与え続けるということ。
いまこうやって叩いてる鉄が光っているのは、人工的に与えられた熱エネルギーを空気中に向かって放出しているということに他ならない。
アリエルはオリジナル魔法『相転移』によって熱エネルギーが鉄から放出しづらくして炉の温度を効果的に保っている。
……?
アリエルは普段から使っている魔法にひとつ疑問が浮かんだ。
いつもパシテーに手伝ってもらうから疑問にも思わなかったことだ。
相転移を使って熱エネルギーの移動する方向を固定しても、放射する熱は感じる。
いままで考えもしなかったことだが、アリエルは無言で皮手袋を外した。
そして恐る恐る、今まさに鍛造している最中の焼けた鉄を素手で触れてみた。
「あつ……くない? 変な気分だな……」
アリエルが触れる前、鉄から放射される熱は顔にも手のひらにも感じている。
だがしかし触れてみても火傷するほどの熱を感じなかった。
これは『相転移』が鉄から直接伝導する熱の向きを内向きに固定しているせいで、アリエルの手に伝導する熱だけが伝わってこないが、光になって発せられる熱エネルギーは今もガンガンと熱を放出している。
「そっか、相転移じゃ赤外線は遮断できないんだ」
そういえば真空の断熱層では炎が発する熱を完全に遮断することは出来ない。
なんてことを考えながら、ボソッとつぶやいた。
「そういえばジュノーには紫外線も赤外線も見えるんだっけか……、赤外線の波長ってどれぐらいだっけか……」
……っ!! 波長!?
いや、光も波長をもつ波だ。
アリエルが得意とする爆破魔法の攻撃力は、爆発による衝撃波に依存している。
衝撃波、これは音であり、波だ。
アリエルは突然、テルスの『完全防御フィールド』だと思っていたものの一端を理解した。
それは目から鱗が落ちるような発見だった。
剣を打つ槌の音が止まり、思わず声を上げてしまうほどに。
「そうだったのか!」
テルスの破壊魔法は、物質を可燃性の気体に変換する魔法で、副次的な効果だと思っていた爆発も実はそこまでが破壊魔法だったとすれば?
テルス自身も、地図が書き換わるほどの大爆発をいちいち食らってられない。
そうだ、あの爆破魔法も熱光学魔法も通さない完全魔法防御が、そもそも自らの破壊魔法から身を守るための盾だったのだとしたら?
何となくわかってきた!
じゃあ、破壊魔法は物質を『分解』することによって可燃性のガスを『作り出し』ている。
魔法で作ったガスに火をつけて爆発させるから衝撃波を消す防御法が必要だったのだろう。では爆発しているガスとはいったいなんだろう?
ルーの元素変換が範囲化させると似たような効果になるが、それなら『分解』とは言わず『変換』というだろう。物質を『分解』して可燃性のガスを作る?
えっ?
じゃあ土地も山も何もかもが消失すると同時に突風のような風が吹く理由は?
しかも破壊魔法の正体は土の属性だという。
そもそも土の属性で物質を『分解』できるものなのか?
可燃性のガス?……
「あれは水素か!」
可燃性のガスが水素だとしたら、突風だと思ってたのは同じ質量のまま、それこそ爆発的に体積を増した水素が膨張しているだけなのかもしれない。
これは仮説にすぎない。
だが、これまで何度も戦い、その身で受けてきた破壊魔法だからこそ、ただの仮説では終わらない真実味がある。
テルスの破壊魔法は物質を『分解』して水素を作り出し、それを爆破することで大破壊を起こす。
その際に巻き起こる未曽有の衝撃波から身を守るため、波から身を守るための防御フィールドを常時展開しているとすれば……。アリエルの爆破魔法やジュノーの熱光学魔法がテルスに届かなかった理由も、ゾフィーの空間を切断する斬撃を必死こいて体をよじって躱した理由もだ。
アリエルはニヤリと唇を歪め、「くくくくく……」と押し殺した笑いを抑えることができない。
少し上機嫌になったのか、槌を打つペースがいつもより早く、集中力を研ぎ澄ませて作業を行ったせいか、まだ幼い孫のために打たれた二振りの剣は、刀匠アリエル屈指の業物となった。
炉の火を落とし、工房を出て背伸びをすると、太陽はずいぶん上がっていて、つめたい風に乗っていい匂いが漂ってきた。
これはクレシダの作るポトフの匂いだ。
「おっ、朝メシか。そういえばハラ減ったな」
だけど足もとには昨夜から放置されたままの死体がそのままゴロンと転がされていた。
腹は減ったけど、襲撃者の死体をそのままにしてはおけない。
アリエルが少し近づいて見ると頬や髪がうっすら凍っている? いや、夜露が凍って霜柱になっている。ヘリオスの蘇生術は死体が必要だ。こいつらを蘇らせるには死体を回収する必要があるのだが……、どうやら棄てられたようだ。もうこの死体が蘇ることはないだろう。この土地に埋めるのはイヤだし、ストレージに入れたらジュノーが怒る。
面倒なことになった。
「あーあー、イシターの置き土産が面倒なことを……」
アリエルは自分の工房前のグラウンドの半分を転移魔法陣に提供し、いまは駅のような構造になっていて常に人が居る。よくよく考えてみると転移魔法陣は24時間体制で警備されていることを思い出した。いまは壁に分断されていて、その向こう側とは頑丈な壁に隔てられている。
アリエルは『おまえら警備兵のくせに襲撃者と戦闘があったことにも気付かないとは何事だ』とでも言わんばかりの表情を作って、頑丈な扉をあけて警備兵を呼びつけた。
「警備兵! 警備兵はいないか!」
転移魔法陣を警備していた兵士たちは交代の時間が迫っているのか、ぼーっとしていて、アリエルと同じくベルセリウス家から漂ってくるポトフの香りを愉しんでいるように見えたが……、突然の大声で我に返った。
アリエルはすぐさま駆け寄ろうとする数人の警備兵にドアの中、つまり工房前の広場で倒れている男女を見せてやった。
「ベルセリウスだ。実は賊に襲われてね、ちょっと戦闘になったんだが……」
朝っぱらから開かずの扉が開いて驚いているところに、中から若い男が出てきてベルセリウスと名乗った。警備兵はアリエルの指さすほうを見て二人倒れていることを確認するとすぐさま駆け寄り、倒れている男女が死体であることを確認すると、けたたましく笛を鳴らし、朝になってからようやく緊急事態が発覚した。
まだ朝も早いから転移魔法陣を使う利用者もほとんどいないが、小一時間もするとセカやマローニに向かう学生や労働者で混雑するのだから、もっと早く知らせておくべきだったのだが、まあ野次馬を誘導するのもこの人たちなんだから、警備兵にぜんぶお任せすることにした。
「んじゃ俺は屋敷に戻ってるから、あとはお願い。顛末書はガラテアさんのほうに上げとくから」
ビシッと踵を鳴らし、敬礼する警備兵たちを尻目に、アリエルはいつも通り、塀をぴょんと飛び越えて屋敷に戻った。
警備兵たちはただ苦笑いを抑えきれずに、敬礼しながらアリエルを見送った。




