16-36 怒れる女神
完全魔法防御とも言われた頑強な障壁と、華奢な少女にしか見えないそのルックスからは想像もつかない体術で肉弾戦を挑んでくるという、アリエルやジュノーが苦手とする相手だ。唯一、ゾフィーだけが体術で勝るため有利に戦うことができる。
ニュクスは胸を貫かれた挙句、口を塞がれた格好で顔面を掴まれて、そのまま片手で地面に叩きつけられた。しこたま頭を打って意識も混濁しているのだろう、何か言おうとしていたが、間髪入れずに顔面を力いっぱい踏みつけられ、トドメを刺された。
アリエルだったならば殺す前に一言なにか言葉をかけてやるところだが、イシターはサービス精神のかけらもないようだ。話をしようなどとこれっぽっちも考えず、殺すことだけを実行する。
きっとシャルナクやトリトンに言っても信じてもらえないだろうが、これがこの女の本性だ。
「容赦なさすぎるな!」
「私の家族を奇襲するような奴に容赦しろというの?」
ゾフィーが敷設した転移魔法陣のおかげで、これまで新幹線が必要だと思われた遠距離でも、まるで近所のコンビニに行くような感覚で移動できるようになり、マローニもセカも徒歩数分といった距離感になった。800キロ離れたセカまで通勤しているシャルナクもエリノメがノーデンリヒトに居るのだから、当然ながら毎日毎晩、仕事を終えるとノーデンリヒトまで帰ってくる。
エリノメは憤懣やるかたないといった表情で、ニュクスにトドメを刺してもまだ怒りが収まらない様子。イライラとまるで狂犬のような殺気を放っていて、次に噛みつく相手を物色するかのようにアリエルを睨みつけた。
アリエルは狂気を撒き散らすエリノメの眼光に半歩引いた。ドン引きしないだけマシとでも言わんばかりの渋い表情だ。苦手意識を隠し切れない。
「あ、あのさ、インドラは生かしたまま俺に引き渡す約束だからな……忘れんなよ!」
「フン!」
イシターは不機嫌そうに鼻を鳴らし、プイっと背中で視線を断ち切り、アリエルの工房の屋根、そして物見の塔にピョンと跳ねて上がると、しばらくして気配が北に向かった。
「マスター、エリノメがキレてるの初めて見たのよ」
「いやあ、やっと目を覚ました。俺の知ってるイシターって女は、だいたいいつもこんな感じでキレてた」
インドラという男神、アリエルの前身ベルフェゴールとは因縁の相手でもあった。
ただザナドゥの主神アスモデウスとスヴェアベルムのインドラが盟友と言われるほど仲の良い関係だったため、アスモデウスが来たのならインドラが来ないわけがないと考えただけだ。そしてその予想は的中した。
ザナドゥでの大戦でもアスモデウスが倒されたことで真っ先にインドラが参戦しアマルテア殲滅戦を立案、指揮したことからベルフェゴールとしても自分を信じて着いてきてくれた国民を皆殺しにされた挙句、国を滅ぼされた恨みがある。
インドラは先に発見して目の前に立ってしまえば物の数ではないほどアリエルにとって難しい相手ではないのだが、とにかく引き足というか、逃げ足の速いやつで、有視界戦闘を嫌い、見えないような距離から大きな魔法をドカンと撃ってくる面倒な野郎だった。
アリエルにとってインドラはそう難しい相手じゃない。インドラを倒すことは難しくないが、戦闘となると広範囲にわたって大きめの爆破魔法を駆使しなければならない。インドラの方もアリエルの戦術が分かっているからこそ、襲撃場所にここ、トライトニアを選んだということだ。ここならアリエルには反撃することも出来ず、一方的に攻撃できるとでも考えたのだろう。そしてその予想は間違っていなかった。ただひとつ、イシターが何を守るためここに留まっているのかを知らなかった。それこそがインドラとニュクスの敗因だ。
イシターの属性は魔法的に中性を保っている。光でもなければ闇でもない、その中間だ。風でもなければ土でもなくその中間、火でもなければ水でもない、そう、光と闇を含むすべての属性をあるていど使えるし、逆に戦う相手の能力を逆属性で中和して弱体化する能力が備わっている。つまり全ての属性の障壁魔法を器用に操る秀才だ。オールマイティでどのような属性攻撃にも対応できるが、逆にどのような属性攻撃も得意ではない。だからこその物理特化だ。強化魔法と防御魔法が群を抜いている、魔導師というよりも戦士だった。
戦闘スタイルは自らの特性を前面に押し出している。
四世界でも防御力ナンバーワンと言われる障壁で身を包み、接近戦を挑む。簡単に一言でいうとイシターは魔導師キラーと呼ばれるにふさわしい。
インドラという男神もアスモデウス程じゃないにせよ、アリエルと戦えば必ず周囲に災害級の被害を撒き散らすことは火を見るよりも明らかだったし、そもそもインドラは神話大戦で戦ったときから、そこに暮らす者の生活がどうなろうと、まるで知ったこっちゃないような攻撃を繰り出してきた。国を治め、人の上に立つ資質など、もともと備わっていないような奴だった。
これはアリエルがスヴェアベルムに生まれた前世、ジュノーが真沙希に聞いたことだし、アリエル自身も直に聞いて確認したことだが、ゾフィーの生まれ故郷、ガンディーナに住むエルフたちに殲滅戦を仕掛け、皆殺しにすることで、ゾフィーをおびき出し罠にかけた。その作戦を立案したのがインドラだったという。アシュタロス一味の討伐を名目に、アマルテアだけじゃなくガンディーナの民まで皆殺しにしたのだ。
インドラの性格からして、クロノスに『ノーデンリヒトでは戦闘するな』と言われたところで、そんな事は知ったこっちゃない。アリエルがノーデンリヒトでは全力を出せないのなら、当然ノーデンリヒトで襲撃するのはセオリーだ。
だが、イシターがここに居る以上、インドラの襲撃に対して鉄壁の防御を誇る。
もちろんアリエルがあらかじめイシターに『ニュクスたちが襲撃してくるかもしれないよ?』と伝えておいたからこそ、いまこうしてニュクスが抗う暇もなくアッサリ殺されたし、いま北の空でビカビカと閃光が走り、雷鳴が聞こえるということは、インドラがイシターに見つかったということなので、戦闘が終わったらここに……。
……ドサッ!
男が降ってきた……。アリエルの目の前に、ぐちゃっと潰れて……。雷撃を跳ね返されたのか服がコゲてくすぶっている。肉の焼けるようなにおいまでする。人肉の焼けたニオイなんて大嫌いだというのに……。
焼け焦げた服装を見たところ一般市民のようにも見えるが、こいつがインドラなのだろう、トレードマークのバロン髭だけは整っている。うっすらと開かれた瞳からは光が失われつつあった。
「生かしたままって言ったはずなんだけど?」
「ギリ生きてないかしら?」
「すぐ死ぬよこいつ」
「残念ね」
ぷいっと背を向け、塀を飛び越えて屋敷に帰ろうとしたイシターが動きを止めた。
ゾフィーとジュノーが塀にもたれる格好でこっそり見ていたからだ。イシターの障壁に守られはしたが、この二人はインドラの雷撃で飛び出してきたと言うわけだ。むしろ飛び出してこないロザリンドやサナトスのほうがどうかしてる。
ジュノーが不機嫌そうに腕組みしながら爪先をカタカタ鳴らす。
眉間に刻まれたシワが深い、拳王ラオウを彷彿とさせるキナ臭さを振り撒き始めた。ジュノーとイシターの間に立つのはイヤだった。
ジュノーの方はというと、この暗がりでアリエルとイシター、二人っきりで居ることが許せないのだろう、苛立ちを隠せない。
ジュノーの視線がアリエルに突き刺さる。
「説明して」
これからアリエルは尋問を受けることになった。
「ああジュノー! 丁度よかった。襲撃を受けたんだよ。こっちの女の死体がニュクス。こっちのギリ生きてる男がインドラなんだけど、治癒魔法してやってくんない? 記憶を覗きたいんだ」
「イヤ。お断り。なんで私がこんな女の後始末しなきゃいけないわけ?」
やっぱり断られた。アリエルには分かってたことだがゲッソリだ。
インドラだからイヤじゃなくて、イシターの後始末をさせられるのがイヤだと言った。
そういえばイシターも低位の治癒魔法ぐらい使えたはずだ。アリエルがチラっと見たら、イシターは立ち止まって背中越しにこっちを覗っていて、ゆっくりと振り返り、ジュノーではなくアリエルに向き直ったあと、一呼吸し、まるで達観したかのような態度を見せた。
「こんな男の記憶なんて覗かなくても、知りたいことがあるなら私に聞けばいいわ。記憶を覗き見されるのはお断りしますけど」
イシターがそう言って傍らに倒れたインドラを横目で見降ろすと、アリエルの気配探知からインドラの気配がすうっと消えた。たったいまインドラは生命活動を停止した。また転生して来るとしても15年は戦前から遠ざかる。アリエルはインドラからイシターに視線を移し、問うた。
「あーあ、死んじまった。なあ、お前ら味方同士じゃなかったのかよ?」
「誰が味方なものですか! 世界の危機にあって滅びに瀕しながらも、まだ打算を優先させ、利益と終戦後の支配権をめぐっていがみ合うばかり、インドラはアシュタロス侵攻の初期に国を滅ぼされましたから、その後は他国がどんな被害を受けようがお構いなし。私の故郷もインドラ、テルス、あなたたちとの戦いで灰になり海の底に沈んでしまいました……それに……」
言葉を飲み込んだイシターにアリエルは続きを促した。
「それに?」
「インドラは嫌いです。今日はありがとう。私の村を焼いた張本人を殺すことができた」
「村? 十二柱の神々に選ばれたら国がもらえるんじゃなかったのか?」
「根も葉もないデマですね。確かに地位は高かったわ、それなりにね。……だけど私とクロノスは平民の出なのよ、ニュクスやインドラとは生まれも家柄も育ちも、何もかもが違ったわ。彼らは生まれながらにして王族で、王として戦う力も持っていたし、権力者でした。でも私たちは戦う力を持っているだけの平民。王族から見たらちょっと力の強い兵士のようなものよ、権力もなければ発言力もないの。だから国を持たない私たちはそこに住む人を守るためだけに戦った。あなたたちのような暴力の権化とね」
「マジか! イシターって確か十二柱の七位だっけか? じゃあ平民なのにインドラやメルクリウスよりも上位にいたってことか」
「ええ、そうね。スヴェアベルムではジュノーが3位で私が7位。ジュノーが裏切って3位が空席になったおかげで私がスヴェアベルムの主神となりました。偉くしてくれてありがとうねジュノー。おかげで私もクロノスも酷く妬まれて毎日のように嫌がらせを受けてましたよ。ヤクシ……ごめんなさい、ゾフィーが居るのに前線に出されて何度無駄死にさせられたか。あんな奴ら、誰が味方なものですか」
肩を怒らせて腕まくりするジュノーが一歩前に出そうになるのをゾフィーが止めた。
「止めないでよ! イヤミ言われたし! 私は最初から十二柱のナンタラには興味なかったです。裏切ったなんて言わないでほしいわ。だって私、あなたたちの側に居たことなんて1日もないから」
イシターがジュノーにちょっと挑発じみたことを言ったのは間違いないが、イヤミというより皮肉だった。やっぱりこの二人を一緒に居させたくない。
アリエルはイシターをこの場に長居させるのは得策じゃないと考えた。いくつか聞きたいことはあったが、質問を一つに絞ることにした。
それは核心ともいえる質問だった。
「ジュノーがイラついてるから最後の質問にする。イシター、おまえは今の戦闘でニュクスとインドラを倒した。こいつらはノーデンリヒト戦争じゃなく、大昔の神話戦争の続きをやるため襲撃してきたんだ。お前は俺たちの敵じゃないんだな?」
「私はシャルナク・ベルセリウスの妻、エリノメ・ベルセリウスです。いまの戦いは、確かに私怨もありましたが家族を守るための戦いです。シャルナクを愛し、プロスペローを産んだときから私はもうヘリオスさま……、いいえ、ヘリオスの戦士として戦うことはもうありません。あなた方と手を結ぶ気なんてありませんが……」
「テルスがスヴェアベルムに来ているらしいよ?」
テルス
アルカディアの主神で、ジュノーに抜かれるまで十二柱の神々第3位だった破滅の女神。
テルスの操る破壊魔法は人も植物も、岩や地面などという無機物まで消し去ってしまう。
テルスの名を聞いたイシターは怪訝そうに険しい表情を見せた。
「もし俺がテルスと戦ったら広い範囲がなくなってしまう。だから初撃で倒す暗殺がいちばんいいと思ってるんだが、それができたら苦労しない。だからと言って手加減して勝てる相手じゃない」
なるべくジュノーと目が合わないよう、よそ見をしながら話を聞いていたイシターは横目で愚か者を卑下するような視線を送り、吐き捨てた。
「テルスの秘密を教えろと? 私は知りませんよ。そちらに付いたルナのほうが詳しいのではありませんか? どういう経緯あってあなたの妹になったのか詳しく聞かせてもらえませんか? 私がクロノスを産まなければならなくなったのと同じような、そうですね、あなたに言わせれば笑える話でしたよね、そちらにも笑える話があるんじゃないですか?」
「違うよ。お前たちの事を笑ったのは確かだが、その、まあ、なんというか、悪かったよ。だがな、テルスの破壊魔法は脅威だ、全てを塵のように細かくして消し去るような魔法に対抗する手段がない。だからイシター、奇しくも家族を守るという目的を同じくするお前の、その魔法防御に期待したい、ズバリどうだ、テルスの破壊魔法から家族を守れるか?」
「30秒なら。それ以上は地面がなくなるから何をしても無意味になります」
「上出来だ」




