16-33 神話戦争は今も続いている
アリエルは話の途中で言葉を失ったサナトスをただ静かに見守っていた。
サナトスは俯いまま声を絞り出す。
「クロノスはプロスなんだろ?」
「そうだ。クロノスもヘリオスに裏切られたみたいだけどな」
「エリノメのことか? ブリーフィングルームで話した内容、あれどういうことなんだ? ちょっと聞きづらくて聞けてないんだ」
「本人に聞いちゃダメだ。普通にデリカシーがあったら聞くことなんてできない繊細な問題なんだが……。お前はあの母子をどう理解してる?」
「エリノメは移る病気だとかで、俺は会って話したことがなかったんだ、でもマローニから出ていくとき荷馬車だったからね、何度か挨拶したぐらいにしか知らないんだけど、プロスのお母さんなんだろ?」
「俺が知ってるエリノメは昔イシターと呼ばれてたんだがな。その本にも出ていると思うぞ? クロノスとイシターの関係は……うーん、そうだな、俺とジュノーみたいなものと言えば分かりやすいか」
アリエルはヘリオスの話をするつもりはなかったのだが、サナトスはエリノメとプロスペローのことを知りたがっている。
「サナトス、お前にとってプロスペローってどんな人なんだ?」
「……」
サナトスは口ごもり、とても話しづらそうに視線を落とした。
「ああ、すまんな。答えづらかったか。サオから聞いた話だと……」
「……そうだよ、俺はプロスのことを兄さんのように思っていたよ。ディーアの獲り方や釣りの仕方を教えてくれたのもプロスなんだ」
「そうか。じゃあお前にとってプロスは家族だ。俺とは微妙な関係だが、それでも家族だと信じてる。間に挟まれて気の毒だとは思うが、んー、話さなきゃいけないな。……ヘリオスという女神がいる。知ってるか?」
「ああ、四世界神話に出てくる一番偉い女神だろ?」
「そうだ。ヘリオスは『命』を操る最高の女神で、命を与えたり奪ったりする権能があるから最強だと言われている」
「命を操る? 死んだ人を生き返らせるのは分かるけど、命を奪うってどういう事なんだろ? 殺すってことと違うのか?」
「ヘリオスは即死魔法をつかう。ケガをさせる訳じゃないから治癒魔法の意味がなく確実に即死させることができるっていう死の魔法だ。俺に言わせりゃヘリオスこそが死神なんだがな。そしてヘリオスは俺の妻だったキュベレーから転生の秘法と不死の権能を奪った。スキルを奪う能力まで持ってる厄介な敵だ。まあそこは置いといても、ヘリオスはキュベレーから奪った不死の権能のおかげで今も生きている」
サナトスはアリエルの物言いに少し違和感を覚えた。
「今も?」
「そうだよ、このまえグランネルジュで会った」
「はああ? マジか! 即死魔法コエエよ、なんだよそれ、グランネルジュってことは割と近いじゃん。たしか転移魔法陣で近くまで飛べなかったか!?」
「まあヘリオスは今のところお前たちとは無関係だから気にすんな。じゃあイシターに話を戻すとだな、そのヘリオスっていう女が転生の秘術を使ってクロノスやイシターたちをこの世界に繋ぎ止めてるんだ。この世界に何度生きても、何度死んでも、またどこかで生まれているから二人はまたお互いを探し、出会って恋から始めるんだろう。まったく、俺たちと境遇が似すぎてて笑えねえ。だけどな、それがどういう訳か、クロノスがイシターの腹から生まれてきたってことだ。イシターの話によると、転生を繰り返すうちに神々の血は薄くなり権能が衰えて弱くなってしまうらしい。クロノスの力が衰えていることに気付いたヘリオスは、イシターの腹から生まれてくるよう仕組んだ。あの親子は歪なんだ」
サナトスはあの日、アリエルたちが深夜のノーデンリヒト要塞に帝国軍勇者としてやってきたときのことを思い出していた。正直サナトスはその時、ずっとロザリンドを見ていたせいでアリエルとエリノメのやり取りはよく覚えてなかったが、プロスペローが複雑そうな、やりきれない表情をしていた理由が少しわかった気がした。
サナトスは話について行けてないが、アリエルは構わず続ける。
「ヘリオスにとって人の生きる意味とか、糧とか、人生とか、そんなものはどうだっていい。なんせあいつは宇宙一の自己中女だからな、四つの世界の全ての生きとし生けるものはヘリオスの手駒なんだ。クロノスは命より大切なものを奪われたのに、まだ英雄気取りでこんな腐った世界を守ってるつもりで居やがる。滑稽だよ」
「プロスとは? 戦うのか?」
「……サナトス、お前はプロスの人生をどう思う? 何度転生しても一人の女を愛し続け、独善的だとは思うが奴は事実この世界を守り続けている。そんな奴が英雄と呼ばれるのは間違ってないと思うよ。だがいまのクロノスはこの世に生まれてきたことを呪っているだろうよ」
……。
サナトスはプロスペローとエリノメ、二人のことを理解し、そしてまた言葉を失った。
誰が悪いのか、何がいけないのか、一万年以上も続いてきた悲しい歴史を、まだ繰り返そうとするアリエルやプロスペローに対してももう、何も言うことはない。
「だ、だけどさ父さん、この本に書いてあるリリスってジュノーさんなんだろ?」
「そこ、ジュノー母さんって呼んであげると喜ぶぞ?」
アリエルはいつもの調子で半ばジョークなのか本気なのかわからないような受け答えで返したが、サナトスは奥歯を噛み締めてニコリともしない。
「もし……、子どもたちが殺されたらと考えただけで俺は気が狂ってしまう。レダが殺されたら俺は……」
「誰だってそうさサナトス。男は誰だって愛するものを奪われたら世界を相手に戦うことも、その結果死ぬことも厭わない。自分の命なんて復讐を成し遂げるためだけに使う、それは全てを奪われてしまった男にとって、もっとも真っ当な生き方なんだ。だけどそんな生き方はだれも望んじゃいない。全てを失った時点で男は生きる糧を失ってしまう。プロスペローは抜け殻だよ……もう死んだも同然なんだ」
「……っ」
サナトスはただ黙って話を聞いていた。
アリエルの実体験を伴う言葉は重く、サナトスの言葉は軽いからだ。
アリエルは畳みかけるように続けた。
「サナトス、お前たちが戦っている戦争と、太古の昔から俺たちが続けてきた戦争はまったく関係のないものだ。そしてアリエル・ベルセリウスはノーデンリヒト人であり、トリトンの息子で……お前の父親だサナトス。それなのに俺たちはいまノーデンリヒトの陣営と距離を置いている、なぜだかわかるか?」
「……? それは父さんが死んで他人に生まれ変わったから爺ちゃん婆ちゃんに気まずいからだろ?」
「そう来るか? まあ、それもないことはないが、お前の方が気まずいんじゃないか? 俺のことを父さんと呼ぶのに、いちいち迷いを感じるしな」
「気まずいよ! なんで年下に生まれてきてんだよ! ついでに母さんいっぱい増えてるしな」
「お前も嫁さん増やせばいいじゃないか」
「こんなとこでそんな密談してるってレダに知れたらマジ殺されるから、話をもどそう、ヤバイって」
サナトスの慌てようを見るのが面白い。レダの尻に敷かれまくっているようだ。
「あははは、どこまで話したっけ?」
「ノーデンリヒトから距離を置いてる理由だよ。第一、アルトロンドや帝国軍がマローニに攻めてきた理由もきっかけは父さんなんだろ? アリエル・ベルセリウスはノーデンリヒトを背負って戦う責任があるんじゃないのか?」
「痛いところを突いてくるな。あんなに可愛らしかったサナ坊が反抗期かよ」
「ちげえよ!」
「んー、俺たちが正式にノーデンリヒトに付かない理由な、それはプロスペローが俺とロザリンドを殺したからだ。ノーデンリヒトは当時からアルトロンド、アシュガルド帝国の戦争をしていたが、別の陣営がロザリンドを殺した。十二柱の神々ってやつだよ、プロスペローは神話の英雄クロノスとして俺たちを背後から襲った。もうノーデンリヒト戦争は関係ない、お前たちのいう神話戦争の続きなんだ。そうだな、そこの本は? 四世界神話っていったっけ? 続編が始まったんだ。四世界神話2は俺が主人公にで、悪の死神ヘリオスを倒す物語になる。だけどな、俺がノーデンリヒトの陣営にいると、みんなを巻き込んでしまうだろ?」
「ノーデンリヒトにはアリエル・ベルセリウスの戦争に巻き込まれることがイヤな奴なんて一人も居ないよ。だいいちもうとっくに巻き込まれてんだろ? マローニの時から」
「イタタタタ、お父さん傷ついてしまうからちょっとお手柔らかに頼むわ。ところでサナトスお前さ、グランネルジュって知ってるだろ?」
「行ったことはないけどな、知ってるさ、フェイスロンドの領都でセカに匹敵する規模の大都市だろ?、たしか人口が50万だかで広さはセカより広いんだっけ?」
「ああ、実は俺たちついこの前グランネルジュでアスモデウスの襲撃にあってな……」
「アスモデウス? 神話で読んだよそれ! 襲撃ってなに? 戦闘になったのか? 相手は何人?」
「ああ、そのアスモデウスだ。相手の数はたぶん5人ぐらいかな、まあ俺たちが今こうしてここに何事もなかったかのようにここで話していることで、無事に乗り切ったことは分かるだろうが、アスモデウスの野郎、奇襲攻撃を仕掛けてきやがってな……」
「父さんに奇襲? バカなやつもいたもんだ……」
「ああ、アスモデウスは重力を操る狂った野郎でな、俺ひとり殺すための奇襲でグランネルジュの半分が消えたよ」
「え? なにが半分消えたって?」
「グランネルジュ」
「それは分かった。だから、グランネルジュの何が?」
「グランネルジュが半分消えたと言っている」
「はああああ? えええええええ? なに? 父さんが爆破したんじゃなくて?」
「アスモデウスはミーティアという大量破壊魔法を使ってザナドゥという世界を支配していた古代神だったが……、いまは可愛らしい魔人族の女のコに転生してたけど……、そっか、そうだな。ノーデンリヒトは巻き込まれ上等なのか、十二柱の神々なんて相手にとって不足なしだよな」
「ちょっと! ちょっとまって! アスモデウスって神話の時代に死んだんだよね? とっくの昔に」
「だから言ったろ? ヘリオスは生命を操る権能を持っている、殺しても無駄だね、ヘリオスさえその気なら何度でも生き返ってくる」
「悪夢だよそれ」
「そうだろ? 俺も似たようなもんだけどな。ははは」
「はははじゃねえって!」




