16-32 四世界神話(始まりと終わり)
序章プロローグに続く話となります。
物語も長くなりました、お時間が許すならばまたプロローグなどを読み返していただけると嬉しいです。
サナトスの姉にあたるジェラルディーンのことをうまく伝えるため話は間延びし、5歳になる誕生祭まで進むのに30分以上かかった。
アリエル的にはもっと語ってあげたいエピソードがあってサナトスの食い付き具合を見ながら抑揚をつけて話したつもりだが、サナトスの方はというと、娘のことを自慢げに話すアリエルの表情がとても嬉しそうに見えたことが嬉しかった。年下になってしまったアリエルが16年ぶりに現れたところで父親だという実感は正直ない。
しかしサナトスも人の親であることから、その気持ちは痛いほどに伝わった。
長い話になった。ここまで話が続いて、ようやく転機が訪れた。話に出てきたのは神話戦争の初期に行方不明になったとされる十二柱の神々序列二位ユピテルという男神だった。
一位は女神ヘリオスだから四つの世界すべて合わせて一番偉い男ということになる。
欲しいものは国だろうが世界だろうが手に入れることができる、全てを自分のものにできる男、ユピテルが欲したのは、ただひとり、ジュノーという女だった。女なんてそれこそゴマンと、いや十万だろうといくらでも手に入るんだから、よせばいいのに、よりによってジュノーのような思い通りにならない女に執着心を燃やした。
もしかするとジュノーが自分の思い通りにならない唯一人の女だったからこそ、意地でも手に入れたかったのかもしれないのだが。
四世界で序列第二位のユピテルと、その母で世界を統べる最高位神ヘリオスに申し込まれたような縁談を断れるような者はソスピタ国王はおろか、この四つの世界には誰一人としていない。ソスピタの国王はジュノーの結婚相手が最高位神ヘリオスの息子、ユピテルであることに狂喜した。
スヴェアベルムでも勢力が衰えた斜陽の王国と揶揄されるソスピタが最高位神と肩を並べる親戚になれるのだ。そしてジュノーはその序列がいきなり第三位となることが約束された。
これまでの序列第三位はアルカディアの主神テルスが座す不動の地位だったが、それを覆した。
四つの世界でもスヴェアベルムは第三世界と言われていたが、ジュノーの序列がテルスを追い抜いたことにより、スヴェアベルムという世界そのものが第二世界となり、ソスピタ王国は第二世界の支配国となることが約束されたのだ。
もともとジュノーには王位継承権が遠く、ソスピタが滅んでジュノーだけが生き残りでもしない限り継承権が回ってくることがないと考えられていたが、今回の殊勲により当然ジュノーにはソスピタの王位を継承させる話が持ち上がった。
しかしそこはジュノーのことだ。
望まぬ結婚を決められてしまったジュノーは家出して異世界のザナドゥへと逃れ、家出した先でベルフェゴールと出会い、二人は恋に落ちた。
ベルフェゴールとジュノーは愛の結晶とも言うべき、アマルテアの春を象徴するリリスの花のように深紅の髪をもつ娘を授かった、その娘がジェラルディーンだった。
だがしかし嫉妬の炎がアマルテアを焼き尽くすことになる。
運命の日はジェラルディーン5歳の誕生日だった。
アリエルはうつむいて唇をかんだ。
呼吸を整える必要があった。
祭の主役であるジェラルディーンの姿が見えなくなった。ベルフェゴールたちが居城の中を探したらジェラルディーンはすぐに見つかった。
ベルフェゴールの玉座に立てかけられた槍に貫かれたまま、無残な姿でそこに磔にされていたのだ。すでに命を奪った娘の傍ら、足を組んで玉座に座り、狂気に歪んだ醜い顔を曝して嗤う男がいた。
ユピテル。
ユピテルは不敵にも今日5歳の誕生日を迎えたばかりで命を奪われたジェラルディーンに対し罪状を読み上げた。
『偉大な最高位神の子を産む腹から出た不浄なる罪』
続けてベルフェゴールに対し罪状を読み上げた。
『最高位神の花嫁を奪い汚した罪』
そして信じられない光景に立ち尽くすジュノーには悪びれもせず『こんな男に肌を見せたのなら、男の目をえぐり取って無かったことにすればよい。この男と肌を合わせたのなら、男の皮膚を剥がして余の腰布を作ろう』と言った。
ユピテルにとってベルフェゴールもジェラルディーンも物の数ではなかった。
娘をたった今殺した、この期に及んでなお自分を愛せと言うのだ。
そしてベルフェゴールにとって、いまはユピテルなどどうでもよかった。
ジェラルディーンはすでに冷たくなっていて、ジュノーの治癒魔法をもってしても救えなかったが、キュベレーなら救えるかもしれないと考えたベルフェゴールはユピテルになど鼻もかけずゾフィーの転移魔法で世界樹に飛んだ。
しかしキュベレーの回答はベルフェゴールの期待していたものではなかった。
キュベレーのもつ不死は、死んでしまった人を生き返らせるといった類のものではなかった。
ベルフェゴールたちは悲しみに暮れ、世界樹の根元にジェラルディーンを埋葬し涙枯れるまで泣いた。
やがて全てを飲み込む激しい怒りが胸をかきむしるほど燃え上がり、愛する娘のぬくもりが消えてゆく手が、失ってしまった悲しみを凌駕するまでその場を離れようとしなかった。
ベルフェゴールたちが粗末な王城に戻ったときユピテルの姿はすでになかった。
誕生祭の篝火はとうに消え、木炭が散らばっているのと同様に、参列者たちもみなその場に倒れて遺体は腐り始めていた。ベルフェゴールは枯渇した涙腺から再び熱いものが尽きず流れるのを拭おうともせず、ユピテルを探した。
ベルフェゴールの狙う首の行方はほどなくして知れた。ザナドゥでも最大最強の国と呼び声高いバストゥールに国賓として招かれているという情報はまるでベルフェゴールに伝言したかのように伝わった。
ユピテルは瀕死のまま生かしておいた王城の門番に行方を知らせていた。逃げも隠れもせず『殺してやるから追ってこい』という明確なメッセージだった。
転移門を使ってすぐに帰らずバストゥールに滞在を続けたのは、まだベルフェゴールを殺していなかったし、失意となったジュノーを連れ帰りたいという思惑もあったのだろう。
ベルフェゴールにとって、ユピテルの滞在こそ明白なワナだった。
しかし最大最強国だったバストゥールが総力を挙げても、ユピテルを守れなかった。
怒れるベルフェゴールたちの電撃的な襲撃を防げなかったのだ。バストゥール王アスモデウスは決死の応戦で防衛線を敷いたが、力が及ばなかった。
四世界を統べる十二柱の神々、序列二位というこの世界でも最強の一角を担うユピテルだったが、ベルフェゴール、ゾフィー、キュベレー、ジュノーという十二柱の神々を凌駕する戦闘力を持った真の強者が横並びでユピテル唯一人を殺しに来ているのだ、たとえ涙を流して命乞いをしたとしても生きる目はもうない。
ユピテルは遠い異世界ザナドゥの地でベルフェゴールたちに殺され、死体はその後、灰になるまで焼却された。
話を聞いていたサナトスはようやく本で読んだ地名が出てきたことで、神話戦争の始まりを予感した。
「歴史書によるとバストゥール襲撃から始まったってさ。神話戦争……」
「そっか、戦争の始まりはユピテルか。あれが始まりだったのか、くっだらないな。興味本位で聞くんだが、その長い戦争の終わり方はどうなってる?」
「自分の事だろ? 知らないのか?」
「知らないんだよ」
「あまりいい話じゃないんだけど?」
「それは知ってる。まあロクでもないこと書かれてんだろ、ちょっと読んでくれや」
サナトスは傍らに積み上げられた本の一番下から一冊を引き抜き、最期の方からペラペラとページをめくり、そこからまた数ページ戻ってから上目づかいでアリエルを見た。
「30巻のラストだけどいいのか? 場所は終焉の地アルゴル……」
「アルゴルってどこだっけか? ……」
サナトスの朗読で歴史は語られる。
「クロノスはリリスを貫いた剣を引き抜くと、高速で飛来するアシュタロスに狙いを定め槍を投げた。アシュタロスは己に向かって投げられた槍を避けることが出来ず、腹を貫かれ地に堕ちた。戦士たちは先に倒れたリリスのとどめを刺すため我先に槍を振り上げる。アシュタロスは地面を蛇のように這って、戦士たちの槍から一瞬早くリリスを庇った。しかし屈強な戦士たちの槍はアシュタロスの肉体を貫き、同時にリリスをも貫いて地面に縫い付けた。アシュタロスは情けなく涙を流しながらも背中でリリスを庇い、何本もの槍で刺し貫かれたあと英雄クロノスの剣により首を跳ねられたことでとどめを刺された。破壊の限りを尽くした深淵の悪魔の正体は、泥地を這うような痩せこけた亡者であった。潔さや気高き心など持ち合わせていない誇りを持たぬ虐殺者であった。悪逆非道のアシュタロスは倒れてなお泣きながら女にすがるといった卑しき最期を遂げ、すぐさま封印の印可魔法陣にて、スヴェアベルムから永久に追放……さ、れ……た」
サナトスは声を詰まらせ、これ以上読み上げることができなくなった。




