16-31 四世界神話
「神話戦争……の本か」
「ディオネに借りたんだ。『四世界神話』っていう本なんだけど、俺、学がないから難しくてさ」
「あはは、そっか。大冒険活劇だったらいいけどな。どこまで読んだんだ?」
サナトスは答えづらそうにしながら閉じた本に視線を戻し、表紙を指先で軽く叩きながら答えた。
「全部読んだよ。いま二度目を読み始めたところさ」
「一度じゃ足りないのか? どうだ、俺は極悪人だろう?」
「深淵の悪魔アシュタロスってのが父さんで、四世界きっての英雄クロノスがプロスなんだろ?」
「深淵の悪魔か、今も大悪魔って言われてるけどな。ちなみにヤクシニーがゾフィーで、リリスはジュノーだからな。で、その本を読んだ感想を聞かせてくれ」
「これは悲しい話だ……、悲劇だよ父さん。だけど分からないことがあるんだ」
「今なら何でも答えてやるから聞きたいことがあるなら今聞くといい」
「ああ、父さんはいつか戦っている理由を『妻と娘を殺された』からだと言った。でもこの本には出てこないんだ。エリノメに聞いたけど教えてくれなくてさ」
「そんなことを知るためにこんな分厚い本を30巻も読んでんのか?」
「父さんの妻なら俺の母親だし、娘ってことは俺の姉さんなんだろ? 知りたいと思うのは当たり前じゃないか」
アリエルは大人になったサナトスの顔を見て、改めて感嘆の息を漏らした。
そうだ、アリエルにとって苦しい思い出であり、口にしたくない記憶でも、サナトスは知っておかなければならない家族の話だ。
「キュベレーは確かに死んだけど、うーん、今は概念みたいな存在になって生きてるぞ?」
「はあ? それでどう理解しろって? ガイネンって何だよ?」
確かにキュベレーの存在を説明することは難しい。16年前、バラライカの戦いで倒れた時、ロザリンドもパシテーもキュベレーのことを覚えてないと言うし、何度も一緒に転生してきたジュノーですらキュベレーとは会ってないという。アリエルがキュベレーから不死の権能を受け継いだから概念として残ったように感じていたものだが、それをサナトスに説明し理解してもらうのは困難を極める。
「そうだな、ちょっと長くなるけど説明しなくちゃいけないか……」
「この悲しい本を読むより父さんの話の方がマシなんだろ?」
「いや、本の方がマシかもしれんが? 聞くかい?」
サナトスは真剣な眼差しをアリエルに向けてこくりと小さく頷いた。
なにか重大な話が始まるのを察し、しかと聞くため姿勢を正したサナトスに対し、アリエルは家族の話なんだからそう緊張して聞くものでもないとでも言わんばかりに軽い調子で話し始めた。ひとつの世界を滅亡にまで追い込んだ男の話としては少し軽薄なのだろう。
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アリエルの前身ベルフェゴールはアマルテアというザナドゥ最大の大陸、東の端っこに位置する平地の少ない小国で生まれた。ベルフェゴールの父親は王位継承権を持つ王族であり、アマルテアでの王位は正々堂々と1対1で戦い、勝者へと移動する。つまりアマルテアの国王は武力が衰えたら世代交代となる。
ベルフェゴールの父親は国王に王位継承戦を挑んで破れ命を落とした。アマルテアの王位戦では敗者に男児がいれば暗殺されることが常だったため、母親は世界樹の森にまだ年端もゆかぬ子どもを逃がした。
逃がしたと言うよりも、母親は追手により殺されてしまったので、ベルフェゴールは森オオカミの餌になってしまうところ、世界樹の森に棲むキュベレーと、その弟子ルーに拾われたおかげで命を長らえ、幼きベルフェゴールは人々の記憶から姿を消した。
ベルフェゴールが森で過ごしている十何年かの間に世界は大きく動いていた。
魔法を使える者の数が極めて少ないザナドゥという四世界でも最も魔導の遅れた世界に、異世界から魔法を使う軍隊がきて、ベルフェゴールたちが静かに暮らしていた世界樹の森に侵攻を始めたのだ。当然戦いは避けられない。
アマルテアはスヴェアベルムにあるソスピタ王国と紛争状態になっていた。
「ソスピタなら調べたよ父さん、今のアシュガルド帝国だろ?」
「ああそうだ。ソスピタ王国の王女様だったのがジュノーなんだぜ?」
「女神ジュノーは四つの世界で3番目に偉い神サマだったんだろ?」
「んー、ジュノーは序列三位なんて認めてないけどな。だけどジュノーは本物の天才なんだ。いまこの国の人たちが使っている起動式魔導はジュノーが考えたことも知ってるだろう? ジュノーは魔法を使うことができなない人たちのために起動式を開発して世界を変えたんだ」
この世界は今ほど温暖でなかった。冬になると種火を買うことができず凍死するような貧しい人たちが大勢いたし、食べ物をめぐって殺し合いなんて日常的に起こってた。生きるため一握りの麦を争って人の命を奪う、ジュノーはそれを当たり前だと思うと居てもたってもいられなくなった。
ジュノーはそんな人たちを救うため起動式を考え、最初の魔法「トーチ」を教えた。
「最初に火在り。神聖典教会の教典だよね? 原初の火ってやつだろ?」
「ジュノーはこんなにも厳しい世界で生きようとする人々の心に、小さな灯りをともしてやりたかっただけなんだよ。トーチの起動式を公開したおかげで、スヴェアベルムの人たちは末端の農民でも、これまで神々にしか使うことができなかった魔法を使えるようになった。この国では教会の信者じゃなくてもジュノーに祈りを捧げる人が多いだろ? スヴェアベルムの人たちはジュノーが教えた起動式によって、誰もが種火を点けることができるようになり、土魔法を覚えたあとは土魔法建築で隙間風の吹き込まない温かい家に住むことができるようになった。スヴェアベルム人はジュノーのおかげで豊かな生活を送れるようになったんだ」
しかし魔法は人々の生活を豊かにもしたが、人を殺すため最も効率のいい手段として好んで使われることとなった。アマルテアとソスピタが小競り合いを始めたころ、ベルフェゴールの住んでいたザナドゥではまだ魔法起動式なんて聞いたこともなく、人は生身の身体を剣と槍で守っていた。魔法技術の遅れたザナドゥに住む人々は魔法など使うことができなかったのに、ソスピタ人たちはみんな強化魔法を使うことができた。この時点で赤子の手をひねるようなものだ。
「ソスピタの王位継承争いでジュノーに抜かれて今にも負けそうだった男が、世界樹にあるという秘法を求めてザナドゥに侵攻してきたんだ」
「それが神話戦争のはじまり?」
「いや、まだ始まらない。当時のアマルテア国王は腰抜けだったからな、異世界のソスピタ王国に世界樹をよこせと言われて軍隊を素通りさせてしまったんだ。どうせ世界樹攻略なんて無理だと高をくくってたんだろうがアマルテア国民は聖なる世界樹の麓を異国の軍隊などに土足で踏み荒らされることを許さなかったんだ。集まったアマルテアの義勇兵がソスピタ軍に挑んだけど、強化魔法を使える魔導兵と生身の兵士が戦っても結果は見えてる、アマルテアは力自慢の男たちが1000人で迎え撃っても相手をひとりも殺せず全滅で負けるとか、そんな悲惨な戦いだった」
「……ひどいな。一方的じゃないか。父さんは何をしていたの?」
「俺か? 俺は当時のアマルテア国王に王位継承戦を挑んで、アマルテアの国王になった」
アリエルは拳で自分の胸をトンと叩いて胸を張って見せた。今はもう亡きアマルテア王国を率いた最期の若き王ベルフェゴールだと。サナトスにそういって諭した。
「なあサナトス、お前も国王になるんだ。ノーマ・ジーンから話は聞いてるんだろう? 俺は国を失った愚かな国王だからな、俺の話がお前のために役に立つかもしれないな」
「俺は魔王とか国王とか、そんなものになりたいと思ったことはないよ。だけど戦争をなくしてしまうには俺じゃないとダメなんだって言われたよ」
「あははは、トラサルディのおっさんは弁が立つからな、口じゃ絶対に勝てないな……とはいえ俺もこの国を治める王を交代させるならサナトスが適任だと思う。だが戦争をなくす? その決断に覚悟はあるのか?」
サナトスはゴクリとつばを飲み込み、すうっと胸いっぱいに息を吸い込むと、はあっと深呼吸とも溜息ともつかない息吹を吐き出して己が覚悟を口にした。
「父さん、俺は中等部を出てないんだ。この本を読むだけでも難しくて苦労してるよ。だって仕方ないんだ、マローニに連合軍が攻めてきてさ。俺たちの生活は一変したよ。街の空気はどんどん汚れていった。門の裏にはいつも死体が並べられてあった。何年も戦っているうちに人々の心は荒んでいった。ガキの頃、日が暮れるまで遊んだ公園は抵抗軍の施設になってしまったし、子どもたちが遊ぶ笑い声なんてどんなものだったか忘れてしまうほど聞こえなくなった。俺は戦争が憎いよ父さん……、友達がいたんだ。アンセムとヘンドリクス、初等部に入る前からずっと一緒にバカやって育った、気のいいやつらだったんだ」
アリエルは深く掘り下げようとはせずただ「そうか」と優しく応えるにとどめた。
その話はサオから聞いた。サナトスの幼馴染だった友達は二人ともマローニの防衛戦で勇敢に戦って死んだという。
アリエルは帝国軍に居た頃、帝国側の情報でサナトスがいかに戦ってマローニを守り、ノーデンリヒト要塞を防衛していたかを知っていた。
サオから詳しい話を聞いてサナトスがどれほど人を思い、涙を流してきたのかを聞いた。サナトスもこの世界に流れる大きな力に抗えず、ただ流されてきたのだろう。
王になるということは、この世界に流れる大きな力を自らが作り出すということだ。
この血泥にまみれた世界を自分の力で変えてしまうということだ。
「俺の覚悟なんてそんなもんだよ。俺は戦争のなかった時代に戻したいだけなんだ」
サナトスは欲張ったことを言わない。だが戦争のなかった時代に戻す、たったそれだけの事がどれだけ難しいか知らない訳でもあるまい。
アリエルはサナトスの言葉をじっと聞いて何度も頷いた。
「そうか、それは大変だな」
「俺の事よりももう一人の母さんと、あと姉さんの話を聞かせてくれよ」
「わかった。じゃあお前の知らない家族の話をしよう……」
アリエルはこのあと、第二の妻でありサナトスの母の一人でもあるキュベレーが世界樹を守る精霊であったことを説明し、ドン引きになったサナトスに姉ジェラルディーンの話をした。
ジュノーに似てとても鮮やかでありながら深い紅の髪がとても柔らかくそよ風にでもなびいて見せたそのさまをアリエルは説明した。幼くして亡くしてしまった娘だ、どれほど言葉を重ねてもその思いの丈を伝えることなどできなかった。




