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16-29 ベルセリウスの悪名

 エレノワの言葉に対し、デストラーデは固く口を閉ざしたまま何も発言することはなかった。

 自らに話かける相手の目を見ることもなく、露骨に視線をそらしたままだ。この光景を端的に表現するならばふてくされているように見えるとでも言えば的確に的を射ることができるのかもしれない。


 この世界には黙秘権など存在しない。もちろん強制的に攫われてきたような男であるなら尚更に罪を問われたらすぐさま弁明しないと、その罪を認めたと思われても仕方がない。自らがやったことではないとして、それを証明することができなくとも、まずは自らの言葉で否定して見せなければいけないにも関わらず、デストラーデはただ口をつぐむという自らの命を投げ出すかのような行動に出た。これは自殺行為である。



 実はこのデストラーデの態度には明確な理由があった。


 もともとデストラーデが就いていた親衛隊というのは名誉職であり、隊に入るためには相当高い身分でもなければ隊員になることすらできない。成績や面接ではなく家柄で選ばれるのだ。


 更にデストラーデは親衛隊を与る隊長だった。何百年も領主に仕える家系として信頼を積み重ねなけれ場所親衛隊をまとめ上げる長に任命されることはない。

 つまりはダリル領主という大貴族の下にぶら下がる形で存在する下級貴族と呼ばれる地位にあった。


 生まれながらの高貴な血が流れていて、生まれながらにして下級貴族としての誇りをもつよう教育されていた。だからこそ、たかだか奴隷商人など盗人やごろつきのごとき下賤の輩が金の力にものを言わせ、騎士伯などという身分そのものに、かなりの嫌悪感を抱いていた。


 しかもその騎士伯なる身分が、何百年も積み重ねてきた信頼と実績の上に成り立つ下級貴族と身分的に同等であるなど、下級貴族の生まれであるデストラーデには到底許容することができなかったのだ。



 常日頃つねひごろから先代のエレノワ騎士伯のことは相当煙たい存在であったが、騎士伯になれる人間というのはそれなり以上の戦力を保持している権力者であるため、騎士伯という称号を売り渡し、下級貴族と同等の身分を与えてでも領主セルダル家に忠誠を誓わせる必要があった。要するに形式上、または便宜上、下級貴族であるデストラーデと同等の称号をエレノワに名乗ることを許したのだ。


 親衛隊も役所の上級職も、政治を行う評議会議員もだいたいが領地を分け与えられた下級貴族がその地位を占めている。そもそも大前提として、ごろつきや盗賊のようなことをしていたエレノワなどという男と同等に扱われるなど我慢できるわけがなかったのだ。


 ではなぜエレノワは、デストラーデのこの頑なな自分と話すことすら拒否する姿勢を見て嬉しそうにしているのかというと、日ごろから下級貴族たちが騎士伯という地位を金で買ったエレノワのことをどう思っているかぐらい自然と耳に入っているからに他ならない。


 それがドサクサ紛れに父を殺した男なのだ。

 しかもこの男は父を殺しておいて、その罪をベルセリウスに被せた。槍衾やりぶすまを作ってセルダル家を守っていた親衛隊唯一の生き残りであり当時の親衛隊を与る隊長だったのだからその証言を疑うものはいなかったろう。だがしかし、父アルス・エレノワが殺された時の様子は執事だったセバスチャンが屋敷の小窓から見ていた。そしてその証言は領主を殺したベルセリウスの証言を裏付けるだけの結果に終わった。


 いまエレノワがデストラーデを見下ろしてわらっているのは、勝ち誇っているからに相違ない。


 アーロン・エレノワは腹の底から込み上げてくるわらいを堪えることができなかった。

 手枷をはめられ跪かされてなお反抗しようというこの男の姿に異様なほどの高慢さを見たのだ。


 ベルセリウスに捕えられた際、プライドをかなぐり捨て命乞いをしてまで世界を変えようとするエレノワが、新しい世界に最も不要だと考えるのはこのような男だ。


 自分たちこそが権力の高みに居続けるため、弱き者たちを踏みつけにする。

 エルフ族がこの国で人権を取り戻すため倒さねばならぬ敵が目の前にいるのだ。



「ありがとうございますベルセリウス卿、素晴らしい土産物でした。さて、私の方からは何を提供すればよろしいのでしょうか。この男に見合うほど価値のあるものを出せるとは思いませんが」


「いや、気にしなくていいよ。欲しいのは強いて言うなら情報かな。一番欲しいのは領主エースフィル・セルダルの所在、次がダリル領軍の正確な数と配置、あとそうだな補給路と予定されてる退路も知っておきたいな」


「領主の所在? 屋敷に配置してある兵士の数が尋常ではないので、屋敷にいると思っていたのですが、もしかしてあれはフェイクだったのでしょうか?」


「フェイクだな、エースフィル・セルダルは屋敷に居ない。せっかく俺たちだけで先行して来たのに、エースフィルの所在が分からないと首がとれないじゃないか。もたもたしてたら魔王軍が来て、下手するとエースフィルの身柄を奪われてしまう。下手につついて地下に潜られたら二度と会えないなんてことにも成り得るし、面倒だよ。どうせなら一度で決めたい」


 アリエルはここ数日の間、魔王軍に先行してダリルマンディに入り領主エースフィル・セルダルの所在を探っていた。魔王フランシスコにはグランネルジュを奪わせておいて、アリエルは単独でエースフィルと対峙したかった。


 だけどセルダル家の屋敷は18年前に訪問した時とは違い、外からでも中が良く見えていた格子状のフェンスは重厚な土塀になっていて仲を覗うことはできなかった。パシテー対策なのだろうカドごとに弓櫓兵が配置されていて、ものものしい雰囲気を醸し出している。


 前来たとき帰りに寄ったセルダル家の前のレストランで食事するついでにちょっと情報収集がてら聞き込みをしたのだが、アリエルがセカを解放したと言う噂が流れるのとほぼ同時に兵士の数が数倍に増えたのだという。


 だがしかし腑に落ちない。セルダル家はアリエルの戦闘力を知っている、その多少兵力を増やしたところでアリエルの襲撃を防ぐことなんてできる訳がないことも知っているはずだ。それにこれ見よがしに兵士をみせびらかす配置も明け透けな感じがする。ここにエースフィルはいないと見た。


「わかりました、こちらの方でも極秘で探らせましょう。あとこちらは撤退させた我がレイヴン傭兵団の斥候から届いたハトの情報です。ダリル領軍は領境にあるアルピナの町近郊に陣を張って次々と集結していたのですが昨日の朝、つまり36時間ほど前に陣を畳み、グランネルジュに向けて進軍を始めたとのこと。その数は約8万。アルピナからグランネルジュまで軍の足で10日ほど……なのであと8日でグランネルジュに到着します」


「グランネルジュから撤退した兵士たちと合流して都市部の守りが堅くなる前に叩く腹か、浅はかだねえ……」


「好都合ではありませんか。その分ダリルマンディが手薄になります」


「好都合すぎるんだよ。事がうまく運びすぎていて時間が足りないんだ。俺たちがエースフィルを探し出す前に魔王軍が到着したら面倒だ」



 アリエルとエレノワの会話を横で聞いていたデストラーデがここにきて初めて言葉を発する。さっきまで地面に穴が空くんじゃないかと思えるほど下を見ていた男が強い眼光をエレノワに向けた。


「裏切り者め、やはり騎士伯など金で買える安い称号、子どもが胸に付けるバッヂのオモチャ程度だったのだろうよ、まさかベルセリウスと通じてダリル転覆を目論むとは卑劣にもほどがある! ベルセリウスよ、この男はどうせ裏切るぞ。今はベルセリウス有利だからお前のケツについているだけだ。シェダール王国とアルトロンドがベルセリウスの台頭を許さない。そうなると次はどこにつくんだ? 王国か? それともアルトロンドか? 仁義を欠いた日和見主義の男の末路を見てみたいものだな」



 開口一番がこれである。


「ほう、いい言葉をさえずるではないか、デストラーデどの。私の末路など、冷たい牢屋か死刑台が似合いであろうよ。だがデストラーデどの、父を殺し、いまその身柄は私の手の中にある。あなたも同じ末路を辿ると思うがね?」


 エレノワのわらった顔が引きつった。短剣を抜き、目玉の片方でも潰してやろうかと構えたところでアリエルが割って入った。


「んー、グローリアスの作戦は最終段階に入ったらしいよ。ノーマ・ジーンはサナトス・ベルセリウスをこの国の王にすると言ったからね」


「なんと! それはまことの話ですか」


「ああ、知らせるのが最後になって悪かったね。アルトロンドのダイネーゼもアムルタのヒッコリーも、今もうそのつもりで動いてる。こうなるともう大貴族という制度がどうなるかは知らないけど、残ったとしても総入れ替えは免れないだろうね」


 そう言ってアリエルは鋭い眼光を持ち上げたデストラーデに向かって、とても残念だと言わんばかりの表情をしてみせた。


「なあ、いまの話が何を意味するか分かるかい? どうせもうアンタら下級貴族なんて称号じゃ芋も食えなくなるってことさ。もちろん領地もなくなるし、この話を聞いてしまったんだ。もう、ここで殺されるしかないってことだよ」



 先代のアルス・エレノワ騎士伯は肥え太った豚のような男で、成り上がりの小悪党にありがちな小心者だった。しかしその息子アーロン・エレノワは抑えに抑えていた飢えた狼のような殺気をこぼした。


 アリエルはエレノワのことを少し甘く見ていたようだ。

 グローリアスは商工会議所だ、トラサルディから紹介を受けたときエレノワも商人だと聞かされていた。だがしかしエレノワから醸し出されるこの殺気は一流の武人が出すそれと同等のものだった。


 どうやら目の前に立つ武人はレイヴン傭兵団を束ねるにふさわしい男だ。


「我らの宿願に一歩近づき胸の高鳴りが抑えきれませんな……となると領主の所在が判明したらどこへ知らせればよいでしょうか? 私も戦場に出る必要がありますゆえ


「ダリルマンディ東の郊外にスカボローという宿があって、俺はサガノという名で宿泊しているよ」


「承知した」


 エレノワはノーマ・ジーンが最後の指令を下したことが嬉しかったのか、ひどく上機嫌になった。手枷で繋がれた男に対してもぞんざいな扱いをせず椅子をすすめ、アリエルたちベルセリウス派の者にも合わせて座談を申し込んだ。話が長くなるのを見越した上での判断だ。


「ベルセリウス卿、本当なら祝いの席にして酒でも酌み交わしたい所だが私にはこのあとも仕事が待っている。判断を間違えるわけにはいかないのでね、すまない」


「いやいや、気にしないでほしい。アルカディアの日本って国じゃあ俺たちはまだ子どもでね、酒を飲んだら警察に補導されるんだ」


「なっ? ベルセリウス卿が酒で捕まる? なんと、それは愉快……くっ、くくくくく」


 エレノワはアリエルのジョークが妙にツボだったようでじわじわと込み上げてくる笑いが抑えられない。

 この世界では大悪魔、破壊神の再来と言われ、ダリルとアルトロンドを崩壊に導き、ついでにアシュガルド帝国を倒そうという『あの』アリエル・ベルセリウスが子ども扱いで、酒も飲ませてもらえないなど最高に笑える話だった。


 それ以降、アリエルとエレノワの会談は時折談笑がこぼれるほどいい雰囲気で数時間続いた。

 アリエルは欲しかった情報の中からエレノワの知る全てのことを聞き出した。


 しかしアリエルが最も知りたかったエースフィル・セルダルの所在については、屋敷にいるとばかり思っていたので、屋敷に居ないとなれば分からないとのことだった。


 アリエルには知ったこっちゃなかったのだが、ダリル領主エースフィル・セルダルの首は大人気商品だ。魔王フランシスコをはじめ、サナトスもトリトンも首をよこせと名乗りを上げた。本来ならフェイスロンダ―ル卿に譲る代わりいろんな便宜を図ってもらうのが得策かと思えたが、そのフェイスロンダ―ル卿も行方知れずとなっていて、エースフィル・セルダルの首争奪戦からリタイヤしたも同然だ。フェイスロンドが魔王軍の手に落ちたいま便宜を図ってもらう必要もない。もし仮にフェイスロンダ―ル卿が生きていたとしても、グランネルジュに侵攻した魔王軍に見つかったらその場で殺されて、その死にざまは闇に葬り去られる事だろう。残念な話だが、フェイスロンダ―ルという男にはこの時代を生きていけるだけの生命力がない。


 フェイスロンド領主フェイドオール・フェイスロンダ―ルはいずれ敵になることが分かっていた、それはダリル領主ヘスロー・セルダルにも通じるものがある。


 アリエルがエースフィルの首を欲しているのは18年前、先代ダリル領主を殺害した際、この男を生かしておけば必ず敵になることが分かっていたにも係らず、パシテーの母親フィービーを救出できたことに満足してこの場を去った。ダリルの経済的苦境と奴隷資源の枯渇、軍備の増強などあの日アリエルが先代領主ヘスロー・セルダルが北のフェイスロンド侵攻を準備していたことぐらい分かっていたのに、それでもアリエルはその場でエースフィルを殺すことなくセルダル家の存続を許した。そもそもそれが間違いのもとだった。どうせ悪魔だの死神だのと言われ、あちこちで追手がかかることも今と大差ないのだから、エースフィルもその場で殺しておけばフェアルの村が襲われることもなかったし、レダの家族たちが殺されることもなかった。


 アリエルがエースフィル・セルダルに抱く殺意は私怨だが後悔でもある。


 魔王フランシスコは魔王職を引退する前にダリルまで侵攻してより多くの偉業を達成したいという事もあるが、子どものころから友人だった、最も信頼できる男をフェアルの村に派遣したところダリル軍の侵攻に遭い、奮闘したというが殺されてしまった。フランシスコはサナトスの妻であるレダの家族を守れなかった。その責任もあるのだろう、エースフィルの首を強く欲している。


 トリトンもサナトスが魔王を襲名したらノーデンリヒトとドーラを併合して自分は引退する気なのだろうが、トリトンには私怨はない。レダの家族とは親戚になったのに挨拶もしないまま殺されてしまった恨みがあるという程度なのだろう、ならトリトンの動機は薄い。


「んー、やっぱエースフィルの首はサナトスが取るべきかもしれないな」


「我らグローリアスが次世代の王と認めるのはサナトス・ベルセリウスだけです、なんでしたらレイヴン傭兵団が総力を挙げ、エースフィル・セルダルを捕えましょうか」


「それはありがたい申し出だけど、そんなことをするとダリル領民の目にはレイヴン傭兵団が裏切り者と映ってしまう。そうなると今後のことにいろいろと支障がでるからね。それよりも準備が整うまで何日かかる?」


「はい、アルピナで領軍と別れたレイヴン傭兵団はあと3日でダリルマンディに帰還する予定です、いまダリルマンディにある戦力と合流し、すぐさま配置についたとしてもあと5日は見ていただきたい」


「わかった。じゃあ5日待つ。6日後の午後でいいかな、俺たちは北門からダリルマンディに入るから朝にでも領軍に知らせてやって。その時には住民の避難を完了させてくれてたらありがたいかな、傭兵団は住民の避難を誘導してほしい」


「……ということは、私のこの屋敷も無事では済まないと、そういう事なのですね?」

「エースフィルの隠れ場所を見つけたら、できる限り、そうだな、戦闘なしで占領できればいいと思ってる。ダリルマンディ市民は難民になって王都やアルトロンドへ押し寄せてもらわないといけないからね、だから傷つけたりしたくないんだ」


「おっしゃるとおりですな、まったく。ではいますぐダリルマンディじゅうの酒場から噂を広めましょう、ベルセリウス派が再びダリルマンディを襲撃すると。危機感を煽っておけば避難もスムースにいきましょう」


「悪名極まれりだな」


「ダリルでベルセリウスの名は恐怖の対象でしかありませんからな、アルトロンドとアシュガルド帝国軍14万を敵に回して12万を殺しバラライカに巨大な湖を作った話も、たった1日でマローニとセカを解放した話も、いまや尾ヒレがついてしまって収拾がつかない状況です。我々はあなたの悪名を利用してダリル領民を救います」


 アリエルはこの世界で轟き渡った自分の悪名に辟易する思いだったが、それを利用して人を救おうとするのならそれは有意義だなと思うと少し呆れたような笑いが込み上げてくるのを我慢することができなかった。


「んじゃその段取りでお願いするよ、じゃ、いつかどこかでまた会おう、そのときいっしょに酒を飲めたらいいけどな」

「次会うときは共に死刑台で」


「あははは、死刑台は断る ……じゃあな!」


 アリエルはゾフィーのパチンでエレノワ商会からノーデンリヒトに戻った。

 サナトスと話をしなければならなかったからだ。


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