16-28 エレノワの狂気
もう説明は不要だと思われるが、エレノワ騎士伯にくっつけていたマーカーカプセルにより、アリエルたち一行は地面に転がしたデストラーデともどもゾフィーのパチンひとつであっさりとエレノワ商会へと転移が完了。
アリエルはエレノワ騎士伯、つまり不慮の事故というより騎士伯という称号を軽視した領主ヘスロー・セルダルの親衛隊長、デストラーデの命令により殺された先代のアルス・エレノワ騎士伯の長男、アーロン・エレノワ騎士伯のもとを訪れていた。
つまり、アリエルたちは18年ぶりにエレノワ商会に来ている。
実は当のエレノワ騎士伯、ビューラックの集落でアリエルたちと会ってからというもの、ほとんど寝る時間もないほど仕事に追われている。いや、アリエルにこき使われていると言うべきか。仕事に追われていると言うよりもむしろ時間に追われている。
そんな多忙な中でもアリエルは容赦なくまたエレノワ騎士伯のもとを訪れた。
デストラーデという男、当然ここがどこなのかは分かっていて、これからどうなるのか想像がついているらしく、なかなかに足取りが重く前に進むのを拒否しているようにも見えた。もちろんいう事を聞かなければロザリンドが容赦なく踏み潰したり蹴とばしたりするので、もうデストラーデがどれだけ頑張ってエレノワ邸に入るのを拒絶しても無駄なのだが。
「オラッ! キリキリ歩けやこのクソ〇〇〇(ピー)が!」
などとロザリンドにケツを蹴り上げられては、前に進まざるを得なくされている。
レイヴン傭兵団本部の門番はアリエルを顔パスで素通りさせた。
それもそのはず、門番の男はアリエルがエレノワたちグローリアス幹部たちを一網打尽に捕えたビューラックでも門番をしていた男だ。アリエルの顔を忘れる訳がなく、そしてエレノワよりベルセリウス派の者が来たら戦闘しても無駄だから素通りさせよと言われていたせいか、苦虫をかみつぶしたような苦渋に満ちた表情を浮かべてはいたが、アリエルたちと目が合うと視線を足もとに落とした。
エレノワ騎士伯の邸宅を兼ねたレイヴン傭兵団本部では、エントランスに黒塗りの馬車が控えていて、いままさにアリエルたちの訪問とは入れ替わりで、この物々しい警備に守られた建物の重い扉が開き、ひとりの老人が出てきたところだ。
80歳ぐらいか、杖をついてはいるが足取りは悪くない。紳士のたしなみとしてのステッキなのだろう。
この老人、名をセバスチャンという。
先代のダリル領主、ヘスロー・セルダルに仕えていた元執事だ。
この老人がエレノワに招かれたということは、18年前アリエルたちがダリルマンディを襲撃した日のこと、己の目で見たこと全てをありのままに話せとでも言われたのだろう。馬車に乗り込む手前でアリエルたちとすれ違いざま、深く頭を下げて挨拶をした。
「覚えてたのか、えっと18年ぶりかな。いまは別人の姿形なんだけど、よくわかったね?」
「いえいえ、私も年老いて、この二つの眼も盲てしまいましたが、人の本質だけはずいぶんとよく見えるようになりましてござます」
老人の目は重度の白内障を患っており、ほとんど前が見えてないのではないかといった状態だった。
むしろ目が見えないからこそ、アリエルの気配に気が付いたとでもいうのだろうか。
「ご老人、その若さで開眼するとは凄いね。俺も盲目だったことはあるけど、ひとの本質なんて未だに見ることは出来ないよ」
アリエルも人の気配なら目をつむっていてもよく見えるのだが、この老人は人の『本質』が見えると言う、いちどご教示願いたいものだと思った。
老人は白内障を患っているのだろう、白く濁った眼をアリエルの足もと、後ろ手に手枷をはめられ恨めしそうに老人の姿を睨みつける男の方に向けた。
言葉を交わすことはなかったが老人の方が少し小首を傾げるように会釈をして見せた。
アリエルの後ろをついて歩く哀れな男にはもう興味などないとでも言いたげに視線を戻すと、綺麗に磨かれた革靴のカカトを鳴らして問うた。
「ときにベルセリウス卿、冥途の土産として、この老骨にひとつ教えていただけないでしょうか?」
「俺は年寄りにものを教えてやるほど教養はないよ?」
「いえいえ、私が知りたいのは、今後、ダリルがどうなりますでしょうか? という事だけでございます」
「へえ、ダリルの民ってアホなのかい? まさか今のこの異常な状態が未来永劫続くとでも? 本気で思っているのか?」
「いいえ、ダリルはもう長い間綱渡りを続けています。どうせ遅かれ早かれ倒される運命でした。ダリルマンディはお花畑ではありません。魔王軍が迫っている事はダリルマンディ50万市民も知るところであります。ですがたったいま、エレノワ騎士伯から聞かされました。ダリル領に併合したグランネルジュが奪い返されたと。もはや猶予はございませんね」
ダリルマンディの人口は30万と言われている。市民が50万いるといったこの老人はきっと、エルフも、その混血児もみんなまとめて市民に数えたのだろう。こういう細かい言葉の端々に悪印象を持てないのはセバスチャンの人徳なのだろうか。
「そっか、分かっているなら尚更ダリルから逃げ出すことをお勧めするよ」
「私はダリルマンディで生まれ、ダリルマンディで土に還ると決めた骨と皮でございます。母も姉も、若いころに亡くした妻もこの地に眠っております故……」
老人は寂しそうに笑ってみせた。
セルダル家の執事をいつまで続けたのかは分からないが、ダリル領主の屋敷で長い間働いていたのだ、ダリルの懐具合はよくわかっているのだろう。経済的に困窮したからこそ豊かなフェイスロンドに宣戦布告し侵攻したのだ。逆襲を受けてグランネルジュを奪い返されたというのに、長期戦を戦えるほどのカネがない事ぐらいこの老人には分かっている。
しかもだ、ダリル領民はもうセルダル家に先がないことを知りながら運命の日が来るのはまだ先の話だと考えているという。
しかし引っかかる。
ドーラから魔王フランシスコが侵攻しているというのに、ダリル領民が逃げ出さないのはなぜか?
「ご老人、ひとつ疑問ができた。ちょっと俺の質問にも答えてほしいのだけど、大丈夫ですか?」
「ええ、構いませんとも。何なりと」
「ダリル人ってのは肝が据わってるな。ここ何日かダリルマンディを散策してみたんだが誰も逃げ出そうとしてない。まさか領主が誰かと交代するぐらいにしか考えてないのか?」
「確かに危機感を感じて大騒ぎするような者も少なからずおりました。ですがドーラの魔王軍が来たところでダリルが総力戦で負けることはないと考えている者がほとんどなのです。何しろこれまでシェダール王国はドーラと1000年もの長きにわたって戦い、ただの一度も敗れることなく退け続けましたので」
なるほど、ようやく理解できた。ダリル民の感覚では、魔王フランシスコが侵攻してきたとして、フォーマルハウトがドーラ軍の力を借りて、ノーデンリヒトで起こしていた紛争と同じぐらいにしか考えていないという事だ。つまり愚かなほど甘く見ている。
そういえばダリルはシェダール王国が建国されてから領土を戦場にしたという歴史を見たことがない。
過去にあった紛争は南方諸国といざこざがある程度だ。それも小国がダリルの側に侵攻してきたという事実もない。この土地は4000年もの長きにわたって平和を貪ってきたのだ。
厳密には戦争ではないが、強いて言うなれば前領主ヘスロー・セルダルを襲撃したベルセリウスとの戦闘で大敗したことぐらいだ。
歴史的な大罪人、大悪魔の名前を欲しいままにするベルセリウス派の魔導師がアルトロンドからアシュガルド帝国に侵攻して敗れ、殺害されたという発表を受けてからフェイスロンドに侵攻したヘタレ軍隊のくせに、16年後の今年スヴェアベルムに帰還したアリエルがただいまの挨拶がてらノーデンリヒトに迫っていた帝国軍をあっさり滅ぼし、マローニを解放し、セカでは港ごと帝国軍を吹き飛ばしたというのだから当然、ダリルに侵攻して来ることぐらい予想できそうなものだが……、アリエルたちが18年前、ヘスロー・セルダルを打ち倒した頃と比べてもちょっと衛兵の数が多いぐらいにしか感じなかった。
アリエルたちはコソコソと闇に乗じる必要もなく、真昼間から堂々と通りを歩いて領都ダリルマンディに入ることができた。爺さんはお花畑ではないと言ったが、領民の脳みそはお花畑にも程がある。
「まさか、エースフィルは領民に危機を知らせていないのか?」
「いいえ、知らせていますとも。百戦錬磨の領軍をフェイスロンドから呼び戻しドーラ軍殲滅に充てると宣言し、全土に布告しましたからな」
「そのフェイスロンドに散ってた百戦錬磨の兵士たちも、もう半分ぐらいしか残ってないんだけど?」
「誤算はいつの世でも起こりうることでございます……ただ」
「……なんだい?」
「我がダリルの誤算は致命的だったようです」
「ああ、そうかもしれないな。執事さん」
「いいえ、私は『もと』執事でございます。今は故郷の行く末を案じている、ただの年寄りですよ」
「故郷に住む人の行く末を案じているならば、土地を捨て人を導き、東か南へ避難することをお勧めするよ」
……。
老人は数秒だけ考えて深く頷き「ありがとうございます」と礼を言ったあと、踵を返し振り返らずに、確かな足取りで馬車に乗り込むと、急げと指示されたのだろう、間髪入れず御者の鞭が飛んだ。
ロータリー形状になったエントランスを大回りで出てゆく黒塗りの馬車を見送るアリエルたちの傍ら、重厚な扉が音もなくスッと開くと数人の男と、その中にひとり、目立つ緑銀の髪を後ろで縛ったエルフの少年が立っていた。年の頃はおよそ15歳か16歳かといったところ、アリエルたちと年が近い。
整った顔立ちとスマートで撫で肩のスタイルがエルフ族の血の濃さを物語っている、この子はハーフエルフなのだろう。
そして中央に立つ男は知った顔だ。
素通りさせてくれた門番が知らせたのだろう、館の主アーロン・エレノワ騎士伯自らがアリエルを出迎えた。
「こんばんわ、ディナーを邪魔してしまったかな? アポぐらい取ってから来るべきだったね、お詫びのしるしと言っては何だが、手土産をもってきた」
「いえ、多忙なのはお互い様でございましょう……、手土産というのは、なかなか、凝った趣向でありますな。その男は今の私が喉から手が出るほど欲しいと思っていました、感謝します。ところでベルセリウス卿。私の息子を紹介させてください、ほら、挨拶をしなさい」
エレノワは息子を紹介すると言ってさっきチラッと見たハーフエルフの若い男を紹介した。
ビューラックに集まっていたグローリアス幹部たちはみな人権を奪われたエルフを愛した男だと聞いていたから、どうせこんなことだろうと思っていた。
「リヨンです」
リヨンはお辞儀をすることなく名前だけを名乗った。エルフならエルダー式かドーラ式でお辞儀をするものだし、ヒト族ならシェダール王国の敬礼がある。だがリヨンは決まったお辞儀をするのを躊躇い、エレノワ姓を名乗ることもなく、ただリヨンと、名前だけ伝えるにとどめた。
アリエルに敬意を払わない訳ではなく、これは自分と家族の身を守るための方便だ。
「アリエルだ、よろしくなリヨン」
アリエルが気さくに挨拶で返すと、リヨンは表情を明るく綻ばせ、父の顔を覗った。
この親子の間でどのような話をしてアリエルの前に出てきたのかは分からない。だが、今の表情の変化を見るに、リヨンはアリエルに対して好印象を持ったことに間違いはない。
エレノワはアリエルに深々とお辞儀をすると、リヨンに挨拶が済んだら自分の部屋に下がるよう言い、アリエルたちを会議室に通した。もちろんデストラーデもいっしょだ。
リヨンを自室に帰し、レイヴン傭兵団の会議室に入るとこれまでの『にこやか』な、いい父親の仮面を脱ぎ捨て、人を何人か殺してきた盗賊のような表情でギラつく眼光をまるで容赦なくデストラーデに向けた。
しかしデストラーデは目の前に立つ男の顔を見ることができなかった。
エレノワは俯いて下ばかり見ている男の顔を覗き込んだ。怯えて小刻みに震えている。
18年前、まだ若かったエレノワが見た立派な親衛隊長の面影など、爪の先ほども残っちゃいなかった。エレノワはデストラーデの、そんな姿を見たかった訳じゃない、むしろ小さくなってブルブル震えているその弱々しい姿を見せられ不愉快な表情を見せた。
別にどっちが偉いとか、挨拶すべきだとか、そういう話をしたいわけではない。
エレノワは父を殺した男がこの期に及んで目も合わせようとしないような肝っ玉の小さな男だったことに腹を立てているだけだ。
「おやおや、デストラーデどのではございませんか。ご機嫌麗しゅう。本来なれば私の方から出向かねばならなかったのですが、こんなところまでご足労いただき感謝の極みであります。18年前の父の葬儀では弔辞など読んでいただきましたことも含めて、いろいろと父がお世話になったようで」
そう言って畏るエレノワの口元は、ようやく会うことができた父の仇の生殺与奪の権を掌握していることを狂喜するように歪んでいた。
「さて、デストラーデどの。私めはつい先ほど、元セルダル家執事長だったセバスチャン氏から話を伺いました。こちらベルセリウス卿の証言と照らし合わせて整合性も取れております。今日は何故あってあなたの身柄が『土産』になったのか、聡明な御仁のこと、当然ご理解くださっていると思いますが……」




