16-23 エンドア・ディル(7)3人の役割
次話を2~3日のうちに。
真沙希がダイネーゼの馬車を追ってこの屋敷に到着したとき、すでにここは濃厚な死の気配が渦巻く戦場のようになっていて、最初にエントランスで主人の帰りを待っていたダイネーゼ商会の馬車で御者が襲われたところだった。治癒魔法ではジュノーに及ばないが、目の前で首を裂かれたばかりの男一人を助けるぐらいのことはできる。真沙希は死にゆく男を治癒し命を助けるのと同時に襲い掛かってきた執事の男、トーマスを倒した。
トーマスは13歳の少女を前にして躊躇なく急所を狙ったのだ。まず挨拶がてら、無言で急所を狙う。これは訓練された暗殺者の所業だったが、相手が悪かったとしか言いようがない。まるで温かみのないビー玉のような目をしていたのが印象的だった。
いろいろ考えてみたが埒があかない。
真沙希はエンドアとダイネーゼを交互に見ながら問うた。
「今更だけど、聞いていい?」
応えたのはダイネーゼだった。
「どうぞ」
「この屋敷にいるのはこれで全員?」
ダイネーゼが答えられない質問だったので、この問いにはイングリッドが答えた。
「ええ、これで全員です」
真沙希は小さく何度も頷いた。
屋敷の主、エンドア・ディルは病気に見せかけて毒殺されようとしていた。この男はすでに暗殺せよと指示が出ていたのだ。そしてこんな応接間のような無防備な部屋での密談。さっきは皆殺しにされるところだったと思ったが、殺してしまうよりも攫って拷問にでもかけて情報を引き出した方がいい。どちらにしてもイングリッドやダイネーゼも無事では済まない。
3人のスパイはエンドア・ディルを病死に見せかけて毒殺するという、古典的かつのんびりとした手段で暗殺しようとしていた。ということは、少なくとも体調を崩す前から入れ替わっていたのか、いや、全員が入れ替わって主たちに気付かれないとは考えにくい。最初からスパイとしてこの屋敷に送り込まれたのだと考えた方が自然だ。恐らくはこの執事の男が作戦の指揮者で、現場の判断で強硬策に出たのだとするなら、指揮系統はここで切れている。
「んー、ごめんね。ちょっと訂正するわー。あなたたちは殺されるところだったんじゃなくて、全員どこかに攫われるところだった。この3人は誰かと連絡を取ってなかった? この屋敷に誰か尋ねてくる予定は?」
「定期的には週に2度、食材を持ってきてくれる青物屋の馬車があります。あと不定期にはいろんな業者がくるわ。それ以外にも急な買い出しはそこにいるバリスがしてました」
「ふうん、じゃあこの薬は?」
「南ガルエイアの治癒院からです。月に2度、バリスがもらってきてくれるのですが……」
バリスはいま気を失ってソファーに寝かされている女で、気配を消してドアの前で会話を盗み聞きしていた。武装してなかったので単なる連絡係だと考えてもよさそうだ。
こういう工作員が深く潜り込んでいる場合は定期連絡が欠かせない、単なる監視対象なら月に2度の定期連絡でも構わないだろうが、いまもうエンドア・ディルを病死に見せかけて毒殺すると言う暗殺計画が発動している。ならば月に2回では足りない。週に2回くるという青物屋も極めて怪しい。
「ふうん、じゃあ青物屋って次いつくるの?」
「明日の朝ですね」
「ダイネーゼさんの馬車って、外見からぱっと見であなたの馬車だと分かる特徴あります?」
「あの馬車はグローリアスの会合に出たとき使ったものだ。そんなヘマはしない」
「よかった、不幸中の幸いだわー。じゃあ3人ともどこかかくまってくれる安全な場所ある? しばらく身を隠さないと……」
「ダメだ。私はダイネーゼどのと食料支援の約束をした。これから南部を走り回る必要がある」
「目立った事をするとほぼ100パーセント追手が来るわよ?」
「拾った命だ。今さら惜しいとは思わんよ。ただ願わくばフィービーとパシティアにもう一度会いたい。だから私はアルトロンドを救って、来年の春には胸を張ってセカに行くつもりだ。そんな事よりもイングリッドが心配だ」
「私はもう子供ではありませんので、御心配には及びません。ですがお父さまに刺客が差し向けられたということはカストルお兄さまも安全ではありませんね。私はカストルお兄さまのもとへ向かいます」
「アプロードはどうする?」
「アプロードお兄さまには下手なことを知らせない方がいいです。ややこしいことになりますから」
「そうか……。そうだな、わかった。イングリッドはカストルのもとへ向かい、かくまってもらえ。私はいつ難民が押し寄せてきても構わないよう準備をしておくとする。ダイネーゼどのはどうされる?」
「私は商会に戻って……はああっ、忘れていたっ! ブレナンは無事なのか!」
「ブレナンって誰? 御者のひと?」
「馬車を預けているが御者ではない、あれはうちのマネージャーで、グローリアスのメンバーだ」
「あー、あの人ね。大丈夫大丈夫、馬車で待ってるわよ。ところで話は決まったの? じゃあ私は一番危険なパシテーのお父さんを護衛するっきゃないよね……」
「私の護衛?」
「言ったでしょ? ほぼ100パーセントあなたには追手がかかるって」
「そうだな。だがもし護衛して頂けるのであれば娘、イングリッドの身を守っていただきたい。イングリッドは息子、カストルのもとに向かう。息子も私と同じ政治基盤で評議会議員を務めている。なればカストルの身も、カストルの家族の身も安全ではないのだろう?」
「んー、私は政治のことなんて分からないんだわー。だけどまあ、言いたいことは分かるよ」
「ベルセリウス派魔導師マサキどの、世話になってばかりで申し訳ないがイングリッドのことをよろしくお願いする」
「待ってください! 命を狙われているのはお父さまなのですよ?」
「もとより百も承知だよイングリッド。だがな、私はあの時、フィービーとパシティアを逃がすため、手を離してしまった。あの時はそれが正しいと思った、そうするしかないとおもった。だがしかしその結果は残酷なものだった。なあイングリッド、私はウォンドルレートへ向かい、営農団に事情を話して方針を伝えるだけだ。それで無事に難民たちへ向けて食料を送ることもできよう。これで私の目的は達成される。だがしかし、イングリッド、お前やカストルに何かあってからでは意味がないのだ。むしろお前たちはノーデンリヒトに向かったほうが安全かもしれぬのだからな」
「何を言ってるんですお父さま。一番安全だと思っていた家ですらこの有様なのですよ? 当然ノーデンリヒトにも教会のスパイが送り込まれていると考えるべきです。もし私たちがノーデンリヒトに逃れたことが明るみに出たらディル家は内通していたと言われ、裏切り者と罵られましょう。そうなれば魔族融和運動を支援してくれている人たちにも疑いの目が向けられます。それだけは絶対に避けねばなりません」
エンドア・ディルはパシテーがブルネットの魔女だということを奥歯に噛み締めていた。
娘がアルトロンドの敵になってしまったのだ、この事実が白日の下に曝されたら最期、ディル家どころか奴隷制度を廃止しようといって声を上げる支援者たちも同罪として反逆罪に問われるかもしれない。自分たちだけ助かればいいという浅はかな考えを除外するならばイングリッドの言い分のほうが正しい。
エンドア・ディルは歯噛みしながらも頷いた。
「すまんイングリッド。私はどこまでも愚かな男だ……。パシティアに人を殺させてしまったことを悔いる間もなく、また家族を危険な目に遭わせることになってしまった」
「子どものころから陰口を叩かれたり石を投げられたりするのは慣れています。正直いっていつか神殿騎士が家を取り囲むんじゃないかって思ってましたから、それと比べたら大したことではありません。私の事よりもお父さまのほうが心配です」
「うむ。では私は早速ここから馬車で南へ向かうとするよ。ダイネーゼどの、足のつかない未登録馬車があるなら済まないが譲ってもらえないだろうか、イングリッドをエールドレイクに向かわせたい」
「分かりました。私が乗ってきた馬車は四頭立てなので目立ちます。エールドレイクに行くなら豆とベーコンの定期便があるのでそれに便乗すればいいでしょう。そんな事よりもディル議員、あなたの身体の方が心配です」
「ありがたい……。まさかダイネーゼどのにこんなお願いをするとは思ってもみなかったが、心から感謝する」
「いいえ、イングリッドさんはグローリアスに勧誘させていただきます。今後はどうか私のコネクションをお使いください。えっと……」
ダイネーゼはイングリッドの護衛を買って出た真沙希に発言を求めた。
「ん? え? ああ、青物屋が連絡員だとして、そいつが明日の朝ここに来るのだとしたら、たぶんそれまでは安全だから。できる事なら敵に気付かれる前に安全なところに身を隠しているのが理想だけど? それができないならその間にできるだけ距離をとって、この場から離れて。私はひとまず戻ってから後を追います。追跡スキルもってるからすぐに追いつくし。あー、ゾフィーお願い。念のためこの3人にマーカー付けといてよ」
「あ、そうね。わかりました」




