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16-15 生命の女神



「ヘリオス……会いたかっ……」


 アリエルは『会いたかったぞ! このクソババア……』と、そう言いそうになってやめた。

 この映像ヴィジョンはサマセットの地下に安置されていた魔法陣が起動したときに体験したものと似ている。同じものだとしたら録画されたものを再生しているだけで情報は一方通行だ。いまここでアリエルが何を言ったところでヘリオスには伝わらないはず、しかし吐き出そうとした言葉を途中で飲み込んだアリエルに向かって、ただの録画映像であるはずのヘリオスは続けた。


「ほう、このヘリオスに会いたかったと? そう言ったのですか?」


 アリエルは注意深く周囲を警戒せざるを得なくなった。どういう仕組みなのか分からないが、どうやら会話が成立している。もしかするとアリエルの知らない魔法かもしれない。


 アリエルは映像のヘリオスから視線を外さず睨みつけながらも、ドーラ軍の中に触媒となりこちらの映像をヘリオスに流している者が居るかもしれないと訝った。


「ああ。今度こそこの手でその細い首を絞めて殺してやる。あんたも生きるのにはもう飽きただろ?」


 ヘリオスはアリエルの軽口に動じることなく目を細め、小さく首を横に何度も振りながら諭すように答えた。


「そんなことをするとあなたも死んでしまうのですよベルフェゴール。あなたはわたしと生命いのちを共有しているのです。あなたの命はわたしの命、わたしの命はあなたの命なのです、自らを死なせるような行為はやめておきなさい。わたしはあなたにアルカディアという世界をまるごと一つ与えました。アルカディアに帰って永遠に生きなさい、世界の王になるのも、世界を滅ぼす破壊神になるのも、あなたの自由です。ですが他の世界に干渉しないでください、あなたはわたしと同じく、永遠を生きねばならない運命さだめにあるのですから」


 優しく言い聞かせるように響くヘリオスの声も、アリエルの苛立ちに油を注いだだけだった。

 ヘリオスのもつ不死の権能は、ベルフェゴール第二の妻だったキュベレーを殺して奪ったものだ。そんなヘリオスをそのまま生かしておくだなんて考えられない。


 アリエルは唇を噛んで血が流れるほど自制心を失っていた。

 この女は何を言っているのか、娘を殺され、妻を殺され、自分を英雄王と慕ってくれていた忠実な国民は皆殺しにされた。国土も焼かれ、世界樹も倒された。お詫びのしるしに世界を一つくれてやるからそれを自由にしていいなどと言われて、本気で過去のことを水に流してもらえるとでも思っているのか。


 たとえばプロスペロー、いやクロノスは何度も人生を妻として過ごしたイシターの腹から生まれてきた。1万6000年もの長きにわたり配下として仕えた夫婦を復活させるとき、先に女に命を与え、他の男と結ばれて愛する男を生めといったらしい、その神経が理解できない。


 アスモデウスはアルカディアから二度も脱出することに成功したアリエルを倒すためだけに、合成獣人なるキメラを作ってそれを依り代に転生させられた。

 生命を共有するアリエルたちを殺せないと知ると、いつかヘリオスにたどり着く能力を持つゾフィーを攫って異次元に閉じ込め、アリエルとジュノーは別の世界、アルカディアに閉じ込めた。


 ヘリオスは人に対する愛情なんてこれっぽっちも持ち合わせちゃいない、冷血の、いや本当に赤い血が流れているのかどうかすら怪しい、まるで機械のような女だ。ヘリオスが生きていること自体が許せない。


 落ち着いて大人が子供を諭すような口調でたしなめるヘリオスに我慢できなくなったアリエルは声を荒げ、早口でまくし立てた。


「いまさら死など恐れるか!、俺は世界などいらない。俺の望みはヘリオス! お前のいない世界だ。今度こそ不死の権能、返してもらうぞヘリオス。その時までその豪華な玉座に座って待ってろ、俺が会いに行ってやる。必ずな!」


 それはアリエルがヘリオスに対し、今更だが初めて本人に直接伝えることができた宣戦布告。

 アリエルの口上を聞いたヘリオスは瞑目し、ただ残念とばかり俯いたのを最後に、まるで朝もやのように空気の中へと消えていった。


 ディランの男は気配が完全に消えている。どうやら本当に死んだようだ。水分を吸い取られて乾燥して死んだかのように見えたが、肌の感じや髪色の変化などから察するに急激に老化が進んだようだ。


 このディランは光の権能を持って生まれてきた。恐らくはヘリオスがこのディランの身体を作成したときから てくてくの闇魔法で記憶が読み出されることも予め分かっていたのだろう、予め光の属性防御を組み込んだうえで、急激に老化させて老衰死を作りだした。ジュノーの目の前で人を殺すことは難しい、ジュノーの治癒の権能を無効化させる方法などそうあるわけではない。


 ヘリオスは命を与え、魂をおろすその肉体までをもカスタマイズして作り出すことができるし、用済みになったらいつでも思ったときに殺すことができる。治癒魔法を受けたとて確実に殺すための手段というのが老衰なのだろう、ジュノーの治癒魔法では老化を治癒することができない。アリエルがスヴェアベルムに来てから作られたヘリオスのしもべには当然こういった対策もされていると考えるべきだ。


「趣味がいいとは言えないな……あのババア……」



 いましがた声を荒げたアリエルに気付いたロザリンド、パシテーもいま、立体映像のように現れたヘリオスの姿を見て絶句していた。あの女はアルカディアをアリエルに与えたと言った。自由にすればいいとも。たった今アリエルと会話していた女神は、この世界の所有者なのだ。


「ふうん……16000年以上生き続けるババアって聞いてたから凄いの想像してたけど、まだまだ現役でいけそうな肌艶はだつやだったわね……」


「そうなの、アンチエイジングすごいの」


「おいおい、そこらの有閑マダムと一緒にすんなよ、あのババアこそがこの世界の所有者だからな。もちろんここいらで普通の生活を営んでいる者たちも、ドーラの戦士たちも、みんなあいつの所有物なんだよ。俺たちのことなんか害虫ぐらいにしか思っちゃいない、そんな奴だよ。こいつも始末されたしな」



 アリエルがディランの亡骸なきがらを検分するため遺体の服に短剣を引っかけるようにして破ると、背中が露出され、そこには刺青いれずみとして施された魔法陣が残されていたが、それも時間の経過とともにスーッと消えていってしまった。アリエルもその周到さに舌を巻いた。ここまでされるとお手上げだ。


「やられたな……。ゾフィー? 魔法陣を自動オートで消す技術に心当たりないか?」

「新技術ね、私には分からないわ。だって寝てたもの……。でも魔法陣をマナで書いていたとしたら、うーんと、死んでしまうと当たり前だけど消えてしまうわよね?」


 もう言葉も出ない。

 つまりアスモデウスではアリエルたちに勝てないことも分かっていながら、メッセージを託すという意味合いも含めて、単独で送り出したということだ。しかも急激に老化を進めて死に至らしめる自殺プログラムも持たせ、光の映像魔法を介してアリエルと話すためか、ディランの男を作ったとき光属性を持たせた。てくてくの闇魔法対策だ。光属性を持たせたことにより、記憶を覗かれるというリスクなく、アリエルたちに堂々と接近戦を挑むことができるようになった。


 そしてその仕掛けそのものを作り出していた魔法陣もマナで書いたものだとすると、自殺プログラムが発動し命尽きたら消失する。マナが揮発し消失してしまうまで多少の時間差はあるが、それも死んでから身体が冷たくなってゆくのよりも早く進む。つまり証拠隠滅しょうこいんめつのほうも完璧というわけだ。


「やられたよ……、今後もこのパターンで奇襲されるのはキツいぞ」


「そうかな? 逆にヘリオスたちも迂闊に動けないと思っているかもしれないわよ? だってサオの力は想定外だったと思うし、ジュノーを守る盾という意味では、私やあなたよりもサオのほうが遥かに強いわ。それにディランの幻影を見破る目をもってる。凄いわよね、幻影を見破るなんて。あとで教えてもらわないと……。うふふっ、私も弟子にしてもらおうかしら」


「笑い事じゃないって。まず弟子はやめとこうな!」

「でもさ、私が眠ってる間にずいぶん魔法技術も進歩したのね、あのヘリオスと顔を見ながら話ができるだなんて、私たちの生きた時代では考えられないことだわ。ほんとうに魔法に不可能はないのね。私ももっともっと勉強しないと、取り残されてしまうわ」


 ゾフィーには悪いがアルカディアではスマホ持ってれば魔法なんて使わなくても簡単にできることだ。

 スマホも使わず魔法だけでやってしまえるあたりが凄いんだ。魔法陣が残ってさえいればゾフィーに解析を頼んで、その結果をもとにジュノーが起動式を作り出せるのだが……。



 ……。



 ……。



 おかしい。

 アリエルはひとつ大きなため息をついて、その場で考え込んでしまった。


 ディランの男はアリエルの前に引きずり出されたときすでに気を失っていて、老化の自殺魔法が発動してからは地に伏していた。ディランはアリエルの顔を見ようともしなかった。

 ディランの男が見た景色がヘリオスの前に映し出されているものだとばかり思っていたが、どうやら違う。だれかロケ現場のカメラマンのような者がこの場にいて、アリエルの映像と音声をヘリオスの側に送っていたのだとすればどうだろう?


 ハッとした。

 アスモデウスとディランの横に居た女だ。初めて見たときは神官服を着ていたから幻影かもしれないと思っていたが、気配はあった。

 ゾフィーの転移魔法で接敵したとき、フードのアスモデウスともう一人、疲れたような顔をした女が姿を消した。アスモデウスとは戦闘になったが、もう一人の女は未だ所在が不明だ。


「なあゾフィー、ヘロヘロに疲れたような女が居たはずなんだが、見てないよな?」

「心当たりがないわ。そいつがまだここにいるの?」


「幻影だと思ってたんだが……」

「そんなに強い印象をもたせる必要があったってこと? 姿を隠すなら街の雑踏の中のひとりのように、すれ違ったとして顔も覚えられないよう印象そのものをなくした方が好都合よね? その人は幻影じゃなく実体だったと考えた方がいいわ」


 ゾフィーの言うとおりだ。

 ということはこの中に敵が少なくとも一人は紛れていると考えたほうがいいってことだ。


 アリエルはロザリンドにも声をかけてゾフィーと3人、ジュノーの傍らにくっついて護衛することにした。


「しんどいのに邪魔! なに突っ立ってるのよ、あなたたちも手伝いなさいよ、ケガ人はまだいるの!」

「まあまあ、サオがマナ欠で倒れたんだ、俺たちは護衛だよ、護衛」


「パシテーの幻影で位置をずらして見せてるから大丈夫。邪魔だから手伝わないなら少し離れてて」


 アリエルはゾフィーと顔を見合わせて微笑んだ。もうお手上げという表情だ。


 なにしろ二人はパシテーの見せる幻影すら見破ることができず、いまも幻影の方に話しかけたのだから、笑うしかない。


 ジュノーが守られているならこの場にいるかもしれない敵を探したほうがいい。

 とはいえアリエルにできる事は多くない。ジュノーの治癒魔法を求めて近づいてきたケガ人をひとりひとり確認していると、知った顔がそこにあった。


 忘れていたが、けが人の中に魔王フランシスコとの会談を目的として来ていたグローリアスの幹部、南方諸国アムルタ王国の使節団(に偽装したグローリアスの幹部ヒッコリー)が居て、アリエルに気付きはしたが気まずそうにジュノーの治療を受けていたので、少し話をすることにした。


「ヒッコリーさん? でしたっけ。ご無事で何より……」

「ああっ、ベルセリウスどの……。いやはや、いまは無事に生かされただけであります。さきほどのあの戦闘を見せられ、我々は思い知らされました。あなた方とは戦えません。魔王さまとの会談も不発に終わりましたが、まだ諦めません。何度でも会談を申し込みます」


「どんな交渉してんの?」


「ベルセリウス卿が言われたではありませんか。ドーラ軍がアムルタを攻めたりしないよう、敵対する意思がないことを伝え、和平を結ばねばなりません」


 なるほど、ヒッコリーはまだノーマ・ジーンの決定を知らないようだ。


「グローリアス最高責任者の決定を聞いた?」


「いえ、存じませぬが?」


「グローリアスは次期魔王、サナトス・ベルセリウスを支持して、この国の王にするって言ってたけど?」


「なんと!!!! それはグローリアスの最終目的であります。ノーマ・ジーンはシェダール王国を倒すといったのですね! いやしかしそれは急ぎ過ぎであります、我がアムルタ王国の王女さまが現シェダール王妃でございまして、シェダール王国とアムルタは親戚関係なのです。とほほ、我が王になんと言って説明すればよいのでしょう……」


「じゃあどうする? シェダール王国より先にアムルタが倒されるだけだ。ヒッコリーさんの交渉に国の未来がかかってるよ、頑張ってね」


「ひいいいぃぃっ」


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