16-06 予期せぬ遭遇戦(3)ディラン
―― シュパッ
―― トスッ
狙われたのは危険を回避するため、一番後ろに立っていたジュノーだった。
一瞬のよそ見、背後で起きた出来事にアリエルたちには為す術などない。
それは入念に張られたいくつもの伏線の結果、複雑に絡み合う蜘蛛の網のような罠だった。
「か……かはっ!」
ジュノーはわが身に何が起きたか理解できず、咳き込み、ねっとりとした血を吐いた。
咄嗟に振り返ったアリエルの目に映ったのは、胸から剣が突き出ていて、同時に首も裂かれたジュノーの姿だった。傷が深い、急所を2か所同時に攻撃されている。
一目見ただけで分かる。
これはアリエルの自己再生じゃあ救えない致命傷だ。
「「 殺ったあああ! 」」
してやったり! と鬨の声を上げたのは、さきほどダミアンを尾行して建物内に入った男たち。真沙希が後を追ったまではよかったが、そのあと見失ったことがあだとなった。
アリエルたちはスキを突かれ、パーティ戦闘のセオリー通り、まず最初に治癒の権能を持つジュノーが狙われたということだ。
ジュノーの胸と首からおびただしい量の血液が流出したのを確認すると、二人の暗殺者は勝ち誇ったようにニヤリと笑って見せた。
困難な任務を達成し、狙った獲物を倒したのだ。
自分たちの仕事はもう終わったとでも言わんばかり。ここにビアジョッキがあったなら歓喜して祝杯を挙げたろう。
アリエルたちの前に姿と体を晒してジュノーを襲撃し、そして剣を突き立て、首を斬ったのだ。暗殺が成功しても失敗しても、どちらにせよ、もう命が助かるわけないことも、当然織り込み済みだった。
二人の暗殺者はたったいまターゲットを殺すことに成功した。
勝利して死んでゆくのだ……。二人の暗殺者は、さも『してやったり』といった表情を崩さず、それはそれは狂ったように笑ったかと思うと、こともあろうに自らの首に剣を突き刺し……自害してみせた。
自らの喉に剣を突き立てるのに、戸惑いも躊躇も、迷いもない。粛々と殺して、それが成功しても失敗しても自らの手で命を絶つ。あらかじめそう決めてあった。
二人は清々しく死んでゆく、はずだった。
……。
……。
だがしかし、暗殺者二人の首からは血の一滴すら流れないばかりか、傷つけたはずの喉には猫に引っかかれたほどの傷すら残っていなかった。。
暗殺に成功したはずの二人には一体何が起こっているのか理解できなかった。
混乱する。
なぜ死ねないのか。
なぜ血が流れないのか。
お互いに顔を見合わせた。なぜ傷も残らないのか。
その理由は単純明快なものだった。
自害しようと首に立てた剣は確かに頸動脈を傷つけた。だが、血液が流れ出る前に治癒されていたという、ただそれだけの事だった。
暗殺者たちは暖かい光に包まれていることに気が付いた。
たったいま胸を刺され、首を斬られたはずのジュノーから流れる大量の血液がピンク色の花びらになって風に散り、霧散して消えてゆくさまが見えた。
混乱に拍車をかける耳障りな音が聞こえてくる。
―― ボキッ! ボキボキッ!
ロザリンドだ。ロザリンドが指を鳴らしながら、心なしか紫色のオーラを纏っている。
いや、ゾフィーは指の関節と同時に首までゴキゴキ鳴らし始めた。いつもの優し気な眼差しが今に限ってマジ不機嫌だ。
「なるほど理解しました。こいつらを殺せばいいんですねっ」
サオが作戦を無視して声を出しやがった。おかげでサオの姿を隠していた幻影は消失した。
そういえばサオはどう動けばいいかなんて分かるわけがない。最初から話についてこれてないのだし。
いつものように指を鳴らす仕草だけ真似て、その実指は鳴ってない。
だが顔だけはいちばんイキってる。
ゾフィーとロザリンド、二人の瞳が赤く光っているように見えた。残念ながら二人の暗殺者は簡単に死なせてもらえない。無限地獄に引きずり込まれる事になるだろう。
もちろんアリエルは口を出さないことにした。
どうせ死ぬ気だったんだ。
気が済むまで拷問をうけて、最終的にはちゃんと殺してやるのだから問題はない。
ただ死に方が変わるだけだ。
----
二人の暗殺者は作戦の成否にかかわらず、どちらにせよアリエルやゾフィーを無視してジュノーを倒すことだけを目的としていた。ということは、ジュノー暗殺に失敗した後どんな目に合わせられて、記憶を覗かれることも当然分かっていながら送り出されているということだ。
つまり、いくら拷問したところで情報を引き出すことは出来ないということ。
そもそもこちらの知りたいような情報を持ってるわけがない。
「ああそいつら殺してもいいよ。どうせ情報なんかもってない」
「そうなの? じゃあ一番痛そうな殺し方をさせてやろうかしら?」
「私そういうの詳しいんだ! ゾフィー、教え合いっこしよう」
「まあ、気が合うわね……」
「おまえら……」
幻影とはいえジュノーが背後から襲われ背中を刺されたのを目の当たりにした。
そうだ、前世でロザリンドが殺されたとき、アリエルの背後から胸を刺し貫かれたのを覚えてると言った。それを今でも夢に見てうなされると。
アリエルも同じく、パシテーが落とされたことを覚えているし、ロザリンドが殺されたときのことも鮮明に覚えている。そして、サオが背中を貫かれたときのこともだ。
「ロザリィ……、殴るトコ残しといてくださいっ、ムカつきます!」
サオの願いはきっと叶わない。ロザリンドがそんな気を利かせてくれるとは思えない。
血を流していたジュノーの身体がピンク色の花びらに変わり、ざあっと音を立てて流れると、本人がゾフィーの陰からひょこっと顔を出した。パシテーの幻影でジュノーの位置を誤認させられていただけという、種明かしをすれば簡単なことだがゾフィーの転移魔法と合わせることによって最初の位置すら分からないので幻影だという事がバレるリスクはほとんどない。
アリエルは皆の無事を確認し、二人の暗殺者が断末魔の叫びをあげる中、それを涼しい顔で聞き流しながらダミアンに問うた。
「で、ディランのダミアンさん、俺はどこに注目すればいいんだ? いや、ダミアンって男はもうとっくに殺されてるだろうな、入れ替わったお前は誰なんだ? 改めて自己紹介してほしいな。あんたの幻影には騙されたよ」
ディランの一族。
パシテーの祖先がディランだと思われる。昔から幻影を操ることを得意とした森エルフの一族だった。ジュノーいわく『敵に回したくない雑魚ナンバーワン』という名誉なのか不名誉なのかよくわからない異名を持つ。
二人の暗殺者はゾフィーとロザリンドにギタギタにやられてしまって、もうやるところが残ってない。サオは残念そうだ。しかし自分の出番がないのではないかと心配しながらアリエルの傍らに歩み寄ったのが幸いしたのか、目の前にいるダミアンをじっくり見て違和感に気付いた。
「師匠! こいつ顔を変えてます! 本当の顔はブサイクですっ!」
サオの言葉にアリエルだけじゃなくジュノーも振り返った。
「ええっ? おまえこいつの幻影見破れんの!?」
「はあ? どう見えるのよ? この男も幻影なの?」
「ブサイクです。見たくなかったです! ……あれ?」
サオは何かに気を取られたのか、何もない空を見上げた。
アリエルもジュノーもサオに釣られて視線を追ったが違和感すら感じない。視力だけは世界一なんじゃないかってジュノーですら何も見えないらしく、ただ空中をキョロキョロと探すのみだ。
サオにブサイクと指摘され顔を隠しながら一歩、二歩と下がるダミアン。ジュノーを狙いさえしなければ同情してやったかもしれないが。
「ゾフィー、アンチマジックをこいつに」
ビチャッ! ビチャッ! と殴っていた暗殺者がボロ雑巾のようになり、もう動かなくなったのを確認したゾフィーは殴り殺した男をその場にポイッと打ち捨てるとゆっくりと振り返って、チラっとダミアンを見た。
刹那、紅い眼が少し光った気がした。
フィールド化しない通常のアンチマジックが起動した。フィールド化するとゾフィーが中心になり、また座標固定でもされたら面倒だと思ったのだろうか。しかしこれでダミアンは魔法の一切を禁じられたも同然だ。
ダミアンの身体から黒い魚の鱗を彷彿とさせるマナの表皮がザラザラッと音を立てて剥がれ落ちる。正体を現したのは取り立てて見覚えもないただのエルフ男で、看破されたことに驚いた様子ではあったが、唇を歪めて不敵に笑って見せた。
ついでに言うと、サオの言ったとおり、エルフにしてはブサイクな男だった。
フォーマルハウトの次ぐらいにブサイクと言えば分かりやすいだろうか。
幻影を見破られたくせに何を笑っているのか? アリエルが訝った刹那のことだ。
サオの視線の先には、さっきアリエルが見失ったローブの女が空中に浮かんでいて、ゾフィーのアンチマジックが起動したおかげで、ようやく気配もハッキリと感じることができるようになった。
高い、五階建てマンションの屋上よりも高いところにいて、風に流されることもなく制止している。飛行魔法は地面から離れれば離れるほど不安定になる。だがしかしあの女の空中浮遊は安定していて、魔法強度の高さが窺える。
あの女の魔法? まさかアスモデウスはまだ近くに居る? いや、漏れるマナの感じがらして土魔法ではなさそうだが……。
ゾフィーのアンチマジックが届かない間合いに浮遊していて、あの女もディランの幻影により姿を隠していた。
間合いも知られている。
あの女の事をもっと警戒しておくべきだった。




