16-04 予期せぬ遭遇戦(1)
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アスモデウスが霧のように消えてしまったあとでもアリエルたちは戦闘の構えを解かず周囲を警戒していた。宣戦布告を受けたのだから、ゾフィーのアンチマジックの中、黒い霧のようになって消えてしまったそのタネ明かしをしておかないと後々の戦いが不利になる。
訝るアリエルの傍ら、訳の分からない魔法を見せられたせいか、ダミアンが分析のための魔法を唱えた。
分析魔法を大雑把に説明するとマナを霧状に振り撒いて相手の使ったマナの残滓を調べるための魔法だ。
……。
ゾフィーは何も言わずになにか考え込んでいる。
ダミアンもアンチマジックの外に居たというだ。魔法を使えるのは問題ない。
が、しかしアスモデウスが出てきたフェイスロンダ―ル卿のテントを警備するフェイスロンド軍の兵士を見て気が付いた。
フェイスロンド軍の警備兵も強化魔法が消えておらず、いまだ健在なのだ。
アスモデウスの言ったアンチマジックの対策とは、まさか無効化させる系の技術なのだろうか。
アリエルが神経を研ぎ澄まして周囲の気配を探っていると突然、背後の高いところに一つ気配が増えたのを感じた。突然だ。突然、パッと気配が現れた。
すぐさま振り返って気配のする方向を見ると、さっきまでアリエルたちがいた建物の屋上に人がひとり現れていた。小さなシルエットが長い黒髪を翻すように風に吹かれている。顔が見える距離じゃないがアリエルには分かった。真沙希が戻ったらしい。
「ダミアンさん、分析の続きをお願いできますか? 俺たちはさっきの建物の屋上に戻るから」
「は、はい。わかりました」
分析魔法のほうはダミアンに任せるとして、アリエルはゾフィーに目配せし『パチン!』でさっきの建物の屋上に転移して戻ると目の前には真沙希がいて、少し不機嫌そうにしていた。
「もう! アンチマジック置いたままにしないでよ。戻った瞬間に姿も気配も晒してしまったじゃん」
……?
アリエルは絶句し、ゾフィーは眉をしかめて咄嗟に振り返り、真沙希のほうを見た。
真沙希は建物の屋上に戻った瞬間、アンチマジックが展開されていて自分にかけていた姿を消す光学迷彩魔法と、気配を消す魔法が消失したと言った。
ゾフィーの身体を中心に展開されているはずのアンチマジックフィールドが建物の屋上にあったということだ。
真沙希が戻ってきたとき、アリエルたちはアスモデウスたちが居たフェイスロンダ―ル卿のテント前にいて、ゾフィーのアンチマジックはそもそもゾフィーを中心に展開していたはずだが、その実、建物の屋上にアンチマジックが設置されていたという事だ。もちろんゾフィーのアンチマジックフィールドは設置型ではない。
ゾフィーの身体と一緒に転移してついてくるのが正常なのに、展開した魔法だけが転移する前の建物の屋上に残ったということだろう。
アスモデウスの言う対策とやらの正体が分かってきた。
「ゾフィー?」
アリエルはチラッとゾフィーを見た。名を呼んでも返事もしない。俯き加減でなにか考えているのだろう。集中していて名を呼ばれても耳に入らないようだ。
アリエルはゾフィーの顔を下から覗き込んだ。
「どうした? 心当たりでもあるのか?」
ゾフィーは重く垂れる頭を持ち上げるよう額に手を添えると、小さくなんどか頷いてみせた。
いまアスモデウスたちと遭遇したとき不可解な現象が起きた、そのうちいくつかのことに対してゾフィーは正確に理解していた。つまり、ゾフィーを中心として発動するはずのアンチマジックが、その前に居た建物の屋上に残されたまま効果を発揮し続けていたことだ。
ゾフィーの反応が鈍い。
アリエルはアンチマジックがゾフィーと離れた場所で展開されたままになっていたことに何か心当たりがあるかと聞いた。
真っ先に浮かんだのは《 空間座標の操作 》 だ。
ゾフィーはその技を使う者に心当たりがあった。
アリエルには心当たりとまでは行かないものの、いま受けた不可解な現象が時空魔法によるものなのかもしれないと思った。まずは時空魔法使いであるゾフィーの意見を聞きたい。
「そか、じゃあ説明してくれない? こっちも対策しておかないと奇襲されたらマズいタイプの敵だろ?」
ゾフィーは物憂げな視線をアリエルに向けながら小さな声で呟くように名前を言った。
とても言いづらそうに。
「ルビスならできるかもしれない……」
ルビスのミドルネームを名乗るロザリンドは驚いたように顔を上げ、ルビスと聞いて黙ってられないジュノーがネストから飛び出してきた。
ルビスはゾフィーの姉で、ジュノーにとっても姉のようなものだった。
アリエルの知るルビスは16000年前の大戦に参加せず、戦禍を逃れてオーガ族のオベロンと共にスヴェアベルムに帰り、どこかへ身を隠したはずだが、ロザリンドたち魔人族がオベロンとルビスの子孫だという話だから、北のドーラ大陸へ逃れたのだろう。たしか幸せに暮らしたという言い伝えもある。
「どういうこと? ルビスが居たの?」
「違うよ。ルビスの訳がない。たまたま時空魔法を操る者が敵になっただけだ」
アリエルの言葉はゾフィーにはただの気休めのように聞こえた。
「……他に誰がいるの?」
「ちょっとまって! ルビスは戦闘で時空魔法なんて使わなかったじゃん」
「使ってたわよ。ルビスの時空魔法は敵の使う障壁とか強化の魔法、そんな自分を中心に展開する魔法をその場に固定するの。座標の操作というより固定ね、敵が障壁魔法を使ったらそれをその場に固定して、気付かずに移動したときに障壁が外れるだけだから目立たなかったのよ」
ゾフィーは実の姉、ルビスが敵の側についたのではないかと思って不安になっているようだ。
だがアリエルはまた別の可能性を考えていた。
「なあゾフィー、結論を急いじゃダメだ。アスモデウスと一緒にルビスも転生させられて、いまここで生きているとしても、俺たちに何も言わず敵になるなんてことは考えられない。もしルビスが居たら、今日の自己紹介で顔を見せているよ」
「う……うん、そうだね。考えすぎ……よね」
ゾフィーは釈然としないようだが、とりあえずはアリエルの言葉に留飲を下げた。
ルビスにしかできない魔法を使って見せたのなら、ルビスが顔を出してもいいはずだ。それなのにアスモデウスはアンチマジック対策としか言ってない。これは明らかにゾフィーへの挑戦状だ。
あの場で戦闘したとして勝てるとでも思っていたのだろうか?
勝てると確信していたか、もしくは、戦闘にならないと考えていたか……。
いや、勝てると確信していたらあの場で戦闘を開始することに何の躊躇があるのだろうか。
気配も不可解だった。なぜあれほど落ち着いていられるのか分からない。アリエルですら殺意が漏れたというのに、歯噛みする音が聞こえてきそうなほど強固に我慢していたアスモデウスの気配が波立ちもしなかった。まずこれが信じられない。
加えてゾフィーにルビスだと思わせる座標固定の魔法。
おかしい。
「なあゾフィー、アンチマジックの魔法に座標固定の魔法なんて効果あるのか?」
ゾフィーもそのことを考えていたのだろう。いったいどうやればアンチマジックをかいくぐって座標固定の魔法を使ったのか。
「私もそれを考えています。だけど……」
ということは、アンチマジックに対して魔法でどうこうできるわけがないということだ。
アリエルたちは思考の袋小路に迷い込んでしまったように手がかりを失ってしまった。
この問題は先送りにするべきではない。アンチマジックが固定されていた現場で、何があったのかしっかり確認する必要がある。
「兄ちゃん、いい?」
真沙希が小さく手を挙げて、思案に暮れるアリエルを呼んだ。手は上げなくていいのだが。
「何だ?」
「尾行してたやつ、探したけどいなかったんだ……」
「え? どういうことだ?」
「あのエルフの魔導師を尾行してきたという二人の尾行者なんていなかったのよ」
「ちょっとそこ詳しく」
「どこを?」
「尾行者ここから見えてたのに、居なかったって話を詳しく」
「うん。尾行者は二人、ここから見えてたわよね? それで私たちがあっちの建物に入ったと思ったのね、建物に入ったところまでは私も確認したの。でも気配と姿を消して建物の中に入ったら居なかった。私は兄ちゃんほどの索敵スキルもってないけど同じ建物の中に居る人の気配ぐらい分かる。あの建物の中に気配はなかったし、念のため全部の部屋を探したけど誰も居なかった」
「そうか……。わかった」
アリエルはアスモデウスと対峙している間、目の前に居る者たちの気配を探ることにかまけていて、背後で真沙希が追う尾行者たちの気配はノーマークだった。これも反省点だろう。
これはアスモデウスたち4人が黒い霧になって空気に溶けてゆくように消えたのと同じ現象だと考えた方が自然だろうか。アリエルはこの件についても不審に思っていた。
最初から真沙希を引き離すためだったんじゃないか? という疑念があったけど、そうじゃないとすれば?
だとすれば何のため?
アスモデウスはアリエルたちが転移した場所を睨み殺すんじゃないかって勢いでマジ睨みしてた。
あらかじめこの建物の屋上に誘導されたのだとしたらどうだろう?
ここからあっちのテントの前に転移した時からもうすでに術中にはまってたのかもしれないと思ったが、もしかすると……もっと前から伏線が引かれていたのだとしたら?
アリエルは顎を指で掻きながらパシテーに目配せを送った。
「パシテーの考えを聞かせてほしいのだけど?」
「たぶん兄さまと同じ考えなの。だから不意打ちを受けてもいいように全員の立ち位置をずらして見せているの」
アリエルは目を丸くして驚いたが、灯りが付くように気付いた。なるほど、そういえばさっきからピンク色の花びらが少し舞っていた、しかしパシテーも腕を上げたものだ。
「じゃあちょっと俺たちの姿をこの場に固定しといて。ゾフィー、この建物の階下に転移よろしく」
「わかったの」
「はい。わかりました」
アリエルたちは建物の屋上に幻影を立たせたまま真下、つまり建物の二階に転移してみたところ……。
ぼんやりとした魔気の光が室内に充満していた。
やはり予め屋上に転移するよう、うまく乗せられ誘導されたということを理解した。
そこには室内いっぱいに大きな魔法陣が起動していた。ディオネが開発したマナで動作するものではなく、魔気で動く真正の魔法陣だ。ゾフィーのアンチマジックはマナの働きを阻害することで魔法を使えなくしている。
魔法陣には効果がない。
ゾフィーの解析を聞かないと分からないが、恐らく絶賛起動中のこの魔法陣の働きでゾフィーのアンチマジックは起動した場所に固定されたということで間違いないだろう。
アリエルたちはまんまとしてやられたというわけだ。




