16-01 グランネルジュの異変(1)
15章おしまいの話になる予定でしたが、16章最初の話という事でお願いします。
新章はじまりました。
アリエルはプロスペロー(クロノス)の動向というよりも、プロスペローが神聖典教会で何をしていたかということが気になった。10万からの神兵がいて、そいつら全員プロスペローの部下だという。指示を出したいだけならプロスペロー自らがわざわざ足を運ぶ必要もなく、使いの者をやればいいだけだ。英雄アザゼルがわざわざいかなければならない理由があるとするならば、それはいったい何なのか。その理由が知りたかった。先にグランネルジュへ行って、魔王軍の侵攻を可能な限り遅らせたら次はアルトロンドに行くつもりだ。
ノーマ・ジーンに手渡された賄賂など現役の元老院議員たちの汚職の証拠はひとまずアリエルが預ることにしたが、コーディリアがペラペラとページをめくって、指で文字を追い、名前と数字を確認しては憤っていた。仮にも王国を動かす議会の者が、賄賂を受け取っていたなど信じられないどころか、驚くべきはその数の多さだった。
「腐敗極まれりね……ねえアリエル、あなたの名前を有効に使っていいならプロテウスの元老院議会、私に任せてほしいのだけど?」
コーディリアが元老院議員脅迫の実行犯を任せろと言い出した。普段ならやめとけと止めるところだが、無力でただ助けを待っていても何の役にも立たないことを知ったコーディリアは自ら率先して悪に手を染めようとしている。さっきからの話を総合すると、あれほどグローリアスを批判していたコーディリアも、ついにはグローリアスの片棒を担ぐと言っているのだ。
ノーデンリヒトの手の者が王国議会を動かすと、いずれ必ずその犯罪は白日の下に晒されノーデンリヒトは求心力を失うかもしれない。だからこそ、そういう汚れ役はアリエルがすべきだと思っていたが、コーディリアが『アリエルの名前を使って』肩代わりしてくれるという。
アリエルはノーマ・ジーンから預かった書類をぜんぶコーディリアに預け、任せることにした。
もちろんこんな悪名でよければいくら使ってくれても構わない。
一方コーディリアは戦犯として捕えられている父アルビオレックスと異母リシテアをうまく救出したいと考えていた。
王都プロテウスは死んだはずのアリエル・ベルセリウスが戻って来て、挨拶がわりにセカ港をまるごと吹き飛ばしたのを目の当たりにしたことで、次はプロテウス城が消し飛ぶ番だと怯えている。
神殿騎士団の本部からアルビオレックス(中略)ベルセリウスの身柄をプロテウス城へ移されたのも、国王がアリエル・ベルセリウスを恐れたからだと考えられている。
『アリエル・ベルセリウス』の悪名がシェダール王国を相手に脅しに使えると知れただけで悪名ここに極まれりだ。今更脅しに使われたところでどうってことない。
コーディリアも顔を見せて議員を脅迫するのだから多大なリスクを負うことになるが、逆に言えば弱みを見せることで相手方も『いざとなったら自分たちだけトカゲの尻尾切りのように切り捨てられる』心配から逃れることができる。
コーディリアはあれほど嫌っていたグローリアスのコネクションを使って、これまで出来なかったことを実現するつもりだ、奴隷商人などという、これまで卑劣だと思っていた者から受けた敗北感というものは、思っているよりもずっと心を打ちのめす。
コーディリアは何か自分にできる事はないか? と心の中で問うた。
その回答がこれだった。
ハーフエルフ、コーディリア・ベルセリウスは未来のため悪を行うと決心した。
アリエルには止める理由がない。
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その後アリエルは孫のアイシス、ハデスたちと触れ合ってホクホク顔のジュノーやロザリンドたちと合流し、その夜は工房のある広場の片隅でネストに沈んで眠ることにした。
エアリスはビアンカと、センジュ家のお婆ちゃんと、そしてヘスティアと一緒に一夜を過ごし、戦場のピリピリした空気と強いストレスに晒され続けた、変調をきたしつつあった精神と身体を休め、リフレッシュさせた。ただゾフィーだけ孫たちと触れ合えずブツクサ文句を言ってたが、ジュノーに『ゾフィーはサナトスが小さな頃からずっと見てきたんでしょ? まだゾフィーの方が多い! ズルい!』と言われ押し切られていた。
朝ごはんはアリエルがワカメの味噌汁を作ってやった。これをサオとエアリスに食べさせようとしたら、まず味噌の匂いを嗅いだサオが金剛力士像のようにしかめっ面をしてみせた。
「師匠、これ腐ってます」
「おまえチーズすげえ美味いって言ってたろ? チーズ嫌いのポリデウケス先生が腐ってるから人の食いもんじゃないと言ってるのと同じだ」
「チーズは発酵してるんですっ。でもこれは腐ってます」
「味噌とチーズは似たようなものなんだ、まあ騙されたと思って食ってみろ。な」
サオは結局アリエルに押し切られ、まるで汚物でも口に近付けられているかのような渋い表情のまま無理やり味噌汁を口に入れられた。
「うええええええええっ、しょっぱいです。なんか濃ゆいです……。やっぱり騙されました! ひどいです」
日本人として味噌汁のある生活が長いジュノーが珍しくサオを庇うようなことを言った。
「味噌汁のデキは合格点よ、でもパンには合わないわこれ。ご飯炊いてくれないと……」
味噌汁はスープのように飲めばいいのに、なぜご飯のおかずにしようとするのか。
コンソメスープや、ポトフ、コーンポタージュスープと同じく、飲み物と食べ物の中間ぐらいの存在として考えればとても美味しくいただける。サオはピザが大好きで3日と間を空けずにリクエストしてくるくせに味噌汁は嫌いだと言う。サオを和食に洗脳するには、やはりまず美味しいごはんを炊いて、ベーコンエッグとか、ガルグ焼肉定食のようなものを食わせてやる必要がありそうだ。
そしてご飯を美味しいと言わせておいて、→醤油 →味噌 →梅干し →納豆と、段階を踏んでいくつもりがある。
「じゃあサオの次の特訓は味噌汁だ」
「ええっ! 意味が分かりませんっ! なんだか虐められてる気がします。エアリスはどうなんですか?」
お椀を両手で持って温かい味噌汁をいただいたエアリスはサオが何を言ってるのか分からないようだ。
「サオ師匠、これ美味しいですよ? 確かに塩は効いてますが、この緑色の葉っぱ? みたいなのが絶妙です。これお父さんに教えたら絶対興味持ちます」
「え? シェダール王国ってワカメとか海藻類なかったっけ?」
よくよく考えてみたらシェダール王国の支配地域は海岸線が狭い。海に面しているのはボトランジュの北側と、ノーデンリヒト、あとエルダー森林を更に西へ行って飛び越えたところが海だと言われていて、精度ガバガバな地図にはそう記されていたが、エルダー大森林自体が日本まるごと2つ3つ入ってしまうような密林なのだからそんな地図が正確なわけがない。サマセットの町も漁師町として栄えていたが、獲れる魚は淡水魚だった。つまりジェミナル河はまだ続いているということだ。
よくよく考えてみるとアリエルが知っているのは淡水産の海苔のようなものだけで、ワカメや昆布といった海藻の代表格はこの世界に来てから前世も含めて食べたことがなかった。
サオが知らないという事は海に囲まれたドーラでも海藻は食べないという事だろう。
ノーデンリヒトとボトランジュに新たな産業が生まれる気がする。
そう言えばドーラとノーデンリヒトを隔てる海峡ではマグロが獲れる。一度行ったことがあるけど、マグロの香草焼きをクリームソースに和えて食べるのが美味だった。
あれはセカでもプロテウスでも絶対受け入れられる。
昆布やワカメは乾燥させればいいし、マグロは転移魔法陣を使えば新鮮なまま持ってこられる。
ちょっと鮮度が落ちて困るならサナトスが冷凍魔人とかいうクソ恥ずかしい異名の何たるかを発揮すれば鮮度を落とさず運べる。素晴らしいプランだ。
「片づけたらネストへ。今日はちょっと忙しいことになりそうなんだ」
アリエルはひとつノーデンリヒトとドーラの産業を土産に、まずはグランネルジュへと向かった。
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グランネルジュに転移し、北門から街に入ったアリエルたち。周囲をうろつくフェイスロンド兵に話を聞くと、魔王軍は南門のほうに陣を張っているという。
グランネルジュを取り戻したフェイスロンド兵たちも表情はすぐれない。
勝利に浮かれていたのは最初だけだ。ダリルの入植者たちを追い出し、いまはもう人っ子ひとりいない、ゴーストタウンのようになってしまったグランネルジュに解放された数万のエルフたちが残っているだけという状況だ。兵士たちは奪われてしまった幸せな未来を取り戻すために戦った。だけど取り戻せたのはゴーストタウンだけだ。ここには子どもたちの笑い声も聞こえないし、朝市の賑やかな雑踏の声もしない。ただ静寂と、時折吹く強風が樹木を揺らすときにおこるざわめきだけだ。
ゆっくりと物見遊山がてら[スケイト]を起動し、時速20キロぐらいの徐行運転でグランネルジュの中央大通りを南に下るアリエルと、フワフワ浮かびながら1秒間に何十回も転移を繰り返すゾフィー。
ただプラプラしてるわけじゃない。ゾフィーは無言でただアリエルに引っ張られて移動しているようで、この空間のアドレスを決める座標を記憶しているのだ。
カタリーナが殺した兵士やダリル人たちの遺体もないし、気配探知で探ってみても周囲には反応がない。
ちょうとグランネルジュの中心部分に多くの気配が集まっているけれど、さっき北門を守っていた兵士に聞いた話によるとグランネルジュのちょうど中央部分には領主の屋敷や役所などが固まっているらしい。もっともその屋敷もダリル支配と共に取り壊され、更地になっているとか。そこに兵たちがテントを張って陣を敷いているという。
通りをアリエルたちが通りかかると、明らかに外国人であるにもかかわらず、陣を守る護衛の兵士たちもアリエルたちに声を掛けることはなかった。先日の戦闘でどれほどの力を持っているか、誰もが目にしたからだろう。いまアリエルたちが前を通り過ぎようとしている大型テントには恐らく領主フェイドオール・フェイスロンダ―ルが居るのだろう、本陣を示すフェイスロンドの旗が誇らしげに風にはためいていた。
「フェイスロンダール卿いる?」
アリエルは別に聞かなくてもいいことを聞いた。
護衛の兵士は一瞬たじろいだが、姿勢を正してハキハキと答える。
「はい。現在来客中なので取り次ぐことはできませんが、テントの中におられます」
「そっか。じゃあまたあとで寄るから伝えといて」
フェイスロンド領主、フェイドオール・フェイスロンダ―ル。領民のための政治をし、領民を守るために戦うという姿勢は領民たちの間で人気が高く、尊敬されている。だがそれも口だけだった。領民たちのために! なんて耳障りの良い綺麗ごとを叫んで、自分の地位を守ることばかりに固執していることを見破ったアリエルはもう、フェイスロンダ―ルに対する尊敬の念など消え失せてしまった。
今まさにアリエルたちがスケイトを起動し、フェイスロンド本陣の前から立ち去ろうとした、その時だった。
テントの入り口のカーテンを力強く大げさにまくり上げて、中から男が出てきた。
殴られたのか? 顔を腫らしている。
アリエルはその男を知っていた。いや、正確には名前も知らず、ただ顔を知っていたにすぎない。
たしかカタリーナの弟子のひとりで、傍らに立っていることが多かったハーフかクォーターエルフの男だ。ゾフィーが転移魔法を見せたときも真っ先に分析魔法をかけてワームホールの閉じるところを観察していた、かなり優秀な魔導師だったはず。
そんな男が顔を腫らし、唇からは少し血をにじませながら領主のテントから力強く出てきた。軍人だろうが魔導師だろうが、もう十年以上も敗戦を続けていたフェイスロンド軍だ。上官たちのテントに呼びつけられて、教育だの修正だの言われて鉄拳制裁される下士官なんて珍しくない。
だけどこの男は確か魔導学院の関係者だ。軍関係者じゃないはずだし、そのトップであるカタリーナはいまやグレアノット師匠の女? という席に収まっていそうな、そんな気がする。
一瞥だけして立ち去るつもりだった。しかし、エルフ男のほうから声をかけられた。
「あのっ! すみません!」
いきなり謝られたアリエルとゾフィー。顔を見合わせてみるが、なぜ謝られるのか心当たりがない。
ということは、この男が次に言う言葉がアリエルたちにとって何か迷惑にになるかもしれないということだ。まあカタリーナの件はこっちに責任がないとは言えない。アリエルは『面倒くさそうだ! イヤなことを言われそうな気がする』という警戒心をおくびにも出さず、普通に応えた。
「なにか用かな?」
「あなたは確かベルセリウス派の魔導師ですよね? カタリーナ学長を助けてくださいましたこと、心より感謝します。ところでちょっとお話いいですか? ここでは……」
そういって辺りを見渡した男は「どうぞこちらへ……」といって、グランネルジュ中央にある領主たちのテントを通り過ぎ、200メートルほど南にある建物の陰にはいった。
これでは何か密談をしていますと言ってるようなものだ。現に遠巻きに2人ほどこちらの動きを窺うよう動いた気配もある。このエルフの男だけならどうってことないのだけど、2人が尾行してきたという、そっちのほうが怪しい。
「ちょっと待った。さっきあなたが出てきたテントから2つの気配が飛び出してきて尾行されてる。いまはカタリーナさんのお礼を言われていることにして……どうするかな? 尾行を巻くとあとで問い詰められたりしない? それとも追跡者に雑談してるだけみたいな姿を見せておいて話は後にする?」
「ええっ! 本当ですか……、まさかそこまで手回しが早いだなんて……」
尾行がついたというなら、ゾフィーは先手を打たなければいけないという。
「私たちを狙ってるの? 殺しますか?」
「ゾフィーちょっと待とうか。いまはいいよ。んじゃあの建物のカド曲がったところで3人ともパチン頼むわ」
「転移先はどこにしますか?」
「尾行者の背後をとれる位置でいちばん有利になりそうなところ。座標は任せるよ。聞こえてる人、いま言った通りだ。俺たちはいま2人の尾行者にツケられてる。フェイスロンダ―ル卿のテントから出てきてこっそり俺たちを尾行しようなんて許す気はないからね」
アリエルたち一行はそのまま建物のカドを右に曲がり、誰にも見えない裏側からゾフィーのパチン一発で尾行者の動きが丸見えの位置、つまり背後の建物の屋上に転移した。
たったいまアリエルたちは右に曲がって、無人の商店の中に入ったと思ったのだろう、ハンドサインで指示のやり取りをしながら遠巻きになって建物の中の様子を窺おうとする男たちの姿が特等席でハッキリと見える。
アリエルとゾフィーが『さあどうしたものか』と思って、とりあえずあいつら2人、殴って攫ってくるかと腕まくりをした矢先、ネストが鈍い光を発した。
「面白そうじゃん」
「兄さま、また敵を作ったの」
「尾行者が相手なら私がいいかも。殺さずに情報だけ仕入れてこようか?」
この世界の事には殊更無関心だった真沙希がやる気を出している。だいたいこういうときはネストから出てこないどころか、ネストの中の自分の個室から出てくることもない引きこもりが、どういう訳か……だ。フェイスロンダ―ル卿の手の者だろうからそれほど危険があるわけないだろうし、攫ってきてロザリンドに拷問してもらおうかと思ったけれども、先に偵察がてら真沙希に見てもらったほうがいいだろう。




