15-26 ディオネの帰る場所(4)通行料
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さっきまで絶望を絵に描いて額に入れ壁に飾ったような顔をしていたくせに、キャリバンの子どものころの写真をあげた途端に表情が変化した。ディオネってこんな顔するんだ……と思った。
ゾフィーが転移魔法陣を書ける。これはディオネにとって朗報だったろう、だけどもしディオネが研究している転移魔法陣をゾフィーの力を借りて完成させたとしても、アルカディアが平行世界だとして、ディオネがもと居た世界に狙いを定めて、そこに転移魔法陣の向こう側を設定するのは難しいなんてもんじゃない。
アリエルも今のところ、どうすればいいか全く分からないのだ。
せっかく希望を見せたところで実は絶望のままですなんて言いたくないのだけど、アルカディア土産があることを思い出したので、ディオネにもプレゼントしてやることにした。
「ついでに写真スタンドも欲しい? 100円ショップのだけど、魔法で作ったガラスみたいに歪みがないアルカディア製だよ?」
「あ。100円ショップ行ってきたんですね。私は鏡が欲しいです。小さいのでいいから、歪みのないのが欲しいなあ」
「鏡な。あるよ」
アリエルは[ストレージ]から100円ショップで買ったプラスチックで縁取りされたチープなスタンドミラーを出して、机の上に置いた。ついでに写真スタンドも2つ出してやった。
スヴェアベルムの工業技術では歪みのない板ガラスを作ることができない。日本からきた女性にとって、アルカディア製の鏡はとても価値のあるものだ。
「うわーありがとう。兄弟子のチート魔法に初めて感謝してる私!」
ディオネの言葉はアリエルの胸に刺さる。
そういえばアリエルのチート魔法でディオネを喜ばせたのは今が初めてだったかもしれない。
アリエルは不満げな顔を作ってみせた。
「感謝の気持ちが足りなさそうなコメントありがとうな妹弟子。ところで俺のグレイスはどこにいるんだ? ディオネの講義に出てると聞いてきたんだが」
「シスコンですか」
「ちげーよ。親戚の子が来てるから早く帰ってこいって言いに来たんだが……」
「ふうん、グレイスなら今日はエイラ教授の手伝いに行ってますね、魔導学院は朝からてんやわんやの大騒ぎですよ。なんでもハティ隊長が遭難者の救助に向かったら全員がすでに死んでて、どういうわけか全員が神器を身に着けてたらしくてねー。まったく、フル装備キャリバンみたいな神器を身に着けた神殿騎士が50人も都合よく、こんな辺境で遭難とか、ないわ……、絶対ないわ」
ディオネが眉をしかめながらアリエルを見た。どうせ兄弟子のシワザだとでも言いたそうな顔だ。確かに間違いはないのだが、それをやったのはサオとエアリスだという事を忘れてはいけない。
「あー、あの神器を魔導学院で複製できればいいなと思ったんだけどな」
「みんな考えることは同じですね、神器の現物を手に取る機会なんてこれまで『ほとんど』ありませんでしたからね、セカの学院からも分析魔法に長けた教授たちが呼ばれたみたいで、暫くは忙しそうです。グレアノット師匠は相変わらず興味なさそうなんですけどねー。えっと、こんなものが兄弟子の役に立つとは思えないのだけど、はい、これマナ仕様魔法陣の仕様書です」
アリエルは魔法陣の仕様書をそのまま右から左へとゾフィーに手渡したが「ゾフィーには読めないから」といってすぐ横からジュノーの手が伸びてきた。
「ん? 『ほとんど』ってなんだ? ディオネは勇者パーティだから触れただろうけど」
「違いますよ。イオたちに投降した筆頭勇者のセイクリッドってひとが持ってた神器ですね。こっちは剣と盾だったのだけど、クオリティは比べ物になりませんでしたね」
「あー、そうなんだよな。帝国の神器ってイマイチなんだ。帝国のスパイが技術を盗んでないはずはないから、きっと第一軍あたりには装備してるやつがゴロゴロいるんじゃないかって思ってる。俺も帝国で勇者になったからディオネたちの苦労も少しは分かるぞ。勇者って使い捨てだから装備にカネ掛けてくれないんだよ……。じゃあ仕様書ありがとうな。絶対モノにしてみせるよ」
「いえいえ、これで日本に帰るための転移魔法陣ができるかもしれないと思えば安いもんです。そんなことよりも私の帰るべき元の世界をどうやって探し出すかのほうが問題ですよね」
さすがディオネだ。当然そこに気付いていた。
ジュノーが受け取った仕様書のページをめくり、この場で目を通し始めると、その後ろから真沙希も覗き込んでいる。あとで当然アリエルも使い方をマスターする必要がある技術だ。マナ仕様の魔法陣というものは無限の可能性を秘めている。
「日本に戻る方法が一歩前進したことは確かだよ、また何かあったらうちを訪ねてくれ。んじゃあな」
「はい、こちらもいつでもだいたいここにいますから、いつでもいらしてください」
アリエルたちはディオネに礼を言ってこの場を立ち去ることにした……が、ちょっと引っかかった。
「はい、どこに転移しますか?」
用が終わったと思ったのだろう、自分だけアイシスやハデスと遊べてないのだからゾフィーはすぐにも帰りたいようだ。
じゃあなと言った手前、早く帰る気ではいたけれど、いまフッと思いついたことがあった。アリエルはゾフィーの救出に成功したことで日本に帰るプランをいろいろと考えていたのだが、マナ仕様で魔法陣が出来ることになったおかげで、向こう側にもちゃんとした固定式の魔法陣を設置すれば相互通行できるんじゃないかと考えたのだ。16000年前と同じように、スヴェアベルムとアルカディアが繋がる。
もちろん今もきっとどこか、アリエルの知らないところで転移魔法陣が動いてるのだろうけど、そんなものを探すよりゾフィーにあっち側を作ってもらった方がよっぽど早い。
ではスヴェアベルム側はどこかと言うと、当然アシュガルド帝国、エルドユーノにある神聖女神教団にある召喚魔法陣だ。アリエルたちが召喚されてきたあの転移魔法陣。ゾフィーならあの魔法陣のソースコードを書き換えて、こっちから日本に帰ることは可能だろう。だがしかし、日本に帰るまではいいが、日本がわの転移魔法陣が固定されていない。ゾフィーが作れる転移魔法陣は魔気がないと動作しない。
日本に帰ってしまったら井戸の底に落ちたようにもうどこにも行けなくなってしまう。
『小さく閉じた輪廻の輪』というものは、アリエルの前身アシュタロスをアルカディアに閉じ込めるために創られた。帰りのプランを確立せずに日本に帰ってしまうとまたスヴェアベルムに戻ってくることが困難を究めることは言うまでもない。
だがこのマナ仕様の転移魔法陣を日本側で完成させて、帝国の転移魔法陣と接続することができればスヴェアベルムと日本の相互交通が可能になるはずなのだ。
……と思ったのだが、まだクリアしなくちゃいけない問題がいくつもある。
そのクリアしなくちゃいけない問題の内、きっと最大の問題は、アシュガルド帝国が邪魔だという事だ。なにせ日本に繋がっている転移魔法陣はエルドユーノにあるのだし。
本格的に帝国を倒す必要が出てきた。
「ベル? 帰らないの?」
アリエルが物思いにふけっていると、ジュノーが呆れたように言った。
「あー、絶対に転移魔法陣で日本に帰る方法を今考えてるんだと思うわ」
「ジュノー凄いな。何でわかった?」
「考え込んでるし、何を考えてるかぐらいわかるわよ。そして引っかかってるところもね」
「そうなんだよなー、引っかかる事があるんだ。なあディオネ、帰る前に聞かせてくれ、お前たちがこの世界に召喚されてきたとき、誰か死んでたか?」
「召喚されてきたときの話ですか?」
「そうだ」
「3人倒れてたけど、ひとりは何とか命を取りとめたから、亡くなったのは2人だけど?」
「召喚された人数は? 何人のうち2人が死んだんだ?」
「10人のうち2人ですけど、どうかしました?」
「いや、こっちも33人のうち8人が死んだ。4人に1人は死ぬ計算なんだなと思ったんだが、ベルゲルミルが来たときはどうだったんだろ? ディオネ知らない?」
「ベルゲルが来たときは12人のうち3人が亡くなったって聞いたよ。神官の言葉を鵜呑みにするなら、この世界で生きていけない、力の弱いものが召喚の衝撃に耐えられずに死んでしまうって言われてましたけど」
「衝撃なあ、うまいこと騙したみたいだけど、俺たちが召喚されてきたとき死んだ8人は残りの25人分の通行料を肩代わりさせられたからだ。全員からちょっとずつ取ればいいのにな。で、ベルゲルミルが召喚されたときは12人のうち3人、ってことはやっぱり4人に1人か。ディオネは5人に1人だったけど、一人は死にかけたけど生きてた。うーん、そうなんだよなあ……。こっち側から転移魔法陣を起動するのは簡単なんだ。ゾフィーに方向を変えてもらえばいいだけの話だと考えてる」
「ふうん、じゃあ兄弟子は日本の側で起動した魔法陣に、日本人が何人か巻き添え食って死ぬことを恐れてるわけですか? 今更」
「おいおい酷いな。俺は長いこと生きてきたが、これまでただの一度だって無差別殺人を犯したことはないぞ、ディオネは神話戦争の読みすぎ。あんなの真に受けちゃダメだ」
アリエルとディオネはアルカディアの側にいる日本人の心配をしていると、横からジュノーが言った。
「誰も死なないわよ。魔法陣に運んでもらうのはあなたとゾフィーの2人。3~4人こっちに人を運ぶのに、ひとり分のマナを消費するなら、その半分の2人分ぐらいにするといいかもね。運悪く転移魔法陣に巻き込まれた残念な人も、気を失って倒れるぐらいで済むわ。もし人が死んだら大変だしね」
「え? なんで?」
「あのねゾフィー、日本って国は死体がゴロゴロ転がってないの! 死体が転がってるトコなんて見たことない人ばっかりなの! 人が死んだからと言って放っておくことも出来ないし、だからと言って隠したら大変なことになるんだからね、スヴェアベルムと同じじゃないの。困ったら何でもストレージに入れてしまえばいいなんて思ってたら犯罪者よ」
「じゃあ他の人はみんなネストか?」
「そうよ、他のひとはネストに入ってたら、たぶんタダ乗りできるはず」
「その根拠は?」
「ハイペリオンを異世界転移させる通行料が高校生1人よりも安上がりだとは考えられないからよ」
ジュノー説は何の根拠もないのに凄まじい説得力だった。
「兄弟子! お願いがあるんですけど……」
さきほどまで穏やかに話していたディオネが急に声のボリュームを上げた。何を言いたいのかアリエルには分かっていた。だけど。
「ん、いちおう聞くだけ聞いてやるよ」
「私もその実験に立ち会いたいです。そして願わくば日本に帰りたいです」
「ディオネが知ってる時系列じゃないかもしれないぞ?」
「どうせ兄弟子は日本にも転移魔法陣を設置するつもりなんでしょう?」
「俺には作れないからゾフィーにお任せする予定だけどな」
「なら日本帰ってみて、例えば時系列が違ったとして、諦めがついたらまたノーデンリヒトに戻ってきます。異世界転移するとハクがつくので、ベルセリウス派の名声がまた一段上がりますね」
「確かに。アルカディアは刑務所みたいなもんだからな! ムショ帰りはハクが付くらしい。よし、着いた先の時系列については保証しないってことでいいなら、日本に向かうときは必ず声をかけるよ」
「はい。ありがとうございます」
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アリエルたちはグレイスの居ない魔導学院にはもう用がないので、ゾフィーの『パチン』でベルセリウス家に戻った。転移魔法のワープアウト地点はリビングでも会食場でもなく、玄関前、つまりエントランスだった。
アリエルがドアノブに手を出そうとしたところ、ドアの向こうに気配があったので、出し手が止まった。これはお互いにドアを開けたところでぶつかるか、頭ごっつんこするかというイベント予告のようなものだ。
それが魔導学院のような女子の多い場所なら流れに乗ろう。だがしかしここは残念ながら自宅なのだ。ドアの向こうから『遅刻するう~』なんて食パンをくわえた美少女が飛び出してくるわけがない自宅なのだ。
アリエルは落ち着いて手を引っ込め、1歩、2歩と下がった。
同時にドアがガチャっと開いた。
出てきたのは……、とても機嫌の悪そうなコーディリアだった。
トラサルディ叔父さんに言い負かされたと見た。




