15-24 ディオネの帰る場所(2)世界5分前仮説
もう会えないと思っていた両親と、亡くなってしまったはずの祖父と祖母の写真をみて、ディオネは本当に物憂げな表情を見せた。しかし同時に、ベルゲルミルを含めて日本には居ないことになっていたという、その理由も理解し、表情を少し暗くした。
ディオネは唇を真一文字に結びアリエルを見て、覚悟を決めたようにはっきりと問うた。
「私は生まれてなかったのね。そして、いま私が帰っても、私の帰りを待ってくれてる人は誰もいないと。そういう事なのね」
「そういうことになるのだけど、ちょっと待ってくれ。説明が長くなるかもしれないけど、落ち着いて聞いてほしい」
「いいわよ、もうどうでもいい。今日はもう講義ないしさ……、転移魔法陣をつくるためには転移魔法が使えないとダメだなんて言われちゃって絶望したしさ、それに日本に帰っても私の帰りなんて誰も待ってないんだということも分かった。兄弟子は本当に酷いひとだよ。だって私、スヴェアベルムには家族も恋人も、身寄りなんてひとりもいないのよ? だっていつか帰る気で居たし。なんだか私だけ独りぼっちなんだと思ったら急に寂しくなるものね……」
深いため息を吐いてディオネは窓の外をみた。アリエルが深く落胆させてしまった事は確かだ。
「落ち着いて聞いてほしいと言ったぞ?」
「これ以上何を絶望させてくれるのかな?」
「もしかすると絶望しなくていいかもしれないという話をするから、説明が長くなるかもしれないけど、最後まで聞け。いいな」
「はい、わかりました。いくらでも聞きますよ……はあ」
「では聞くぞ? ディオネが読んだ神話のなかで、アシュタロスの最期はどうなった?」
「子供向けの童話にはアシュタロスが倒されて『めでたしめでたし』だったけど、コーディリアお薦めの本には異世界に封印されたって書いてたわ。封印って? もしかして日本に封印されてたのかな? って思ったけど、封印って言わないわよね? だって普通に生活してたでしょうし」
「ジュノーに聞いた話ではそういうことになっているらしい。真沙希? そうだよな?」
「ええそうよ。お兄ちゃんは16400年ぐらい前に封印されたの、アルカディアにね」
「……あなた私の知ってる真沙希お姉ちゃんよね? なんでそんなことまで知ってるの? どういう関係者なの? そこから明かしてくれないと質問攻めにすることになってしまうわ」
「私は嵯峨野真沙希と名乗ってはいるけど、アシュタロス戦争がスヴェアベルムに飛び火した初期にちょっとだけ戦ったアルカディア人で、その時はルナと呼ばれていました。いまはもうその名前よりも真沙希のほうが馴染んでる。幼い頃の麗美ちゃんと遊んであげたのも私だからね」
「ルナ!! 知ってる。本で読んだよ、確か月の女神だったはず。なんで真沙希お姉ちゃんが女神なの? 兄弟子がアシュタロスだって聞いた時よりも驚いたわ」
「月になんか行ったことないんだけどね、私は月明かりでよく竪琴を弾いてたの、そのせいかな? 混乱するかもだけど、まずは話を聞いてね。戦争の話から始めるのなら、えっと、私の知る限り兄ちゃんがアシュタロスだったのは一度だけ。ザナドゥが滅んだあとスヴェアベルムに初めて転生したときだっけ?」
「たぶんそうだな。生みの親にアシュタロスと名付けてもらったことがある。だけど、成長して戦闘を再開し始めたころには分かりやすいようベルフェゴールと名乗ったんだけどな」
「それからたぶんアシュタロスも4~5度ぐらいは倒されて転生して……を繰り返したはずなのよね、アシュタロスと神々の戦闘はものすごく激しくなって……、その影響でスヴェアベルムの多くの地域が滅んだの。テルスっていうバカみたいに強力な魔法を使う女神がいてさ、アシュタロスと戦ったら被害甚大なんてもんじゃなくて……」
「テルス!! 本で読んだよ!! ヤクシニーを倒したんでしょ?」
「違います!」
ゾフィーは間髪入れずに否定した。よく見るとちょっとだけこめかみに血管が浮き出てるように見える。
テルスに倒されたと言われたのがよほどムカついたのだろう。
神話戦争の話になってディオネの目が輝き始めたような気がするけど、いちいち説明するのは疲れるからスルーすることにした。
「ディオネすっごい食いついてきたな。何? 神話戦争の本ってそんなに面白いのか?」
「ええ、とっても。最初は兄弟子がアシュタロスとして出てるって言われたから興味本位で読んでみたんだけど、全30巻、一気に読破しました。ドハマりってやつ?」
「30巻も? 俺が見たことあるのは上中下の3巻だったぞ?」
「それは一番人気のある戦いが収められているダイジェスト版ですね。フェ・オールの戦いが2巻と、あと終焉の地アルゴルで連合軍が勝利するところです。全30巻のほうは平和なザナドゥという世界で大暴れするところからですね。ここでも女神テルスは大活躍でした」
アリエルの知っているテルスは活躍すれば活躍するほど国が滅ぶという極悪非道な女だった。
というのもアシュタロスの使う爆破魔法と相性が最悪なのだ。ぶつかり合うことで相乗効果が生まれ、想定されているよりも遥かに大きな被害が出ることもあった。
「テルスの破壊魔法な! あれ酷いよな」
「アシュタロスの爆破魔法も同じぐらい酷かったけどね……。まあテルスの話はやめときましょうか。どうせ神話戦争の後半になるとテルスは引っ込められたし、私の方は招集に応じる気はなくてアルカディアに籠ってたからどういう経緯でそうなったかは分からないんだけど、ある夜、ニュクスが私のところに来たの。また戦いに駆り出されるのかと思ったんだけどね」
真沙希は神話戦争の登場人物として神々の名を出した。
本に出てきたような神々の名が語られるともともとミーハーな性格だったのだろう、さっきまで帰ったとしても誰も待っていないことに消沈していたディオネの表情があからさまに明るくなった。
「ニュクスも本に出てきたなあ。神話戦争って本当にあったんですね」
「本当にあった戦争をもとに書かれたフィクションだからな。かなり脚色されてるはずだし、俺が一方的に悪いみたいな書かれ方をしてるのも納得できないんだけど?」
そういえばディオネは本屋に入り浸ってたかから勇者召喚に巻き込まれたといってた。
もともと本好きなのだろう。
ゾフィーは現代スヴェアベルムの文字を読めない。だから本も読めない。
いまテルスに倒されたことになっていると知って、かなり不満そうだ。
実はアリエルも、ゾフィーが捕らえられたことにテルスが関係していると思っていた。
捕らえられたゾフィーに突き刺さっていた37本もの槍はテルスのものだった。だが一対一になるとゾフィーが負けるわけがない。テルスという女はゾフィーを苦手としていたはずだ。
「そうよ! テルスなんて私が行ったらいつも逃げてばっかりだったし」
「そりゃあゾフィーの前に立つバカも居ないでしょうに。いかにゾフィーに見つからずリリスを倒すか? ってことばかり考えてた気がするわ……私たち」
真沙希の言ったとおり、戦場でゾフィーの前に立つものは居なかった。
というより、全て倒された。
それなのによくもまあそんなウソを書く……。
「もうこの際だから王都を滅ぼして本を書き直させるか!」
「賛成です。やっぱりナンチャラ王国なんて滅ぼしてしまいましょう」
「兄ちゃんもゾフィーもダメだからね! 本気でやりそうだから怖いわ」
「でも腹立つな! ディオネおまえ本を書け。真説★神話戦争って本ださないか? 出版費用はベルセリウス家に頼んでやる」
「あのさあ兄ちゃん、じゃあ英雄クロノスは悪役クロノスになるんでしょ?」
「当たり前だ。悪役のしかも使いっパシリの三下クロノスだ……、いや違うな。セクロスだ。パシリ・セクロスにする」
「ベルセリウス家がお金出すとは思えない」
「くっそ、さすがクロノス。卑怯だな……」
「はい、真説本出版の話はついえた! じゃあ話の続き行っていい? 麗美ちゃんにも、もしかしたら希望があるかもしれないんだから」
「そうだな。おれもそう思った。どうぞ、話を続けてやって」
「ほいさ。えーっと、ニュクスの言い分では、アシュタロスは倒せないし、倒すために戦うと世界が滅ぶから、アルカディアを牢獄にして閉じ込めてしまうことに決まったって言われたの」
「はあ? 私の希望と神話戦争って何か関係があるのかな? ちょっと何言ってるのか分からないのだけど」
「まあ、必ずわかるようになるからね、ここはまだアシュタロス戦争が終わりそうなときの話かな……」
「ちょ……ちょっとまってね。えーっと……」
ディオネが本棚のところに走って行って、いくつか本をかかえて戻ってきた。
「えっと、神話戦争大全。最後の戦いのところ? ニュクスって確か終焉の地アルゴルの最終決戦の前に戦神メルクリウスとふたりで奇襲をかけて行方不明になったひとですよね?」
「なんで奇襲なんてかけようとするかな。アホだわあいつら。でも私はどうなったか知らないんだ。兄ちゃんニュクスってどうなったのさ?」
「ニュクス? 誰だっけ。奇襲をかけてきた奴はいっぱいいるぞ?」
「スヴェアベルムのソスピタからずっと南東の方にあったハルデリーって小国の女王だったはずなんだけど、心当たりは? ちなみに闇の権能もちだから夜は手が付けられないほど手強くなるという……」
「ああ、闇ね! 思い出した。だけどジュノーの敵じゃなかったな。5秒ぐらいで殺されたと思う」
「うっわ、ひっど! 闇なのに何でジュノーに突っかかるかな? そんなの勝ち目ないよね……なるほどね、ニュクスそんな死に方したんだ……お気の毒さまだわ。んでさ、そのとき私はニュクスに戦いたくないって言ったのよ」
「で、どうなったんだ?」
「私はアシュタロスを見張ってるだけでいいって言われたの。そしてアルカディアまるごと牢獄に改造するため大規模な魔法陣が構築されることになったの」
ディオネは唇に親指の爪で触れながら話の辻褄が合わないことを指摘した。
「アルカディアに魔法陣が? でもさっきの説明じゃ魔気の薄いアルカディアじゃあ魔法陣なんて動作しないって……」
「私が実際にこの目で見たわけじゃないし、ほかの監視者から聞いた話なんだけど、どうやら地球の2か所に超巨大規模の魔法陣があって、スイッチが入ると時間が巻き戻るの。地球の時間まるごと、あらかじめ設定されていた時間に戻る。その超巨大規模の魔法陣を常に動かしているか、もしくは魔気をずーっと貯め込んでいるのかもしれない。だからアルカディアには魔気がほとんどないのよ。最初からないわけじゃなくて、そんなバカ食いする魔法陣がずっと稼働している状態だからアルカディアは魔気が欠乏しているの」
ようやく話が本題に近くなって、ようやくディオネにも話の筋が理解できるようになってきた。
「時間が? 巻き戻るって? え? なに? 過去に戻るの?」
「アシュタロスは殺せない。だって死なないんだ。倒したと思っても必ずどこかに転生する。転生して成長したら必ずまた大きな戦争が起こって、世界そのものが甚大な被害を受ける。だからアルカディアの日本という平和な国で、争いごとも起こさず、嵯峨野深月として生まれてくるようにしたの。人生を全うして老いて死んだとしても、何度でも時間を巻き戻して生まれてくるのよ? 私は妹として3年遅れで同じお母さんのお腹から生まれてくることになった」
「ちょ、ちょっとまって。じゃあ私も?……」
「そうよ、兄ちゃんが死んだら世界が終わって、また新しい世界が作り出される……と思ってた。当然、小岩井麗美という人間も、地球上のひとや動物までみんな消滅して、スタートの時点で再構築されるのだと。そうね、麗美ちゃんが生まれる12年前の世界まで時間は巻き戻ると、私はそう思ってた」
「真沙希の説明じゃわかりづらいな。これは一言で説明すると『世界5分前仮説』というものに近い。スマホがあるならぐぐってみるといい」
「スマホなんてないし、持ってても電波圏外だし、兄ちゃんの方が分かりづらいってば」
「世界5分前仮説? どんなだっけ? どっちも信じがたいけど……聞いていい?『思ってた』という言葉を2度使ったわね、その真意を聞かせてちょうだい」
「いえ、ちょっと私たちの考えていたことに齟齬が出たの。それは小岩井麗美さん、あなたの姿を見て、初めて気が付いた。逆に、あなたと会わなければ私は気がつかなかった。ねえゾフィー、ここにジュノー連れてきてほしいのだけど。不可解なの」
「いいわよ。喜んで。自分だけ孫とべたべたしようなんてズルいと思ってたの」
―― パチン!
ゾフィーは指パッチンひとつでフッと消えた。
もちろんディオネの驚きようは筆舌に尽くしがたいものがあったが、コーディリアたちが驚くさまとあまり大差ないので、日常茶飯事だ。




