15-23 ディオネの帰る場所(1)
講義が終わって解散となり、講堂からは堰を切ったようにどやどやと学生たちが溢れ出す。
半ば押し流されるようにアリエルたちも廊下に出るとアリシアたちに引き留められ『サインしてください責め』にあっていた。
「サイン? 入部届とか婚姻届けとか教材買わされる売買契約書とか、そんなんイヤだぞ?」
「あははは、兄弟子はいまもう世界最強かつ一番有名な魔導派閥を率いてるという自覚が足りないようですね。学生たちがサインを求めるのは自然なことです、サインぐらいしてやってもバチはあたりませんよ。私は先に研究室で待ってますからね」
「ぐっ、そ、そうか」
ディオネに言わせると『こんなもの』らしい。遠い昔、アリエルの前身ベルフェゴールがアマルテア国王だったころ以来の人気っぷりに戸惑い、ゾフィーの方をチラッと見た。
ベルフェゴールは自らも畑を耕すような貧しい小国の王だったが、異世界から次々と送り込まれてくる軍隊と戦い、勝利して追い返したことで国民が熱狂するほどの人気者となった。
アリエルはフラッシュバックする記憶と学生たちにもみくちゃにされる自分を重ね合わせ、戸惑った。ゾフィーは困惑するアリエルの姿を見ながら、えらく上機嫌になっていて笑顔を絶やさない。アマルテア国王だったころのベルフェゴールは確かに国民に絶大な人気があった。ゾフィーはそんなベルフェゴールを見るのが好きだったのだ。当のアリエルも、こうやって自分を慕ってくる学生たちを見て、悪い気などしなかった。
「くっそ、今日はヒマだから断る理由がない。今日だけ特別サービスだからな!」
「はいっ、サインお願いします。アリシアへって書いてください」
「分かった! 『親愛なるアリシアへ』と書いてやるからな!」
「わあっ、ありがとうございます」
「「「「私もサインを」」」」
「「「「僕も!」」」」
アリエルは[ストレージ]から日本製の油性マジックを取り出して、キュキュキュッ!と集まった者たち全員にしっかりとサインして差し上げた。握手を求めてくるものには熱烈な握手を。アリシアのような可愛い女子生徒にはハグしてやろうと思ったが寸でのところで離れていたはずのゾフィーに尻をつねられた。
ゾフィーは空間を曲げたり、切ったり繋げたりできる。
いまアリエルが尻をつねられたのは、ゾフィーの手元とアリエルの尻が繋げられたということだ。
アリエルはひりひりと痛む尻を手で押さえながら学生たちに別れを告げ、ディオネの研究室のドアをノックした。
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アリエルたちが招き入れられた研究室は教室の半分ほどの広さがあって、床面には魔法陣を実演したのだろう広く繋げられた羊皮紙にマナ仕様の魔法陣が設置されている。この魔法陣ならアリエルにでもわかる、炎の魔法を内包しているようだ。
机は端っこに押し込められ、棚とセットになっている。だいたい研究室と言うのはもっと物が溢れていて乱雑に散らかっているものだ。しかしディオネの研究室は整然としている。アリエルが見た魔導学院の研究室の中では最も整理整頓が行き届いていて、むしろ断捨離マニアの潔癖女性の部屋のように思えるほど何もなかった。ディオネは夫にも子供にも恵まれず、愛着のある『物』に囲まれることもなく、こんなところで研究に明け暮れているのだ。
「ディオネはマナ方式の魔法陣で日本に帰るつもりなのか?」
アリエルの問いにディオネは返事をしなかった。ただ横目でアリエルの顔をじーっと見ながら、机の引き出しを開けて、その中から厳重にファイルされたレポートを取り出した。
中年女性が片手でつかんで持ち上げるには少しキツいんじゃないかってほど分厚く、そして重そうなファイルだった。
「ごめんなさいね、魔法陣の実験をするには研究室が狭くて。椅子がないのだけど」
アリエルは室内をもう一度見渡すそぶりを見せて答えた。
「いいよ。立ち話は得意なんだ」
「じゃあ単刀直入に聞こうかな。えーっと……」
ディオネは慌ただしくファイルをめくりながら目的のページを探している……。
「別に急がなくていいぞ? 単刀直入に聞きたいならファイルに書いてないことから質問があるんじゃないか?」
ディオネはページをめくる手を止め、ゆっくりと視線を上げた。
「深月お兄ちゃんに真沙希おねえちゃん。そうね、最初はそこから聞くべきことなのでしょうけど、実は先日、帝国からの亡命者と会って話したの……。驚いたわ。本当に心臓が止まるかと思った。だって勇者アーヴァインが、アーヴァインのまま若返って来てたんですよ?」
「あー、そうだったな。ディオネはタイセーと親しいんだった」
「親しいも何も、私がここに召喚されてきた25年前、一緒に来たのよ? 私は駅前のトグチ書店で通学の電車で読む本を探していて、アーヴァインはその書店の店長として店にいたの。6月の長雨が降り続いてて、私は自転車だったから濡れて帰るのが嫌で、買う本は決まっていたけど、もう少し雑誌か何か立ち読みしていこうかと思っていたら地震が起こって、床が光ったかと思うと、ドン!と大きな音がして、ほんと訳が分からなかったわ。気がついたら暗いところに倒れてた。エルドユーノにある転移魔法陣の上ね。雨を嫌がらず、傘さして、自転車は押してでも帰るべきだったと今でも後悔しているわ……。話が逸れてしまいそうね、そう、勇者アーヴァインは私の同期なの。ねえ兄弟子、アーヴァインは私よりも12コも年上だった。私の知る兄弟子アリエル・ベルセリウスはマローニを出て行ったとき20歳の若者で、今もし目の前に立っているとするならば、35歳になっているはずなんだけどね?、それがいったいどうやれば兄弟子が15歳の高校生になって戻ってきちゃうわけ?」
「いつか言ったろう? 俺は嵯峨野深月だし、ロザリンドは常盤美月なんだ」
「言ってない。私はそれをベルゲルから聞いたの」
「そうだっけか。で、今の俺をみてどう思う?」
「深月お兄ちゃんのほうはほとんど記憶にないけど、真沙希お姉ちゃんには遊んでもらったこと覚えてるし、セーラー服は母校の制服だしさ。さすがにこの目で見るまでは信じられなかったけど、若返った烏丸大成さんから聞いた通り、兄弟子も若返ってることはいま確かに確認させていただきました。それでね、私が兄弟子を訪ねて行ったのは、えっと……」
アリエルはディオネの言葉を遮るように割り込んだ。
「預っていた手紙の件、ベルゲルミルから聞いたんだろ?」
ベルゲルミルや、ディオネ、カリストさんから『日本に戻ったら家族に渡してくれ』と頼まれ、預った手紙を渡すため、日本人に転生して戻った嵯峨野深月たちは指定された住所を探した。
だが1つ年下のベルゲルミルは生まれてなくて、ディオネが生まれるのは深月が中学生になってからだったはずなので、小岩井さんを見かけたら挨拶するようにして、それまでの人生と比べていつもより親しくしたつもりだったが、深月たちが15歳になっても、奥さんが妊娠する気配すらなかった。
カリストさんに至っては指定された住所に妹さんが住んでいなかったし、近所に聞き込んでみたが、そんな人は住んでいたこともないと言われた。
「ええ、聞いた。私たちはもう日本で居ないことになってた。だけどアーヴァインは転生して生まれ変わったということでしょう? じゃあ兄弟子たちも死んで生まれ変わったってこと? もとの嵯峨野の家に? でもそれじゃあ辻褄が合わないわ。だって真沙希お姉ちゃんって私よりもずっと年上だったはずでしょう? 深月お兄ちゃんが事故で亡くなって、どこかに引っ越していったし」
「その事故で亡くなった嵯峨野深月が前のアリエル・ベルセリウスになってこっちで生まれたんだ」
「ふうん、16年前のバラライカ決戦で死んだって聞いたけど? あれも本当だったってこと?」
「誰がそんなこと言ったんだよ」
「えーっと、ブライとエラント。二人とも勇者よ。あとイルベルムって人もいろいろ知ってたんで話を聞いたけど……みんな口をそろえて『大悪魔アリエル・ベルセリウスは16年前、バラライカで死んだ』って言ったわ。それに加えて、古代神と魔法史研究の第一人者、ナディ・アリー教授にも話を聞いたところ、アリエル・ベルセリウスは破壊神アシュタロスである可能性が極めて高いという。コーディリアに聞いても同じ意見だったわ。そしてつい先日、グレアノット師匠に招かれたグランネルジュのカタリーナ学長にも話を聞いたところ……」
「カタリーナにも聞いたのか……、さっき破壊神ベルセリウスって言われたところさ。俺がアシュタロスだったら何なんだ? 何か困るのか?」
「あらら。やっぱり否定しないのね。私は困らないけど、どうやったら若返るのかな? と思って」
「若返ってるんじゃなくて、転生してるんだ。いまから35年前、おれと美月が海浜公園のバイパスのところで夜、信号無視のトラックに轢かれて死んだ。そして、次に目が覚めたのはノーデンリヒト領っていうド田舎の開拓地だったってわけさ」
「ふうん、じゃあ本題に行く前にもうひとつ聞かせて。兄弟子の転生ってどういうものなの? アリー教授は完全な不死って言ってたけど? 不死だなんて本当なの?」
「その昔、俺は呪いを受けた。なんど死んでも転生して生まれ変わるという呪いだ。不死と言う者もいるけど、どうなんだろうな。こんなの不死って言うのかね?」
「コーディリアに言われて兄弟子が出てくるっていう神話戦争の本もありったけをかき集めて読みましたよ。破壊神アシュタロスは何度倒しても女の腹から生まれて復活し、この世界を滅ぼすんですって。とんでもない悪役でしたけどね」
「そりゃどうも。実は俺まだちゃんと読んでないんだ。いい訳本があったら貸してくれ、ジュノーが読みたいっていうから先に読ませたら5分でイライラし始めて15分後には燃やされたしな。……んで? 本題って何だ? 神話戦争とかアシュタロスのことを聞きたいわけじゃないんだろ?」
「そうね、私は破壊神なんかに興味ないの。その話はアリー教授にしてあげれば喜ぶと思うわ。私が聞きたいのは、私が日本に帰ったとして、家族は私のことを知っているのかな? ってことなんだけど……」
「わははは、アリー教授は教会の神器が50セットほど手に入ったからなあ……、まぐわってるところに踏み込まれたことも忘れて大喜びだったぞ!」
「真面目に、ちゃんと答えてほしいの」
「なあディオネ、俺はお前とは気まずい。なぜならお前の仲間を殺してしまったからだ。それなのにまた気まずいことを言わせようというのか?」
「はい、気まずかろうがお願いします。ついこの前まで、私が生まれ育った家の、すぐ近くに住んでいたのでしょう? できれば家族がどうしているのかも聞かせてほしいなと」
アリエルは無言のままストレージから小冊子を取り出し、パタパタと太めのページを開いた。
写真アルバムだった。デジカメで撮影した写真をコンビニなどでプリントアウトしたものだ。
「えっと、これと、これと……。これもだな」
アリエルは差し込み式のチープな写真アルバムから何枚かの写真を抜き出して、ディオネの机の上に置いた。
「はい、これが小岩井さん夫婦のショットね。こっちがツトムさんで、こっちが奥さんのナツメさん。んで、これがハスキー犬のゴルバチョフで……」
「……若っ!! お父さんもお母さんも若すぎるじゃん……なにこれ? もしかして現在進行形でこの若さなの?」
「まだ結婚して5年ぐらいだから、きっとトシも30行ってないと思うぞ? まだある……えーっと、こっちがおじさんで、こっちは小岩井のおばちゃん……」
「ええっ? なに? お爺ちゃんとお婆ちゃん? まだ健在なんだ……私が中学生のころ亡くなったのに……」
この写真がディオネにとって絶望を意味することを、アリエルは知りながら出した。
ディオネはいま日本に帰ったとしても、帰りを待ってくれている家族なんて、一人もいないのだ。
だからこそ、アリエルはこの写真を今まで出さなかった。ベルゲルミルの家族の写真も、カリストの住んでいたという家も撮影して写真を現像して持ってはいるけれど、それを見せることがいい事だとは思えなかったのだ。




