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15-12 ノーマ・ジーン(3)正義感

 ノーマ・ジーンの演説は魂が込められていた。もしかすると居合わせたアリエルたち皆の心に響いたのかもしれない。その証拠に、しばらく言葉を失って、誰も何も話さない、沈黙の時間が流れた。


 アリエルは指で眉間を摘んだまま難しい表情を崩さなかった。ゾフィーは不気味に微笑んでいる。微笑みというよりはニヤつくと表現した方がきっとそれに近い、口角を歪める嫌らしい笑いだ。ゾフィーは不快そうに見えて上機嫌にも見える。いつもの事だが、何を考えているのか正確に推し量ることは難しいキャラクターだ。


 ジュノーはいつものように、ただ不機嫌そうなしかめっ面で佇んでいるけれど、特に言いたい事もないのだろう、口を挟むことはなかった。自分が何にイラついているのかうまく説明できないのだけど、とにかくイラつくことだけは確かなようだ。ただロザリンドだけは少し機嫌がよくなったらしく、失笑を禁じ得ない。


「くくくくく、グローリアス。いいね、清々しいまでの悪だ。その腹黒さ、私は嫌いじゃないよ」


 アリエルは眉間を摘んでいた手を下ろすと、ノーマ・ジーンに向き直って、いま聞いた弁舌の、その言葉の巧妙さに賞賛する。


「万死に値する……か。うまいこと言うね、自分たちは悪を行っていることを自覚していて、それでも正しいことをしていると言い切るのは気持ちいいな。感心してしまったよ。だけど、やっぱり俺はあんたらグローリアスは好きじゃない。奴隷商人が正義で、俺のような殺戮者も正義? アホかと。俺は正義とは最もかけ離れた者でありたいと思ってるから正義だなんて言って欲しくない、迷惑だね」


「そうでしたか……、それはすみませんでした。では一つ聞かせてくださいな、アリエル・ベルセリウス。あなたにとって正義とは?」


「正義なんか語りたくないよ、こっずかしい。でもそうだな、正義の反対は何かという、逆のアプローチでなら、分かりやすいのかもしれないな。たとえば……、じゃあサオ、正義の反対は何だ?」


「悪ですっ!」


「即答かよ。いいね、じゃあサオの考えている正義とは "善" なんだ。だけど俺は正義という言葉はとても曖昧で、あやふやなものだと思ってる。そんな曖昧であやふやなものが、皆の信じている"善"だったら不安でしょ? 正義に善も悪もないんだ。俺に言わせりゃ、正義の反対はひとを"ゆるす"という心だったり"容認"や"寛容"といったものだ。つまりその裏を返すとだな、正義とは自分の信じるもの以外を許さないという、押しつけがましいものだよ。そしてしばしばその正義は悪行の免罪符にも使われる。あんたらがいった正義もそのたぐいだろ? だから俺は正義を語るようなやつは嫌いなんだ」


「あなたは自分の行動に正義を求めないのですか?」

「正義なんていらないよ。もちろんあんたらグローリアスの正義とやらにも興味がない。だけど……サナトスをこの国の王にするって言ったのは、あれ本気なのか?」


 アリエルが難色を示すと、ロザリンドは少し不安になったようだ。


「どうしたの? サナトスが王になることに反対なの?」


「んー、いや、サナトスがそうなりたいと言うなら、俺も力を貸すし、サナトスが乗り気じゃないなら無理強いはしたくない。ただそれだけだよ。それにしても……、人類をひとつの種族にする、か。その発想はなかったな、悪くないアイデアだけど、それじゃあ差別も争い事もなくならない。素人考えだそれは」


 アリエルは言い切った。まるでバカバカしいという態度ではなかったが、ノーマ・ジーンが死刑台に上がる覚悟を持ってやってきたことに対して、ちょっと話を聞いただけで知ったような口で否定したように見えた。だけどノーマ・ジーンはこうするしかなかった。こうすることがヒトとエルフの壁を取り除くのに最善の手だと思った。たとえ最悪の魔女と呼ばれることとなっても。


 ノーマ・ジーンは少しむっとした面持ちでアリエルに繰り返し問うた。


「人類が一つの種族になっても争いは止まりませんか? 悲しみも止まりませんか?」


「じゃあ、そうだな。アルカディアってどんなトコか知ってるかい?」


 アリエルは質問に対して質問で返した。ノーマ・ジーンは、少し虚空を見上げるようにして考えたあと、子どものころ母に読んでもらった神話世界の話から連想していた、アルカディアとはこういう世界なんだという憧れを話すことでそれに応えた。


「とても進んだ世界ですね。十二柱の神々のもと、皆が平和と繁栄を享受している、神話の上位世界です」


 アリエルは表情を変えなかった。そう来ることが分かっていたかのようだ。


「おとぎ話だそれは。平和と繁栄は享受していたけれど、実際にはそんないいものじゃなかった。実はね、アルカディアに魔族はひとりもいないんだ。エルフも獣人も魔人もいない。ただヒト族ばかりがひしめいている。それなのにずーっと争っている。肌の色が違うだとか、言葉が違うだとか、住んでる地域だとか、そんな細かいことで分類してまで、他人との違いを明らかにしていがみ合いを続けてるんだ。ヒトとエルフを一つにしてしまう? それじゃあダメだし、そんなことでいちいち死刑になってたら無駄死にだ、もったいない」


「ならばどうすればいいのです? 奴隷制度や争い事をなくしてしまうために、あなたならどうしますか?」


「俺? 俺に聞くの? 俺に聞いてもロクな答えは返ってこないと思うけど?」

「いいえ、あなたに聞きたいのです」


 チラッと横目で見るとジュノーとロザリンドが『絶対ロクなこと言わない』という顔をしていて、厳密に言うとロザリンドのほうは『ロクでもないことを言え』と逆の期待をする顔だ。パシテーは人差し指を立てて『ここ大事なとこだから抑えてるの。ちゃんと答えないとあとで怒るからね』みたいな顔で訴えかけてて、ゾフィーとサオは話についてこれてない。ここは正直にちゃんとハッキリ思っていることを言ってやることにする。パシテーのお説教はご褒美と同義だ。


「わかった。じゃあ言おう。全てを滅ぼしてしまえばいい。全てを焼き払って、ひとなんかいなくなってしまえばいい。誰もが思いつく一番簡単な方法がこれだよ。でもそれは現実的じゃないよね、だからまあ、現実にこの世界から争い事をなくしてしまうのは、とても難しい。だけど混血を増やして純血を追い落とすという考え方は悪くない。そしてその旗印にサナトスを選んだあんたのアイデアもだ。とても理にかなってる。親の俺が言うと親ばかと思われるかもしれないが、サナトス、あいつは俺と違ってリーダー向きの性格だ。仲間も、仲間の大切な家族もみんな幸せになればいいと本気で思ってる。マローニでも、ノーデンリヒトでもみんなを守るために戦ったと聞いてるよ。だが……」


「だが?」


「そう言えばビリーもこの話に理解を示したと言ってたか。んー、俺も同じぐらいだ、理解はするが賛同まではできない。なぜなら流された涙をたくさん見てきたからな。じゃあ聞くがノーマ・ジーン、あんた奴隷狩りの現場に出たことはあるのか? そこでどんな非道が行われているか知っているのか?」


「…… ありません。わたしは卑怯者なので、その場に居合わせる勇気がありませんでした」


 アリエルは短く「そっか」と言ったあと、「奴隷商人ならこれぐらいの話、掃いて捨てるほどどこにでもあることで、退屈な話をするかもしれないが」と前置きしたうえで、自身が体験して、その目で見てきた現実をここで語ってやることにした。とはいえ、もう20年近くも前の話になるのだが……。


「昔、俺が南方のアムルタに行ったときの話だ、顔に酷い刀傷をいくつも付けた幼い姉妹が2人、後ろ手に繋がれて奴隷狩りに攫われてゆくところに出くわした。ボロボロに泣いて、声が枯れてしまって鳴き声も聞こえないぐらい泣いて、涙でぐしゃぐしゃになって前も見えないだろうに、それでも引きずって行かれるんだ。町では美しいはずのエルフ女性が、どういう訳か、みんな顔に醜い悪魔のような刺青をしていた。教会が傷を治してしまうから刀傷をつけるだけじゃダメなんだと聞いたよ。せっかく綺麗なエルフ族の女に生まれて来たってのに、その美しさのせいで不幸になるひとがいるんだ。人に忌み嫌われる、いかにも縁起の悪い、怖気すら感じるような酷い刺青をいれて、美しさと永遠に決別して、ヒト族の5倍も6倍もの人生をずっと、そんな醜い姿で生きていかないといけない。その女の人は俺たちに微笑んでくれたけど、どこか寂しげだった。キズも刺青もはいってないパシテーを見て、とても寂しそうに微笑んだんだ。俺は今でもあの人たちの姿が忘れられない」


「アリエル・ベルセリウス。あなたは世界を相手に戦う力がありながら、世界を変えようともせず、なぜそんな些細な、ひとりの女のことで心を砕くのですか? あなたが世界を変えてくれさえすれば、そんな不幸な女は今よりもずっと少なくなるでしょうに」


「いま些細といったね? そこがあんたらとは決定的に違うところだ。目の前でだよ? 年端も行かない女の子が今まさに攫われようとしていて、泣き叫んでる。これ以上に重大なことがあるなら教えて欲しいね」


 ノーマ・ジーンはその言葉を聞いて一瞬だけ呆気にとられたが、悪びれもせずそんなことを言ってのける男こそが世界を救えるのだと思い、いつの間にか微笑んでいた。アリエル・ベルセリウスという、この破天荒な男のことが少しだけ理解できたような気がした。


 目の前で涙を流している不幸な女を放ってはおけないのだ。


 そしてそんないい話をしているというのに、空気を読まず横から口を挟む奴もいる。

 トラサルディだ。


「……なあ、アリエル。その話なんだが、いまはもう刺青いれずみをしていても消してしまうんだ。教会が」


 刺青いれずみを消す魔法技術がある。

 その突拍子もない話にいち早く反応したのは他でもない、ジュノーだった。


「え? どうやって? 刺青いれずみなんて私にも消せない……いったいどんな技術、いえ、ちょっとまって、まさか……」


 治癒魔法の技術の問題だった。自分にできないようなことを教会ができると聞いてジュノーは一瞬だけ俯いて考えたが、そのあとハッとして顔を上げた。何かに気付いたらしい。愕然とした表情で、縋るようにトラサルディを見ている。


 まさか、そうじゃないでしょ? という、否定の言葉を待っている、そんな目だ。


 だけどトラサルディはジュノーの期待を裏切り、深く頷いた。


「そう、私たちも最初はどうやっているのか分からなかった。教会がすごい治癒魔法を開発したのだと思ったよ。だけどやってることは更に非道だった。ヤツら刺青したエルフの顔の皮を剥がしてから治癒魔法を施して皮膚ごと再生してたんだ。顔中に刺青をいれたエルフが町に居たのだとしたら、きっともう……」


 アリエルは息を飲んだ。

 顔の皮を剥がしてまで再生して売り物にしようだなんて狂気の沙汰だ。


「それもホムステッド・カリウル・ゲラーの仕事なのか?」

「そうだ。実は今日な、私たちはビューラックから王都に戻る道すがら、ダレリアという神聖典教会しんせいてんきょうかいの施設で何が行われているのかを探るため、視察の予定だったんだ。まあアリエルたちに捕まってしまったから行けなくなったのだが」



 ビューラックというのはどうやらトラサルディたちグローリアスの幹部4人が会談していた集落のことだ。そしてアリエルたちはグランネルジュからダレリア訓練場へ向かう途中で、偶然あのビューラックという集落に通りかかり、グローリアスの紺色の旗が掲げられているのを見て襲撃したという経緯があった。

 つまりトラサルディとアリエルは向かう行き先も、その目的も、およそ同じだったのだ。



「へえ、ダレリア訓練場で何が行われていたか、グローリアスは知らなかったのか?」

 などと言って目を細めて見せるアリエルに、トラサルディはかすかな不信感を抱いた。アリエルは何か掴んでいる。


「ほう、ダレリアを知っているのか? さすがだな。実はダリルのエレノワ騎士伯からの情報で、魔導師の家族ばかりを出荷していると聞いてね。フェイスロンドの魔導師と、その家族をセットでなら値段が3倍でも買うというんだ。どう考えてもおかしいだろう? 何かあると思って私たちは荷物を届けるついでに視察を要求したんだ。王国法では奴隷に対する虐待は許されない、私たち奴隷商人には監督する責任があるからね」


「奴隷に対する虐待を許さないなんて法律を通すのにいくら使ったのさ」

「決まってるじゃないか。法案成立に必要なだけバラ撒いたよ。ところでアリエル、ダレリアでは何が行われていたのか知ってるような口ぶりだね?」


「ああ、およそだいたいのことは掴んでる。ちなみに、ダレリア訓練場もホムステッド・カリウル・ゲラーが?」

「そうだ。あそこはアリエルたちノーデンリヒトの魔導師に対抗するため設立されたはずだが……、ちょっと参考までに教えてくれないかね、私はいまもう虜の身だ。ダレリアに視察に行くことも出来なくなってしまった。なあ、あそこで何が行われていたんだい?」


「いや、俺たちもグランネルジュからダレリアに向かう道の途中で、あの集落を見かけて立ち寄っただけなんだ。ダレリアに向かった理由は、神殿騎士団のなんとかって隊長に尋問して聞き出した情報の真偽を確かめるためだった」


「ほう、神殿騎士団を捕虜にしたのか。さすがアリエルだ。私も鼻が高いよ。で、その情報とは?」


「実はフェイスロンドの魔導師にマナの暴走事故を起こしたエルフがいてね、闇の瘴気を吐き出しながら敵陣に突っ込んだんだけど、これがアッサリと倒されてしまってさ。どう考えても手際が良すぎるし、手慣れてると思ったから聞いてみたんだ。そしたらダレリアでマナ暴走させて闇の瘴気を吐き出すエルフの魔導師と何度も訓練したって言うからさ……」


「ど? どういうことだ? 私には話が見えないのだが……ノーマ? お前には分かるのか?」


「……っ」


 ノーマ・ジーンは手で口を覆い隠すと、大きく見開かれた瞳から、ぽろり、ぽろりと涙がこぼれて落ちた。マナの寵愛を受け、優秀な魔導師の多いエルフ族には、マナ暴走させるというその意味が分かっているのだろうか。


「ノーマ・ジーン、あんたも魔導の心得が?」


「は……、はい。もう50年も前の話ですが、セカの魔導学院を卒業しました。成績はよくありませんでしたが、マナを暴走させるほどの絶望が……」


「そうだ。お察しの通り、あんたらグローリアスが売った家族だろうよ。牢馬車には3つの家族、10人のエルフが乗せられてた。年端も行かない、まだ6~7歳ぐらいの子どもも乗ってた。やっぱりあんたらクソだ。何もわかっちゃいない。自分たちだけヌクヌクと温かい家庭で、食後の団らんだと? やっぱりダメだ。ノーマ・ジーン、あんたをノーデンリヒトに連行する。ゾフィー!、俺の工房の地下へ」


「アリエルちょっと待ってくれ、頼むから、まだ話は終わってないだろうに……」


「お望み通りの結末を用意してやる、はりつけにされるがいいさ、ノーマ・ジーン! 存分に苦しめ」



「わかりました。テックの準備もできてるわよ。ほらね、私、あなたのそういうところが好きなの」


「なにがだよ!」



「だーって、その甘さは、私にはマネできないもの……」


「なんだよそれ! 早くやってくれるかな!」


 照れ隠しなのか、不機嫌な自分を演出してまで周りに当たり散らすアリエルに、まるでこうなることが予め分かっていたかのようにゾフィーは「フッ」と微笑み、そして指を鳴らした。



 ―― パチン!


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