02-15 魔女の片鱗
のちにブルネットの魔女と恐れられたパシテーが『剣舞』の異名を持つ事となったはじまりの話。
20170804 改訂
20210801 手直し
ノーデンリヒト峠、細いつづら折りの道が続くけれど、馬車でも通れる道であることは間違いない。避難民が押す荷車の操縦がとても難しい区間だった。
しかしパシテーはほとんど『スケイト』をマスターしていて、アリエルがアドバイスすることと言えば、スピードを落とそうということだけ。
峠を越えると、高地になり、植物の植生がすこしだけ変わる。ここからは針葉樹の森だ。
アリエルは静かに呼吸を整え、目を閉じて周囲の気配を読み取ると北東300メートル、林立した樹木の密集する方向に、ひとつぽつんと気配を見つけた。
経験上、この気配はガルグのものだ。
「パシテー、呼吸で気付かれないように、そーっと、そーっと」
スケイト利点、音がしない。狩りをするのに、とても都合のいい移動手段だ。
アリエルは音を立てず近付いて、念のためにとパシテーにも狩りのしかたを教えることにした。これは師匠に教わったサバイバル技術だ。
目標のガルグまであと100メートルのところでスケイトの滑りを止めた。学校では教えてくれない、魔法を使っての狩猟実習だ。
これ以上近づいたらパシテーの気配で気付かれるからパシテーには気付かれない距離で見ているようにだけ言い含め、アリエルはスッと気配を消し[ストレージ]から狩猟用に打った鍔のない細身のダガーナイフを出し、スケイトよりも高く浮かんだまま無音で背後から近づく。
―― トスッ
標的のガルグに気付かれないまま、斜め後ろから近づき首にナイフを突き立てると、少し驚いたように身体をビクッと震わせたが、そのまま膝を折って倒れた。
「兄さま? なぜ短剣を使うの?」
魔導師のパシテーには当然の疑問なんだろう。
「うーん、石で針を作って弾丸のように飛ばすのが一番簡単なんだけど、どうもうまく喉の前を切れないから気配を消して背後から近づいて首の大きな血管を狙ってるんだけど。喉の前のトコ以外を傷つけると、毛皮が大きく取れなくてさ、ギルド鑑定士のスコルさんは見逃さないから、きっと値段が下がると思う。そのうち狩猟用に槍でも打とうと思ってるところなんだけどさ」
「正確に短剣を飛ばせばいいの?」
「うん、そうだけど、パシテーはそれでやってみる?」
「やってみる」
アリエルはさっき使った細身で鍔のないダガーナイフから血脂を拭き取ると、鞘ごとパシテーに渡す。
「じゃあ、これをあげる」
「わあ、ありがとう。剣初めてなの」
パシテーが生まれて初めてもらったナイフは両刃のダガータイプで、それはアリエルが投げナイフ用にとバランス重視で打ったものだ。
受け取ったダガーは音もなく、スッと鞘から抜かれ、パシテーの前に浮遊した。
ちょっと土魔法を使える人にならここまでは誰でもできる、当然アリエルも試した。
浮遊する剣を自由に操って敵に対峙できればなんてのは子どもでも考えつくアイデアだ、アリエルも8歳の頃に思いついて、しばらく鍛錬もしたつもりだ。離れた的の中心に当てることは簡単だ。しかしそれは正面に制止した的が置かれている場合に限ってだ。いまアリエルがガルグを狩った方法もそうだ、狙いは頸動脈だし、獲物の動きに合わせてミリ単位の微妙な調整をするのは難しい。
そもそも短剣の座標を管理しながらだと、スケイトで高速移動する自分の動きのほうが速いし、狙いの精度は格段に落ち、敵が動くともうそれに当てることすら難しくなる。自分の位置と剣の位置。三次元で座標を常に管理しながら、自分の動きもおろそかにしちゃいけないなんて、常人の処理能力でできるようなことではないと判断した。
結果、アリエルは短剣を土魔法で操って操作することをあきらめたのだ。
「じゃあここでそれの扱いに慣れたらいいよ。俺は血抜きとかしとくから」
パシテーの剣の扱いを眺めていたら、どこかで見たような、大道芸のようにも見える複雑で華麗に見せるための剣捌きを思い出した。物凄い速度で複雑な動作を正確に行ってる。
「パシテー、すごいな、なにかやってたのかい?」
「うん、ちっちゃい頃に見た大道芸のジャグリングのまね事。ちっちゃい頃は毎日一人で遊んでたの。魔法でね、こうして」
[念動力]の魔法は地面から離れれば離れるほど安定性を失う。なのにパシテーの操る剣は5メートルよりもっと高く上がりながら正確に動き、ビタッと静止させて見せた。
アリエルは魔法を無詠唱で行使するとき必要な微調整がそこそこ苦手で、かなりアバウトだ。
グレアノット師匠はアリエルの苦手分野を見抜いていた。アリエルにマナの微調整とコントロールを常に一生かかる長きにわたって鍛錬を怠るなと言うぐらい、足りない部分の鍛錬をするよう言い渡した。
とにかくアリエルは魔力が強いので、その分大雑把なのだ。だから大雑把でも通用する燃焼系を多用している。だけどパシテーは子どものころから大道芸の真似事をしていたという、これは大変なことだ。これほど複雑な動きをさせる土魔法を、起動式を入力して再現していたと言うことだ。
起動式を入力して使う魔法は大雑把も大雑把、だいたいは大岩を城壁にぶつけるぐらいの精度しか出せないのに、そんなものでジャグリングやバトンのような微調整が出来ていたのだとすると、とんでもなく高精度の魔法を使っていたということだ。
関心するアリエルの見てる前で、やがてナイフは行動範囲を広げ、パシテーの周囲でヒュンヒュンと音を立てて空気を斬り裂き始めた。
「すごいなパシテーは」
「すごいのは兄さま。すごいの。無詠唱すごい。思った通りに動くの」
思った通り動くわけなんてない!
こんなこと常人にはそもそも無理なんだ。
パシテーは青々と繁茂する木の懐に短剣を突っ込ませて落ち葉を演出すると、次々と舞い散る葉をすべて切り刻む。ものすごいスピードで正確に。無手で短剣を操るその技量にも驚いたが、ヒラヒラと予測不能な動きで舞う葉をいくつも同時に認識しているとしか思えない正確さで喜々として短剣を操っている。パシテーの技術に舌を巻いた。
「はあっ、溜息が出るよ、やっぱり俺は天才じゃなかった。天才はお前だパシテー。ところでジャグリングやってたって? じゃあ何本まで同時に操れる?」
「ジャグリングなら4本。でも見えないところにあると精度落ちるの。でも4本じゃ模擬戦も無理。この感じだと……、ナイフでも狩りに使えるのは2本までかなあ」
「長い剣は? 扱える?」
「うーん、長いのはバランスが悪くて。この短剣すごくいいの。兄さま、この短剣、重さのバランスが絶妙なの」
「予備のがあと1本あるから、これもあげるよ」
アリエルは自分が打った短剣を気に入ってもらえたのが嬉しくて、予備の短剣もストレージから出し、パシテーに手渡した。
「わあ、ありがとう。兄さま」
「じゃあ、次の獲物はまた400メートル先にガルグ。パシテー、出来るだけ皮に傷つけないように、首を狙って」
パシテーはこくりと頷いて、ふわりと3メートルぐらいの高さまで浮かんで上空から獲物に近づく。
民家の屋根の上ぐらいの高さだ、太陽を遮るミスでもしないと空から襲われる心配のないノーデンリヒトの動物たちが気付くわけがない。
腰に差したダガーの鞘から1本スルッと飛び出し、背後から大きく弧を描く軌道を描き、回り込んで獲物の横から首を狙う。ミリ単位の精度で正確に。
アリエルが自らの身体を3メートルの高さに浮かべて、フラフラすることなく安定するようになるのに2年かかったことを考えると、異様なほど無詠唱の習得が早い。加えて、その高さで自分の身体を操作しながら、同時に短剣を操作しようなんて、アリエルにはたぶんこの先10年鍛錬してもできない高等技術だった。
―― トスッ!
短剣は軽い音を立ててガルグの首に突き刺さり、何が起きたのか理解できない獲物は、少し驚いたように走り出したが、すぐに足がもつれて倒れた。
文句のつけようのない狩猟だった。
思わず拍手してしまうほどの腕前を見せてもらった。お見事としか言いようがない。
「パシテー、完璧だ。カッコいいな」
「私、もともと土魔法専攻の研究者なの」
グレアノット師匠も土魔法の専門家だから、パシテーが弟子入りしたのだろう。自分の得意分野を無詠唱で使えるようになると、熟達する速度が凄まじい。
「おれ血抜きしとくから、2本使って鍛錬しといて」
今止めを刺したばかりの短剣の血脂を拭き取りながら、一旦腰の鞘に戻す。
いや、マントの下に仕舞うから緊急時にサッとは抜けない。
「パシテー、短剣は2本とも左の腰に、抜きやすいよう角度を付けて差しとこうか。後ろだったら抜きにくいでしょ。抜くときは左手でマントをバッと翻して、魔法で抜けば……カッコいいよ」
パシテーは無言でマントを翻すと2本の短剣がササッ音もなく飛び出し、双方とも独立した動きで落ち葉を切り刻み始めた。
アリエルはちょっとした悪戯を思いついた。ニヤリと口角をゆがめ『[ストレージ』から木剣を取り出すと、パシテーに向けて投げてやったのだが、それをあっさりと叩き落とされた……。
「ごめんパシテー、もうしないから……、これ勘弁して……」
もう1本の短剣がピタっと喉元に突き付けられている。
鍛錬中で集中しているからと言って悪戯しようとすると痛い目に遭うという見本のような経験だった。
「悪戯されるのは読んでたの」
パシテーが振り返った拍子に翻る外套と、その隙に鞘に収まる2本の短剣。
「一本取られたよ。もうそんなに使いこなせるんだな。次に立合ったらもう勝てないな。俺」
「嘘ばっかり。私には兄さまの[爆裂]と[転移]の防ぎ方が思いつかないの」
と言いながら、叩き落した木剣を拾い上げ、柄に付いた土を丹念に落としてからアリエルに手渡すパシテー。こんなぱっと見、同い年にしか見えないような女の子がこんな力を持っているなんて。魔女と呼ばれるだけのことはある。
「オールレンジ攻撃かよ、カッコいいな。俺も1本ぐらい扱えるようになりたいぜ」
「なら私は4本扱えるように頑張るの」
「あ、じゃああと2本短剣打たなきゃいけないな。んじゃ狩りをしながらトライトニアいこうか。うちに簡単な鍛冶工房があるんだ」
「うん、兄さまの家」
獲ったガルグの血抜きを済ませると、それをストレージに収納し、アリエルたちはスケイトを飛ばした。ノーデンリヒト関所からトライトニアの自宅まで徒歩で2日、距離にして70キロちょっとと言ったところ。寄り道せずに『スケイト』で物見遊山がてら小一時間ぐらいの距離だ。
マローニからトライトニアまで約600キロ、直線距離で東京~大阪間に匹敵するこの距離も、信号や交差点待ちのない高原を、馬車の轍残る街道に沿って『スケイト』で滑るだけで往復するのにそれほど苦労することもなくなった。
誰も居ない高速道路を100キロ巡行でよそ見と雑談をしながら走っているようなものだ。
スケイトのおかげでずいぶん世界の距離は縮まった。隣町まで600キロだなんて絶望しかなかった距離も、いまはちょっとした遠出の気分で行き来できるようになった。




