15-08 胸を張って敗北する男たち
挿絵報告です。描いて挟んでおきました。カタリーナさんです。
14-26 カタリーナ・ザウワーの半生5:再誕【挿絵】← お時間が許しましたら見てやってください。
「神聖典教会はグローリアスを知らない。知らないけれど、私たちは教会の最も重要な教義にケンカを売った。グローリアスの理念は教会とは相容れないのだ。だから奴隷商人として、私たちは教会と良好な関係を続けている。だが水面下ではアヒルの足のようにバタバタと忙しなく動いているものなのだよ」
「ほらアリエルさん! 絶対に言いくるめられるって言ったじゃないですかー。口じゃあ母さんでも手も足も出ないんですから、トラサルディ叔父さんとは話しちゃダメなんです!」
「あーエアリスごめん。見事に言い負かされたみたいだ。なんだかすっげえ偉そうな命乞いされて呆れてるところに畳み込まれた気がする。だけどグローリアスのボスとは会わせてもらうよ。会ってみたいと思わされた俺の負けだな」
「ははは、胸を張って命乞いをする理由が分からないのかアリエル。なら教えてやろう。ドーラの魔族軍とノーデンリヒトの義勇兵、合わせて10万。王都では何の力もコネもないジュリエッタが王国軍の備蓄する食料を横流しして手配するなんてこと、本当にできると思っているのかね?」
「ビリーが間に入ったみたいだけど、一介の元老院議員にしてはやることが大胆だと思ってたよ」
「10万の兵を90日動かすのに、いったいどれだけの食料が必要だと思ってるんだ? 難民食のように麦やイモを用意してればいいというわけでもないんだぞ? いかにビルギットさまとて、王国軍にバレないよう極秘裏にそれだけの食料を放出するなど無理だ。裏で手をまわして足りない分の横流しを請け負ったのが、こちらエレノワ卿と、ダイネーゼ氏だ。ドーラの魔族軍が何も知らずに食べている食料の中には少なくない量のダリル軍物資も混ざっている。命乞いをするのに少しぐらい胸を張ってもよかろう?」
「そんなとこまで食い込んでるの? 恐ろしい秘密結社だな。じゃあビリーもグローリアスなのか……」
「違う。ビルギットさまはグローリアスの理念に理解を示されたが賛同まではされなかった。あのお方は私たちとはまた別の次元でこの国の平和と安定のため心砕いておられる」
アリエルは今になって、トラサルディの言葉の一つ一つが空恐ろしいと思った。
何が恐ろしいかと言うと、秘密結社を興してまだ16年そこらという短期間で、王国の根っこの部分にまで食い込んでいることが恐ろしい。グローリアスという言葉そのものが、奴隷狩りのプロか奴隷商人しか知らないように、調べてもなかなかその尻尾がつかめない、悪霊のような存在か、それか、実体のない概念のようなものじゃないかとすら考えていた。だけど元老院議員と結託して王国軍の食料を横流しまでやってる。しかも敵軍である魔王軍にだ。
セカのセンジュ商会を与るジュリエッタと魔導学院が手を組んだ時の情報収集能力は高い。もしかすると国家諜報機関に匹敵するレベルじゃないかと思えるほどに。センジュ商会には相当高レベルの情報屋がついているはずだ。
だけどグローリアスはジュリエッタの情報網をかいくぐって、元老院議員と手を結び、さらにジュリエッタ本人にすら気付かれないまま、食料を売り渡している。
アリエルが探していた"聖剣グラムの破片"もあっさりと見つけ出したし、ボトランジュ領主アルビオレックスとその妻リシテアの身柄が神殿騎士団の本部から極秘でプロテウス城に移されたという情報も、今になってよくよく考えてみると、王都で太いパイプを持っていないはずのジュリエッタがそう簡単に得られるようなものではない。センジュ商会の実家筋を頼ったと考えた方がしっくりくる。
そしてセンジュ商会の実家というのは、長男トラサルディ・センジュが家督を継いでいる。
アリエルには少しだけセンジュ家というものが理解できたように思えた。
しかし新たにまた不可解なことが2つほど出てきた。
ビリーに対する言葉が丁寧すぎる。元老院議員とはいえ、たった一人という立場なら大貴族のほうが強い。大貴族をつかまえて愚かだの理想家だのといってこき下ろしたのに、一介の元老院議員に対してかしこまりすぎだ。しかもビリーはまだ小娘だと言うのに。
そしてもうひとつ。
「でもさっき、殺されたとしてもボスの情報は売らない言ったのに、なんで俺に会わせようとするのかな、それってこの場にいる者の代わりに売り渡すってことだよね?」
「耳が痛いな。だけどアリエル、グローリアスの代表、つまりボスのほうがキミに会ってみたいと言ってるんだ。それを私が反対して、会わせないようにしていたというのが現状だね」
アリエルはたったいま、この男に『してやられた』ことを知った。
向こうが会いたいと言ってるものを、こっちが会いたくなるように仕向けられて、グローリアス幹部のうち3人を解放するという約束をさせられた。トラサルディの巧みな話術で結果的には3人の男が救われたと言うことになる。
「やられた……。なあサオ、交渉事というのはこういうことなんだ。よく学べよ」
「はい師匠。でも途中で耳の痛い事を言われたのであまり聞いてませんでした」
「サオさん、交渉術ならいつでも教えて差し上げますよ。じゃあアリエル、いま言った条件で皆を解放してもらおう」
「わかりました。でも最後に一つだけ、これは皆に聞きたい。ダリルのエレノワ騎士伯、アルトロンドのダイネーゼさん、そしてアムルタ王国のヒッコリーさん。あなた方はこれからどうするつもりです?」
エレノワ騎士伯がマントを羽織りなおしながら答えた。この夜更けに、すぐさま馬を引いて帰るつもりらしい。
「私はダリルマンディに戻ったあと、レイヴン傭兵団を防衛線から引かせて全力で難民支援に注力するよ。父殺しの親衛隊は後回しだ、煩わしいが優先順位はそうなるな。ダイネーゼさん、悪いな。アルトロンドには多大な負担をかけることになりそうだ」
「気にしなさんな。なあに、うちの領主が欲を出したせいだ。カネで解決することなら面倒はないのだが、ドーラ軍の略奪を防ぐためとはいえ、食料を放出しすぎた。正直いって難民に回す食料が足りない……」
「悪いがダリルの方にも余裕などない。アムルタはどうです?」
「魔王軍の動きがどれぐら早いかにもよりますが、満足のいく量はとても……。先ほど言われた通りダリルの次、アムルタが攻められるとなるとどうなるのか読めません。魔王フランシスコどのがグランネルジュにおわすなら手が届く。交渉すると言う手も残っているではありませんか。どちらにせよアムルタはどこと戦うにしても力が足りませぬ。食料も出せるような状況では……」
アムルタもダメだと聞いてエレノワ騎士伯はダイネーゼに問うた。
「アルトロンド南部の穀倉地帯、今年は豊作だと聞いたが? あそこにかなり備蓄があるのではないか?」
「さっきベルセリウス卿に言われた計算をしてみたのだが、難民に配るパンが1人1日400グラムだとして、難民が80万ともなると1日320トン、1カ月9600トンだ。ダカツイモやセラコメを混ぜないと本当に5か月でスッカラカンになる。南の穀倉地帯はダリル難民に対して一握りの麦も提供しないだろう。なにしろ南部の実権を握っているのは、あのエンドア・ディルだからな、領主が言っても評議会が首を縦に振らなければ無理だ。私が頭を下げたぐらいじゃ助けてくれるわけなどない」
「ああ、あのクソオヤジか……、なら無理だな。どうする? センジュ商会でどうにかできないか?」
「まさか食糧が足りないとは思ってなかった。不覚だよ。それに私は虜の身だ。来年まで生きているかも怪しい。だがグローリアスの意思は継いでほしい。あとは頼む」
エンドア・ディル。その名を聞いて、アリエルだけでなく、ロザリンド、そしてサオまでもがみんな一斉にパシテーの顔を見た。パシテーの本名はパシティア・ディル。アルトロンドで魔族排斥運動が活発化するとディル家の家名を名乗ることも許されず人権が剥奪された。続いて追い打ちのように奴隷制度が施行されることになり、母フィービー・ディルとともにアルトロンドから逃げてきたという経緯がある。アリエルが調べたところ、エンドア・ディルはアルトロンドでは数少ない奴隷制度廃止を叫ぶ評議会議員であり、一時は落選寸前まで追い詰められたが、皮肉なことに奴隷制が浸透すると、エルフを愛する者たちの間で支持が拡大し、まだ少数派だが現在はそれなりの派閥をもって活動しているという。
アリエルは議論が煮詰まって頭を抱える3人に問うた。
「話を聞いてたら、あんたら奴隷商人のくせに軍を支援するだけじゃなくて難民支援までやるの? なんだか偽善者を見ているようで、あまり気分のいいものじゃないな」
「どう思われても構わぬよ。奴隷商人が稼いだ汚れたカネで買った食料でも、飢えた人の腹を満たすぐらいのことはできるからな」
いつかジュリエッタが、商人だからといって甘く見られたくないといった。戦士はその身を切られて血を流すから尊く、商人はカネしか出さないから軽くみられるのが我慢できないと。
グローリアスの幹部も同じだった。アリエルは不覚にも敵ながらあっぱれだと思った。
「どうだねアリエル。これがグローリアスだ」
「理想を語る現実主義者ってやつを目に焼き付けてます。これが滅ぼすべき敵なんだと思ってね」
「手厳しいな。私たちは現実主義者だと言ったね。それは避けられない破滅のような運命ですら現実としてとらえるんだ。そして私たちは絶望的な未来を少しでもマシなものにするために、剣も握ったこともないような、こんなにも非力な両腕で、どうやれば未来を作り出せるか、ずっと考えている。私にもアリエルのような力があればと思った。いや逆に、なぜ私には力がないのだろうと己の力のなさを呪ったりもした」
「それが奴隷商人を始めた理由? 弱い者を踏みつけにして、泣かせて、少女を売るような商売をしておきながら? 何言ってんのか分からないけど?」
「なら聞くが、アリエルは生まれてからいったいどれぐらいの人を殺したんだい。弱い者を踏みつけにしたと言ったね。見渡してみるがいい、アリエルにとって、この世界そのものが弱者じゃないのか? 1000人の敵に単騎で突っ込んで平気な顔をして皆殺しにして見せる。それは相手がザコだからじゃないのかね? まさか人を殺すのは良くて、女を売るのは良くないとでもいうのか? アリエルは言ったね? 人を殺したことについて言い訳をするつもりはないと。私たちも同じだ。エルフを商品にして販売していたことに対して言い訳なんかするつもりはないよ。我々はあくまで合法的に許された商売をしているのだからね」
「合法だとか違法だとか、そんな話をしてるんじゃないよ。俺は殺戮者だ、たぶんトラサルディ叔父さんが想像もつかないほど多くの人を殺して、今その屍の上に立っている。俺がイラついてるのはきっと、自分たちを正義だというあんたらが、正義という言葉に縋ってるように見えるからだろうな。稀代の悪徳商人がいったいどの口で正義を語る? あんたらの免罪符は何なんだ?」
「人が100人いれば、100通りの正義がある。グローリアスは幾多の行き違いがあって、ノーデンリヒトやボトランジュと敵対していて、なによりアリエル、キミやドーラの魔王フランシスコを敵に回してしまった。我々の未来は明るくないな、手の届くところまで敗北が近付いている。さっきダイネーゼどのが言った通りだ、それでも私たちは胸を張って死刑台に上がる覚悟を持って活動している。我々の行っていること、それもまた正義なのだよ」
「そうだ。私たちの勝利も敗北も歴史にとって通過点に過ぎない。なれば胸を張って敗北しようじゃないか」
「わはは、そうだそうだ。こいつぁイイ。次に四人が集まるときは死刑台がいいな」
トラサルディは自分たちもまた正義だと言った。アリエルは自分たちのやろうとしていることをそもそも正義だとか悪だとか、あまり考えたことがなかったので、正義に拘るトラサルディの姿勢そのものに少し違和感を覚えた。
ロザリンドの背後でただ話を聞いていたパシテーが、ようやくその重い口を開く。
エンドア・ディルの娘として、出来ることが一つだけあった。
「アルトロンドの奴隷商、ダイネーゼ商会、あなたのしていることに賛同するわけではありません。だけどひとつ助けになればと思い、手紙を託します。しばらくそこで待ってるの」
パシテーはそう言うとダイネーゼの顔から露骨に目をそらし、背を向けてアリエルの影を踏み、ネストに沈んだ。
なんだか無理に丁寧な言葉を使おうとして失敗したような言葉だった。
「助け? ……今の女性は?」
ダイネーゼの問いにはエレノワ騎士伯が答えた。
「ブルネットの魔女。ダリルマンディ襲撃では飛行術を操り、甚大な被害をもたらした恐ろしい魔女だ。カワイ子ちゃんだと思って対応を間違えないよう進言しておくよ」
奴隷商人たちはもう敗戦の決まったダリルは置いといても押し寄せるであろう膨大な数の難民のことで、まるで終わりの見えない、むしろ実りのない議論をずっと続けているように見えた。ビリーに聞いた元老院議会の現状に照らし合わせると、ここで聞いた話に矛盾はない。もちろんトラサルディも、ここにいる者たち皆が何となく感じている。
シェダール王国には戦う力なんて残されていない。アシュガルド帝国が攻め込んできたとしたら、それはもう満を持しての侵攻だ。できることはちょっとの抵抗だけ。撃退するなんて夢のまた夢だ。
今にも倒れそうな王国を救ってやる義理なんてないが、アシュガルド帝国が我が物顔で攻め込んでくるのを黙って指をくわえて見ているわけにもいかない。
パシテーは奴隷商人ダイネーゼ商会に手を貸すのではない。いまもアルトロンドで奴隷解放運動を続けている父エンドア・ディルを助けるため、ダイネーゼに手を貸すのだ。アルトロンドがなくなってしまえば奴隷解放運動になんか意味はないのだから。
パシテーがネストに引っ込んでから10分ぐらいの時間が経ったろうか。
次にネストから出てきたときには、パシテーだけでなく、ゾフィーも一緒に出てきた。まるで呼ばれることが分かっていたかのように。
「えっと、申し訳ない。こちらの方がロザリンドさん? でしたか? いや、どちらがロザリンドさんなのか、申し訳ない……。高身長の美しい女性としか情報がないもので。神聖典教会の手配書はほら、鹿みたいな絵だったのでイメージが……」
慌てて取り繕おうとするトラサルディに、慌てることはありませんよとでも言わんばかりの落ち着いた口調で、ゾフィーは優雅に両手を広げ、ちょこんと膝を曲げる、エルフ式のお辞儀をしてみせた。
「お気になさらず。私はこの人の妻でゾフィーと言います。どうかよしなに。では、そろそろお暇しますか? パシテー、手紙を早く。ロザリンとサオはいま助けた家族をもう少しこちらに連れてきて、ひとりでも漏れたら大変」
「ジュノーは何してんの? 挨拶に出てきても良さそうなモンだけど」
「テックと二人でイライラしてるみたいだから出てこないわよきっと。呼びましょうか?」
外の会話が中に聞こえてるというのも面倒だと言う事が分かった。ジュノーはきっと神聖典教会がらみのことで怒ってるんだろうけど、てくてくはエルフの守り神みたいな側面があるから奴隷商人と会わせてひと悶着ない方がおかしい。
「いや、やめとこう」
パシテーはダイネーゼの眼を見ることもせず、宛名も何も書かれていない、赤い蝋で封をされた手紙をスッと出しだした。
「この手紙をエンドア・ディルに渡してください。何も言わなくとも読めばわかります。もしこの手紙があなたの助けになったのなら、それは貸しなの。2倍返しでエンドア・ディルに返してください」
無造作に差し出された封書を受け取ろうとしたダイネーゼは封蝋に刻まれた紋章を見て表情が固くなった。目に入ったのはベルセリウス家の紋章だ。
エレノワ騎士伯の脅しがよほど効いたのだろう、無言であったが、かしこまって、まるで表彰状を受け取るときのように、緊張した面持ちを崩さず両手を添えて、しっかりと受け取った。
ゾフィーはパシテーの手紙がダイネーゼの手に、間違いなく渡ったことを確認すると、パチンと指を鳴らし、アリエルたちの関係者、及び牢馬車から下ろされたエルフの家族たちはみなその場から忽然と消えてしまった。
グローリアス幹部たちは、自分たちの身内の中で、たったひとり連れ去られたトラサルディ・センジュの行方を心配したが、自分たちのやらねばならないことを再確認して、当初の予定を少し早めて自分たちの帰るべき場所へと帰って行った。




