番外編:セイクリッドその後2:勇者とは
次話はまた来週の週末あたりに投稿予定です。
ノーデンリヒトの短い夏が過ぎ去り、秋の様相を見せはじめた。
セイクリッドがこの難民キャンプに来てから数か月、もうじき初雪がちらつくようになる。この季節は冬に備える猛獣たちの活動も活発になり、僻地に暮らす者に注意を促していたのに、森へ木の実を獲りにいった女の子のグループがガルグに襲われて軽いけがをするという事故が起こった。
ノーデンリヒトからするとずいぶん南に位置するエルダー大森林出身のエルフたちは枝ぶりのいい広葉樹の鬱蒼とした森に育ったので、針葉樹が群生するツンドラの冷たい森に慣れていない。猛獣に襲われたらサッと木に登って、枝を渡れば簡単に逃げられるぐらいに思っているせいで退路を断たれたのだ。針葉樹はそう簡単に手足をかける枝がない。まずはそういった、エルダーの森との違いから教えてやる必要があると痛感した事件だった。
それがどういう訳かセイクリッドは帯剣を認められた。女の子たちが猛獣に襲われたら身を挺して助けなければならないと言う必要に駆られた措置だったのだが……。
まったく、ノーデンリヒトという土地は強制労働を強いられている罪人に帯剣を許可しなくちゃいけないほど人材不足らしい。
セイクリッドに帯剣が認められると難民キャンプにブライが訪ねてきて一振りの剣と一枚の盾を押し付けるように置いて行った。あの日、砦の門の外に投げ捨てたはずの剣と盾がこの手に戻って来たのだ。赤い柄は手垢にまみれて黒く変色していたが、刀身はしっかり手入れされている。
まったく、余計なことをしてくれる。
ブライが帰ったあと、遠巻きに様子を窺っていたランカが駆け寄ってきた。
なんだかものすごく不機嫌そうだ。
「セイク、あざとすぎ。そうまでして女の子にモテたいかなあ?」
顔は悪くないんだから剣ぐらい持てば女の子にモテると言ったくせに、ランカはすっごい疑惑の目を向けている。別にモテたくて帯剣している訳じゃないと説明しても信じちゃもらえないだろう。
「いや、そうじゃないんだ。これがあるとほら、猛獣が襲ってきても、悪い奴が攻めてきても、ランカやみんなを守れるかな? と思って……」
「セイクだめだよ。剣を持つってことは戦うってことでしょ? 女の子たちはみんな自分を守ってくれる強い人に惹かれるけど、セイクは強くないじゃん。戦って負けたら殺されちゃうんだからね!」
その言葉はランカの体験してきた地獄を物語っていた。
そうだ。
セイクリッドは剣を持って目の前に立ちふさがる戦士を、もう何人殺したか覚えていないほど倒してきた。自分の力が及ばないと分かっていても、戦っても勝てないことぐらい百も承知で向かってきた戦士、何かを守るために命を捨てる覚悟をした男たちをだ。
「だからセイクには武器なんて持ってもらいたくないな。悪い人が攻めてきたら逃げようよ、どこか遠くへ。ここも安全じゃないって噂だしさ」
セイクリッドの血塗られた過去を知らず、ただその身を案じるランカの言葉が無防備な胸に突き刺さる。
これもブライの狙い通りかと疑ってしまうほどだ。
ランカが本当にセイクリッドを心配しているからこそ、その言葉は深く深く、心をえぐる。
セイクリッドの心は、純真なエルフの少女たちの優しさに触れられるたびに、ひどく打ちのめされた。
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それからしばらくしてのことだ。
今日はドーラのお偉方がエルダーの森を攻めているダリルと戦火を交えるらしく、通りがかりのついでにどうやらこの難民キャンプを視察に来るらしい。まったくヒマな奴らだ。しかし施設長が言うには多大な寄付を頂けるらしいので、セイクリッドにもちょっとマシな服を着てシャキッとしておけとのお達しだった。
そして視察当日、施設長たちはパリッとした、ちょっと小綺麗な服を着ているのだけど、セイクリッドは洗い替えの作業着ぐらいしかない。
「セイク! なによそれ、もうちょっと綺麗な服はなかったの? 早くしないともう来るよ」
「ノーデンリヒトに来てから服を売ってる店を見たことがないんだってば! それにほら、金もないから」
「そんなんだから恋人に愛想を尽かされるのよ! ほんと世話が焼ける……あーもう襟曲がってるよ。ほら、ちゃんと直してもう……」
マシな服と言われても受刑者だし、当然だけど貧乏暮らしだし、帝国にはそこそこ貯蓄あるけど、この世界にはATMなんて便利なものないし、仮にあったとしても帝国の通貨なんてどうせ通用しないし、てかそもそもマシな服を売ってる店が存在しないんだから、重ね重ね様々な要因で無理な話だ。
ランカに曲がった襟や、ズボンからはみ出ているシャツの裾を直してもらうなど、VIPを迎える用意をしていると、難民キャンプに3台の馬車が到着し、ものものしい空気に包まれた。
キャンプを取り仕切る施設長が真っ先に駆け寄って挨拶を交わす。施設長が施設内の案内をする手筈になっているから、セイクリッドはいつも通り、ランカと共に黙々と仕事をこなしていればいいはずだ。
しかし馬車は鼓動の音が聞こえるほどの緊張を連れてきた。
たった今、チラッと見えた……。
馬車を降りたドーラのお偉方……、遠目からでも見間違えることはない。
あのサナトスより一回り大きな体躯、天を衝く荘厳な双角、そして悪夢としか言いようのない紅い眼。
魔王フランシスコ・アルデール。
……16年前、バラライカの戦いで勇者10人と戦い、圧倒したというロザリンド・ルビスの兄だ。
「護衛の者がゾロゾロとまあ……って、ブライさんも一緒か。うわ、サナトスまで居やがる。なんて日だ……、今日は厄日か」
ブライがこっちを指さして、全員の視線が集まった。すぐ横にいたランカはまさかドーラの王族が来るとは思わなかったので緊張してなんだかおかしいことになってる。
「ランカ、息しろ息」
ちょっとよそ見をしている間に、セイクリッドの目の前を大男たちが囲んだ。
なるほど、ものすごい威圧感だ。すぐ横に立ってるランカが過呼吸起こして死ぬかもしれない。
サナトスの傍ら、にやけた面を隠そうともしないブライが、なんだか嬉しそうに声を弾ませた。
「セイクリッドおまえ、殺気が漏れてたぞ、未熟者め」
「ちょ……、それ今言わなくちゃいけないことか?」
そして魔王フランシスコの横に控える長身のエルフ男性がセイクリッドに言葉をかけた。
「王は名を名乗ることが許されました」
「はっ。セイクリッド。洗礼名で姓はありません。ここで難民の世話係をしております」
「堅い。堅すぎるぞ! ここは玉座の間じゃないんだしなー、もうちょっと砕けた感じでいかんか?」
魔王フランシスコ直々のお言葉がこれである。
「は、はあ……」
「貴様、鋭い気を放つな」
「未熟でした。あのロザリンド・ルビスの実兄だと聞き及んでおりましたので、魂が震えたようです」
「わはは、そうか? それはそうだろう、我が妹ロザリンドは魔人族の中でも屈指の美しさでな、年頃になると求婚の申し入れが殺到し、ドーラ中からロザリンドを一目見るため毎日行列になるほどの騒ぎであった。だが美しいだけではないぞ? その剣の業たるやまさに閃光。この私ですら幼少期からただの一度もロザリンドから一本とれたためしがない。唯一つお転婆で力の加減が苦手なことを除けばパーフェクツ! 美の完全体。妹キャラとして至高の逸材。その上にだセイクリッドくん、ロザリンドのような妹キャラは業界用語で『ツンデレ』というカテゴリに分類されるらしい。なんとかぐわしい花園のような響きではないか。兄としては当然その『デレ』に期待して構ってちゃんしてみるのだが、いかんせん『ツン』が殺人級なのだ。これまで何度も死にかけて今に至る。アリエルという人族の優男に娶られてしまったが、あの男も毎日毎晩、強力な愛情表現の "ギャラクティカマグナム" とやらを受けて顔面からマットに沈んでいると思うと少しいい気味でもあるがな。まあ、そのロザリンドも一度死んで蘇ってからはお転婆も形を潜めたらしいのでな、一度こっそり会いに行って背後から抱き締めてやろうというサプライズを計画しておるのだが、ついこの前はハグしてやろうと思ったら寸でのところで捻り込むようなボディフックを撃ち込んできおった。もちろん私も兄としてロザリンドの放つ愛情表現の全てをこの身に受けたが、さすがに15年以上もあの芯に来るパンチを受けてなかったものか、意識が半分飛んでしまってな。ハグするまで至らなかったのだ。いや、あのままハグすることも出来たが、ロザリンドの背中に朝食ったものをリバースしてしまうと兄の威厳が保てぬからな、ハグはまた今度、次の機会という事になったのだが……」
「ゴホン! ……魔王さま。時間が限られておりますゆえ」
「……」
見た目に反して残念な魔王さまだった。
「なあハリメデ、ロザリンドの魅力を語っておるのだ。そう短時間で語り尽くせるものでもあるまいに。……まあよい、サナトス、話があるのだろう?」
「ああ、セイクリッドさん、あなたにノーデンリヒトの門を守ってほしいんだ。春にはセカで闘技大会するらしくて、ノーデンリヒトは手薄になるから」
「サオの代わりをしろと? 俺はここが気に入ってるんだが……断れるものならお断りしたい」
難色を示すセイクリッドにすぐブライが説得に入った。
「そう無碍にするな。これはイオの推薦だ。ちなみに俺もサナトスも賛成だ」
「よしてくれ、俺はここでカワイイ女の子たちに囲まれてキャピキャピ暮らしたいって……ちょっと、いまセカって言ったか? もしかしてもうセカまで侵攻したのか」
セイクリッドの問いにはハリメデが答えた。
「アリエルさまは僅か2日でセカを開放しました。フェイスロンドを蝕むダリル軍ももう僅かしか残っておらぬとの話。魔王さまの義弟として相応しい働きをしております」
「はあ? セカを2日? 5万の占領軍は? どうなったんだ……」
「なあセイクリッド、お前はサガノ……いや、アリエルたちの戦闘を見てないんだったな。騎士勇者たち、スカラールのオヤッサンとアドリアーノは手も足も出せずに倒された。倒したのは可愛い女の子だった。ブルネットの魔女だよ。お前も噂ぐらいは知ってるだろ?」
「オヤッサンとアドリアーノが? まさか死んだのか?」
「ああ、死んだよ。だがそれだけじゃない。ウェルシティは勇者トキワ、じゃなくて、ロザリンド・ルビスにあっさりと倒された。あの神速のウェルシティが剣を構えて何もさせてもらえなかったんだぜ? セイクリッドお前ウェルシティからは一本も取れてなかったろ? そしてハルゼルは爆死。イカロスは逃げたと思う、あいつマジ逃げ足速いのな……」
「あのウェルシティが? 剣を構えたのに? ちゃんと二刀で構えたのにか?」
「お前も見ただろ? あの夜、ブリーフィングルームでシャルロット・アザゼルに放ったあの居合だよ!」
「見えなかったよ! あんな暗いところで見えるわけがないって。ブライさんは明るいところで見たんだな?」
「いや、あー、その、なんだ……。えっと、明るくても見えなかったけど……居合だよ。居合で倒された」
「マジか……、あのウェルシティが……。じゃあ外の奴らは撤退したのか?」
「いーや全滅だよ。そのあとドラゴンが空から襲ってきたからな」
「ドラゴン? 竜騎兵のことか?」
「違う! ワイバーンなんてドラゴンのエサだったよ……あんな羽根つきトカゲじゃなく火を噴く本物のドラゴンだ。この世界の言葉を覚えるため宿舎で側女に読んでもらう最初のさ、ほら子供向けの絵本で見たろ? アレだよアレ。空からきたる災厄っていうの? おっそろしい! あれは酷かった。戦いですらなかった。……虐殺は帝国軍の十八番だったが、まさか自分たちの身に降りかかるだなんて思ってもみなかったろうな」
言葉も出なかった。
セイクリッドには理解の及ばないことが起きているようだが、話を聞くにつれブライの言いたいことは分かった。
要するにノーデンリヒトから1か月かかるはずのセカやマローニといった都市をだ、あの勇者サガノ(アリエル)たちがどうやったか知らないが2日そこらで開放するという快進撃をやって見せたものだから、そこを守る兵士の準備が少しもできていないということだ。
セイクリッドも帝国軍に居たのだから敵の情報は知っている。
ノーデンリヒトには魔人サナトスや防人のサオなど勇者を凌ぐといわれる強力な"個"の強さをもつ英傑が複数いたが、全兵力を結集しても5000ぐらいじゃないかというのが大方の予想だった。
そしてあの頑強なノーデンリヒト要塞、鋼鉄の処女、サオが守っていた門をくぐってみるとその情報に間違いがなかったことを知った。
ノーデンリヒトは慢性的な人手不足だったことに加え、更にはマローニ、加えてボトランジュ領都セカなどという人口80万の大都市を守る兵士が急に必要となった。
だからこそ、セイクリッドのような受刑者にも声がかかったということだ。
用兵の基本をひとつも押さえず、サーチ・アンド・デストロイを繰り返すからこんなことになる。
セイクリッドは一瞬考えた。
この難民キャンプにいるエルフたちは、もう帰る家がない。ここで一通りの職業訓練を受けた後、自分の考えで自由に身の振り方を決めることができる。
ランカもノーデンリヒト人として生きることを選んだ(と小耳に挟んだ)。なればノーデンリヒトを守る者が必要だ。
そしてブライはたたみ込む。
「なあ、セイクリッド。ノーデンリヒトの戦士でお前の名を知らない者はいないし、お前の強さを知らない者もいない。イオやベルゲルミルたちもマローニやセカの防衛に出てしまったからな、おまえには手薄になったここを守ってほしいんだ」
「俺は……」
「おまえには戦う理由がないか? 剣をもつ理由はまだ見つからないのか? 守りたいと思う人は? ……もう居ないのか?」
「なあブライさん……、俺は……」
「じゃあもういちど問おう。勇者とは! 勇者とはなんだ? セイクリッド、答えは出たか? 己の魂に問うてみろ」




