14-29 カタリーナ・ザウワーの半生8:時空
すみません長いです。クドいです。ダウンフォール! 初の 1話 1万字超えです。
途中すこし混乱するような場面あると思います。もし混乱していただければ作者の狙い通りです。悪しからずご了承ください。
なお、この話は
第1話 序章:「世界に語り継がれる英雄譚」に続く、ダウンフォール!第00話といった性格の強いものです。もう忘れてしまった方も多いと思います。この話の続きは、最初の最初、プロローグの前にありますから、興味のある方は、第一話 序章に戻っていただき、今一度再読していただければと思います。
次話、14章も最終話カタリーナ・ザウワーの人生(←半生ではない)土曜か、日曜あたりに投稿予定です。
……暗い。
青空が見えなくなってどれぐらい経つだろう。
この陰鬱な空気は空を覆い尽くす暗雲、巻き上げられた灰によってもたらされている。
太陽の放出する熱量は地表に届くまでに減衰し、暦の上ではまだ初秋だというのに凍えるように寒い。
そんな中、貧しい者の着る粗末な衣服を身にまとう少年と少女がいた。
辺り一面、灰で埋まった平原の見晴らしのいい丘の上に、土の魔法で作った簡素な住居で凍える身体を温めあっている。かじかむ手指をさすって、お互いを労わり、野に育つ僅かに残された苔植物を主食にして、やせ細った生命を維持するような、やがて来る死への運命を受け入れた生活だった。
この滅びゆく世界に生まれ、短い生を謳歌することもなく、儚く消えてゆくのが運命と知るかのような、少年と少女の姿は可憐にも見えた。
こんなにも弱々しく、こんなにも小さな少年が、世界をこんな地獄に変えてしまった元凶として後世に語り継がれる深淵の悪魔、破壊神アシュタロスであり、凍えて小さく丸まった少年の身体をなけなしのマナで温める優しい少女こそ、灰燼の魔女として世界を震撼させ、恐れられたリリス、その人だった。
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少年と少女はスヴェアベルムの北半球にある、エル・ジャヌールという大国の東にある広大な穀倉地帯エデンのさらに東、トウカという辺境にある小さな貧しい寒村で、奇しくも同じ日に生を受けた。
世界で最も早く朝が訪れるとされる、トウカは東の最果てという意味を持つ。
貧しいが良質な麦の生産地として知られる、働き者ばかりが暮らす村だ。
この世界ではもう何十年も前から続く戦火に見舞われ、南方では多くの国が滅び大陸すら消え去ったと聞く。遠く北半球の辺境であっても偏西風の影響で秋から冬にかけては灰が降る。戦争とは関係のなかったこの国でも深淵の悪魔は暗い影を落とし始めていた。
村人たちは誰も口には出さないが、世界の行く末に不安を感じていた。そんな薄暗い未来を明るく照らしてくれるのは、子どもたちの笑顔だった。
収穫前の忙しい時期に生まれた子ども、少年はフォウと名付けられた。豊穣の秋という意味を持つ、豊かな実りをもたらしてくれる縁起のいい名前だ。少女の方はリア、幸福を意味する。しかし二人はこんな素晴らしい名をもらっておきながら、お互い呼び合うときはベル、ジュノーという何の関連性もなさそうな愛称を使った。
ジュノーというのはこの世界で最も愛された女神の名だったためか、フォウ(ベル)に倣い、美しく可憐なリアをジュノーと呼ぶ子らも少なくなかった。
戦争が引き起こしたとされる降灰のせいで、トウカの村でも毎年豊かに実っていた麦の不作が続き、村の働き手の多数がよその町に出稼ぎに出ていた。とはいえ、近隣の村々ではおよそトウカと似たような不作に見舞われていたので、町に出たところで出稼ぎのものが多く溢れ返っていて、仕事があるわけもなく、多くの失業者は路上生活を強いられている
戦争と降灰がもたらした大不況という薄暗い時代に育ったフォウ(ベル)とリア(ジュノー)が10歳となった収穫期、降灰が始まる少し前の事、リア(ジュノー)の母が収穫に使う大鎌で足を大きく斬り裂かれると言う事故が起こった。
傷は大きな血管を傷つけており、すぐにでも止血しなければ命に係わる重大な事故だった。
しかし村には治癒魔法を使える者がおらず、歩くことも出来ないため荷車に乗せて遠く離れた町まで連れて行くだけの時間的猶予はない。リア(ジュノー)は母が怪我をしたと聞くとすぐさま駆け付け、人目を憚らず治癒の魔法を使ってその傷を跡形もなく癒した。
まだ10歳、魔法も弱く、身体も未成熟なこの時期に、自分を産んでくれた母親が起こした事故により、ジュノーの権能が発覚してしまう。
トウカの村に治癒の権能を持った子がいる。その噂は喜びと共にエル・ジャヌール王国を駆け巡った。
治癒の権能を持つ者は、王国に取り立ててもらい、領地を得る下級神に選ばれる可能性が高い。しかもリア(ジュノー)の権能は誰の目にも圧倒的で、強力な治癒権能だった。トウカの村長は鼻高々に自慢し、リア(ジュノー)の生みの親たちも、我が子が授かった権能に、明るい未来を夢見た。
今思えばそれが間違いのもとだった。
それから6か月後の春、降灰がおさまった畑に種をまき、子どもたちが麦の芽を踏む作業に追われていた頃、トウカという村民みな集めても200に足りないような小さな村に、2万もの軍勢が押し寄せた。
村の中央の広場に、生まれたばかりの赤子から、他人の助けがないと立ち上がることすらできない老人まで、すべての村人が集められた。本来なら武装集団に村が襲われたら、国家が警察組織を出したり、軍を出したりしてそれを助ける。だがしかし、トウカ村を襲っ2万もの武装集団こそが、エル・ジャヌール王国の正規軍だというのだから世も末だ。この事実はもう、誰も助けになどきてくれないということを意味する。
村を取り囲むおびただしい数の兵士に怯える村人たちの中から、まず引っ立てられたのはリアという美しい少女の両親だった。兵士は躊躇することなく、母親の胸を剣で貫いた。咄嗟に駆け寄ろうとした父親は、首に突き付けられていた剣を横に引くことで、首を裂かれた。
リアが立ち上がると茶色だった髪色が瞬く間に燃えるような赤い髪へと変色し、風に吹き上がる。
赤髪の少女に変貌したリアは咄嗟に両親の傷を癒した。致命傷だと思われた母親の傷も、血液を噴水のように撒き散らし、今にも命が失われようとしていた父親も、最初から傷ついてなどいなかったかのように治癒されていた。
「リリスだあああっ!!!」
―― バシュッ!
父親の首を斬り裂いた兵士が目を丸くして声を裏返らせた瞬間、少女は光を発し、近くにいた数名の兵士が蒸発した。
「戦闘を開始せよ!」
司令官と思しき男が号令を発すると、村人を囲んでいた兵士たちが、剣を抜き、一斉に斬りかかる。
リリスと呼ばれた少女にではなく、何の力も武器も持たぬ、何も知らされず、訳も分からないまま村の中央に集められた村人たちに向かって、剣を抜き、存分に力を振るったのだ。
これはリリスに対峙する兵士たちがとった、苦渋に満ちた行動だった。
アシュタロス、リリスと戦い、最小限の被害で勝つためにはそうする以外、打つ手がなかったのだ。
結果、リリスは致命傷を受け続ける大勢の村人を治癒し続けることで、どんどんマナを浪費し戦う力を失ってゆく。まだ成熟していない子どものうちにアシュタロスかリリス、どちらか一方だけでも見つけ出し、先に殺しておかねばならなかった。エル・ジャヌールを治める国王アエネウス・メルクリウス八世にとってこれは敗北に等しい選択だった。
しかし、この作戦を指示したメルクリウスはひとつ大きな誤算、思い違いをしていた。
―― ドドドオオオオォォン!!
阿鼻叫喚のトウカにいくつも爆発音が鳴り轟いた。
爆破魔法……。
そう、アシュタロスもここにいたのだ。
メルクリウスはまだ幼いうちにリリスを見つけ出したことで、早いうちに倒してしまわねばならないと焦りを覚え、下級神など権能もちの魔導兵含めた2万の軍勢で囲み、リリスを絶対逃がさない布陣で臨みはしたが、まさかこんな小さな村に、アシュタロスまで同時に転生しているとは考えていなかったのだ。
これまで爆破魔法の響いた村と光の輪が降りた村は近くとも数十キロ離れていることが当たり前だった。偶然というのは恐ろしいもので、今回のこの転生に限ってアシュタロスとリリスは、同じ日、同じ場所で生まれたのだった。
もっともこれは、その前の生でアシュタロスとリリスが打ち倒され、命を落としたときの物理的な距離におよそ比例し、同じ日に命を落としたのならまた転生してこの世に生を受けるときも同じ日というだけの話なのだが、そのことに気が付いたものは一人もいなかった。
「くっ! アシュタロスもいるぞ! だがまだ魔法が完成していない、今なら倒せる!」
「「「うおおおおおぉぉぉっ!!!」」」
エル・ジャヌール王国の主力が集まったこの戦闘では、リリスがひどく消耗し、結果的に村人たちを助けることはできなかったが、アシュタロスのまだ幼い身体から撃ち出される、未熟な爆破魔法であっても、それを打ち破ることはできず、エル・ジャヌール軍は壊滅、村は跡形もなく吹き飛び、その跡地はやがて湖となった。
国王アエネウス・メルクリウス八世はリリス討伐失敗の報を受け、言葉もなくその場に立ち尽くしたという。
十二柱の神々として第十二位に序列されたエル・ジャヌール国王メルクリウスは、自国にアシュタロスが転生し、それを知りながら討ち損じたことに対して、責任を追及された。
アシュタロスとリリスは正真正銘の不死だ。何度倒しても必ず転生して蘇り、また何度でも神々に対して戦いを挑んでくる。このような者たちに対して取れる有効な手段というのは決して多くない。
いまは異世界に封印してしまうことを検討していて、封印先の超巨大魔法陣を建造中とのことだが、完成はいつになることやら。
メルクリウスは、どうせ封印など出来ないのだから子どものうちにリリスを発見できたことは僥倖、まずはリリスだけでも倒しておくことができればいいと考えたのだ。
そしてその考えは間違ってはいなかった。リリスだけならば倒すことができたであろう。
ただひとつ、アシュタロスが一緒に転生し、同じ村で暮らしていたという不運な偶然がなければ。
いまメルクリウスが問われている責任とは、このままアシュタロスを放置していてはやがて成長し、世界を滅ぼす力を得ることになるのだから、討ち損じた責任を取り、エル・ジャヌールが戦火に焼かれ、焦土となってもそこでアシュタロスの侵攻を食い止めよということだ。
うまく行っても国土の半分は失われるであろう、エル・ジャヌールにしてみれば最悪のシナリオだった。
何しろこの作戦に参戦して来るのはアルカディアの最高神テルスだという。
ザナドゥでの戦いに終止符を打った英雄として名高い。ただ惜しむらくはこのテルス、惑星を破壊することも厭わぬ規模で土魔法を操る、俗に『破壊魔法』と呼ばれる、想像を絶するほどの破壊力を誇る権能の担い手だ。
テルスに対し無駄な抵抗を続け、下手に互角以上の戦いを繰り広げた挙句、本気にさせてしまったことから戦いは熾烈を極め、ザナドゥはその世界まるごと滅んでしまった。
テルスは強い。その力は圧倒的だ。
ここでアシュタロスやリリスを抑え込むにはテルスの権能が必要だというのも分かる。
だがしかし、自国領土で戦闘するのに、テルスだけは呼ばれたくない。テルスを知るものなら誰もが思っている。
アシュタロスは倒せても、国が滅んでしまえば元も子もないのだから。
スヴェアベルムでも10年前に戦った南ガンディーナ殲滅戦では、ヤクシニーという女、たった一人を倒せず、十二柱の神々のうち五柱が総出で当たって苦戦していたところへテルスが招聘されることで、それまで押し込まれていた戦況が一気に反転し、有利になったことも記憶に新しい。
その結果、ガンディーナを治める国は壊滅してしまったが、ヤクシニーを時空の彼方に封印することができたのもテルスの力あってのこと。テルスの助力なしではヤクシニーを封印することなど、到底成し遂げることができなかっただろう。
そんな疫病神のようなテルスが、美しい国土を誇るエル・ジャヌールに招聘されると言う。
これはもう最初の戦でアシュタロスたちの進路を変え、隣国には悪いが、どこへなりと行ってほしいものだと考えている。
メルクリウスはなぜかその時、反復して何度もテルスの容姿について、確認するように詳しく思い出そうとしていた。正面からの姿、横顔、出で立ち、髪色も、目の色も。
身長は160センチほど、取り立てて変わった様子のない、普通の女性にしか見えない女性だ。
しかし虎を模したような鋼鉄のマスクと全身を覆う鎧を身に着けると、背中に太陽を模したかのように広がる108本の槍が、破壊魔法の使えない接近戦では大きな力となる。
南ガンディーナ殲滅戦で、あのヤクシニーを仕留めたのもこの槍だと言う。
メルクリウスはテルスの槍を見て、なぜだか分からないが、この世界そのものが深い憤りのようなものに包まれたのを感じ取った。静かな怒りのようなふつふつと湧き上がるような、ただならぬ気配だ。
それもそのはず、現にいまアシュタロスとリリスはエル・ジャヌール王国にいて、メルクリウス率いる国軍を次々と打ち破っているのだ。スヴェアベルムというこの世界そのものが、アシュタロスに対して怒っていても不思議はない。
アシュタロスとリリスは大量破壊兵器のようなものだ。一騎打ちだと四世界最強最悪と言われる力を持っていた局地戦のスペシャリスト、ヤクシニーとは性格が大きく異なる。大量破壊兵器に大量破壊兵器をぶつけるなど愚の骨頂ではないかとメルクリウスは反対したが、最高位ヘリオスがテルスに向ける信頼は厚く、もはやその決定が覆ることはなかった。
戦いに勝利しても、国を滅ぼしてしまったのでは勝敗の意味すら失われてしまう。
スヴェアベルムがザナドゥの轍を通り、二の舞を踏むことだけはどうあっても避けたい。それが自らの治める国であるなら尚更だ。
しかし、歴史は時として残酷な結果を記すことがある。
レービヨンの戦いにて、テルスがリリスを討ち取るかと思われたとき、アシュタロスが闇に堕ちたのだろう、無限かと思われるほど膨大で濃いマナが瘴気に変わり、見渡す限りを侵すと同時に広範囲に全てを燃やし尽くすような外法を操ることになった。これが運悪く、テルスの破壊魔法に対抗する有効な手段となったのだ。
テルス参戦から僅か6か月、レービヨンの戦い、ドレキッシュ防衛線、そして王都アーリーグレイフの戦いという、たった3つの戦闘を経て、エル・ジャヌール王国は地図から消失してしまった。
隣国のいくつかを巻き込んで、何もかもが灰になってしまった。
現在はもう、土地すら残らず、そこが陸だったのか海だったのかすら分からなくなってしまったことより、晴れてメルクリウスは亡国の王となった。
そこからは戦力が拮抗し、エル・ジャヌール王国の広大な国土が灰になり、空を埋め尽くす暗雲はますます濃くなった。季節に関わらず年中灰が降るようになったことから、切り札の破壊魔法がそれほど有効ではなくなり、戦闘の被害が大きくなりがちなテルスはアルカディアに帰された。これ以上被害を広げることなく、一騎打ちに強い時空魔法使いクロノスを主力に据えて、ピンポイントでアシュタロスを倒すという戦略をとることとなった。
だがクロノスなどという国も持たぬ若造を主力に据えたせいか、アシュタロスを倒すどころか、その侵攻を食い止めることすらできず、いたずらに被害を広げ、進路にあるもの全てが地図から消えた。
村や町、山や川、花の咲く丘も、涼やかな風が通る森も、何もかも、全てだ。全てを燃やし尽くされ、いまもう世界の残滓として灰となり、空へ舞い上がっている。
この灰が太陽を遮ることで植物は育たない。人はこの世界で冬を越すことができるのだろうか。
動物も人も飢え、来年の春、芽吹くはずの植物は灰に埋もれ、枯れ果ててしまったというのに。
スヴェアベルムも滅亡が迫っていた。
アシュタロスたちの侵攻を防ぐことができなかった。
メルクリウスはともに国を滅ぼされた国王であり、十二柱の神々の序列十一位に座する、夜戦ではひときわ強力な闇の権能をもつ夜神ニュクスを伴って、アシュタロスを奇襲することにした。
クロノスとイシターには反対されたが、集団戦ではアシュタロスの思うつぼ、どんなに数を集めたところであの恐ろしい魔導に対抗できるものではない。
灰の降る夜は静かで、星明かりもないことから奇襲暗殺にはもってこいの暗闇になる。足音を吸収してくれる、くるぶしまで積もった灰、遠目に見えるのは、丘の上、見晴らしのいい場所だが無防備に土魔法で作られたシェルターのような、ただ穴を掘っただけの建築物とは言い難い穴倉のように粗末なものだった。
まるで蓋のように取り付けられた扉の隙間からは明かりが漏れている。不用心なことこの上ない、まずは隠密を重視せねばならないという、奇襲避けの基本すらままならないのだから、もしかすると、アシュタロスたちはその破格ともいえる攻撃力に隠れて、実は防御が苦手なのではないかと思えるほど、無防備であった。
ニュクスの闇の権能とは、影を使うものだ。詳しくは分からないが、夜に限定するとアシュタロスを殺し切る自信があると言う。光の当たらぬ影の部分に自らを投影することができるのだ。
説明を聞いただけなら訳が分からないが、実際に戦闘するとニュクスとは敵対したくないと心底思えるほど強力な使い手だ。
メルクリウスの権能はいくつかあるが、そのうちの一つがスピードだ。瞬間移動とも称されるほど高速で移動することができる。現代では縮地と混同されることが多い加速術だが、縮地との違いはずっとその速度が維持できることにある。時短と呼ばれる魔法効果によるもので。そのスピードに対応できない者は殺されたことにすら気づかない。
二人が最も有利な夜に奇襲するのだから状況的にこれが失敗するようではもうアシュタロスを止める術はどこにもないのだ。
メルクリウスはアシュタロスとリリスがいる丘のすぐ下まできた。足音もしないから音で気付かれることもない。もしアシュタロスたちが番犬を飼っていたとしてもニュクスとメルクリウスの接近は分からないだろう。
目くばせからハンドサインで作戦を開始しようとした次の瞬間……、ハンドサインを確認していただけという、その段階でニュクスの身体が縦にざっくりと斬られた。
光だ! 光が光跡を引いてビームとなり、ニュクスの身体を突き抜けるとあっさりと両断してしまった。
いましがたあんなにも饒舌に自らの能力が夜に力を発揮するか述べ上げていたのがウソのようにだ。
二人に冗談を言い合うような余裕があったとすれば間違いなく"おまえ口ほどにもないな!"などと言いながら笑ってしまうところだ。
ニュクスは夜神と称されるだけあって、夜の戦闘力はメルクリウスを遥かにしのぐと言われる高評価を得ている。真っ二つにされた身体をすぐさま再生させるニュクスの姿がそこにあった。
そう簡単にやられるニュクスではなかったが、完全に気配を消して接近したつもりが先に発見された上に、逆に奇襲攻撃を受けたことでプライドは相当傷がついたらしい。
「痛かったわ。ちょっとムカつく。リリスは私が仕留めて見せるからメルクリウスはアシュタロスを!」
「簡単ではなさそうだが、アシュタロスを倒す名誉を譲ってもらって感謝するよ、ニュクス」
メルクリウスは敵の姿を視認する前、すでにもう敵に捕捉され、そして攻撃の間合いに入っていると知った。こうなるともう己のもつ世界最高速をもって逃げるか攻めるかという二択に辿り着く。
もはやメルクリウスには逃げ帰る国も、家族も残されてはいなかった。
アシュタロスの凶悪な魔導により焼き尽くされ、灰にされてしまった。いま音もなく降り積もるこの灰は、エル・ジャヌールの残滓。逃げるなどという選択肢は残されていない。
「いまならアシュタロスに手が届く!」
「夜にタイマン張って私が負けるわけないからね!」
細身の剣を構え、爆発したかのように灰を巻き上げたメルクリウスはニュクスに奇襲したリリスの傍らをすり抜け、明かりの漏れる扉を蹴破った。
五感が先行する。脳の感じる時間感覚が研ぎ澄まされすぎたのか、すべてがスローモーションに映る。下手くそな土魔法で作られた、風雨と降灰を防ぐだけの、みすぼらしい建築物の中、ろうそくの明かりに照らし出されたのは、今にも死にそうなほど闇に侵食され、うずくまって満足に起き上がることも出来ない子どもだった。
メルクリウスは一瞬の躊躇のあと、この子どもこそがアシュタロスだと理解し手に持った細身の剣を、子どもの首に向けて突き出した。
絶体絶命となったアシュタロスは自らを刺し貫こうとする剣を手のひらで受けた。
しかし防御としては頼りない。子どもの柔らかい手のひらなど容易く貫通しそのまま肩を貫いて、壁面に縫い付けた。この子はエル・ジャヌールの国民として生まれた。国王自らがかように若い少年の命を奪うなど、本来ならどんな悲劇であろうとも、あってはならぬことだ。
「アシュタロス……、貴様まさか目が見えないのか……」
この時、メルクリウスはアシュタロスが盲目の子どもだと言うことを初めて知った。
メルクリウスは一瞬だけ躊躇ったあと、ギリッと歯噛みし剣に力を込める。
心を鬼にしたのだ。
手のひらと肩を貫かれたアシュタロスはうめき声ひとつあげず、目を閉じたままメルクリウスに問うた。
「なあ、やめとこう。これ以上続けると死ぬよ? カタリーナさん」
「なっ? ……」
混乱するメルクリウスの傍ら、手のひらと肩を刺し貫かれ、釘を打たれたように縫い付けられたアシュタロスは、息も絶え絶えで放っておいてもすぐに死んでしまうのではないかと思えるほど弱々しく疲弊している。だがその口でメルクリウスをカタリーナさんと呼んだ。
「カタリーナ? 誰だそれは……」
その問いに対する答えは、この粗末な土蔵のような建築物の外から聞こえてきた。
「アナタのコトなのよカタリーナ。メルクリウスなんて男、もうとっくに死んでるの。アタシの記憶からまんまと魔法を盗めたからといって、同じ手でマスターに挑もうだなんて考えられないアホなのよ。そんなアナタのウルトラバカさ加減を利用させてもらったのよさ。ゾフィーの時空魔法でマスターの記憶の中に過去のメリクリウスを作り出して、それをアタシの超絶華麗でプロフェッショナルな闇魔法でアナタに演じてもらったってワケなのよ。そうとも知らずにノコノコと。ほんといい気味なのよ、みていて気の毒に思えるほどなのよさ」
外にいて、舌ったらずな聞き覚えのある声で話しかけたのはリリス。ジュノーの声も出せるのに敢えて自分の声で勝利宣言したかったのだろう。メルクリウスとコンビで奇襲を仕掛けてきたニュクスという女は既に事切れていて、肉食獣の餌になったかのように、その首を掴まれ灰の上をズルズルと引きずられている。
てくてくは記憶に侵入されて魔法をいくつも奪われたなんて大失態を演じたわけだが、アッサリしてやられた事でだいぶカリカリしてたんだろう。さっき外であんなに凹んでたくせに、今のこの勝ち誇りっぷりが、どれだけ悔しかったのかを物語ってる。
「オーホホホホホ! 案内ご苦労サマなのよ、目的は達したの、アナタもう用済み。はやく目を覚ますことね。さもなくば酷い目に遭うわさ」
「も……、目的だと?」
盲目の少年が壁に縫い付けられた肩を震わせて笑う。
穴の空いた手のひらから、肩から、心臓の脈打つ鼓動に合わせてドクドクと血流が流れ出すのも厭わず、腹の底から込み上げてくるものが堪え切れない。
「くくくく……。あはははは、じゃあ種明かしをしてやろう。あんたがこの記憶を狙ってることが分かってたんだよカタリーナさん。だからネストの中でゾフィーとてくてくが待ち構えて罠を張ってた。ついでに言うとあんたにメルクリウスを演じてもらったのは、メルクリウスがテルスに会っていたことが分かっていたからだ……。おかげであの女の顔を見ることができた、あとは見つけ出して殺すだけだ」
メルクリウス……、いや、カタリーナは混乱していた。
ゾフィーがアリエルの記憶の中で作り出したメルクリウスを演じさせられていた? 時空魔法で16000年前に死んだ男を、呼び出した? いや、作り出したとでも?
いや、カタリーナは確かにアリエル・ベルセリウスの記憶に侵入した。覗き見れる風景はアリエル・ベルセリウスが過去に見た記憶だけだ。
カタリーナは暗闇から更に深淵を覗き込んだところまでは覚えている。だがしかし、いつの間にかメルクリウスの視点で、ベルセリウスが知る訳のない、メルクリウスの記憶を見ていた……。
そうだ、メルクリウスの記憶を覗かれていたのだ!
いつメルクリウスになったのか、いったい、いつから記憶を覗かれていたのかすら分からない。
カタリーナにはまるで理解できないことだらけだ。
ゾフィー? ゾフィーとはいったい何者なのだ。
記憶の中にある他人の記憶を覗く……だと? そんなことは不可能だ。
しかもカタリーナがいま体験した記憶は16000年も前に死んだ男のものだという。
即ち、カタリーナは因果律の壁を破ったのだ。
時空魔法とはいったい……。
「過去から未来に流れる時空に起こった世界の記憶、アカシックレコードにアクセスし、それを読み取ったとでも……いうのか?」
「あんたは栞だけどな」
「まさか、そんな……デタラメな……」
「さあどうする? 俺がこの目を開けたら、あんたの望みは叶えられる、知りたかったんだろ? 世界を燃やし尽くした魔法はこの閉じた目を開けることで発動する。目に見える全てを焼き払って灰にする……、いやウソだな。目は見えない。だけどこの魔法は同時に己の身をも燃え上がらせる、世界の終焉に相応しい、悲しい魔法だよ」
「……私には、ちからが、必要なんだ……」
「そうか。ならテルスの顔を見せてくれた礼だ。終焉に来る炎を見るがいい……」
カタリーナの記憶はすべてを炎上させるアシュタロスの瞳を見た瞬間に途切れた……。
盗めたのか、それとも盗めなかったのか。
ただ一つ確かなことは、カタリーナは深淵を覗き込み、倒れるべくして倒れたということだ。
最初から勝ち目など、爪の先ほども用意されていなかった。




