02-13 ハイスペック・パシテー
20170728 改訂
20210731 手直し
朝だ。鳥の鳴き声が爽やかさを演出し、狭い土造りのカマクラでも、明り取りを兼ねた窓から光が差し込む。これは朝寝坊を防止するための知恵だ。東向きの窓をつけただけなのだが。
目を開けるとすぐ目の前に逆さまのパシテー唇があってびっくりしたが、単に二人とも寝相が悪かったというだけなんだろう。先に目が覚めてよかった。もしパシテーが先に目を覚ましていたら大変なことになっていたかもしれない。
昨夜蹴飛ばされていた毛布はパシテーが奇麗に巻き取っていて、なんだか薄手の寝袋に入って寝ているかのような寝相になっているけれど、この寝相の悪さを一晩体験したアリエルは、パシテーと旅を続けるには毛布がもう1枚必要であることを思い知らされた。冬になると命がけで布団の奪い合いになってしまいそうな気がする。
アリエルがもそもそとカマクラから這い出すと、朝の光が容赦なく網膜に突き刺さり、後頭部まで貫通するほどの痛みが襲ってきた。眩しい光に襲われて片目を強くしかめながら身だしなみセットを出して顔を洗う。いい風が吹いてる。遠くのほうからうねる風が木々を揺らしながらこっちに近付いてきては、ざぁーっと追い越してゆく。ちょっと雲は多いが、いい天気だ。
土間でそのまま寝たのでちょっと体のあちこちが痛い。マローニに帰ったらまたひとセットの寝具を買っておかないといけないな……なんてことを考えながら目を閉じる。
遠くの森から風に乗って流れてくる緑の香りが、少し湿気を含んでいて近くに水源があることを
俺はその香りを肺いっぱいに吸い込み、深呼吸で体の隅々まで酸素を送って、全身を目覚まさせる。
昨夜の狩りでは、ディーアが二頭とれたので一応、関所への土産はできた。
距離的にはまだ半分まで来ていないが、昨日の様子なら今日中にノーデンリヒト関所まで到着することもできるだろう。昨日はきっと防御と強化の魔法を起動式でやらせたところが燃費の悪さに繋がったんだと思う。今日はちゃんと防御も強化も無詠唱のマニュアル操作でやらせた方がきっとマナも絞れるから燃費もいいはずだ。
朝食はベーコンを焼いてパンを出しただけだった。もうちょっと早く起きられたのなら軽くスープを煮込んでもよかったが目が覚めたときすでに日が高かったので食事は簡単にして、アリエルは少し木剣を振ることにした。
まずは体をほぐすことから始める。関節を温めている間に、全身が温まるぐらいの軽い運動に移行。身体を大きく右にひねったあと左にもどす、そして膝の屈伸運動に移行し関節から慣らしていく。
これがルーティーンというものだ。
温まった関節をさらに戦闘できる状態にまで目覚めさせ、そして上段に構える。
『スケイト』を使って素早く、そして目まぐるしく左へ右へ、ジグザクに動いたあと回り込みを組み込んでみる。一般的に剣道や剣術というものは地に足が付いていなければダメなのだけれど、アリエルは剣に『スケイト』を組み込んだことで、目にも止まらない機動を手に入れた。
三連撃、四連撃。二刀流を相手にするのには二撃では足りない。三撃目と四撃目を鋭く入れてから素早く離脱。身体からじっとりと汗が滲み出てくるころ、やっと身体が一番よく動く状態になる。
ようやく身体が軽くなり、フッ! フッ!と剣がうなりを上げるようになった。振った後に音がビュッと着いてくるのは調子がいい証拠だ。
四連撃から五連撃。
左から始める三連撃と、あと、パターン違いの四連撃。コンビネーションがスムーズに繋がるようになってきた。本当なら初撃で決めるのが理想だが、残念ながらアリエルは、そこまで剣の才能に恵まれているわけではない。才能がないのだから初撃で決めるなんて欲を張らず、何度も打ち合ってスキを逃さなければいいだけだ。
―― ふうっ
一息ついたのをピリオドとして木剣はスッとストレージへ放り込んで、額の汗を拭っていると、どうやらパシテーがモソモソとカマクラを出てきたようだ。
「パシテーおはよう」
「おはよう、兄さま」
「顔あらう? 魔力は戻った?」
パシテーの動きがとてもぎこちない。ヨボヨボのお婆さんのようだ。
「うん、ありがとう。魔力は戻ったけど筋肉痛がいたいの。激痛なの」
なんだか髪の毛もバサバサでヨボヨボに見えたパシテー、寝相の悪さから寝違えたかと思ったけれど、昨日ずっと強化魔法をかけてスケイトで滑っていたせいで、筋肉痛になっただけのようだ。
アリエルが手桶にセノーテで水を集めてパシテーに手渡し、朝食の支度にベーコンを焼いていると、洗顔とうがいを済ませたパシテーが使い終わった手桶を持って目の前に立った。
「ねえ兄さま、なんで剣の鍛錬をするの?」
「んー? それは魔法だけで十分ってこと?」
「うん」
「甘いね、魔法だけじゃ倒せない敵がいるんだよ、建物内で不利なのはわかってたんだけどね。そいつは全力でかかっても、一歩も動かずに手加減しながら、簡単にあしらわれるような奴が実際に居るんだからね。建物内でこっちも全力出せなかったせいもあるけど、『爆裂』を当てて怯みもしないようなやつがこの世界にはいるってこと」
「ええっ……あ、あの爆発の魔法、あれ何? どうすれば爆発するの?」
「あれね、実はただのファイアボールなんだ」
「え? ファイアボールは爆発しないの」
「えーっと、見て、最初にファイアボールを作る。ほら、まず大きな玉に燃焼のマナを詰め込んで、いっぱいになったらギュっと小さく圧縮して飛ばすでしょ? これが『ファイアボール』の魔法。じゃあさ、これ、どこまでもどこまでも圧縮して行ったらどうなるとおもう? ……近いと大ケガするから『転移』させるよ、っと、あそこなら大丈夫かな。見えにくいけど、あれどんどん小さく圧縮してる。小さく圧縮されるに従って、ファイアボールの温度はどんどん高くなっていって、光もオレンジ色だったものが、なんとなく白っぽくなって、光が強くなったかな? と感じたあたりで」
ドッゴァァ!
「爆発するんだ。」
「ううう……、トラウマが……。でも、いまの爆発までの動作を一瞬でするの?」
「実は、あらかじめ爆発寸前の状態でストレージに何発も仕込んでおいて、いざ戦うときになったら、それを[転移]させて起爆するんだよ。たとえば可愛い妹が一生懸命魔法を詠唱している背後に[転移]させるとか」
「ずるい………。そんなの勝てるわけないの」
「そりゃそうだよ、俺が魔導師の弱点を突いて戦うのに対して、魔導師の側は俺の弱点をまったく突けないのだから、勝てるわけがないよ。魔導師にとって俺は相性が悪すぎるんだ。……弱点を突かないと俺に勝つのは難しいな」
「兄さまの弱点なんて思い浮かばない」
「あるよ。パシテーにしか使えない魔法が。たぶんこの世界で、俺を簡単に殺せるのはパシテーだけ」
「え? なに? どんな魔法?」
「知りたい?」
「うん」
「色じかけ」
「もう、兄さま、からかって……。ずるいの」
「ほら、ベーコンが冷めるよ。はやく食べないと」
「食べたら食器軽く洗ってね。片付けたら出よう」
風呂を解体して土に還す、カマクラも煙突の笠や外扉、ガラス窓とカーテン、あとトイレの扉を外して布団などを片付けたらあとは解体して土に戻し、埋め戻すだけ。設営よりも撤収のほうが早いのは助かるし、悪天候の時なんかのズブ濡れでドロドロになったテントを畳んで巻いて……なんていうアウトドアのイヤな部分からも解放されてとても快適だ。
「パシテー、準備できた?」
「うん」
一通り全部片付けた。忘れ物もない。ざっと見渡して指さし確認済み。
「んじゃ行こうか……」
「ちょっとまって、一人でできないか試してみる」
「あ、強化魔法も俺の分かったろ? じわーっとマナが染み出す感じの」
「ん」
「じゃあ、強化の方も詠唱禁止な」
「えーっ」
「今後一切の魔法は詠唱を禁じます。強化も防御もです」
「……っ! 無茶なの」
「………………」
10分は試行錯誤していたよようだけど、なかなか強化が出来上がらない。
「ちょっとおいで」
アリエルがパシテーの肩をぎゅーっと抱くと。
触れた部分からアリエルのマナが大量に流れ込む。
心なしか光ったように感じるほどにパシテーは美しく花びらを散らす。
もしアリエルに魅了があるとすれば、その効果は弱い。だが流れ込んでくるマナを押し返せないのと同じ理由で、パシテーには魅了を防ぐ手立てがないのだ。
アリエルに魅了などなく、それは単純にパシテーの勘違いだったとしても。アリエルのことが額面より何割増しかでイイ男に見えてしまって、心拍数を上げている。
「俺のマナがパシテーに流れ込んでいくのは分かるよね? じゃあ俺の強化魔法はどう? 感じる? 分かる? マナの出し方、マナのコントロール、マナの使い方。全身にマナを伝導させるようイメージするんだ。あとはコントロール。いいかい? 強化して急加速すると内臓や脳にダメージを受けるからね。十分に気を付けて、出力を絞るんだよ?」
パシテーは返事が出来ず、ただ頷くだけ。
とにかく肩を組まれたところから情け容赦なくドバドバと流れ込んでくるマナの存在感が強すぎる。だけどアリエルの強化魔法もパシテーに流れ込んだことから、強化魔法のマナがどのように作用するのか、何となく理解できるようになってきた。
要するにパシテーは兄弟子が流し込んでくれている強化魔法をコピーすればいいわけだ。
パシテーは集中力を高め、全身の末端、毛細血管にまで細心の注意を払い、そしてアリエルの強化魔法と同じところにトレースしてゆく。
するとパシテーオリジナルの無詠唱強化魔法が、ゆっくりと浮かび上がってきた。
マナの微細なコントロールはアリエルの最も苦手とする分野だが、パシテーには得意分野だった。
パシテーはまだ自前の強化魔法が展開されたことに気付いてないようだが、基本通り、強化魔法と防御魔法の同時展開だった。
「パシテー、ちょっとまって。いまここでさ、あの岩を無詠唱で動かしてみて」
こくり……と頷くパシテー。
そして次の瞬間、すっ……、と浮かぶ岩。
思った通りだ。
鳥は飛び方を教わらなくても、いつか巣から飛び立つものだ。
アリエルは親鳥の代わりとして手本を見せた。雛鳥は親鳥が飛ぶ姿を見て盗む。
「あっ、土魔法、無詠唱できたの」
「コントロールが難しいからね、日々鍛錬だよ。いいね。じゃあ、滑行しようか」
「うん、ありがとうなの。兄弟子のおかげなの!」
パシテーの無詠唱『スケイト』は、実は昨日こっそりアリエルが肩を組んで二人三脚の『スケイト』でここまで来たときすでに、こっそりアリエルはマナを絞り、パシテーはほぼ自分のマナを使ってここまで辿り着けた。アリエルのマナを使っていれば、パシテーがこんなに疲れることもなかったはずなのだが、当のパシテーはそのことに気付いていない。
アリエルに言われた通り、強化魔法を張ることで掴んだ無詠唱のコツ。パシテーは精神集中して、昨日何時間もかけて覚えた『スケイト』のイメージを膨らませ、そして足がふわりと浮かんだ。
こんどは一発だった。さすがパシテー、土魔法がいちばん得意だというのは伊達じゃない。
パシテーはアリエルを置いて滑り始めた。ぐいっ、ぐいっと地面を蹴るように加速してゆく。
アリエルはパシテーの精神集中の邪魔をしないよう、何も言わず、自分と違うところを観察しながら着いてゆく。尻ばかり見ているのではない、パシテーのマナがムラなく安定しているかを確認しながら移動しているのだ。
最初はぎこちなかったものの、コツを掴んだのかアリエルの補助なしでも、昨日より少し早い70キロぐらいの速度で安定して滑っている。
「ジャンプは着地が難しいから注意するんだよ。低く飛ぶんだ。高く飛んだら転ぶからね」
2時間ほど慎重にぶっ飛ばしていると、ちょっと大きめの岩石がゴロゴロしてる地帯を通過するのだけれど、ここが実に[スケイト]の難しい地面だったりする。
「路面状況よくみて、岩に当たる前にジャンプするか、大きく避けるんだよ。危ないからちょっとスピード落として、ゆっくりでいいよ。ここだけ」
「んっ!」
フワッ!
アリエルは開いた口がふさがらなかった。
いま言ったところだというのに、パシテーが飛んだ。
ジャンプというよりも空を飛んでいる。
パシテーは強化魔法を強めにかけて、スケイトの土魔法をスプリングのように作用させ、アリエルと同等の高さまで飛んでみせた。だか問題はここからだ、アリエルはジャンプするとすぐに落下するのだけど、パシテーは飛距離が長い。アリエルと同じ高さにまでジャンプしたら、パシテーのほうが遠くへいける。
だが着地地点が下り坂になっていて、パシテーは着地に失敗し、ド派手に転倒してしまった。
「あーもう、言ってるしばから!」
なんでそんな人類最高の飛距離に挑戦するかのような飛び方をするかな!
実に時速70キロの速度でヘルメットもかぶっていないような普段着で転倒し、土煙を上げて路肩の草むらに突っ込んだのを見て、アリエルはすぐさま救助に向かった。
「おいおい大丈夫か……。ケガは?」
「うー。左腕、肘が痛いの……、あがんないの、折れてるかも……」
「アホだな! さっき言ったばかりじゃん。調子に乗るからケガするんだよ。服もボロボロになってさー」
「ごめんなさい、でも、滑るの気持ちいい。兄さまみたいに高く飛びたいの」
パシテーは動かないという左腕を抱えながら、涙声でもっと高く飛びたいと言った。
だけどこんな、ノーデンリヒトとマローニの中間点みたいなところで骨折なんてケガをしてしまうと、完治するまで『スケイト』はお預けになるし、徒歩で移動するとしたら、10日かかる計算になる。
「試してみるか……、ちょっと痛いかも知らんよ」
アリエルは横たわるパシテーの身体を起こし、袖を抜くとき痛そうだったが上着を脱がせ、やさしく抱き上げる。
「いや、兄さま、マナはもうダメなの、魅了されるの……」
「そんなものは無い」
何が魅了だバカバカしい。
アリエルはケガをしたパシテーの身体をぎゅっと抱きしめながら、紫色に変色して腫れているのを見ると、医者じゃなくてもなんとなくわかる。ここが折れてる。
アリエルはパシテーの震える身体を背後から優しく抱きしめながら、折れた左腕にそっと触れた。
「くっ……、痛い……、はあ、はあ……」
パシテーの身体がびくんと跳ねる。痛みによる反射だ。
だけどちょっと反応がおかしい。ちなみにアリエルはいま10歳だし、できるならあと5年ほど後にその反応を見せて欲しいと思うほど、なかなかに色っぽい。
背後からだっこしているので表情までは窺い知れないが、二人がもし同い年ぐらいの高校生だったら絶対にここで何か素敵なことが始まってしまいそうな、そんな雰囲気だ。
アリエルの鼻息とパシテーの吐息だけが聞こえるという、ちょっとヤバい時間が30分ぐらい経過したとき、アリエルは何かを思い出したように問うた。
「なあパシテー、さっきから見てるとさ、お前、本気で俺のマナに魅了があると思ってる? もしかして」
「うん、魅了あるの。私もうメロメロなの」
「魅了の魔法なんか使えたらこの人生どれだけ楽しいだろうと思うけどね、残念ながら魅了じゃないんだよなあ。実は俺さ、再生者っていう奴らしい。何年か前に狩りでディーアを仕留めたつもりだったんだけどさ、致命傷じゃなかったんだろうね、手を触れたら少しずつ傷が治癒してきたんだ。俺がこうして身体を密着させてマナを流しながら、手でケガしたところを撫でると、パシテーの怪我もすぐに癒えるんじゃないか?……と思うんだけど、どう? まあ、骨折ならまだ時間かかるかもな……」
アリエルの説明など、もうパシテーの耳に届いてないような気もするが、しばらく左腕の腫れた部分に手を触れておくとして、治癒できればよし、できなくてもどうせしばらく動けないことには違いないのだから。
「という訳で、俺は魅了なんてもってない」
「……、でも私のこのメロメロは?」
「ああ、それはお前が認めるべきことがあって、認めれば楽になるんだよ」
「え? なんのこと?」
「お前が変態レベルの超絶ブラコンだってことをさ」
「なっ、なにを……違うの」
「ほらほらー、怒っても無駄ァ! 暴れても無駄ァ。そして否定しても無駄ァ。ケガしてるんだから、抱っこされながら暴れない……」
「こ、この、兄さまの……」
…… ガブー! ボキィィィ!!
「グギャアアアァッ!」
パシテーは強化魔法をかけたまま、容赦なくアリエルの鎖骨あたりに力の限り、手加減なしで噛みついたので、まるでスナック菓子を噛み砕くように、ボキボキと軽い音を立てて鎖骨が砕かれた。アリエルの強固な防御魔法を破ったうえで骨を噛み砕いたのだ。
「ひどいよパシテー……、殺すなら色仕掛けで天国に送ってよ……」
思いっきり歯形が付いてしまってカッコ悪いったらありゃしない。
「ごめんなさいごめんなさい、強化魔法を切るのわすれてたの! 取り乱してしまったの」
パシテーは噛みついた鎖骨が砕けた瞬間にやりすぎたことを悟った。
アリエルも噛みつかれた鎖骨が折れた瞬間に、調子に乗りすぎたことを悟った。
パシテーは綺麗な歯形がついたアリエルの鎖骨に触れようとして、やっぱり痛そうだからどうしようかと、一旦出した手を引っ込めてみたり、落ち着きがない。さっきまで動かないといってた腕がもう自由になっている。パシテー自身、そのことにすら気付かないほど慌てている。
意外と冷静だったのはアリエルだ。
「はい、肘はもう治ったろ?」
「あっ」
アリエルはパシテーの肘の骨折を30分そこらという短時間で治してしまった。
パシテーは治癒の能力を持っていることを訝った。
「兄さま、さすがなの、魅了に加えて治癒魔法も使えるの」
「どっちも使えないよ」
パシテーにとってアリエルの魅了は『なんとなくそうに違いないと思ってる』という思い込みの域を出ないかもしれないが、いま見せた治癒の魔法は絶対に治癒魔法だという確信がある。
「私の腕はきっと折れていたの。治癒魔法じゃないなら、いったいどうやれば30分で治るの?」
「ヒマリアさんの治癒魔法を受けたけど、あれはすごいよな、治癒魔法は詠唱にものすごく時間がかかるけど、発動したら数秒で傷が癒えるからね、でも俺はパシテーの骨折を治すのに30分かかった、これは魔法じゃないってことだと思うよ」
「じゃあどうやって私の骨折を治してくれたの? 骨折だけじゃなくて腰も打ったし、肩も痛かったの。でもいまは全部治ってるの。何か治癒の力が加わらないと30分で傷が治るなんて考えられないの!」
「師匠に聞いてない? 師匠は俺のことを再生者(リジェネ―ター)って言ってたけど? これはね、俺が思うにだけど、たぶん魔法じゃなくて常時発動型のスキルだと思うんだ」
「師匠はそんなこと教えてくれなかったの、それにそんなスキル聞いたことないの……」
「じゃあ師匠に聞くのが早いと思うけど、どうせ俺に聞いても知らないものは知らないし」
パシテーは兄弟子の強さの秘密について、魔法だけじゃないという事は何となくわかっていた。
師匠からは何度も言われた『無詠唱』での魔導の発現と、四大元素に対する理解力がまるで違うのだという。その秘密は兄弟子自らが神子であると告白したのだ。これだけでも国が大切に保護して魔導学院で未来に向けて魔法研究に予算を計上してもらえるぐらいの才能なのに……。
まったく師匠はなぜ王都に報告せず、魔導学院にも勧誘せず、中等部で星組に編入させるようなことをしてしまったのか。パシテーは純粋に兄弟子の才能をもったいないと思った。
4000年とも8000年ともいわれるシェダール王国の歴史の中に数多く存在する高位の魔導師たち、どんな偉業を成し遂げても兄弟子にはかなわない。そのうえ再生者(リジェネ―ター)なんて聞いたこともない。それも触れた相手を癒す再生?……。
パシテーにはひとつ思い当たることがあった。
マローニの中等部で魔導を教える実技のときだ。どうやってもファイアボールができない生徒にどうやればファイアボールを作り上げることができて、どうやれば的に命中させることができるのか。パシテーの腕の見せ所ということなのだが、生徒の体に触れてマナの使い方を探ってみたことがあるのだが、これがまるで効果がなかった。パシテーのマナは他人のマナとは決して混ざらない。たとえばグレアノット師匠のマナは誰のマナとも混ざらないし、アリエルのクラスメイトであるハティやユミル、カーリたちのマナも同じだ。
それなのに昨日からの『スケイト』訓練で、アリエルのマナがパシテーの身体にスッと浸透したかとおもうと、自分のマナと弾き合わず同じ経絡を通って全身に作用した。もちろんパシテーのマナの流れそのものを邪魔することもない。ただ兄弟子が流し込んでくるマナの量が多すぎてそのマナを激流だと認知しているのだが。
パシテーは頭の中で一つの仮説を打ち立てた。
(兄弟子のマナは、他人のマナと混ざるのではないか)……という、突拍子もない仮説だ。もしこの説が立証されたら大変だ。兄弟子はヒトではないということになる。
「わかったの。でも私も調べてみるの。兄さま、私に兄さまの体質を調べる許可が欲しいの」
アリエルは少しゲンナリした表情を見せたが、それでもパシテーのこの申し出は悪くないと思った。もしかするとアリエルでも知りえない情報をパシテーが見つけてくれるかもしれない。
「条件次第で」
「条件を言うの」
「ひとつ、パシテーの調べた結果は必ず俺に報告してほしい。ふたつ、痛いのや苦しいのや、面倒なことは全部禁止な」
「わかったの」パシテーは力強く頷くと、たすき掛けにして持っていた小さなサコッシュの中から手帳とペンを取り出して、今日の出来事を全て記録する勢いでメモをとりはじめた。まるで今メモを取らないと死んでしまう病にでもかかったかのように。
「というわけでパシテー、お前は知らないかもしれないが実は俺、鎖骨が2か所で折れている。複雑骨折だったら時間がかかるけど、たぶん15分ぐらい動かなければ骨折のほうは治ると思うから、それまでその辺を滑って練習しといて、ジャンプは控えめにね。転ぶなよー」
てか、歯形……これ跡が残りそうだよ。やばいなあ、どうせならキスマーク付けてほしかったのに、なんで歯形なんかつけるかな。
午前中に関所に着きたかったんだけど、順調にいっても午後になるか……。
アリエルは木陰で休みながら、パシテーのスケイトを眺めている。
ほんと上達が早い、無詠唱のマニュアル設定なので燃費もだいぶいいはずだから、パシテーが転ぶなどという事故さえなければ、マローニまでも復路は早そうだ。
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「パシテー、ちょっと」
「はいなの」
パシテーはすいーっと音もなく滑ってきて、アリエルに衝突しそうなスピードで、まるでシュプールを描くように膝をうまく使う。衝突コースにいながら、エッジを利かせるようにザーーっと止まることを覚えたようだ。
「すごいな。展開している防御魔法のランクをもっと上げようか。その分、強化が薄くなっても構わないよ。コケたぐらいで骨折るってことは防御が薄いってことだからね。もっとスピードアップしようとおもったら防御を上げないと。いいね? スピードと防御だったら、防御優先だからね」
「うん。わかったの」
「んじゃ、出発しようか。もう転ばないようにね、怪我しちゃダメだよ」
「兄さまも」
「俺は噛みつかれない限りはケガしないって」
「もう。ひどいの」
ビュンビュンと『スケイト』で滑行する。もう無詠唱での『スケイト』もぎこちなさが消え、さまになりつつある。パシテーの上達は目覚ましいけど、やっぱりまだ心配だ。アリエルが最初どれぐらいのスピードで巡行していたのかは、もう覚えていないがパシテーの速度は最初から70キロ。これは相当なスピードだし、
ならば時間はかかるけど、今日は70キロぐらいで巡行することにした。
軽く70キロで移動しようと言ったのに、パシテーがどんどんスピードアップしてゆく。結局90キロぐらいで巡行する羽目になった。転んだら大ケガだ。スピード上がれば上がるほどジャンプも高く遠くなるから着地はどんどん難しくなるのに。このアホ妹は覚えてたてのサルになったように、ジャンプ不要な場面でも、ただ平坦な道を滑っていても飛びまくってる。
師匠の言った通り、パシテーは天才だった。
「パシテー、俺と一緒にいるときは治癒できるけど、一人の時は自重しろよ? 絶対だぞ。あと、俺の治癒は致命傷を治せないからな、即死とか嫌だぜ? やっぱスピード落とそうよ」
「うん、わかったの。私ねー、この魔法好きー」
スピードを落とそうと言ったのに、これっぽっちも分かってない。
パシテーはビュンと風を切ってスピードをさらに上げた。こいつ本当に天才なのかとため息が出る。
お昼を少しすぎたころ上機嫌でビュンビュン飛ばすパシテーが先行したままノーデンリヒト関所についた。




