01-03 生まれ変わる俺の世界
2021 0717 手直し
嵯峨野深月は、ただただ真っ白な世界としか表現しようのない光の中にいた。
どれぐらい時間が経っただろうか。
移動しているような気配はなく、ただそこに浮かんでいる浮遊感があるだけだ。
目を閉じても真っ白な光の中。いや、閉じる瞼があるのかどうかも分からない。
光の中で語り掛けてくる女性の声と、いま少し会話を楽しんだりしているところだ。
ハキハキとしていて、深月のいう事を一つも否定しない、おおらかな優しさを感じた。 長く話していると、声だけしか聞こえず、どこにいるのか分からないこの女性と自分自身との境界線すら曖昧になっているようにも思えた。
話というのは、なに、他愛のない日常会話だ。心に響いてくる優し気な声の主は天使かもしれないし、神さまかもしれないし、ただの空想の産物なのかもしれない。
旧知の友達と語り明かすような、楽しい時間を過ごしている。
この局面にあって不安も恐怖も感じないのは、実体のない声だけの女性? と話をしているから、というのが大きい。この女性の声はとても安らかなものだった。
どれぐらい経ったろうか、話しているうち光は徐々に薄れていき、そのうち真っ暗闇になってしまった。もうあの女性の声も聞こえないし、身体はうまく動かないと感じている。
いや、身体がうまく動かせないことでずいぶん狭っ苦しいところにいる感覚があった。
そして温かい。それまでの末端が冷える感覚は無くなり暗闇に包まれると同時に体温を感じるようになった。光がないのに不安はなく、むしろ安心感に包まれているのが逆にそら恐ろしく感じる。
こんな絶望的な状況なのに、何か、懐かしいような奇妙な感覚が心地よく闇の温もりに身を委ねながら徐々に眠る時間が長くなった。
次に光を感じたときのことはよく覚えていない。
目はあまりよく見えないが、覗き込む顔があることに気が付いた。
金髪碧眼の欧州人だ。スクリーン上でしか見たことがないほど美形の若い女。
何か話しかけてくれているのはいいけど、英語とも違うようで、何を言ってるのか全く分からない。身体は少し動くようになったけれど、まだ満足に動かせない状況だ。
嵯峨野深月がそんな状況にあるにも関わらず、ため息が出るほど美しい金髪女性、ぱっと見14~5歳ぐらい……だろうか、うら若き欧州女性が、巨乳系グラビアアイドルばりの胸を"ぼろん"と出して、自分の口に含ませるのだ。
もし嵯峨野深月が生まれ変わったのでなく、17歳の男子高校生のまま毎日無条件でこんなけしからんおっぱいを吸わせてもらってるとしても、ここが天国なのは間違いない。
死生観、宗教観でいう天国なのか、それともオッサン好みのおっぱい天国なのか、どちらでもいい。なにしろ身体はうまく動かせないのだけれど、頭脳だけはしっかり働いている。
鏡を見たことはないが、自分の手のひらをみたときに理解した。
赤子の手だった。
満足に体を動かせない理由は言わずもがな、まだ生まれたての赤ん坊なんだから当たり前だろう。
ということはだ、あの美月と散歩してた夜、事故に遭って死んだのだろう。簡単に説明すると、また生まれ変わって赤ん坊(今ココ)……ということなのだろう。
嵯峨野深月はいま自分の置かれた状況を、ほぼ正確に理解した。
もちろん身動きが取れないので、考える時間だけは山盛りに用意されていたので、ほとんどの時間は揺り籠に寝かされつつも、何もすることがないので、美月のことを考えたり、どれだけ両親が悲しんだのだろうと悔やんでみたり、過去に思いを巡らせてばかりの毎日を過ごした。
あの夜、光の中で、手を握ってくれてたのは、きっと美月だ。
赤ん坊になってしまったけれど、この小さな手にはあの手の感触がまだ残ってる。
美月が死を看取ってくれたのだとすると、本当に悪いことをしたと思う。もともと精神的に弱っていたところに目の前で幼馴染が死んだなんて、計り知れないショックを受けたろう。
でも、手を握ってくれた事には本当に感謝の気持ちしかない。
次会ったらお礼を言いたいな……と思った。
せっかく美月にイイこと言って、万が一、いや億が一恋愛関係に進展したらと思ったのに、その直後に死んでしまうだなんて、嵯峨野深月の人生はどれだけ幸薄かったのか。
こんな事になるんだったら、勇気を出してはっきりと告白しておけばよかった。
自分の気持ちを伝えられなかったという、たったそれだけの事で、これほどまでに後悔するとは思わなかった。
動けるようになるまで、話せるようになるまで何年かかるのだろうか……。
5年?10年? いや、そもそもここはどこなのだろうか? 今いる場所すら分からない。さっきの西洋美女が日本住みの欧州人だったらいいけど、ここが本物の外国だったら日本に帰れるのはいつになる事やら……、相当時間がかかるだろう。
もちろん嵯峨野深月は、自宅、嵯峨野の家と、美月んち、常盤家の電話番号、更に美月の携帯番号は暗記しているから、まずは電話で連絡すべきだ。赤ん坊になってしまったなんて、信じてもらえるかどうかは分からないけど、連絡して、心配いらないと伝えないといけない。
まずは身動きできるようになったら家に電話して両親と美月に、無事を伝えよう。死んでしまったのだろうから心配も無事もへったくれもないのだろうけど、それでも俺はここにいるということを伝えないといけない。
嵯峨野深月は目を閉じると、温かい安堵感の中で眠りに落ちた。
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そして月日は流れ、嵯峨野深月は生まれ変わってから2度目の人生をほとんどゴロゴロと寝て過ごしたが、7歳になった。
脚力がまだまだ弱いので、危なっかしいのは自分でわかるのだけれど、一応は自由に動き回れるぐらいにまで成長したので、最近はもっぱら探索に精を出している。
屋敷の庭から外に出るのは危険だということで、出かけようとしてもすぐ連れ戻されるので勝手に外に出ることはまだ出来ないが、屋敷の中は大体把握できた。
そう、家というような小さな建物ではなく、ここは屋敷と形容した方がしっくりくるほど、大きな洋館だった。まず玄関にはホールがあって、床板は顔が映るほど磨き上げられている。
玄関ホールが起点となり、書斎や客室、バスルームやトイレが複数あり、何よりも圧巻だったのは朝昼晩とご飯を食べるレストスペースが会食場となっていて、30人ぐらい入れるという凄まじさだった。装飾品に高価そうなものはないが、それでも燭台にしろ食器にしろ水差しにしろ、暖炉の灰掻きにしろ、上品なデザインのものが採用されていた。
玄関で靴を脱ぐ習慣がないし、子ども部屋の絨毯は特にフカフカしていて、靴を履いたまま歩いても足音が鳴らないほど上質なものだった。これはたぶん転んだりしてもケガをしないよう配慮されたものだと思う。
そんな広い屋敷で7年生活してみて、分かったことを整理してみよう。
嵯峨野深月は生まれ変わって「アリエル」という名前をつけてもらった。
乳児期からずっと乳を飲ませてくれてた美女は、まぎれもなく母親だった。
母の名は「ビアンカ」という。20歳いってない。絶対に10代だ。とても7歳の子を持つ母とは思えない若さだ。
とてもスタイルは良いが、モデルのようにスマートな体形ではなく、女性らしく豊かなグラビア系に寄ったバディを持っている。顔に至ってはハリウッド女優か! ってほどの美形で、アリエルの授乳期が終わって、はちきれんばかりの巨乳はなりを潜めたが、それでも巨乳であることに間違いない。
母親だから当然だけれどアリエルには超優しく甘々なので怒った顔ひとつ見せたことがない。瞬間湯沸かし器のようにすぐ頭に血をのぼらせる美月や妹の真沙希にもぜひ見習ってほしいところだ。
3歳の頃、一枚モノの姿見が両親の部屋にあったので覗き込んでみたら、自分の姿が確認できた。
見事なまでの金髪に碧眼、顔は間違いなくビアンカに似ていた。
ここの家では、アリエルが生まれてから5歳になるまで、ただの一度も叱られたことがないほどの溺愛っぷりで、外見も性格も含めて真ん中高め直球ドストライクの甘い球。実の息子じゃなければついつい手が出てしまうんじゃないかと心配してしまうほど可愛い女が、こともあろうに母親だった。
何というか、悔しいとしか言いようがない。
母ビアンカは普段からアリエルのことを愛称の「エル」と呼ぶ。まーた男か女か分からない微妙な響きの名前を付けてもらったようだ。
俺の二度目の人生始まったばかりで、こんなイイ女が母親だなんて超絶不運に嘆きつつも、ビアンカとベッドを共にする父親が羨ましくて夜な夜な壁殴りをしているのは秘密だ。
父は「トリトン」年の頃25ぐらいか。身長は180センチぐらいで筋肉質の、こいつがまたイイ男なのだが、正直なところ親父にはあまり興味がないから横に置いとくとして、ビアンカは若くしてアリエルを産んだ。
自分より年下? の母親に甘えるのには多少の抵抗がある。母は10代、アリエルは幼児なんだから仕方がない。
そう、仕方がないんだから抱きついておっぱいに顔をうずめてもいいのだ。
誰にも責められるいわれはない。なにしろビアンカはアリエルの母親なのだから。
もうこの人生、マザコンで終わってもいいと思ってる。
屋敷には使用人が2人いて、中年女性が「ポーシャ」で、25歳ぐらいの女性が「クレシダ」。
アリエルはまだ幼児なのだからクレシダのちょっと控えめな胸にも顔をうずめることにしている。
そうだ、幼児なんだから仕方ない。仕方がないのだから、仕方がない。
前世の嵯峨野深月からは考えもつかない事だけど、女性に甘えて胸に顔をうずめるのに抵抗がなくなったようだ。前世での後悔が新しく生まれ変わったアリエルを女ったらしに変えてしまったのか、せっかく2度目の人生なんだから、若いころから浮名を流したいというのは当然の欲望だった。
さて、冗談はさておき。てか冗談でもないのだけれど、この屋敷の人たちは、やけに時代がかった服装をしているのと、いくら探しても電話機が見当たらない。
というより家電製品というものが一つも見当たらない。仮にも使用人が2人もいるんだから、貧乏ではないはずなのだけれど。
キッチンは薪を使うかまどで、暖房器具もガチで薪を燃やす暖炉、そして照明器具はロウソクという徹底ぶりに辟易しているところだ。
もしかして、150年か200年ぐらい過去に時空を超えて転生してしまったのだとしたら絶望ものだ。美月に会おうと思ったら何百年という単位で生きなきゃいけないと思ったのだけど、どうやらそう簡単な話でもなさそうだ。
なにしろ決定的におかしなことがあった。
火だ。
ポーシャが暖炉に火を入れるときに見たのだけど、小さな声で何か呪文を唱えたら、ポっと指先に火がついて、その火で暖炉の薪に着火した……。
一般的なガスライターよりも火力は強いように見えた。これは何度も目撃した。キッチンのかまどやロウソクに着火するときも同じ方法を使う。クレシダも使うのを見たので、呪文を唱えて指先から炎を出すのは一般的な技術なのだろうか。
これは魔法の一種か。
何かの技術なのだろうとは思ったが、呪文? を唱えるのだから、魔法? のようなものじゃあないか? あれが本当に魔法なんだとすると、最悪ここは異世界なのかもしれない。
……でも、200年前の欧州に転生する事を考えたら、魔法のある異世界に転生したほうがよっぽど救いのある話だ。
もしかすると元の世界に帰る魔法? があるかもしれないのだから。