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14-24 カタリーナ・ザウワーの半生3:変容

カタリーナのお話が伸び伸びになっています。しばらくは更新頻度が上がります。

次話はまた48時間後あたり、火曜夕方ごろ更新の予定です。可哀想な話だと言ってしまうと、カタリーナ本人は否定するでしょうか。


 カタリーナは爆破魔法の威力を読み誤っていた。

 桁違いだあれは。一発で百からの敵兵が吹っ飛ぶ。



 サオの呼び出したドラゴンにしてもそうだ。セカで流行りの歌を吟遊詩人が伝えるのを聴いたことがある。あの銀龍こそフェイスロンドでは災厄と恐れられたミッドガルドの再来だ。どういう訳あってヒトの支配を受けているのか、まるで理解が追いつかないが、あの銀龍、サオを守っていたようにも見えた。


 爆破魔法にせよ召喚したドラゴンにせよ、考えるのは後回しだ。まずはサオのもたらした結果のみを考察すべきと判断した。そうだ、分析だ。まずは分析をせねば何一つ分からないのだ。


 混乱する脳みそを落ち着けるため、カタリーナはまず胸に手を当て、深く深呼吸をした。


 考察するも何も、たった今、目の前で起こった事実は単純明快だった。ダリル兵たちは、サオに毒矢を放つことも出来ず、4万で身構えているところに爆破魔法が降り注ぎ、あれよあれよという間、わずか数分で全滅の憂き目を見せられたのだ。


 サオと並び立つ師であるアリエル・ベルセリウスは何もせず、ただ腕組みをして、弟子の魔法の出来、不出来を吟味するために出たようなものだ。



 …… カタリーナは防護壁の上で呆然と立ち尽くして、目の前が真っ暗になるのを感じた。


 サオはこの力があってこそ、強力な東の帝国や兵力20万を数えるアルトロンドに対し、力で対抗することができたのだ。


 土魔法の権威といわれ、攻城戦では誰にも負けないと思っていたカタリーナは、守る側になるとただ防護壁を上手に作れるだけの土木建築技師に過ぎなかった。防護壁の上から岩でもぶつけてやればよかったのだが、毒矢の飛び交う戦場で危険を冒してまで石を投げるなどと致死力に乏しい攻撃をすることに意味を見出すのは難しい。


 これでは戦う力を持たないのと同じだ。

 カタリーナとサオの差は結果が物語っている。サオは16年間ずっと門を守り、街にただの一兵すら侵入することを許さなかった。王国軍の何倍も手ごわいと噂される勇者と帝国軍を退け続けた。その一方でカタリーナは美しいグランネルジュの街も、父や母、姉たちの暮らすネーベルも守れなかった。


 突きつけられた現実はかつて天才と呼ばれた魔導師の揺るぎない自信を根こそぎ打ち砕いた。


 グレアノットの弟子になれなかったカタリーナは、その弟子の、そのまた弟子であるサオに、200年もの長きにわたって積み上げてきたものを根底から揺るがされたのだ。


 魔導学院の戦闘力評価ではフォーマルハウト亡き後、魔導師として最強の座は、王都プロテウスの魔導学院で学長を務めるアルドか、グランネルジュのカタリーナかと言われ、すこしいい気になっていた。


 だがしかし、今はもう最強の一人に数えられることすら恥ずかしい。これほどまでに力の差を見せつけられると、魔導を学問として研究していたに過ぎないと悟った。戦場には戦場の魔導があるのだ、そしてカタリーナの魔導は、戦場で通用しなかった。15歳のころ、グレアノットに模擬戦を挑まれ敗北したときから、たった1ミリも成長していないことを理解した。


 200年だ。

 カタリーナが半生をかけて磨き上げた魔導は、防護壁を作る以外に何の役にも立たなかった。


 年老いた両親も、姉たちはおろか、その娘たちを守ることすらできなかった。誰も、何も。


 フェイスロンドの領民たちは最強の一人に数えられるカタリーナがグランネルジュを守っているから安心だと信じていたのに、いざ紛争が始まると結果は見ての通りだ、カタリーナは皆の期待に応えられなかった。力が足りなかった、もっともっと、もっともっと修行しておくべきだった。


 もしあの日、グレアノットが弟子にしてくれたとしたらどうだったろう?


 グレアノットの教えを受けることができていたなら、この結果は変わったものになっただろうか?


 カタリーナにないものを持っていて、才能をグレアノットに見いだされ、弟子にしたと、あの気難しく、ニコリともしない偏屈者が、あんなにも誇らしげに自慢する弟子は、これほどまでにデタラメな力を見せつけた。


 カタリーナは敗北感でいっぱいだった。グレアノットはなぜ自分を選ばず、ベルセリウスを選んだのか。

 最初は大貴族の息子だからかとも思った。しかし力の差はハッキリしていて、戦ったとするならばきっとベルセリウスの弟子であるサオにすら手も足も出ないことは明らかだ。



 闇の中、がっくりと肩を落とすカタリーナにスポットライトが当たっていた。



 その前にサオが立ち、うなだれる顔をじっと見つめている。



 その隣ではジュノーが見つめる。



 ゾフィーも寂しげな表情を向けている。



 瘴気を纏いながら血の涙をこぼすカタリーナをベルセリウス派の魔導師たちが囲み、言葉ひとつかけることなく、ただじっと眼差しだけを向けている。



 羨望も、やっかみも、渇求も、期待も、何も含んでいない無機質な視線だった。




 視線に気づいたカタリーナがサオのほうを見るとサッと目をそらす。


 ジュノーもゾフィーも、みんな目をそらしてしまった。



 そんな中、アリエル・ベルセリウスだけが、カタリーナに向けて、冷ややかな視線を浴びせ続けていた。


 それはまるで地面に這いつくばって立ち上がることができない、とても不憫なものを見下みくだす、憐みの眼差しに見えた。



「ベルセリウス! そんな目で……、そんな目で私を見るなああああぁぁぁぁっ!」



 全身から噴き出した瘴気がみるみるうちに暗さを増してゆき、光のほとんどを反射することのない闇の領域を作り出すと、瘴気はうねるようにられ、ひねりが加わり、やがて触手となって触れる大地を汚染し始める。


 闇でできた触手は憐みの視線を送っていたアリエル・ベルセリウスを飲み込まんとする勢いで襲い掛かったが、寸でのところで触手は動きを止めた。まるで時間が止まってしまったかのように、すべてが静止した世界で、アリエル・ベルセリウスは、容姿と声が合わない、舌ったらずな女児のような声で、カタリーナに話しかけた。


「アナタの、その胸を焦がす灼熱の反感……、それは嫉妬なのよ」


「そうだ、私はグレアノットに認めてほしかった。ベルセリウスには魔力も応用力も発想力も何もかもが劣っている、だけど私はただ可哀想なだけの女じゃない。弱いなりに強くあろうとした。強くありたかったんだ!…… 私の欲しいもの全てを持ってるベルセリウスをねたんで何が悪い!」



 弱さを認め、嫉妬という醜い感情すら受け入れたカタリーナの前に、アリエルの隣で同じように憐みの眼差しを送るグレアノットが姿を現した。ノーデンリヒトにアリエルの家庭教師として雇われてきたときのグレアノットが霧に投影されるかのように……。



「だれもお主を悪いだなんて、言ってはおらぬよ?」


「ああグレアノット、そこに居たの? 私のことをめてよ。よくやった、もう休んでいいよって言って……」


「どうしたカタリーナ? えらく弱気だの。わしが好きじゃったカタリーナは、鉄でできてるんじゃないかってほど気位の高い、意地っ張りな女だった……、だた、疲れておるようじゃ。心がもう泣き叫んでおる。そうよの、ようやった、ようたたこうたの。もうええでの、あとはアリエルに任せて、ゆっくり休むがええよ……」



 ぶわっと涙が止めどなくこぼれて、赤い血の混ざった粒が頬を伝い、ぼとぼとと音を立ててしたたり落ちる。


 カタリーナは欲しかった言葉をもらった。だが言葉とは裏腹にただ一時も休んではいられない、これ以上ないほど力が湧いてくる、そんな言葉だった。


 アリエルに任せてゆっくり休めと言う、その一言でかあっと頭に血が上った。


 カタリーナは感心した。グレアノットはあんなにヨボヨボに老いさらばえてなお、自分にケンカを吹っかけてくるのかと。一瞬カッとしたが、これもグレアノットがいるからこそ湧き上がる感情だと思うと、なんだか急に心が安らぐのを感じた。


 カタリーナはゆっくりと視線を戻し、あらためて自らの姿を客観的に見た。

 何度見ても同じだった。手を見ても胸を見ても、蝋人形のように血の気の引いた肌からは黒い血管が透けて見えている。これが顔にも背中にも出ているとしたら誰の目にも見間違みまごうことない化け物だ。身体の毛穴という毛穴からは湯気のように瘴気が噴き出していて、抑えることができない……。


 それは魔導師として最悪の末路だった。

 だけど、グレアノットはこんなにも醜い化け物のことを好きだと言ってくれた。



「私はこんなに醜いのに?」


 グレアノットは横たわったままようやく身体を起こすことができたカタリーナの側に跪いて、漆黒の瘴気を吐き出し続ける柔らかな髪を愛し気に指できながら、まるでベッドで女を愛でるような温かい言葉をかける。


「自分をそう卑下するもんじゃないの、闇は美しい。闇は暖かく、そして優しい……」



「そうか、グレアノット、私の事を好きだと、そう言ってくれるんだな」


「ああ、そうじゃよカタリーナ」



 カタリーナは目を閉じ、少し悔しそうな表情を浮かべると、小さく、何度も何度も首を横に振ってみせた。何かを否定するように。



「精霊さま、私は死んでしまうのですね……」


 カタリーナは、瘴気に身じろぎひとつせず、やさしく髪をなでるグレアノットのことを精霊さまと呼び、もう命が長くないのかと問うと、グレアノットの姿を借りた闇の精霊は優しくカタリーナの耳元で囁くように答えた。


「いいや、おぬしは死なんよ。きっとわしのほうが先に逝ってしまうじゃろうて……」


「なれば私はもう、元の姿に戻れないのですね? こんな化け物のような醜い姿で生きてゆけと、そうおっしゃるのですね?」


「醜いだなどと……、それは主観の相違というやつでの、おぬしの変貌してしまったその姿、わしにはとことん美しく見えるのじゃがの」


「ありがとう。嘘でもそう言ってもらえることに喜びを感じる私はまだ女なのでしょう。このような恥を曝して生き長らえることに、少しだけ勇気をいただきました」


「まったく、美しいと言うておるのに……」



 カタリーナは質量をなくしてしまったかのようにフワッと浮き上がると、足の裏で地面を確かめるように立ち上がった。


 身体から噴き出した闇が一糸まとわぬ身体に巻き付くと、漆黒のローブを纏う。


 そしてカタリーナはグレアノットに扮したてくてくの前で大きく両手を広げ、膝をちょんと折り曲げたまま視線を落とした。これは目上の者に対して行う、エルフ式の儀礼だった。



「精霊さま……、あなたは私の、この心に渦巻く感情を嫉妬だと言いました、確かにねたみも、そねみもありましょう。ですが私の胸に去来したのは羨望。……ヒトはどれほどまで力を持つことができるのでしょうか。ヒトの限界とは、どこにあるのでしょうか」



 カタリーナは視線を上げることなく俯いたまま踵を返し背を向けると、纏った瘴気が漆黒のローブから胸と背中が大きく開いた趣味性の高いドレスへと姿を変えた。もしカタリーナの両目から血の涙が流れるでなく、涙に潤むみどりの瞳のままで、青白い肌にドス黒い血管が浮き出てさえいなければ、誰もが振り返り、羨慕せんぼの眼差しを送ったであろう。その姿は息をのむほど美しい。


 魔導師というよりも、誰が見ても、古典的な絵本に出てくる魔女を連想する姿そのままに変化すると、少し満足げに微笑ほほえみ少しだけ視線を上げ、チラとグレアノットをはすに見て、指で唇をなぞるようにしながら、色っぽく誘惑するような、甘えた声で懇願した。



「か、渇く……喉が渇くの……」


 てくてくはカタリーナの発する妖気ともとれる異様な気配を感じた。


 ゴゴゴゴゴゴ……。


 得意の土魔法を発動したのだろう、遠くの方から地響きが聞こえ、どんどん近くなってくると、立っていられないほどグラグラと揺れ始めた。高位の土魔法アースクェイクだ。建物が崩れ、防護壁が無残に壊れてゆく。カタリーナの意識の中、てくてくが作った夢の世界が崩壊し始める。


 カタリーナは起動式を入力することなく、高位の魔法を起動した。

 なんと優れた順応力だろう。



 ネストの個室で、てくてくの背に手をかけ、カタリーナの容態を見ながら夢を媒介してヒトの記憶に干渉しながら無詠唱魔導のきっかけと発動法を学んでいたエアリスは、自分の中に流れ込んでくるマナの洪水が全てを押し流すかのような瘴気の濁流になっても、一歩もその場を動くことはなかった。


 サオの心配していたことが現実のものとなりつつある。セカ陥落を経験し、帝国軍やアルトロンド兵が進駐し、多感な時期に多くのものを奪われたエアリスも闇の力に魅入られていたのだ。


 エアリスはサオの弟子であり、まだまだ若輩者であったが、貪欲に知識を得ようとするその姿勢こそ魔導師そのものだった。瘴気が身体に巻き付こうが、夢の世界が崩れ落ちようが、そんな些末なこと気にも留めることなく、得難い経験を記憶に刻み込んだ。


 この異常事態を理解できないのか、はたまた足がすくんでしまって動けなくなったのか、エアリスはてくてくの背に手を当てたまま目を閉じている。



 てくてくとエアリスが未だ戻らぬ現実世界に、カタリーナは一瞬早く帰還し、ゆっくりと目を開けた。

 それが闇の精霊、てくてくのベッドだというのも偶然じゃない。そこで生まれるべくして生まれたのだ。



「はああっ……」


 異質なものは、異質な気配をもってこの世界に顕現した。


 カタリーナは血の涙が止まらないという障害をものともせず、この世界の日陰に再び誕生したような清々しさを感じながら、断続的に襲い来る波を全身で受ける。


 それは痛みを伴う悦び。


 全身を稲妻に撃たれたかのように、抗えぬ強烈な性感に身をよじらせ打ち震えるかのようだった。



 うっとりと恍惚の表情を浮かべながら、目の焦点も定まらない様子で顎の筋肉を弛緩させ、長い舌をべろりといやらしく乾いた上唇に唾液をなじませると、つーっと糸を引く……。


 自らの身体を作り変えた昆虫が蛹の殻を破って羽化するが如く、カタリーナは違う生物へと進化したかのような変容を遂げていた。惜しげもなく放出する妖気は、もはや人の発する気配ではなかった。


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