14-23 カタリーナ・ザウワーの半生2:既視感
カタリーナのお話が3~5話ぐらい続く予定で書いてましたが、もしかすると7~8話ぐらいに伸びるかもしれません。従ってしばらくは更新頻度が上がります。次話はまた明後日、日曜を予定しています。
少し可哀想な物語になりますが、ダウンフォール!を最初から読んでくださっている読者さまには、もう十分に耐性が付いておるものと考えます。
カタリーナはこの時のことをよく覚えている。
グレアノットと一緒に過ごした5年間、ずっと毎日毎日、侃侃諤諤の魔導議論を戦わせて、お互いを高め合った相手の願いは断ったくせに、わずか半年、ほんの半年の間、家庭教師として従事した貴族の息子を弟子にしたという。
便箋を握る手が震え、くしゃくしゃになるまで握りしめてしまうほど拳に力が入った。
自らの初恋に気付くのに200年、ここのところよく昔のことをよく思い出し、ぼーっとしながら考え事をしているが、それが後悔だと、たったそれだけのことも分からないような女に、かつての思い人が人生の晩年を迎えて、ようやく弟子を取ったというニュースを喜ぶこともせず、報せの書かれた便箋をクシャクシャに握ってしまった。
拳を握りしめた力こそが嫉妬なのだと……カタリーナに知れるわけもなかった。
あの日、グレアノットが王都に帰るといった日、カタリーナはグレアノットの目を真っすぐに見て、弟子にしてほしいと伝えた。素直に、ストレートな表現とは言い難く、今でいうツンデレ気味の告白ではあったが、確かに一緒に王都へ連れて行ってほしいと伝えたのだ。その気持ちには嘘も偽りもない。
しかしグレアノットはカタリーナを置いて、ひとりで帰ることを選んだ。
弟子なんか取るつもりはないといって断ったくせに……。
心臓がドキドキと早鐘を打つような状態異常に晒されながらも勇気を振り絞って伝えた、精一杯の気持ちを無碍に断っておいて、この男は大貴族ベルセリウス家の嫡男を弟子にしたという。
見慣れたグレアノットの汚い筆跡で "弟子" という文字が網膜に映し出されるたび、カタリーナはたとえようのない苛立ちを感じた。
いま思い出してもガタガタと身震いするほどの憎悪に飲み込まれそうになる。
震える手からモウモウと煙のように湧き出す瘴気を抑えるため、必死にもがくカタリーナの耳に、優しくとても暖かく響く、心地の良い声が聞こえた。
「カタリーナ、いいんだもう。無理するな……」
ハッと顔を上げると、目の前に立っていたのは、若かりし頃、カタリーナが15歳で初めて会ったころの、まだそう、髪の毛もあるし、白い髭も蓄えていない、昔のままのグレアノットだった。
相変わらずヨレヨレのローブを着ていて、寝ぐせで固まったいつものヘアスタイル。グランネルジュ広しと言えど、グレアノットのように冴えない男は他に居ないと断言する。
だけどそれもまたいい。
なにしろカタリーナに向ける眼差しがこれほどまでに優しい男も他に居ないのだ。
若かりし頃のグレアノットが目の前に居て、あのころと変わらぬ暖かい眼差しで見てくれている。
しかし、カタリーナは反射的に顔をそむけた。そこにある優しい男の胸に飛び込んでしまえば全てが赦されるだろうに……、露わになった胸も、顔も、小さな手のひらで全てを隠そうとした。
「私を……見ないで……。醜い私を、見ないで……」
カタリーナは自らの肉体が闇の影響で醜く変貌していることを知っていたのだ。
瘴気を含んだマナが黒く見えるのは初期。
毛細血管が破れ、涙に血液が混ざるようになるのは中期。
肌の色素が瘴気と共に抜けてゆき、血管が黒く浮き上がるようになると末期……。
自らの置かれた状況に合わせ、意識を夢の中に沈めながらも、こんなこと夢でしかありえない、いま自分は夢を見ているのだと少しずつ理解し始めている。
カタリーナは夢と現の境界線が曖昧になりつつあった。
「何を言ってる、醜くなんかあるものか、カタリーナ、お前はずっとあの日のまま、美しいじゃないか」
グレアノットは化け物のように変貌してしまったカタリーナに手を差し伸べ、あまつさえ美しいとまで言う。その言葉にカタリーナは心が持っていかれそうな衝動に駆られた。いまこの男の胸に飛び込むことができたらどんなにいいだろう、自分の心に素直になることができたなら、こんなところで化け物になって野垂れ死ぬ人生が、いくばくか違ったものになるのだろうか。
カタリーナはこの期に及んでも、自らの半生を悔いていても、まるで他人事のように、自分を客観視していた。
まったくグレアノットという男は、こんな時に女が喜ぶような、気の利いた言葉の一つもかけてやることができないような大バカ者だったはずだ。カタリーナの欲する言葉をかけてくれるわけがないのだ。
カタリーナは幻を見せられていることを知りながら、自らの甘い夢に没頭していた。
まさかグレアノットが初めて出会ったころの姿で出てきて、こんなにも醜く変化した闇の魔物を美しいだなんて……、まったく、本当に自分の脳が作り出したのかと呆れるほどに都合のいい幻影だ。
きっと闇の精霊テックが見せているのだろう。しかし、こんなもの誰が作ったのかなんてことは、どうだっていい。いま見せられている夢か幻、これは紛れもなく、カタリーナ自身の願望なのだから。
もしかすると命を流出させすぎてもう生きる目がなくなってしまったのかもしれないと思った。
あるいは、死にゆくものが見るという幻を見ているのかもしれない。闇の精霊テックが死にゆくものに苦痛を与えまいとして介錯がわりの幻想を見せてくれているのかも……と。
カタリーナはひとつ小さな溜息をつくと、少し安堵したような表情を見せた。
詮索するのは止そう、幻でもいい、夢でもいいじゃないか。
カタリーナが心の奥底に秘めていた願いが、叶わなかった望みがいまひとつ、叶えられたのだ。
カタリーナはそっと手を伸ばし、グレアノットの差し伸べる手をとった。ささくれだった指の皮膚がかさつく感覚と同時に、温度が伝わってくる。
ああ……、なんて温かいのだろう。
グレアノットの手は、こんなにも暖かかったのかと思うと、頬が少し熱くなった。
そしてそのまま、グレアノットは続ける。
「紹介しよう、わしの弟子たちじゃ。アリエルとパシテー、そしてディオネじゃ。よろしくの」
最後のディオネって人、影になっていて顔が見えない。でも女性のシルエットなのは分かる……。
辺りが明るくなった、空が……青い? 背景が見覚えのある風景に作り替えられ、音もなく構築されてゆく……。
ここは? ベラール?
いつシーンが切り替わったのか気が付かなかったけれど、カタリーナは数か月前のベラールに居た。
そう、ボトランジュの援軍がベラールの戦いに来てくれた日だ、グレアノットの弟子、アリエル・ベルセリウスとパシテーに初めて会った日、そしてその胸に圧倒的な敗北感を刻まれた日だ。
…… 既視感。
カタリーナの記憶が再生される。
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防護壁で外周をぐるっと囲んだベラールの街で、南西の門を警護していたカタリーナは朝になって交代の者に申し送りの情報として、ボトランジュから援軍が来たことを聞いた。
ベラールの街を包囲するダリル兵たちが手薄になっている北の森を抜けるルートで、カナデラルに駐留しているボトランジュ軍に援軍を頼みに行ったのは知っていたが、まさかその夜のうちに到着するとは異例の早さだった。
「早いな! してその数は?」
「いえそれが、わずか数名とか。直接見たわけではありませんが、聞いた話によるとあの悪名高いベルセリウス派の魔導派閥だと……」
「なんだと? ベルセリウス派が来たのか? ベルセリウス本人なのか? それとも……」
「カタリーナ学長、落ち着いてください。私の受けた報告では援軍は北東の門から入ってきたらしいのですが、その時門外に居た敵の斥候含む300の兵は全員が倒されていたそうです。戦闘の痕跡も、外傷もなく、まるで眠っているような安らかな死に顔で皆殺しにされていたとか……。なんと恐ろしい! 聞けばベルセリウス派は死体を操るネクロマンシスの外法を使うというじゃないですか。カタリーナ学長、私はあのような外道の輩をベラールに入れることに反対であります」
これが普通の魔導師の反応だ。
しかしカタリーナはフッと頬が緩むのを感じた。このにっちもさっちもいかない困窮した状況を打破できるのはベルセリウス派のように、力のみを追究した魔導なのかもしれないと常々思っていたからだ。
「そう毛嫌いするものではないぞ、私はむしろ逆だ。ベルセリウスの子せがれとは、一度会って話してみたいと思っていたからな」
「子せがれ……ですか?」
「ああ、朋友の弟子なんだ。なかなかに面白い奴だと聞いている。そうか、ようやく会えるか。なんだかワクワクするなあ……」
「いえ、私には恐ろしくて不安な気持ちしかありません……」
カタリーナはいまだかつて経験したことがないほど逸る気持ちを抑えらなかった。
徹夜明けで休みたがっている身体をグイグイと伸ばす体操で叩き起こし、いつもより強めの強化魔法をかけて南門にある領主のもと、本陣へと戻った。この時の爆走で何人か跳ねられそうになったとかで、領主のもとに苦情が数件寄せられたという。
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初めて会ったアリエル・ベルセリウスは思っていたよりもずっと若く、まだ子供のように見えた。
30過ぎの青年を思い浮かべていたカタリーナは、意図せず声が上ずってしまい、まるで子どもに対するような言葉をかけてしまう。
「グレアノットと手紙のやり取りをしてますから、あなたの事は彼の弟子になった頃からよく知っているのですよ。アリエルくん。7歳で爆破魔法を使ったことも、精霊王になったこともね」
爆破魔法。
カタリーナが知らないわけがなかった。
まだ7歳のベルセリウスが使ったという爆破魔法。とっくに失われた魔導技術で、有名なところでは、この世界を滅ぼしかけた破壊神アシュタロスが使ったと伝わる、古代のロストマギカだ。
グレアノットは手紙で詳細を知らせた。
そんな大変なものを、いとも容易く、詠唱もなしに使って見せたのだという。
もちろん自分にも使えないかと思い、何年もかけて文献を探したり、神話戦争のことが書かれた古文書を解読しては読み漁り、10年もかけて調べあげた結果、分かったことは "自分には無理だ"という事だけ。
精霊王にしてもそうだ、古文書に記された記録を何千年遡ってみても、ヒト族でありながら精霊王になった者などただの一人もいなかった。この世界に現存する三柱の精霊の全てはフォーマルハウトが独占しているのは有名な話だ。
カタリーナもエルフの魔導師であり、天才と言われて育った自負があった。自分にも精霊王の資格があるかどうか試してみたいとは思っていたが、精霊たち皆に主がいる時点でカタリーナにはその資格がないのと同じだった。
しかしそのエルフ族最強の名を欲しいままにしたフォーマルハウトも、ヒトの住める北限の地ドーラにてベルセリウスと諍なり、ベルセリウスの使う爆破魔法に手も足も出せず、ただ処刑されるがごとく敗れたと聞いた。これは噂話などというレベルの低い情報源ではなく、魔導学院の誇る情報部がもたらした特報だからこそ疑う余地などない。従って、これまで懐疑的に思っていたベルセリウスの爆破魔法が、実戦に耐えうる性能を持っていることも証明されたのだ。
さすがに神聖典教会が極秘で研究、開発したというあの魔導キラー、すべての魔法攻撃を無効化するというミスリルの鎧ごと勇者を焼き殺したというニュースには学院にいる魔導師一同が歓喜したものだが、この世界で何十万の兵を殺し、大悪魔とも呼ばれた大魔導師が、気まぐれなのか? それとも心を入れ替えたのか? 大悪魔と呼ばれるに値しない行動をとった。
いま毒に滅ぼされようとしているフェイスロンドに、多くの人を救う、解毒魔法をもたらした。
このアリエル・ベルセリウスこそが完全無欠の天才なのだ。
ベルセリウス派で有名なのはこの男だけではない。ロザリンドにパシテー、そして鋼鉄の処女の異名をとるサオはベルセリウスの弟子というのは有名な話だが……、ジュノーを名乗る赤髪の少女に驚かされた。
この少女、解毒魔法の起動式をいまここで作ってしまった。
恐ろしく早い筆跡でノートにガリガリと計算式を書きこんでいく様は痛快でもあったが、やがて起動式を構築し終えると、惜しげもなくそれを公開した。
まったく、桁外れの治癒師だと見ていたが、カタリーナが200年もの長きにわたって練り上げ、ダリルの攻撃をものともしなかった強固な防護壁を一瞬で蒸発させるというデタラメな魔導師であった。
カタリーナは初めて見たが、これは熱光学魔法というものらしい。グランネルジュの図書館にも熱光学魔法などという記述は見たことがなかったが、実際に目撃した魔法効果は、結果として誰もが良く知る物語の中に答えがあったように思う。
神話戦争に出てきた破壊神の眷属、灰燼の魔女リリスから発せられたと伝わる "ひかり" が最も近いように思えた。ジュノーという名はこの国では珍しくない。敬虔な女神教徒の家では娘が生まれるとジュノーと名付ける親も多い。現にカタリーナ自身、教え子にジュノーは何人もいるのだ。
しかし驚くべきはこの赤髪の少女だけではなかった。
古の戦神、ゾフィーの名をもつ長身のエルフ? は、転移魔法などというロストマギカを使って見せた。起動の方法は指をパチンと鳴らすだけだ。
転移魔法は時空魔法というカテゴリに含まれる、何万年も前に失われた技術として記録があるだけで、転移魔法陣の存在を信じないヒト族の魔導師は、時空魔法そのものの存在を信じないとまで言わしめるほどレアな魔法技術だった。それを詠唱もなしに指パッチンするだけで行使するなど尋常な話ではない。
だけど、こんなびっくり箱のような魔導を見せられて驚いてばかりはいられないのだ。
もしこれが平時ならば歓喜して億を超える質問を投げかけ、ベルセリウスを帰さないところだが、いまは戦時。ゆっくり話をすることも出来ない、ならば爆破魔法とはどれほどのものか見せてほしいものだと期待した。
グレアノットが手放しで称賛した天才児の実力とやらを見せつけてもらい、自分との距離がどれほどのものか確かめたいという、魔導師として、術者としての欲求だ。
エルフ族最強の戦場魔導師、爆炎のフォーマルハウトを倒したという爆破魔法の威力がいかほどのものか、その力を見せろ見せろと逸る気持ちで待っていたら、その機会はすぐに訪れた。
アリエル・ベルセリウスがたった1人で4万もの大群の前に打って出ると言うのだ。
「面白い、グレアノットをして天才児といわしめたその実力、見せてみろベルセリウス!」
すぐにでも出るというベルセリウスを見逃すなどもったいない。カタリーナは自らの弟子や教え子たちに指示を出した。
「魔導師は全員防護壁に上がって戦闘を見て学べ! 爆破魔法が見られるぞ! こんな機会はもうないかもしれない、盗めるものは盗んで、少しでも腕を上げるんだ! それが生き残る糧となる」
単身で門を出たベルセリウスの後を追ってひとりの女性がついて出た。エルフ女性か。
いくら何でも1人で出るなど無謀の極みだ。アリエル・ベルセリウスの暴走を止めるために出たのだとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。
うら若くはないがエルフの婦女が戦場に出るなど、ダリルどもを喜ばせるだけだ。誰かあの女性を止める者はいないのかと、先ほど熱光学魔法を使って見せたジュノーという少女に聞くと、あの何とも言えない、アラサーのくせに10代のような話し方で、一見バカそうに見える女性こそサオだという。
ここベラールの住民ですら鋼鉄の異名を知らぬ者はいない、あのサオだ。
度重なる帝国軍、アルトロンド攻撃のみならず、最強戦力と言われる勇者すらも退け続けたというベルセリウスの弟子、爆破魔法の継承者。ノーデンリヒトの防人、鋼鉄の処女など、数々の厳つい異名を持つ。だがしかし、ベルセリウスと組んだとて敵は屈強な戦士に毒矢装備のダリル兵が4万以上という、圧倒的な戦力差。この戦いの行く末がどうなってしまうのかと心配で気もそぞろになりながら事の成り行きを見守っていたというのに、わずか数分、瞬きすることも忘れて、ただ驚愕のうちに戦闘は終わった。
サオがたった一人で、いや正確には召喚魔法を使ってドラゴンを呼び出したが、サオの完全勝利だった。
カタリーナはアイドル並みの人気を誇るブリッ子エルフに、努力など何万年したところで埋められない力の差を見せつけられたのだ。




