14-22 カタリーナ・ザウワーの半生1:兆候
カタリーナのお話が3~5話ぐらい続く予定で、しばらくは更新頻度が上がります。次話は金曜を予定しています。
少し可哀想な物語になりますが、ダウンフォール!を最初から読んでくださっている読者さまには、もう十分に耐性が付いておるものと考えます。
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フェイスロンド軍が全滅を免れ、教え子であるフェイスロンダ―ルの無事を確認するや否や、マナ暴走の後始末をするためと称してくてくに捕らわれネストへ連れ込まれたカタリーナは、いま正にてくてくの居室で闇の触手に捕らえられ、真っ暗闇に身を任せ、深みへと沈降してゆくのを感じながら心地よい微睡みに中にいた。
温かい闇に抱かれ、襲いくる心地よい睡魔に身をゆだねながら、精霊の舌ったらずな声に耳を傾ける。
「善なるも悪たるも、愛も憎しみも、欲望も懇願も、純真も嫉妬も、嫌悪も祈りも、何もかも闇の前では等価値なの。絶望に身をゆだねるのよカタリーナ。アナタは闇に踏み込んでしまった、歓喜するのも後悔するのもアナタ次第……。ただ闇はここにあり続ける、アナタの心の中に。どんなものよりも暗い、夜の支配者へと変貌するがいいのよ、アナタの嫉妬は誰よりも美しく、アナタの欲望は何があっても挫けぬ強い心を支える土台となる」
精霊の声が心にエコーがかるように響くと、どこまでも落ちてゆく感覚と共に意識を閉ざす。
いや、どうやら夢を見ているらしいということは分かった、幼い頃の記憶の扉を開けたような気がした。
カタリーナはエルダーの森で暮らすウッドエルフを祖先にもつ生粋のフェイスロンド人だった。
父は都会に憧れ、森を出てネーベルの街で腕のいい土木建築魔法技師として働き、市場で果物屋の屋台を手伝っていた母と素朴な恋愛をして結ばれたという。そんな両親のもと、カタリーナは4人姉妹の末っ子としてこのスヴェアベルムに生を受けた。
決して裕福ではなかったが、寡黙で働き者の父が生活する以上のお金を安定して稼いでくるため、生活が苦しかったなどということはこれまで経験したことがない。当時のエルフの家庭で子供たちが親の手伝いにかまけて稼ぎを家に入れることをせず、初等部から学校に行かせてもらえるというのは、裕福な家庭だけだったが、カタリーナの両親は、自分たちの食べ物、衣服などに回すお金を切り詰めて、子供たちの未来のためと思って、学校で学ぶことにお金を使ったのだ。
カタリーナが初等部に入って魔法を教わり始めるとすぐに才能は開花した。魔導の教員が相性のいい土魔法に長けていたおかげかどうかは分からないが、当時の魔導教諭の勧めでネーベル魔導学院の扉を叩いた。
そこでカタリーナは初等部として初の快挙、7歳にしてネーベル魔導学院へ飛び級で入学するほどの天才ぶりを発揮し。10歳で書いた土魔法の論文が認められ学位を取得した。難関と言われる魔導学院を、10歳で卒業したという証明を得たのだ。
これはシェダール王国の魔導学院内という魔導を志す者たちの中、狭い身内ばかりではあったが、カタリーナという名を知らぬ者はいないほどの大ニュースとなった。
博士号を取得したあとは親もとを離れ、領都グランネルジュ魔導学院へと拠点を移すと研究者として、自らの研究室が与えられることとなった。
フォーマルハウトの再来とまで言われた天才少女は15歳で土魔法を与る教授になった。
この時、カタリーナに土魔法を教えていたハララ・ザウワーは、ヒト族の慣習に倣い、カタリーナにも姓を名乗るよう言いつけた。
ザウワー。
カタリーナにはどうでもいい名で、愛着も誇りもなかったが、この世界を治めるヒト族と同じ慣習を身に着け、姓を名乗ることで、ほんの少し、世界を見る目が変わったような気がした。
しかし本人はザウワーという姓を自ら名乗ったことはほとんどない。
今では教卓に立てられたネームオブジェクトにその形跡を残すのみ。やはりカタリーナはヒトになりきれなかったのだ。
カタリーナは土魔法を専攻して教授となった。使い手の殆どいない水魔法や風魔法ではなく、シェダール王国に在籍する魔導師の中で最も多い土魔導師という激しい競争の中で揉まれたが、カタリーナの実力に肉薄するようなライバルはいなかった。
故に同年代の友達ができた事もなく、恋もしたことがない。
溢れんばかりの才能と若い熱情を、ただただ魔導に打ち込み、あくなき探究を続けていたある日、王都プロテウスの魔導学院からグランネルジュの魔導に学びたいという変わり者の男がやってきた。
王都にある中央の魔導学院に比べると規模が小さく、図書館の蔵書も少ないグランネルジュに何用かと訝るのは当然のこと、聞けば土木建築魔法を専攻しているヒト族の研究員で、年齢は40歳手前ほど。年がら年中ヨレヨレのローブを羽織っていて、いつ見ても櫛で髪をといたこともないような寝ぐせがついている、一言で表現すると "だらしない男" で、名をグレアノットと名乗った。
魔法の腕前もカタリーナと比べると小規模な城壁を立ち上げるのに5倍も時間がかかるという体たらく。
王都からきた研究員も大したことがないと鼻で笑い飛ばし、マナの寵愛を受けしエルフ族の頂から見下ろすように、種族の差を見せつけてやった。
この時、カタリーナはいい気になっていたのかもしれない。
ヒト族などに魔導師たる資格などありはしないと言って高をくくっていると、グレアノットは自信たっぷりに『では模擬戦などやってみませんか』などとのたまった。
便宜上、歯に衣を着せて模擬戦といったが、要はどっちの魔導が優れているかを決めようという挑戦だった。
カタリーナは中央からきた研究員に、グランネルジュ魔導学院の実力ってもんを見せつけるいい機会だと考え、模擬戦に同意した。
土魔法は地面に作用する魔法だ、主な用途は土木建築。壁を作ったり運河を掘ったりと、仕事や生活に直結するため、フェイスロンドだけではなく、全世界の魔導師のおよそ65%が土魔法使いであると言われているほどメジャーな魔法だ。
土魔法を使って穴を掘ったり、壁を作ったりというのは建築魔法の領分。魔導学院で扱わなくとも、その辺の街に履いて捨てるほどある土建屋に行けばいくらでも使い手はいる。小石を飛ばしたりということは誰にでもできるが、例えば岩を空中に浮かせたまま制止させるとなると、それだけでそこそこの鍛錬が必要になってくる魔法だ。魔導学院では土魔法で建築物を作ることはもちろんのこと、頑強に建造された城壁や防護壁を一撃のもとに破壊する攻城戦魔法と呼ばれる土魔法を扱う学問がある。
王国が貴族たちが、わざわざ資金を出して土魔法技術者を育成するのには理由があるものだ。
土魔法使い同士の模擬戦はだいたいどこの土地でもやり方が決まっていて、お互いに決められた量の土を使って防護壁を作り、それを破壊するための岩を投げ、防護壁を破壊した方が勝ちというルールだった。これは学生たちの間でも魔法競技としてよく行われているものだ。
大質量の巨大な砲弾をぶつけるだけで勝負がつく簡単な競技だ。カタリーナはいままでこの競技で負けたことがなかったが、開始後わずか1ターンでカタリーナは初の敗北を喫することとなった。
防護壁を硬くして防御力を上げたカタリーナに対して、砂や砂利などを効果的に配置し、投げつけられる大岩の衝撃をうまく吸収、分散する設計で挑むグレアノットは、カタリーナの巨岩を投げてぶつけるだけというシンプルな攻撃を見事に防ぎ、攻撃フェイズでは槍のように研いだ硬い岩をドリルのように高速回転させながら射出すると、驚くべき貫通力でカタリーナの作った岩壁をたやすく抜いて見せた。
カタリーナのぶつけた岩塊と比べると重量にして5分の1もないような、鋭利に研いだ岩だった。
カタリーナ15歳にして、初めての敗北を知る。
悔し涙がこらえきれず、皆の前で涙を流したのも、この時が初めてだった。
翌日また再戦を申し込み、防護壁をより硬く、投げつける大岩をより大きなものにしてみたが、結果は変わらなかった。
5日連続で負けたあと、不機嫌そうな顔を隠そうともせず、拳を握り締め、よそ見をしたままグレアノットの前に立ち、昨日まで目に涙をためながら吐いたお決まりの『また明日勝負よ! 首を洗って待ってなさい!』ではなく、
「その工法を私に教えなさい。いまなら黙って聞いてあげてもいいわ」と言った。
驚いたのは周りにいたグランネルジュ魔導学院の面々だった。
いつも鼻高々でお高くとまったカタリーナが、とうとう負けを認め、教授という学内でも土魔法の権威といわれる職にありながら、一介の研究員に教えを乞うたのだ。
意地の張り合いからではあったが、こうしてカタリーナとグレアノットは良好なライバル関係となった。
とはいえ、半月に一度は研究室がぶっ壊れるほどの大喧嘩をする羽目となり、周囲にいる者が怪我をしてはならぬと学園側が自粛要請するのだけれど、2人はいつもボロボロになり目も合わせずに、これは魔導実験だという姿勢を崩さなかった。誰の目からもケンカしたことが明らかだと言うのに。
お互いに水と油のような関係だったが、お互いを高めあうという意味ではいいコンビだった。
グレアノットがカタリーナの弱点を、自らの魔力に依存して弱さを知らないことと、立ち上げ速度重視のためか工作精度がユルユルであると指摘すると、じゃああなたの弱点はどうでもいいようなものであっても精度を気にしすぎるせいで何をするのも遅いことと、頭で考えたアイデアにかまけ普段から魔力の鍛錬をしていないせいで魔力そのものが弱いことだと指摘し返した。
そう言ったことからまたケンカになることも多々あるのだが、互いを罵り合ってるように見えて2人はみずからの弱点を克服しつつ、自らの目指す魔導を追い求め、昇華させることに没頭した。
それから5年後、20歳になったカタリーナは、グレアノットが王都に帰るときになって、初めて心の内を明かした。
「ねえグレアノット、私を王都に連れて行ってよ。あなたが居なくなったらつまんないわ。あなたと一緒に居られるなら弟子になってもいいからさ……」
「アホなことを言うな、私は助教授ですらない、魔導学院の中じゃあ雑草みたいなものだ。それに比べてカタリーナは教授だろう? 私などここで5年かけて学んだ事をせっせと論文にして、それが認められてやっと助教授になれるかどうかという底辺の研究員だ。天下の魔導学院教授サマを弟子になんぞしたら学院を追い出されてしまうわい。それに私は弟子なんぞという煩わしいもの取る気はない。自分の魔導を探究することで精いっぱいなんだ」
「そう言うと思ったよ。手紙を書くから返事は必ず書くこと、分かったわね? もし返事が来なかったら文句言いに行くからね」
「わかった、わかったからやめてくれ。えっと手紙? 手紙の返事? 面倒くさいなあもう……」
まるで荷車のような、日除けのない粗末な馬車に揺られてグランネルジュから王都に帰るグレアノットの後姿を見えなくなるまで見送った。その日の夜は、何故か分からないけれど、胸にぽっかり穴が空いたような喪失感に涙が止まらなかったのを覚えている。
それからカタリーナとグレアノットは、王都魔導学院で開かれる魔導学会などで何年かに一度会うことはあったが、文通という古典的な繋がりは、200年もの長きにわたって続いた。
今思えばグレアノットはカタリーナの初恋だったのかもしれない。
幼い頃から天才の名を欲しいままにしてきたエルフの少女が、15歳で天下の魔導学院教授になった。
初恋の相手はどうみてもうだつの上がらない、40手前の、ちょっと頭も薄くなり始めた研究員だという。教授職に与ってさえいなければ、もしかすると、グレアノットの弟子になって、ずっと2人で一緒に魔導の探究に勤しめたのではないか……。自分が天才などと呼ばれて天狗にさえなっていなければなど、いろんなことが頭の中をぐるぐる回って、他のことが考えられなくなったこともある。
それは後悔だった。だがしかし、カタリーナは自らの後悔にまだ気付かない。
グランネルジュに聞こえてくるグレアノットの噂は、堅物だの偏屈だの変わり者だのというものばかり。結局、妻も娶らず人生を魔導に捧げたのだから尊敬されてもいいと思うが。いや、カタリーナの方も200年たってようやくあの時の経験したグレアノットへの思いこそが初恋だったのだと認めることができたのだから、グレアノットの堅物といい勝負だ。
2人は離れ離れになって200年がたっても、ずっといい勝負をしているのだと考えたら、なんだか笑えてきた。腹の底から、押し殺すような笑いが込み上げてくる。カタリーナには今までなかった経験だ。
まったく、あの堅物のことを考えると、齢200を超えた今でも新しい発見があるのかと、素直に喜んではみたものの、やはり笑いが込み上げてきたので、今度は一人、大声を出して笑った。傍らにいて魔導書の写本に熱中する弟子たちが心配するほどに。
カタリーナは、個室にロッキングチェアを持ち込み、膝にブランケットをかけてユラユラと体をゆすりながら、熱いローズヒップを淹れて香りを楽しみつつ……ああ、なぜグレアノットと離れなければならなかったのか、どうすれば2人でずっと一緒に居られたのかと、また後悔含みではあるが、過去の思い出に浸っていたところに、グレアノットから手紙が届いた。
薄暗い部屋に魔導ランプをともし、ロウ付けされた手紙の封を解くと、いつもはそっけないグレアノットが興奮気味に、珍しく便箋3枚にもわたって自らが実際に会った天才児のことを書いていた。
何やらノーデンリヒトを領有することとなったボトランジュのベルセリウス家の分家筋の子せがれこそが、グレアノットの認めた天才児だという。
そしてグレアノットは即断即決でその天才児を弟子にすると決めたのだそうだ。
修正:土魔導師の割合48%→65%




