14-19 フェイスロンダールは判断を誤った
この戦場で神殿騎士団長を捕えたことで戦闘には勝利した。だがそれで "めでたしめでたし" とはいかない。武装解除した捕虜たちをどうするのか? という問題が残されている。
最前線で戦っていた神殿騎士たちのうち、ざっと30人ほどが武装解除し、跪いたり、その場に座り込んだりなど頭を低くしていたおかげでゾフィーに手の届く位置に居たにも拘わらず斬撃は頭上を薙いだことで、いまも命を長らえている。
武装解除した神殿騎士たちと共闘していたダリル兵も、大将の陣が急襲されて神殿騎士団長が奪われしまい士気ダダ下がり。加えてハイペリオンが降りてきたのを見て、なお戦う意思を見せる者は、ただ一人としていなくなった。
アリエルの見立てでは敵兵の生き残り、神殿騎士とダリル兵ざっと見積もって約8000。
「フェイスロンダ―ル卿、こちら動けるものはどれぐらいいます?」
「いま受けた報告では約2200と聞いたところです。全滅するかと思っていたが、治癒魔法のおかげもあり、2200もの兵が助かりました。救援活動が続いているのでもう少し増えるかと」
「2200か……」
アリエルは深い溜息が出る思いだった。
フェイスロンド兵2200に対し、武装解除した捕虜が8000だ。そんな戦場見たことがない。
戦争は数でやるものだという常識がまかり通っているこの世界で、武器を持って戦う8000もの兵士が、わずか2200という、数にして約四分の一ほどしかいない相手に降伏するなど、これまで例のなかったことだ。
グランネルジュを囲む防護壁に築かれた門の向こう側で、待ち構えてる兵たちの気配を感じる。数えるのは面倒だが、通りと広場を埋め尽くしている人の気配が兵士だとするなら3000ぐらいいると思われる。
武装解除した8000もの兵をたった2200の兵士で捕虜にするのは無理だし、いまこの場にある食料も足りないというのに、捕虜にかまけていてグランネルジュから3000の兵に打って出られたら面倒なことになる。もしくは全員をグランネルジュに帰したとすると、いま3000しかいない敵の数が11000に膨れ上がり、どちらにせよ不利な市街戦を戦わなきゃいけない。
最も安全で確実なのは領主フェイスロンダ―ル卿がこの場で簡易法廷を開き、領地を犯したとか、ダリル兵はフェイスロンドの者に対し王国法を適用せず非戦闘員を虐殺したとか、女を攫ったとか、叩けばいくらでも埃が出てくるのだから適当な罪状を見繕って全員を処刑してしまうことなのだろうけど……。
「フェイスロンダ―ル卿、このこの戦場はあなたの勝利です、この8000もの捕虜、どうしますか?」
「いやいや、私の勝利だなどとおこがましい。助けられたみんなこの勝利はベルセリウス卿、あなたの勝利だということぐらい知っていますよ。あの絶望的状況から勝利した上に司祭枢機卿を捕らえたのです、これは考えられない戦果ですよ」
神殿騎士団長の身柄を拘束したことを受け、ピンと張り詰めた糸が切れたかのように、ひどく疲れた表情で遠い目をするフェイスロンダ―ルを気遣うように、アリエルは言った。
「ええ、確かにあの男は教会のお偉いさんだと聞きました。でも侵略者どもを尋問して罰を与えるのはあなたの役目です、フェイスロンダ―ル卿」
「……、お気遣いありがとうございます、ベルセリウス卿。ですが今の私には領主として尋問することはできません。皆殺しにしてやりたいという感情が炎のように渦巻いています……憎しみが勝るのです」
フェイスロンダ―ル卿には法に則って侵略者たちに罰を与える責任がある。しかし今は判断が憎しみによって歪められるという。平時ならそれでもいいだろう、だがしかし今は戦時で、わずか2200しかいない兵士の人手を使って8000もの捕虜を管理しなくちゃならない。これは無理。
捕虜を解放するとグランネルジュにいる3000と合流する。これもダメ。どっちもダメ。
これではせっかく命を拾った2200の兵士たちに向かって、次の戦闘で死ねと言ってるようなものだ。
「いまは特殊な状況です。皆殺しにせよと命令を下すのも、領主の責任だと思いますが……」
「王国法を犯せとおっしゃるのか? ダリルや神殿騎士などはエルフの血を引く私のことを亜人と蔑みますが……、ベルセリウス卿、あなたの目に私はどう映っているでしょうか?」
「そんなことは言わないでほしいな、俺の身内はだいたいが魔族なんだ」
「失礼しました。私が言いたかったのは、ヒト族もエルフも獣人たちも、等しくヒトだということです。フェイスロンド領に生まれましたが、シェダール王国民であることは間違いありません。法と秩序を重んじるからこそ、ヒトでありつづけることができるのです。フェイスロンド220万領民の代表として、私はヒトであらねばなりません」
フェイスロンダ―ルの言葉こそ丁寧で穏やかなものだったが、今にも噛みつかれそうな形相で語られた言葉は、歯噛みの音がギシギシと聞こえてくるほどの覚悟が込められていた。
アリエルは、フェイスロンダールの覚悟を聞いて心に刺さった棘が、鼓動が脈打つたびにズキズキと痛むのを感じた。
フェイスロンダ―ルは数年前、領都グランネルジュ攻防戦で敗れた際に、妻のひとりと、息子を殺されて、門から吊るされたのを目撃したという。いま言った "皆殺しにしてやりたいという感情" というのは強烈な怒りから来る、家族を殺された者にしか理解できない、至極真っ当な感情だ。
胸の痛みはアリエルを記憶の奥底へと誘う。
ザナドゥにいて、ベルフェゴールという名で小国を治めていた頃のことを思い出していた。
忘れもしない愛娘ジェラルディーンが5歳になった誕生祭の夜、篝火の焚かれた祭場で、何の前触れもなく、目の中に入れても痛くないと思っていた、かけがえのない娘を奪われた。
ユピテルが現れたのだ。
当時、ユピテルは四つの世界の全てを支配していた十二柱の神々の序列第二位、四つの世界すべての男の中で最も偉いとされていて、母である最高位ヘリオスがその座を退いたあと、四つの世界を統べる王となることが約束された男であり、親同士が勝手に決めた許嫁ではあるが、ジュノーの正式な婚約者だった。
婚約が決まりスヴェアベルム中が祝賀ムード一色の中、ジュノーは決められた運命を否定してみせた。
婚約を一方的に破棄し、最下層の世界にある、とても貧しい小国を治める若い王の側室になることを選んだことで、ユピテルのプライドを著しく傷つけたのだった。
ユピテルは神の許嫁に手を出した愚かな小国の王、ベルフェゴールがどれほど悲しむのかを見たかった、自分を選ばなかった元婚約者ジュノーがどれだけ後悔し、絶望するのかを見たかった。
悲しみに暮れる夫婦の前に立ち、指をさして嘲笑うため、ただそれだけだった。
幾万年の星霜を経ようと、何度死んで、何度蘇ろうと……、高らかに嘲笑い飛ばすユピテルの、あの狂気と嫉妬に歪んだ醜い顔は忘れられない。
フェイスロンダ―ルも当時のベルフェゴールと同じ思いをして、今ここに立っているはずだ。
愛する妻と息子の吊るされた姿を見たのだから、その光景は死ぬまで忘れることなど出来るはずがない。
命が尽きて、この世を去るその日まで、思い出さない日などない。
フェイスロンダ―ルもベルフェゴールと同じ、この世界で最も強く、悲しい呪いを受けたのだ。
たったいま捕虜にした神殿騎士たちは後ろ手に縛られて座らされている。
こうなってしまえば殺すことは簡単だ。短剣を持って首に突き立てればいいし、わざわざ自らが手を下さずとも処刑せよと命じればいいだけなのに、フェイスロンダ―ルは領主の職務をアリエルに預けて背を向けた。
アリエルは、重大な問題を置いたまま話半分で踵を返し、フラフラと覚束ない足取りで家族のもとに向かおうとするフェイスロンダ―ルを呼び止めた。
「待ってくださいフェイスロンダ―ル卿。あなたの気持ちはお察しします。ですが2200の兵で8000もの捕虜を管理するなど不可能です。それにこいつらはあなたの家族の仇です、いま捕えてきた神殿騎士団長はエルフから人権を奪った張本人でしょう? それなのになぜ生殺与奪の権を行使しないのですか?」
「見ての通りです、私には戦う力がありません。英雄的行動をとれるほどの決断力もなければ、大悪魔と呼ばれ畏れられることもありません。エルフの血が混ざっているだけの、ただのヒトなのです。フェイスロンドに暮らす領民の平和な暮らしを守らねばなりません。王都プロテウスとダリルに接する300キロもの領境線を守らねばならないのです。それがどれほど困難なことか……、ベルセリウス卿、あなたのように強大な力を持つひとには理解できないのかもしれませんね。私には、ヒトとして生まれ、ヒトとして死んでいった妻や息子の尊厳と、フェイスロンドの民たちの未来、ヒトとしての暮らしを守る義務があるのです」
確かにフェイスロンドは戦争になると守るのが難しい土地だ。領都グランネルジュは王都からもダリルからも近い。総延長300キロの領境線も人の行き来を妨げるものがない。
天然の要害に守られ、どこの土地からも遠く、守るのに適したノーデンリヒトとは話の土台からして違うのだ。トリトンのように王都と戦争になってでも我を通すなんて選択肢、最初からないのだろう。
「捕虜の処遇は我々に任せると、そう取ってよろしいですか?」
「はい。私が欲するのはダリル領主、エースフィル・セルダルの首のみ。司祭枢機卿ではありません」
それは立派な領主の言葉だった。
たしかシェダール王国では、同じシェダール王国の属領どうしが争った場合、正当な裁判をせずに捕虜を殺してはならないという法律があったはず。
逆に言えば正当な裁判さえ行えば、おそらく8000の敵兵すべて死刑になる。
罪状はフェイスロンド一般市民に対する虐殺、強姦、略奪、誘拐、人身売買などなど、いくらでも出てくる。
ひとつひとつ数え上げていくと『数え役満』もいいとこだ。
ダリルは法を自分たちの都合のいいように拡大解釈し、エルフ族はヒトじゃないので王国法は適用されないとして、これまで虐殺と人身売買を続けてきた。あまつさえ今はフェイスロンダ―ル家の血筋を絶やして広大なフェイスロンド領の全てを奪おうとしている。もはや盗賊よりもタチが悪い。
フェイスロンダ―ルはフェイスロンドを導く領主として、たとえこのような人でなしどもであっても捕虜の扱いをするという。捕虜にできないのなら開放するしかない。
フェイスロンダ―ルはこの期に及んでも、ヒトでありたかったのだ。
確かに耳に優しく響く。領民から慕われる領主そのものだった。
だがしかし、その言葉はヒトとしてではなく、領主という、地方自治体を治める大貴族としての言葉だ。シェダール王国に属して、シェダール王国の支配下にいるという現状を打破しようとしない男の言い分だ。
まったく、王都プロテウスは教会の圧力に屈した形となり、ダリルやアルトロンドに迎合し、奴隷制度までは採用しなかったが結果として魔族排斥法案を採択し、多くのエルフ族から人権を奪ったという厳然たる事実を知らないわけでもないのに。
シェダール王国が魔族排斥を決めた時点で、魔族の血を引くフェイスロンダ―ル家は遅かれ早かれ倒されることが決まっていたんだ。その程度の事が分からないフェイスロンダ―ル卿でもあるまいに。
フェイスロンダ―ルがここで歯を食いしばって、王国法に則り、領民を殺し女を奪って行ったダリル兵を生かしたまま帰したとして、家族を殺された領民、女や娘を攫われてしまった男たちの怒りをどう鎮めるつもりなのだろうか。
言葉も出ないアリエルがどう考えているのかなどお構いなしにフェイスロンダ―ルは続ける。
「今日は善き日です。妻と娘と、多くの領民たちを苦しめて死なせた者のひとりが捕らえられました。これもひとえにベルセリウス卿、あなたのおかげです」
抵抗できなくなった仇敵を殺さずに背を向けたその真意は、魔族はヒトではないと言われ人権を剥奪された者の意地だった。
フェイスロンド領には純血・混血のエルフが多く暮らしている。だけど、純血のヒト族も相当数暮らしている。フェイスロンドとダリル間の紛争をエルフ対ヒトという構図にしたくなかったのだろう、この決定はフェイスロンドに暮らす純血ヒト族に配慮したものだ。
だがしかし、フェイスロンダ―ルの弱腰な決定では、たとえ紛争が終わって平和が訪れたとしてもエルフ族の不満は根強く残る。70年そこらで寿命が尽きるヒト族とは違い、エルフ族は300年前後という長いスパンで家族を奪われた怒りと悲しみが残るんだ。
エルフもひとだ。ヒト族と同じ血が流れていて、愛し合えば子を生すことができる同じ一族だ。
差別され、苦しめられるものはみんなそう言って魔族を差別する者たちに反発する。
だけどフェイスロンド領民はきっと神殿騎士やダリル兵どもと同じ血が流れるヒトだなんて、これっぽっちも思っちゃあいない。
ダリルの奴ら人でなしだ! 畜生同然だと思っている。
自分たちと同じ温かい血が流れてるだなんて、信じられない。
それが領土を蹂躙され、家族を奪われた領民たちの総意だ。
それなのにフェイスロンダ―ルは純血のヒト族として生まれることができなかったコンプレックスのせいで、領民の総意より王国に帰属することを強く望んだ。
強大な軍議力を誇る大国を襲撃し、四つの世界で最も偉いとされる"男"を殺し、神話に語られる戦争を戦ったベルフェゴールとは真逆の覚悟だった。
その結果、戦に敗れ国を滅ぼされてしまったベルフェゴールにはどちらが正しいかなど分からない。もしかするとどちらも間違っているのかもしれないし、どちらも正しいのかもしれない。
戦うべきだと信念はあるが、それを目の前の、がっくりと肩を落とす男に押し付けることもできない。
いまここ、フェイスロンドでは貴族の家どうしが血縁を断絶する争いを繰り広げている。
これはフェイスロンド領のフェイスロンダ―ル家と、ダリル領のセルダル家の紛争だ。
血縁断絶というのは、相手の血縁者を三親等まですべて殺害すると、領地の所有権を持つ者が居なくなるので、広大な領地、そこに暮らす領民、街や商店などの経済基盤など、それまで相手が持っていた有形無形の財産すべてを奪う事ができる。あとでフェイスロンドはフェイスロンダール家のものだ! なんて言い出す者が出てこないよう、血縁者を皆殺しにする必要がある。
言うなれば貴族の家同士、決闘するようなものだ。
フェイスロンダ―ルは当然、ダリル領主セルダル家の血縁すべてを殺して血縁を絶つ必要があるし、本人もそれを望んでいる。だがしかし動機は弱い。ダリル領との領境線をただの1ミリも南に下げようなどと考えちゃいないし、望みはこの争いを吹っかけてきたエースフィル・セルダルの首のみという。
これだけ聞くと無欲な男に見えるがその実、この戦いに勝利したとして、領民たちの気持ちをよそに自分の仇だけは討たせろと、そういう事だ。
貴族どうしがお互いの血縁を絶つ争いの意味など領民たちにはまるで興味がないばかりか、領民たちを蹂躙したダリル兵たちを黙って帰すくせに、自分の妻や子の仇だけは討つようにしか見えない。その理由を領民の納得のいくよう説明するのはとても難しいだろう。
この紛争が終わってもフェイスロンド領を治めていかねばならないという困難を自ら背負い、妻と息子が凌辱され、吊るされても、領主であらんとするその姿勢は尊敬に値する。
だがしかし、愛する者を奪われた者が、紛争後、平和になったフェイスロンドで何を目的に生きればいいのか。愛する者を奪った敵を生かしたまま帰しておきながら……。
この戦闘は騎士道精神なんてものがまかり通るような、綺麗な戦場ではない。
ダリルは愛する女と一緒に、敗れた戦士たちから尊厳まで奪っていった。
全てを失った戦士たちに、戦いは終わったから復興を助けろなどと、どの口が言えるのか。
領民たちが心の内に秘めた怒りは、火の消えない炭のように見えないところで熱を持ち続け、何年も、何十年もくすぶる。
その怒りはいつか内乱となってフェイスロンドを焼くかもしれない。フェイスロンダ―ルはそのようなこと百も承知のうえで選択し、決定を下すのだ。
フェイスロンダ―ルの決定が正しいのか、それとも間違っているのか、アリエルには分からない。
一つだけ分かったことがある。
フェイスロンド領主、フェイドオール・フェイスロンダ―ルは盲目的に平和主義を信仰する愚かな領主だということだ。
"罪を憎んで人を憎まず" という考え方が尊いと思っていて、フェイスロンド領民の全てが自分と同じ崇高な考えを持っていると勘違いしている。
魔王フランシスコが動いた今、この国は激しい拒絶反応を起こして各地で戦乱に明け暮れるだろう。
紛争の渦中にあるフェイスロンドが単独で平和主義など掲げていたら淘汰され滅亡するのを待つばかりだ。世界を相手に戦う力を持たないからというが、そんなこと、理由にならない。
フェイスロンダ―ルは弱いんじゃない。ただただ甘いのだ。
----
20201217
修正:領境線 ×3000キロ
: ○ 300キロ
----




