14-16 舞い降りた女神
これはアカンやろ! と指摘されたので表現を少しマイルドにしてみました。
2023 1212 手直し
カタリーナが自らの生命までをも侵食する闇の瘴気に飲まれると、闇は際限なく怒涛の如く溢れ出し、さながら洪水のようにダリル兵たちを襲った。研ぎ澄まされた強化魔法を纏った屈強な戦士たちが逃げること叶わぬほどそのスピードは速く、瘴気に触れた者は肉体に纏う強化魔法も防御魔法も失い、有害な瘴気が侵食する。
「ひあっ、ひいいいいいいいいいぃぃっ!」
闇の瘴気は肌から浸潤すると、マナと同時に生命力を体外に流出させる効果がある。その効果に着目し瘴気に触れた者を殺害することのみに特化すると闇魔法エナジードレインとなるが、いまのカタリーナにはまだそれを使えない。ただうっすらと体力を奪うのみという瘴気であっても効果はあった。たとえ頑強な百戦錬磨の戦士たちでも、津波のように襲い来る闇の瘴気に、まるで少女のような悲鳴を上げた。
戦場で敵に背を向けて逃げ出すダリル兵たち。カタリーナの成れの果ては、戦士たちが尊ぶ名誉とはまるでかけ離れた行動をとらせるほどに異質で、恐ろしい存在だった。
逃げ遅れた者たちは真っ暗な、まるで光を反射しない炭のような煙に飲み込まれて、溺れるように沈んでいった。戦士たちは剣で斬れぬものとは戦えないのだ。
戦場に闇の魔女が現れると、盾を構えた重装の神殿騎士たちの間に檄が飛んだ。
「30メートル前方に闇の魔物を視認! フォーメーション用意!」
瘴気を操る闇の魔女に対するは、神殿騎士団最精鋭部隊が引き受けるという。
純白の腕章と翼を広げた白鳥の姿が彫刻。まるで礼装のような装飾が施されている。血なまぐさい戦場にあって異質な集団だ。
瘴気を纏うカタリーナを指さし、目視するや否や、けたたましく警笛が鳴り響いた。
訓練の賜物か、誰ひとりとして瘴気を恐れず、盾を構え、槍で迎え撃つ。
「訓練通りにやれば大丈夫だ、対闇の陣形!」
「「「 はっ! 」」」
―― がチャッ! ガチャッ!
金属音が鳴りひびくと神殿騎士たち5人が連携し、盾を組み合わせて防御の型を作った。まるで濁流のように襲い来る瘴気を、かき分け、何事もなかったかのように眉も動かさずにチャンスを窺う。
恐ろしく統制の取れた、練度の高い訓練を耐え抜いて来たのだろう、確かにこの瘴気の源流にいる闇の魔女を恐れて陣形を乱すものなど一人もいなかった。全員が戦場を構成する部品として恥じない働きを見せた。
神殿騎士に纏わりつく瘴気が分解されると、蒸発する湯気のように空気に溶けて消えてゆく。
神聖典教会秘伝のエンチャント技術だ。
過去にノーデンリヒトで戦った勇者キャリバンの装備品にも見られた現象、闇の精霊てくてくが放った瘴気の触手を鎧装備一式にエンチャントされた対魔法防御が分解してみせたのと同様の現象だった。
対物理防御力アップ、魔法攻撃もほぼ無効化するという神器。いまこの戦場にいる神殿騎士たちは、勇者キャリバンの装備していたものに近い性能を持ったホワイトミスリルの鎧を装備している。
対魔法攻撃無効化のエンチャントが施されている鎧に触れた瘴気は、風が吹くと急速に晴れてゆく。
もうもうと吹き出す瘴気が遠のくと、その奥に闇を放出し続ける魔女の姿が見えた。
「魔物を目視! 初撃で決めるぞ! 一気にいけええええええええ!!」
瘴気に侵食されないホワイトミスリルの鎧は、対魔法・対物理防御が完璧レベルで隙が無いため、使用者は自らに防御魔法を施す必要がない。もてる強化魔法の全てを肉体強化に充てることができるという利点がある。そのため、ミスリルのフルプレートという重量級であっても軽やかに動くことができ、ここぞと言う時の突進力は軽装の戦士と比べても遜色はない。
最前列を任された者が槍を構え、カタパルトから撃ち出される砲弾のように自らの判断で地面を蹴って突貫する。それは必殺のタイミングだった。
―― ドッドドッ!
衝突音が3つ。
闇に相対した騎士たちは、瘴気の奥に潜む魔女に向かって突き出した槍に確かな手ごたえを感じた。
そこには瘴気の晴れてゆく戦場で、神殿騎士3人に胸と腹を刺し貫かれても、まだ倒れようとしない、往生際の悪い魔女が姿を現した。
しかし、戦場の一番遠いところにいる敵将だけを見据えた魔女の目にはもう力が失われていた。
瞳孔が開いている……。もし意識があるとすれば、さっきまで血の涙に歪んでいた視界は真っ白になっているか、もしくは暗転して暗闇に落ちてゆくばかりか。
纏っていた瘴気の衣を脱ぎ捨てたカタリーナは無意識のうち手だけを前に差し伸べる。
遠く、一番後ろの安全なところでこの殺戮を見物している、あの男に向かって。
―― カチッ……。
神殿騎士団長 ホムステッド・ゲラーは、白銀に輝く自慢の兜に何か小石が当たったのを感じた。
カタリーナ最後の攻撃だった。
命を闇に吸い尽くされ、槍に貫かれたカタリーナは力尽き、槍を引き抜かれるのを合図に力なく地に臥した。倒れた女にトドメとばかり、更に槍で追い打ちをかける男たち。
カタリーナを貫いた神殿騎士が槍を天に突き上げ勝鬨をあげた。
「討ち取ったぞ! 闇の魔物を討ち取ったぞおおおっ! さあ畳みかけよ、残りは烏合の衆である!」
「「「「うおおおおおおぉぉぉぉっっっ!」」」」
カタリーナの姿を呆然と見ていたフェイスロンダ―ルも敵の勝鬨の声を聴き、負けじと大声を張り上げた。
「カタリーナを奪い返せ!! 奴らの自由にさせるな!」
「「「うおおぉぉぉっ!」」」
一方、ダリル軍にあって剛腕で音に聞こえた戦士長、ディッセンバー・ガスは、たったいま討ち取られたばかりの闇の魔物を奪い返さんと斬り込んできた集団の中に、敵将フェイドオール・フェイスロンダ―ルを見つけ、先回りするよう、進路に立ちふさがった。
「見つけたぞフェイスロンダ―ル。亜人などに名乗る名はないが、一騎打ちでもやって遊ぼうではないか」
「ええい! キサマなどに構っている暇はない!」
「おおっと、つれないことを言うなよ亜人。お前もその魔物といっしょに北門に吊るしてやると言ってるのだ、わはははは! お前の女やガキと同じようにな」
耳障りな濁声がフェイスロンダ―ルの琴線に触れた。
「な……、いま何と言った?」
「なんだ? 聞こえなかったのか? お前のその長い耳は飾りか? おまえのオンナとガキを吊るした門に、そこで転がってる化け物と同じように吊るしてやるといったのだ。本望だろう?」
「きっ……キサマあぁぁっ! うおおおおおおおぉぉぉ!!」
軽装で普段から剣を持って戦ったことのない穏やかな性格の領主と、戦闘経験豊富な大男の一騎打ちである。勝負になどなるわけがない……。
「おおっと、一騎打ちというのは口上などを述べてから斬り合うものだぞ、亜人の中ボスどの」
などと、あくびが出そうな表情を見せると、フェイスロンダ―ル渾身の剣を軽くいなし、バランスを崩したところに足を薙いだ。
フェイスロンダ―ルは為すすべもなく地面を舐めた。
足の腱が斬られ、機動を奪われた。もう立ち上がることすらも困難を究める。いとも容易く絶体絶命の危機に追い込まれてしまった。
「軽いな。おまえの怒りとはそんな軽いものか。まあ、致し方なしといったところか。おまえの女は従順なイイ女だったからな、だが息子はダメだ。兵士たちの慰み者になっている母親を見ながら、ただ泣いて命乞いをするばかりだった。男だというのに戦おうともせずにだ。まったく亜人というのは誇りなど微塵もない。それで人と同じだなどと……よく言ったものだ。そうは思わんかね? 亜人の小ボスどの」
「……っ。こっ、この……、このおおおおおおぉぉっ!!!」
亡き家族の名誉すら奪われたフェイスロンダールは足の腱を斬られ、立ち上がることも出来ず、跪いたまま無様に剣を振り回す。
歴戦の勇士に向かって、そのように子どもが癇癪を起こしたような攻撃が通用するわけもなく、やすやすと剣を弾かれ、その手を踏み付けられると、ディッセンバー・ガスは落ち着いて剣を振り下ろし、手首から先を跳ねた。
「首は跳ねん。おまえはよく見える場所に吊るさねばならんからな……、後から来る魔王とやらに見てもらうがいい、糞尿を垂れ流し吊るされた姿をな」
それだけ言うと、ディッセンバー・ガスは剣を大きく振りかぶり、切っ先をフェイスロンダ―ルの胸に向けた。
一瞬のことがまるでスローモーションのように感じられる。
―― ドスッ……。
喉笛を噛み切ってでもこの男だけは絶対に許さんと決意したフェイスロンダ―ルの目に映ったのは、いまにも命を奪われようとする自分を庇い、捨て身で飛び込んできた妻と、その柔らかな胸から突き出た剣の切っ先だった。
覆いかぶさる妻は、息も絶え絶えに、縋るような言葉を綴った。
「ああっ、あなたは……、こんなところで命を落としてよい人ではありません……、どうか、どうか逃げおおせて……」
「あ、あああぁぁぁ、レグルス、レグルスゥゥゥ!」
「邪魔をするな! 興が削がれるではないか、亜人のメスめ!」
飛び込んできた女の背からゆっくりと剣を引き抜いて蹴り転がしたディッセンバー・ガスは、気を取り直し改めてトドメを刺そうとしたところで、なにやら強烈な違和感に気刈り付いた。さっきまで殺す側も殺される側も、大声で怒鳴り合っていた喧騒がまるで嘘のようにシンと静まり返っているのだ。
辺りは暖かい光に包まれている。
たったいま剣を引き抜いたばかりの女、傷口から血が流れていない。よく見ると服には剣を刺した痕跡が残っていたが、身体には一切の傷がついていないように見えた。本人も傷口を押さえて不思議そうな顔をしていて、たったいま確かに剣を握る手首を飛ばしたはずのフェイスロンダ―ルの手が、何事もなかったかのように元に戻っている。
これは? もしや治癒魔法? いや致命傷を治癒するほど早く、欠損部位を瞬時に再生させるほど強力な治癒魔法の使い手がフェイスロンドなどにいるわけがない。だが一騎打ちのルールを破り、誰かが高位の治癒魔法を使ったことは確かだ。
ディッセンバー・ガスは確信して術者を探す。背後を振り返ってみると、みな一様に空を見上げていて、神殿騎士の中には跪いている者までいる始末だ。なんと呑気なことを。ここは戦場だというのに。
いやしかし、たったいま領主のもとに辿り着くまでの道すがら、撫で斬りに倒してきた幾多の戦士たちも回復していた。戦いに敗れ、剣で貫かれ、意識を闇に閉ざせばあとは死を待つばかりだったような者たちも、みな起き上がろうとしている。
敵味方の区別なく、ここにいて傷を負った者、倒されたものの悉くが、柔らかな光に包まれて、いま正にゆっくりと立ち上がろうとしている。まるで死そのものを無かったことにするような、信じがたくデタラメな光だ。剣での蹂躙そのものを否定されたように暖かな光を受けた怪我人たちは、みな判を押したようにまるで自分の身に何が起こったのか分からないといった困惑の表情を浮かべていた。
それは異様な光景だった。
唖然としてしまい状況が把握できないでいるディッセンバー・ガスに話しかけたのか、背後から声が聞こえた。それは心に沁み込んでくるような、淀みのない清流のような、女性の声だった。
「あなたの剣は、何の力もない女を貫くためにあるのですか?」
ハッと振り向き、反射的に声のした方を見ると、信じられないことに少女が空に浮かんでいた。
眩しくはあるが目に優しい光を発し、見事なまでの真っ赤な髪を吹き上げながら、美しい佇まいを見せている、まるで神聖典教会の宣託の間でみた、神々しくも優しい目をした女神降臨の壁画を思わせる姿そのままに。
赤髪の少女の頭上に眩しい光の輪が顕現すると、シュパッと広がりを見せた。
同時に空気を切り裂いたような炸裂音がすると、地面に生えていた雑草がみるみる生長しはじめ、風を受けてざわめきだした。
空に浮かぶ赤髪の少女は、優し気な微笑を浮かべる壁画に描かれた女神とは違い、その瞳に深い悲しみを宿していた。
とてもとても、悲しげな表情だった。
呆然とするディッセンバー・ガスは空中に浮かんで光を放っている赤髪の少女が、自分に向けて話しかけていることに困惑する。
「あなたには人の心がないのですか? 赤い血が流れているのですか?」
そんな高い位置から、まるで可哀想な人を見るかのように、悲しげな表情での問いに、ディッセンバー・ガスは答えることはできなかった。
赤髪の少女は悲しげな表情のまま、強い言葉を吐いた。
「このような非道な行いはこのジュノーが許しません。何人たりとも」
死そのものを否定するかのように、見渡す限りの怪我人が治癒された異様な戦場で、柔らかな光を発しながら空に浮かぶ赤髪の少女は、自らをジュノーと名乗った。




