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02-12 ふたり旅

20170728 改訂

20180729 修正

20210730 手直し



 アリエルとパシテーはポーシャに見送られて街に出た。ノーデンリヒト関所へ向かう前に行っておきたいところがある。

「パシテーちょっと寄り道していくから付き合って」


 マローニ南東の外れ、工業区に隣接した外側にノーデンリヒト避難民キャンプがあった。

 掘っ立て小屋のような住居で精度は出てないが、これでも避難民たちが一生懸命土の魔法を駆使して作った住居だ。井戸がないのでアリエルに時間が取れる日だけは水の魔法を使って必要な水を配給しようかと言ったのだが、それは拒否された。少し離れたところに水場があるので、それを利用するとのことだった。水汲みも毎日だと生活に不自由が生じるけれど、それでもいいという。


 早朝から騒音のする工業区に隣接するこの区画は耕作地としての開墾が遅れていて手つかずの状態で残されていることに目を付け、シャルナク代表から許可を得て、避難民たちはここで農業を営みながらノーデンリヒトが再び解放される日を待つことにしたんだ。


「あ、アリエルさま!」

 難民キャンプでノーデンリヒト領民がどやどやと集まってくる。

 あの盗賊たちとの一件から、アリエルは人気者になってしまったようだ。まあケンカが強い番長にでもなった気分とでもいえば分かりやすいかと思う。


「不自由かけて申し訳ないです。これ、ノーデンリヒトのガルグですからね、美味しいですよ」

 アリエルは三頭のガルグと一頭のモウを出してノーデンリヒト領民たちに贈った。


「おおおおおっ!!ありがとうございます。今夜はみんなご馳走にありつけそうです」


 穀物はとりあえずマローニにも備蓄があるのでそれを提供してもらっている。

 だけど襲撃してきた盗賊たちを死なせてしまったことから冒険者ギルドではBランクとCランクの依頼が山積み状態になっていて、特に食肉関係が高騰している。マローニ市民ですら食肉はあまり口に入らなくなっているのに、避難民に配給が回ってくるわけがなく、いまは食事のバランスを保つことすら難しい状況にある。そんな折にアリエルが出したのはガルグネージュという最高級ノーデンリヒト産のガルグだった。


 だいたいボトランジュの食肉は、野牛モウの肉が一般的だった。

 だけどノーデンリヒトでは鹿ディーアやガルグが多くて、独特の癖がある鹿肉は干してジャーキーにしてもいいし、脂っこいけど、その脂が甘くて霜降り部分の多いガルグなんか、高級ステーキハウスで出しても遜色のない美味だ。ガルグは猪と牛の中間のような肉なんだけど、この世界はガルグ肉が牛肉よりも値段が高く、美味しいとされている。


 250キロはあろうかという大物ガルグネージュを三頭だから、たぶん2~3日は肉食えるだろう。


「また何か困ったこととか、必要なものがあればベルセリウス別邸まで知らせて。ポーシャに伝えといてもらえれば俺の耳に入るからさ」


 アリエルの寄り道というのはただこれだけ、ノーデンリヒトの避難民にガルグを3頭渡したかったという、それだけのことだった。

 

「さてと、パシテー、ぼちぼちスケイトやりますか」

「……ねえ、あのお肉……、いたまないの?」

「いたまないんだ。たぶんストレージの中は時間が流れてないんだと思う。だから出来立てのアツアツ料理をストレージにしまって何か月たっても、取り出したときはアツアツなんだ」


 パシテーは魔導の教員だ。ストレージ魔法の仕組みを知りたくてきっと今も頭の中で起動式をどう組み立てたらいいのかなんてことを考えているはずだ。

 だけどパシテーは素朴な疑問を呈した。誰もが持っている常識のようなものに対する疑問だ。


「…………時間って流れてるものなの?」

 誰もが当たり前のように持ってる時間に対する感覚に、根本的な部分から疑問を突き付けたパシテーの難問だった。


「その質問に対する答えを持ってないんだ。時間なんて本当はないのかもしれないよね。誰も見たことがないし、そもそも人によって感じる長さが全然違ったりする。それでもストレージの中では常温でいつまで置いてても肉がいたまない。魚もね。だからストレージはたぶん、ストレージの中という表現を使うよりも、俺たちが今いる世界の外に出していると考えたほうが、より近いのかもしれないよ」


「うう、兄さまの言ってることの半分もわからない……」

「そりゃそうだろ、今話した内容は、俺にもよくわからないという意味なんだからね。……それじゃあ、始めようか。昨日、スケイトを風魔法で浮かんでたろ? でも俺のスケイトは土の魔法だったね。もう起動式なしでやってみて」


「もう、無茶振りなの」

「だって起動式なんかないんだよ。……よくみてて」


 アリエルはパシテーにも分かりやすいようスケイトを起動してみせた。土の魔法を地面に向かって展開し、自分の身体を持ち上げるように、フッと浮かぶ。この時足の裏から地面までの距離はおよそ25センチだ。


「絶対に防御の魔法は切らさないこと。絶対だよ。転んだら大けがで済まないかもしれないからね。これはとても大事な事なんだ。なによりも大事だからもう一度いうよ。絶対に防御の魔法は切らさないこと」


「兄さまずっと防御かかってるの」

「師匠に寝てるときもずっと展開してろって言われてね、何だかんだで3年ぐらい、防御は切らさず、ずっと張りっぱなしだよ」

「師匠……、厳しすぎるの。でも兄さまの強さの秘密、少しだけ分かったの」


「強化魔法セットを張って。防御強化と筋力強化」

「うん」


 流れるように両手の指で起動式を入力して、術式も短縮で、パシテーの全身を包み込むけっこう強固な強化セットが張り上がった。見事としか言いようがない。少し強化の方が強くて防御が弱いかな? と思ったが、スケイトで滑るだけなら問題ない強度だ。


「早いし正確だし、強化も強いね。これどれぐらいの時間もつの?」

「4時間ぐらいで息切れするかも」


「じゃあそのまま、目を閉じて、マナの流れを感じるんだ。集中だよ……」

 アリエルは集中しているパシテーの手をそっと握り、遠慮なくマナを流し込む。パシテーのマナの流れがよくないことはアリエルのマナがうまく流れて行かないことでよくわかる。マナも血管を通って血液と混ざり全身を駆け巡っていることが手に取るようにわかる。パシテーの身体はマナの伝導率が高い、これは魔導の才能に直結する重要なことだ。


 そしてアリエルは自らのマナを使ってパシテーの足下あしもとに土の魔法を展開すると、こんどはパシテーの身体が25センチほど持ち上がった。


 おおっ、パシテーが美しい。パシテーにだけ風が吹いてる。髪が柔らかく吹き上がって恍惚の表情を浮かべている。まさかダメージ受けてないよね? 痛いことなんかしていないと思うんだけど。


 アリエルはストレージから荷造り用のロープを出し、パシテーと足首を合わせて結んだ。


「二人三脚だからね、しっかり肩を組んで……はい、気を合わせて、じゃあいくよ……はいっ、右っ!」



―― ズベッ!


 ……二人揃ってバックドロップ気味に真っ逆さまに転んでしまった。

 防御魔法のおかげで大した痛みはないけど、まさか一歩目からスッ転ぶとは……。


「俺が右のときパシテーは左じゃーん……」


「兄さま右って言ったの!」


 二人三脚である。アリエルが右足を出すなら、パシテーは左足を出さないとバランスが崩れてしまって一歩目から転ぶことになる。


「ごめんなさい兄さま、マナ流れ込んでくると集中力が……」


 転んだ原因はアリエルとパシテーが同じ法の足を出してしまったせいで


「じゃあ内側がイチ、外側が二でいいね」

 パシテーの肩の抱いて、いますこしドキドキしている。身長差がないので妙に決まるのだが。……ってか、筋肉がほとんどついていなくて、首も肩も何もかもが細く感じる……。


 いや! いかんいかん!


 気を取り直して平常心を取り戻し、パシテーの身体にマナを流し込み、さっきと同じように土の魔法を展開すると、スケイトが起動した。


 時折パシテーは ビクッ! ビクビクッ! と身体を震わせながら、一瞬だけ急に大人びて色っぽくなった。少し花びらを散らし、自らの美しさを主張しようとする。魔女と呼ばれるのはこういうことかな? と変な妄想を掻き立てられるほどに、パシテーの何かを我慢するような表情に魅入られた。


「パシテー、わかる? 俺のマナを感じる?」

「……んっ」


「進むよ、内側から行くよ、[スケイト]はバネのように押し返してくるから、その力を利用して前に進むんだ。スイスイと滑るように、そう、俺のマナの使い方を感じて」


「……んっ、すごい。すごいよ兄さま」


「スピードを上げていくよ、強く蹴って前に進むだけ。そう。もっとグングン加速しよう。いまだいたい時速60キロ。この速度を維持出来たら8時間ぐらいで関所につくからね、この魔法は、土の魔法。マナを足から地面に展開して、それに強化魔法を重ねるんだ。そう、岩を持ち上げる魔法、土木工事で土を掘って積み上げる魔法、その力で自分の身体を持ち上げているだけ。マナの出し方、使い方を感じて……。魔法に属性なんてないってのは師匠から聞いてる?」


「うん、弟子の話として、こういう考え方もあるって聞いたの」


「そう、属性なんてあまり意識する必要ないんだ。得手不得手はあるけどね、土の魔法っていうのは、体と地面を繋ぐマナを生やして、それで重いものを動かしたりするだけの魔法なんだ。マナの出し方、マナのコントロール、マナをどう使うか……実は起動式ってそれを誰でもできるように文書化したものなんだ。だから、それをすべて自分で制御できるなら、起動式なんていらないんだよ。それが俺の無詠唱の秘密。ほら、[スケイト]は簡単だろ? 集中して。イメージすることが大切なんだ」


 どれぐらい滑行かっこうしたろうか、無言で、ただ無心になってマナの流れをコントロールしようとするパシテーから少しだけ、ほんの微量のマナの放出を感じるようになってきた。


「パシテーのマナを感じるよ。そう、パシテーが自分のマナをコントロールしてるんだ。それでいい。間違ってない。疲れてない? 休憩しようか?」


「……ダメ、このまま、この感じを身体で覚えるの」


 とは言ったものの、それから10分もしないうちにパシテーは集中力を欠き、フラフラするようになってきた。パシテーの防御と強化魔法の限界時間が近い。マナの微調整がきかなくなってきたようだ。


 マナ切れというよりも集中力切れだろう。


「お疲れさま。今日はここでキャンプにしよう」


 アリエルたちは街道を少し外れたところ、見晴らしのいい丘の上に大きな広葉樹の木があったので、そこの木の下をキャンプ地に決めた。周囲に人の気配はない。

 止まって[スケイト]を解くとパシテーは崩れるようにへたり込んでしまった。


 地面に突っ伏してもパシテーは何かブツブツ言いながら、まるで自分に何か言い聞かせるように精神集中を解こうとしない。無詠唱でのマナの操作を忘れないよう身体に叩き込んでいるようだ。


 実は魔導の鍛錬ではこの段階こそが一番大切なのだそうだ。

 パシテーの邪魔をするようなことはせず、そこに座らせておいて、キャンプの準備をすることにした。

 土木工事の魔法で、二人入ってすこし余裕のあるドーム状の建造物を作った。アリエルはこれを見た目そのまま『カマクラ』と日本の東北地方で作られる雪洞工作と似ているので、そう名付けた。


 師匠は四角いカドのある、図面を引いても正確な建物を好むが、アリエルは風雨にびくともせず、盗賊に囲まれ、たとえ矢が飛んできても弾くこの形状を採用することにした。


 扉や煙突の笠、窓などのパーツセットは[ストレージ]に入ってる。アリエルは日本に住んでた頃からアウトドアは不自由さを楽しみたい派なので、これまではお手軽快適に野外宴会アウトドアなんて否定していたのだけれど、ここは日本じゃない。猛獣も居れば盗賊もいる。途中で帰りたくなったとしても電車もバスもない。


 旅の疲れは翌日に持ち越さないよう、一晩ぐっすり眠って疲れをとるために、快適性は絶対に外せない要素なんだ。


 女の子と一緒の旅なので、トイレも設置。

 扉は難民護衛の時に使った別の扉があったのでそれを使った。


 あ、風呂も忘れちゃいけない。パシテーは毎日風呂に入れてやれとビアンカに言われたばかりだったのを思い出して、急遽カマクラの隣に密閉型の風呂(脱衣所付き)を作ることにした。これも難民たちと旅をしたとき毎晩作ってやったシャワーに風呂桶を追加しただけのものだ。


「パシテー、先に飯にしよう。風呂はそのあとな」

「う――――。だるいのー」


 クレシダに切り分けてもらってたガルグの肉があるので、夕食は簡単にそれを焼くことにした。穀物はたくさん買っておいた焼きたての白パンを出してやった。お弁当を持ってきたピクニックのようなものだ。


「あっ……お肉、おいしい……」


「だろ、これガルグネージュ。ノーデンリヒトのガルグなんだよね。これが三頭で1ゴールド5シルバーで売れる」


「私の1か月のお給金よりも多いの」

「じゃあ帰りにちょっと捕って帰ろうか。避難民にも分けてあげて、残りは売ろう」

「うんうん。火耐性のついたローブ欲しいの」


「ぐはっ……、ごめんね、焼き殺そうとして」

「もう熱いのイヤなの」


 もう燃やしたりしないつもりだったけど、魔法の鍛錬をするのに模擬戦をしないわけにはいかないので……。1ゴールドの耐火ローブを買ってやる約束をした。


 ちょっと頑張ってガルグ狩りをしないといけなくなった。


「うん、じゃあ依頼を二人で受けて、稼ぎでローブ買って、残りは山分け。それでいいね。12頭ぐらいとって帰れば、ギルドに6頭、避難民に4頭、自分たちの食べる分に2頭。あ、関所の兵隊さんたちにも何頭かおいていかないとだから、15頭は要るか。狩りだけで1日かかるな」


「え? 1日15頭も? えーと、計算が……」

「7ゴールド5シルバー」

「兄さま、甲斐性あるの。10歳にしてお嫁さん5人は養えるの!」


「さすがに毎日それだけとってたら値段も下がるし、ガルグも居なくなるからね……。そろそろ風呂はいる? 着替えの入ったカバンはカマクラの中にあるよ、お湯は出せる?」


「お風呂? わたし水魔法得意じゃないの。そんなたくさんの水は出せないの」


「ああ、いいよ。お湯はっとくから5分したら出てきて」


 アリエルは風呂に水を転移させて[ファイアボール]を突っ込んでお湯を沸かすことにした。

 ボッコングラグラとものすごい勢いでお湯が沸いてゆく。いつまでも冷めない焼石を水に投入したような感じだ。


 ちょっと魔法が使えるだけで、アウトドアはこんなにも快適に、そして味気ないものになってしっまうという代表例のようまものだ。


 日の入りまでもう少しあるし、200メートルほど北に行った林にいくつか気配がある。

 たぶんディーアだ。パシテーが風呂から出たらあれとってこよう。


「パシテー、石鹸つかうと廃水捨てるの困るからさ、旅の間はお湯だけでね。はい、これ手桶」

「ん、ありがとう」


 パシテーはお風呂の建物に入って扉を固く閉ざした。今きっと脱衣所で服を脱いでるところだと思うけれど、残念ながら覗きイベントはない。


 覗きイベントと温泉イベントはセットのはずなんだけど、ダメだダメ。

 アリエルは心の中で念仏を唱えるように繰り返した。ダメだダメ。ダメだダメ。絶対ダメだと。


 アリエルは中身28歳のアラサーで、言い換えれば男盛りの真っ盛り。いつでもさかりの付いた野獣のようにガオー!って変身することができる。まったく、16歳の美少女と二人旅をするってのに、いつまで我慢できるのか正直いって分からない。


 こんな時は座禅でも組んで無の境地を探究するのに限る。

 草原にどっかりと腰を下ろし、沈みゆく夕陽に向かって禅を組み、瞑目して精神を統一し始めた。


 心地よい風が頬を撫でる。

 日が長くても、いまは夕刻。早足でひたひたと夜が近付いてくる。真っ赤に燃え上がる西の空とは対称に、徐々に藍が降りて星が輝きだす東側。絶景のグラデーション、これは最も好きな時間帯、マジックアワーの色だ。


 前世、嵯峨野深月さがのみつきだった頃から、海岸の消波ブロック(テトラポッド)に腰かけて、ただ沈みゆく太陽を眺めていると、背後からは夜が忍び寄るこの時間帯、暗くなってから家に帰って、親や妹に心配かけて怒られても、風を受けながら、この逢魔が時の空を眺めるという変な癖は治らなかった。


 そのうち真っ暗な中、テトラポッドを飛び渡って妹が迎えに来るようなり、いつの間にかそっと忍び寄り、気付かないうちに隣に座ってたりもした妹の悪ノリも今となっては懐かしく感じる。


 あー、真紗希まさきいまどうしてっかなあ……。などと日本に残してきた家族のことを思い出す。

 夕焼け空を見ていると、ある種のノスタルジーを呼び起こすトリガーになっていることに気付いた。


 ここの景色は日本のように、堤防もテトラポッドも団地も街灯もなにもない。今のようにちょっと小高い丘にキャンプを張ると、視界全部が絶景になる。アリエルはこの素晴らしい眺望を独り占めにしながら、心地良い風を浴びて、今日の旅の疲れを癒している。


 ついこの前までは、この世界に絶望していて、日本とは隔絶した異世界に生きていることへは後悔しかなかったのだけれど、パシテーという旅の伴侶ができただけで、アリエルの旅は心躍るものとなった。


 これから何十年も生きる先にも、まるで希望が見えているかのように感じた。


 アリエルが転移魔法を見つけるのが先か、それともパシテーが女神とやらを倒して世界を滅ぼすのが先か。


 転移魔法に失敗して死ぬか、世界を滅ぼそうとして逆に殺されるか。

 日本に帰れるか。


「んー、悪くない」


 顔がにやけてくる。これが失笑というものなんだろう。


 ガチャッと風呂の扉が開いて、ホカホカになったパシテーが出てきた。体から湯気が立ち上っている。

 ブルネットの美しい髪が洗い髪で濡れていて、黒く黒く、艶があって、とても色っぽく見える。


「兄さま、お先にいただきました」


「中に布団敷いてあるから、先に寝てていいよ。俺、ちょっとあっちの方にいる獲物をとってから風呂に入るからさ。あ、周辺に人は居ないからね。安心だよ」


「なんでわかるの?」

「気配を感じるんだ。なんとなくわかる」


 周辺に人がいないと聞いたパシテーは少しほっとしたような表情を見せた。


「そう。私眠いの」

「うん、おやすみ。先に寝といて。おれも風呂に入ったら寝るよ」

 それだけ言うと、アリエルは[スケイト]を起動し、気配の先に狩猟に出た。


 パシテーはカマクラに入ると、布団が一組しか敷かれていないのに困惑する。

 鈍いふりをして誤魔化してはいるが、もう自分はこの女ったらしの悪い魔法使いに、たらし込まれたんじゃないかという考えが頭を持ち上げてくる、でもそれを否定したい一心で首を横に何度も振った。


 10歳、顔は幼い子どものくせに、中身は男盛りのアラサーというチートな兄弟子。

 幼い横顔から醸し出されるのは、落ち着いたアラサー男の雰囲気、これだけでも相当ヤバいのに、肩を抱かれてマナを流し込まれると身体がしびれて、心地よさに頭がぼぅっとしてしまう。


 仮にもブルネットの魔女と称された天才が気付かないわけはない。

 アリエルのマナには弱いが魅了の効果がある。それに気付かずに遠慮なく流し込んでくるあたりが最悪なんだ。意識しないふりをいつまで続けられるのかと、自問自答しながら、ごろりと横になった。


 もちろん一組しか敷かれていない布団だ。

 アリエルが入る分スペースをあけて毛布をかぶると目を閉じると嫌なことが頭をもたげてくる。

 兄弟子は思い人に自分の思いを伝えるために、命を懸けて異世界転移をするといった。


 なんというロマンチックな話だろうか。この世界を支配するヒト族という種族に生まれ、そして更に幸運なことに大貴族の家に生まれた。そんな誰が願っても手に入らないような幸運を全てかなぐり捨ててでも、自分の好きな女に会って、思いを伝えたいというのだ。


 パシテーは16歳になるまで人を好きになったことがなかった。愛を知らずに育ったパシテーでも、アリエルのその思いの深さには溜息が出てしまう。


 パシテーは異世界に帰るその手伝いをすると約束してしまった。もし兄弟子を愛してしまったら、安全性が確かめられていないのに異世界転移なんてさせられる訳がない、思い人に会うことを素直に喜ぶなんて出来ないのだから。


「やっぱり兄さまはずるい」


 そう、ずるい男にひっかけられてしまった自分が愚かなだけ。

 でも、今日、ずっとアリエルに抱かれながら滑行してきたこの世界、あんなに憎んでいたこの世界が明るく見えた。この世界に生まれてきて良かったのかもしれないとすら思えた。


 まったく、どんな心境の変化なのだろうか?

 たった1日。本当にたった1日で自分の世界そのものが変わってしまった。

 価値観もひっくり返った。


 パシテーはこんなにも愚かな自分の事を好きになってしまったようだ。


「やっぱりずるいの」


 外から物音が聞こえる。アリエルが狩りから戻ってきたようだ。

 獲物の血抜きを手伝いに出たいのだけれど、全身がだるくてもう起き上がる気力がない。先に寝ておかないと朝まで眠れない気がする。


 明日はマナの流し込みをやめてもらって、できるだけ自分のマナで滑行しないと……。


 全身の倦怠感に任せてパシテーは意識を手放し、深く深く眠りに落ちた。




----


 アリエルはパシテーの気配がカマクラの中にあると知るや、ちょっとドアを開けて覗き込み、寝ていることを確認すると、まずは風呂に入った。


 二人旅というのは気ままなことはさすがに制限されるが、それでも自分の道連れになってくれる人が身近にいてくれるだけで、随分と心強い。


 風呂からあがると、アリエルは全裸のまま、もう真っ暗になって星がさんざめく空を見ながら、昔、嵯峨野深月さがのみつきだった頃に好きだった日本の流行歌を口ずさんだ。別に昔を懐かしんだわけでもなく、思い出に浸っていたわけでもないのだけれど、つい口をついて出てしまった。なんだか悲しい歌だ。


 こういう曲は口に出して歌うよりもハーモニカで吹いた方が味が出る気がする。

 黄昏行く空の下で、セピア色の音色を風に流せるのだけれど。

 こんど街に戻ったら楽器店に行ってみよう。あの物悲しい音色が恋しい。


 身体を拭いて服を着替え、そっと木扉をあけてカマクラに入るとパシテーは薄い毛布を蹴飛ばしてはいたが、アリエルが寝られるようスペースを開けてスヤスヤと寝息を立てていた。


 いくらなんでも一緒の布団で寝るわけにはいかないので、アリエルは狭いカマクラの中、布団の敷いていない地べたで仮眠することにした。


 どうせ周辺の気配を探りながら寝るんだから熟睡なんて出来ないのだし。


 さてと、蹴飛ばされた毛布をパシテーのお腹に掛けてやって土間にゴロリと横になると、しんと静まって音のない狭い空間、パシテーの温かな寝息が耳に心地よく響いた。


 うん、悪くない夜だ。


 アリエルはロウソクを吹き消して、真っ暗闇になったカマクラでそっと目を閉じた。



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