14-06 風に向かって立つ男
「ほんっと風に向かって立つのが好きよね、高いところが好きなの? それとも風が好きなの?」
逢坂が塔のてっぺんまで登ってきて、その開口いちばんこれだった。
「んー、風は季節を運んできてくれるからね。いま秋だから、ここは東風が吹いて、豊穣の実りを届けてくれるし、もうすぐ北から冷たい風が雪を運んできて冬になる。夜半からの風は冷たく吹くからブランケットをかけといてね。もう朝方になると息が白むから」
そう言うとアリエルはブランケットをストレージからそっと取り出して逢坂に手渡した。
この場にはゾフィーを始め、アリエルの関係者を除くと、逢坂と、あと人とは言い難いオートマトンのイカロスが突っ立ってるだけだ。さっき少してくてくが顔を出したけれど、逢坂の顔を見て挨拶もせずにまた引っ込んだ。ここでアリエルは、相転移の魔法を使うでなく、アウトドア用のガスストーブを使って直火で湯を沸かし、ティーバッグの紅茶を淹れてあげた。ティーカップではなく、大きめのマグカップで、しかもティーバッグは放り込んで、糸をぶらぶらさせたまま手渡した。そんな大雑把なお茶を淹れてやるあたり親しい間柄だと言うことがわかる。
逢坂は少し冷たくなった手のひらで受け取った熱々のマグカップを包み、両手を暖める。
「ありがと。いただきます」
白い湯気が立ちのぼるマグカップに口をつけた逢坂、猫舌なのだろう、その熱さに少しむせっ返りながらも呼気で冷ましつつ飲んでいる。
アリエルも同じようにマグカップに淹れた紅茶で息を白くしながら逢坂の横顔を感慨深げに見つめていると、逢坂は星の上がってくる方から天頂に繋ぐ銀河を見上げながら、横目にアリエルを見て言った。
「はあ、美味しい紅茶。スヴェアベルムのお茶には慣れないのよね、私はダージリンが好き。ねえベルフェゴール……いいえ、アリエル? でいいのかな?」
「なんでもいいよそんなの」
「じゃあベル、あなたはここでの戦いをどう戦って、どう勝利して、どう終わらせるつもりなの?」
……。
……。
アリエルは答えられなかった。そもそも自分から戦争を吹っかけた訳でもなければ、好きで戦ってるわけでもない。ただ攻めてくる奴らがいるからそいつらを撃退して、撃退して、キリがないからその大元を叩くという方向に舵を切りなおしただけだ。そりゃあボトランジュの戦士たちには花を持たせもしたけれど、それはボトランジュ人が我慢強く十年以上にも渡ってひたすら大軍に攻められるのを防衛し続けたからだ。数十倍の戦力に包囲されても音を上げず、自らの誇りを貫き通したからだ。その矜持は尊敬に値する。だからこそ、アルカディア人に街を取り戻してもらったなんて屈辱的な歴史にはさせたくなかっただけだ。
何も答えないアリエルに、逢坂は言葉を重ねた。
「スヴェアベルムは敵。私たちの故郷を滅ぼし、キュベレーを奪った。それなのにあなたはスヴェアベルム人として、ここに暮らす人たちのために戦っている。いったいどういう風の吹き回しですか?」
アリエルは逢坂の言葉の意味を理解した。
過去の神話戦争では、故郷を滅ぼした者たちに報復しながらヘリオスを追っていただけだ。特に何も考えないで目の前に立ち塞がる敵と戦ってきたにすぎない。何度も負けて、何度も倒れて、何度も命を落としたがそれでも真の死が訪れることはなかった。そうやって長く長く、永遠にも思える時を戦っているうちに、戦いの目的を忘れてしまったのか? と逢坂は問うているのだ。
「……国を滅ぼされた俺には、もう戦いに勝っても帰る場所がなかったんだ。だけど、今はここに帰りたいと思ってる」
「日本はどうするの? 両親もいるでしょ?」
「戦いが終わったら、みんなをここに呼ぶよ」
アリエルはここで生まれてこの世界で育った。
日本と比べたら医療も進んでいないから風邪を引き拗らせただけで死につながるし、村から一歩でも出るとモンスター級の野獣がいるわ、盗賊の類は跋扈するわ、軍隊が町を襲ったと思いきや女だけ奪って売り物にするなんてことが平然と行われているクソみたいな世界だ。出会った頃のパシテーがこの世界を滅ぼしたいと言ったその言葉のままだ。もう7割が滅んでいる、残ったこの狭い地域の、あと半分ぐらい滅ぼしたところで大差ないようにも思える。
しかしアリエルはその力がありながらそうはしない。帰る場所はここなんだ。
この、スヴェアベルム人の土地を第二の故郷と決めて。
欄干に座ってアリエルが困らされているのを見ていた真沙希が話に割り込んできた。
「兄ちゃんの考えは分かった。でもさ、兄ちゃんテルスが来るのを待ってるって言ったよね。テルスが来たらこんな所いっぱつで滅ぼされちゃうわよ? どうするのさ」
「ここでは戦闘しない。テルスがここに現れるってことは、転移魔法を使ってくるに決まってる。転移魔法ならゾフィーがトレースして転移元の世界に行けるし、転移魔法陣を使ったのならそれを見つけて堂々と転移門から乗り込む! ……んんっ? どうした真沙希、花の女子中学生が口あんぐりじゃみっともないぞ」
「開いた口が塞がらないの! ほんと頭痛くなってきた……、何その行き当たりばったりの作戦。兄ちゃんもしかして先の事なにも考えてないの? もしかしてあのテルスを舐めてるの? ねえジュノー! 勝算あるのよね? 」
いきなりジュノーに話を振る真沙希。兄のいう事はもうアテに出来ないので、少しでも話の分かりそうな人に応えてもらおうと言う腹積もりだ。
しかしジュノーは小さく何度も何度も首を横に振ってその問いに答えた。
「真沙希ちゃん知ってるでしょ? この人はこういう性格なの。作戦は考えるんだけどね、だいたい作戦通りに行かなくて、いつもボカーン!」
「はあっ? ……アシュタロスってば戦時中は神出鬼没だったよね? ピンポイントでこっちの裏をかいてきたよね? あれも?」
「ねえあなた、わたしたち裏をかくようなことしたっけ?」
「さあ……。俺たちはコソコソとできるだけ見つからないよう戦闘を避けつつアルカディアかニライカナイへ向かう転移門を探してただけだったよな?……どうした真沙希、頭でも痛いのか?」
「頭痛がするの! アシュタロスの侵攻を防ぐために毎日毎晩寝ずに喧々諤々の作戦会議してた連合軍の苦労が……まったく意味なかったってことが分かったわ……」
つまりこういう事だ。
アリエルは作戦を考えて、その作戦通り遂行する能力がとても頼りないと。
なまじ爆破魔法なんて規格外の破壊力をもつ魔法を無詠唱で発動できることから、失敗してしまいそうな作戦を一発でひっくり返すことができたし、多くの作戦を失敗して、悉くを爆破魔法で切り抜けてきたと、それだけの事だ。
逢坂がアリエルに問うた、この戦いをどう戦い、どう勝利し、どう終わらせるのかなど、プランとしては薄ぼんやりとしたものがあるにはあるが、はっきりとしたビジョンがあるわけではない。
ダリル倒してアルトロンド倒して、国王ぶん殴って、そのあと帝国をボコってやろうぐらいにしか考えちゃいなかった。
何と答えればいいのか、ちょっとまってというジェスチャーで応えるアリエルに、呆れるでなく、にっこりと微笑んだまま逢坂は、やっぱりベルフェゴールはそうでなくちゃ!とでも言わんばかりに、うんうんと大きく頷いてみせた。
「んっ、わかりました。じゃあ私から提案なんだけど、いいかな?」
「いいよ、言ってみて」
アリエルは今後の戦局を左右する提案だと言うのに、軽く雑談をするように安請け合いをしてしまったようだ。その後聞かされる内容の重たさに驚くのだが。
「実はこのオートマトンのイカロスね、アシュガルド帝国の弟王、エンデュミオンの密命を受けて単身でここにくるつもりだったらしいの」
「こいつがここに来るの? ひとりで? 無理だろ。セカ港で起こった騒ぎそのまんま、あちこちで起こすことになる。有名人なんだ、面が割れてんだよ」
「そうなの、そんな無理難題を押し付けられてシェダール王国に入る予定だったんだけど、途中でちょっと私と話をしたから運よくいまこうやって塩人形になってるわけ。……でね、その密命というのが、嵯峨野くん、あなたに力を借りたいから、うまく丸め込んで手を組もうということなの」
「力を借りたい? 帝国軍と手を組む? イヤだよ、積極的にお断りだ。どういう経緯でそうなったかは知らんけど、その男はサオを殴った。塩人形にされていい気味だ」
「師匠! わたしが殴ったら手首を思いっ切りぐねっちゃいました。捻挫させられました! 痛かったです! もっと言ってやってください、仇を討つのが無理ならこの際です、言葉責めにしてやってくださいっ!」
「んー、じゃあ土下座させようかしら?」
「いらないよ。意思のない塩人形の土下座なんて見せるなよ。そんなの気の毒でしかないしな! そもそも、なんであの弟王とやらが俺の力を借りたいんだよ?」
「はい、よくぞ聞いてくれました。実はあの弟王、帝国でクーデターを計画してるのよ。過剰に勇者を召喚して自らの指揮する帝国第三軍に編入していたのもすべてクーデターの布石なんだって」
「関係ないな。自分らでやればいいじゃないか」
「それがさ、20年ぐらい前の話らしいのだけど、どこか北の僻地に魔族が攻めてきたせいで女神教団から戦力を出すように言われて、仕方ないから一番強いのを出したらどこぞの無詠唱の魔法使いと魔人族のお姫様に倒されて……灰になったらしいの」
……。
キャリバンのことか。
どこぞの無詠唱の魔法使いってのにも、魔人族のお姫様ってのにも心当たりがある。
アリエルは言葉に詰まってしままった。
チラッと横を見るとロザリンドはあさっての方を向いて口笛を吹いてる。この件では話しかけるなと言う意味だ。
「えーっと、戦力を出さなければよかったんじゃない……かな? そしたらノーデンリヒトもマローニももっともっと平和だったかもしれない」
「勇者召喚は教団の管轄だし、女神教団の要請があるとアシュガルド帝国トップの皇帝が、第三軍を束ねる弟王エンデュミオンに命令を下すの。皇帝の勅命だと断れないわ」
エンデュミオンは第三軍のトップだというのはなんとなく分かってたが、なるほどそういう事かと溜飲の下がる思いだった。エンデュミオンが第三軍ってことは、当然二軍も一軍もあるということだ。
「……ちょっとまて、じゃあ中山や瀬戸口たちがクーデター軍として帝国に反旗を翻して最前線で戦うってことか?」
「ん。そういう事になるわ」
「おいおい、皇帝の側近にはクロノスがいるんだ。中山たちは皆殺しにされるぞ?」
「そうならないために私はここに来ているの。中山くんや瀬戸口くんたちは、クーデターを起こすと皇帝直下第一軍と剣を交えることになる。ねえベル、今回のループではあまり仲がよくないけど、あなたと中山くん、仲が良かったループ何度もあったわよね、春日さんは帝国に残ることを選択しました、過去のループで何度かあなたの事を好きになったけど、その気持ちを告白することができなかった。でも、遠くからずっとあなたの事を見ていましたよ。あんなに健気に恋してた女の子を見捨てるなんてことないわよね? ……弟王エンデュミオンは勇者の力を過大評価し、そして皇帝直下第一軍の戦力を過小評価しています。このままでは……」
「あーもう、くっそ! 腹立つなあ」
中山とは確かに過去のループで仲良くしてたことが何度もあった。中山は覚えてないだろうけど、アリエルはハッキリと覚えていた。中山が努力家だったこと、思慮は浅いが、基本的に正しいことを優先する人間だという事も知っている。あの春日が自分の事を好きだったこともあるなんて初耳だったが、それも悪い気はしない。
「わかったよ。中山たちを助けることには手を貸す。だけどクーデターには興味ないからな」
「ありがとうベル。さすが私の弟ね、優しい子。そう言ってくれると思ってた」
「脅迫じゃん! 人質取られた気分だよまったく!」
「ちょおっと待って!」
話を止めて間に割り込んできたのはジュノーだった。
「ねえあなた、何に興味がないって?」
「ク……クーデターだけど」
「春日には? ねえ、春日には興味あるの?」
「ないよ! 春日にも興味ないからな!」
「ほんとうに? なんか怪しいんだけど。だいたいあの子さ、遠くから見てるだけでドキドキしてますなんてオーラ丸出しでベルのこと見てたしさ、浅井たちと仲良くしてたのももしかするとベル目的だったんじゃないかって邪推してしまうほどバレバレだったし」
「俺まったく気が付かなかったってば! なにそれ? 俺が悪いの?」
「悪いっ! 中山たちを助けるのはいいけど、春日には接近禁止。2m以上近付いたら口きいてあげないからね」
「ひどい! ジュノーがひどい! 俺が何をしたってんだ! ルー、何とか言ってくれよ、ほら小姑の権限でそんなこといってベルちゃんを困らせちゃいけませんとか何とか」
ルーはほっこりと温かい笑顔をジュノーに向けて独り言のようにこぼした。
「んー、いいね、青春してるねぇ……」




