14-03 疑惑
ゾフィーと逢坂先生のやり取りを見ていたサオがこれでもかってほど嫌悪感を前面に押し出した表情を見せた。とにかく粉々に散ってもフィルム逆回しのようにサラサラと軽い音を立てて復活したイカロスを見てドン引きなのである。
サオは戦闘の構えを解かず、次の爆破魔法を握り込んだままアリエルに助けを求めた。
「うー師匠! 私どうすればいいですか? 気持ち悪いです」
「ああ、どうもしなくていいぞ。この人たちは敵じゃない。そうだろ? 観空寺」
観空寺西夏は戸惑いながらも言葉をかぶせるように応える。
「敵って何? だって私たち何もしてないし! 私たち船でここにきたら魔王って人が来てるっていうからさ、見たいじゃん。ちゃんと警備の人の指示にも従ってたのにいきなり斬りつけられたんだよ? 問答無用で。おっそろしい世界だここは! なあ葵」
突然話を振られた中堤葵は、さっきまで驚いて息もできない状況だったが、どうやら危険がひとつ去り、ホッと胸をなでおろすとボロボロと涙をこぼし始めた。
これまで木剣を振るばかりの訓練で、真剣を突きつけられたことなどなかった。いまリアルに死を感じ取り、ギリギリ逢坂先生が戻ってくるのが間に合ったおかげで命拾いしたように感じたのだ。
「ほらみろ嵯峨野、お前が泣かしたんだぞ。まったく、葵もう大丈夫だ。先生が来てくれたから嵯峨野を叱ってもらおう。よく頑張ったな。先生、ノーデンリヒトって本当に安全なのか? こんなのばかり居るとなると帝国に居たほうが安全なんじゃ……」
サオは『こんなの』扱いされたことに少しむっとした表情で応えた。
「こんなのばかりとはご挨拶ですね! そっちのその気持ち悪い塩男と比べたら普通すぎて欠伸が出ちゃいますっ」
このまま放っておくと罵り合いの果てにケガ人がでるかもしれないなと、アリエルは思った。
「俺が泣かしたわけじゃないけど悪かった! サオはちょっと下がってろ、な……」
アリエルに下がれと言われてようやく拳の構えを解いたサオ。渋い顔をしながらも大人しく下がったが、サオと入れ替わるように、今度は妹の真沙希が前に出てきた。
真沙希は"これでもか"ってほど眉根を寄せていて、訝しむ目でイカロスと逢坂先生を交互に見返している。それは厳しい視線だった。だけど逢坂先生は真沙希と目が合って初めて微笑み、左手を柔らかくヒラヒラさせて会釈する。
「ハーイ、真沙希ちゃん元気?」
深月は逢坂美瑠香の正体について何か知っている素振りだった。ゾフィーにしても、塩人形の作者を最初から"女"と決めつけるように問うた。1万6千年以上も行方の知れなかったゾフィーがこの女の事を知っているということは、この逢坂美瑠香という女……所謂 "事情を知る者" なのかもしれない。
真沙希にとって親しみがあるはずの逢坂先生も、ここでは不気味な女でしかなかった。なにしろ逢坂はまだ嵯峨野真沙希のことをまだ知らないはずだ。真沙希は深月から見て3つ年下の妹なのだから、深月が高校卒業後、入れ替わりで高校に入学するときに知り合うのだから。
過去にあった時間ループでの出来事を覚えているということは、この女も "小さく閉じた輪廻の輪" が時間を巻き戻しても記憶を保持し続ける者だということ。そして真沙希はイカロスが破壊されて塩を撒き散らし、倒され塩の小山になったのを見て連想できることがいくつかあった。
そう、嵯峨野真沙希は、日本で何度か似たようなものを見た記憶がある。逢坂美瑠香の言った年数が正しいとするならば約1万6千年以上も続いてきた、永遠に思えるほど繰り返してきた時間の中で、何十回、いや、もしかするともっと見たかもしれない。
" 小さく閉じた輪廻の輪 " をあえて誤解を恐れずひと言で説明するとするなら、惑星一つ丸ごと巻き込む超巨大規模のタイムマシーンだ。例えば時間軸をCDの再生と仮定したとする、曲の再生が終わると演奏を停止することなく、また1曲目からスタートされるという無限ループの簡単なプログラムが走っているだけ。難しいことなど一つもない、シンプルに決められたたった一つのルールに基づいている。
それは無限の時を生きる不死の王を殺せないと知った神々のとった苦肉の策だった。
小さく閉じた輪廻の輪の中では世界中の人々が普通に生活しているように見える。だがひと一人の人生が終わりを迎えることで再生は終了し、世界はスタート地点へと巻き戻る。世界が巻き戻ったとき人生はリセットされ時間も予め決められたスタート地点へと戻るのだ。
この仕組みは神々の頂点に座すヘリオスが神話に語られる大戦に疲弊し、何とかして勝利のうちに戦争を終わらせる方法として考えたと言われている。
なぜ破壊神は生まれたのか、破壊神はなぜそうまでして戦うのか、なぜ世界のひとつと半分以上が失われてしまったのに戦いをやめようとしないのか。何度死んでも生まれ変わり、そしてまた世界を破滅に導こうとするのか。
考えるまでもなくヘリオスには分かっていたのだろう。
破壊神アシュタロスは敗戦国の王だった。国土は焼かれ、国民は蹂躙されて、戦う意思を持たない女や子どもに至るまで皆殺しにされてしまった。
アシュタロスは十字架に磔にされたまま、自分を愛してくれた国民たちが生きたまま焼かれてゆくのを見せられた。愛する妻たち、家族が処刑されるのも見せられた。どんなに叫んでも、どんなに懇願しても許されることはなかった。
愛する者が無残に殺されるのをその目で見て、犯してしまった過ちを後悔させる。虐殺、それこそが執行される刑の一環だった。神殺しの大罪を犯した国王は、己が犯してしまった罪を、愛する者たちを皆殺しにされるという形で償わされた。
破壊神アシュタロスの反乱は復讐心から起こされたものだ。
アシュタロスは死してなお復活し、世界に戦いを挑んだ。
何度殺しても復活する。復活するたびに力を増してくる。そのしつこさに神々も嫌気がさしてきた。
ならば世界をひとつくれてやろう。大切なものはそこで暮らして一から作ればいい。死なないというのなら、永遠に、未来永劫、大きな悲しみを無かったことにできるよう、時間を巻き戻せばいい。そこでぬるま湯に浸ったような、安穏とした暮らしを続けることで、頭が平和にかまけてしまって、戦う事を忘れてしまえるように。
アルカディアという世界は、たった一人の不死の王と、その妃を閉じ込めておくため、監獄として作り替えられた世界だった。
その世界では誰も死なない、友達も、愛する人も死なない。たとえ死んだとしても、失ったとしても、次の人生では時間が巻き戻ってスタート地点へ戻るのだから、失ったものは全て取り戻せる。そんな偽りの、悲しみのない世界を作り上げて、大罪人に与えたのだ。
もちろん、そんな超巨大監獄なのだから管理する者たちは大勢いた。管理者に加えて、大罪人の近隣で普通に暮らす振りをしながら監視し、アルカディアから出ようなどと考えていないかなど、監視結果を報告する任務を帯びた者もいた。
嵯峨野深月を産み、母として育てる役割を命じられた嵯峨野佳純は、神籍を剥奪された上級神だった。同じ腹から生まれ、兄妹として最も近くで監視啜る役目を与えられた嵯峨野真沙希に選ばれたのは、かつて十二柱の神々としてスヴェアベルム防衛戦に駆り出されたもと女神、ルナだ。
他にも神話戦争を死力を戦った者、戦で国を失った、村を、家を失った、永遠に家族を奪われてしまった者たちが志願して、もう二度と神話戦争のような悲しみが起こらないようにと自ら志願してアルカディアの牢獄に囚われた者も多い。
小さく閉じた輪廻の輪となったアルカディアに囚われてから何度目かのリセットまでは監視者たちも大勢いた。嵯峨野の家とは出来るだけ接触を避けていたが、それでも近くにいて、同じように人生をかけて監視を続けていた。
しかし無限に生と死を繰り返す牢獄を管理する者からの連絡が、ある日を境に途絶えてしまった。
報告をしようにも、その報告を受け取る者が居なくなり、また、事細かに指示されていた命令の一切合切が上から降りて来なくなったのだ。
真沙希たちは何も起こらない安穏とした時代を何百年、何千年も続けていたせいか、それを非常事態とは受け取らなかった。しかしそのとき受けた被害は甚大を通り越して壊滅的とも言えるほどのものだった。そう、この時アルカディアとスヴェアベルムを結ぶ門が破壊され、起動しなくなっていたのだ。
それはアルカディアは四世界から切り離され、完全に孤立してしまったことを意味する。
監視者の中では少し騒ぎになったが"小さく閉じた輪廻の輪"は何ら不具合なく動作していたことから、指揮系統が乱れたままではあったが、やることは変わらなかった。この衣食住を保証された監獄を何ら変えることなくずっと、これからも、これまでと同じように、安穏としたぬるま湯のような世界を維持していく事に誰も反対しなかった。
それから長い間隔ではあったが数十年ごと、長い時には百年の間隔で一人、また一人と監視者が行方不明になっていった。嵯峨野の家では真沙希を始め、母の佳純も連絡の取れなくなった監視員の捜索を行ったが、その行方はようとして知れなかった。
ある者は自宅に家族人数分の、塩の山を残し、ある行方不明者は自室のソファーに "錆を誘発する粘度の高い酸性の液体" を残して消えていた。また室内だというのに天井を突き破るほど巨大な樹木が繁茂していて、その樹木は不自然にも床に根を張っていたこともあった。
多少は不審に思ったところで、アルカディアに住まう者たちはみんな不死を約束された者たちだ。どうせ世界がリセットされ時間が巻き戻されたら行方不明になった者たちの時間もリセットされるはずだと高を括っていて、次の世界でまた会ったとき、職務を放棄してどこに行ってたのかと問い詰めようぐらいに考えていた。
万が一、敵性の者が入り込んでいて暗殺されたのだとしても、いずれこの世界はリセットされて、必ず時間が巻き戻ることになっている。暗殺に意味はない。世界が巻き戻り、次のループが始まった途端、殺された者は転生して蘇り、どのような経緯で誰に殺されたのかを報告すれば皆で対策できる。
真紗希自身もそう考えていた。
しかし異質な物質を残して消えた者たちは、世界がリセットされても戻らなかった。
もしかすると監視の任務が解かれスヴェアベルムなりニライカナイなり、この永遠に続くリセット地獄から故郷に帰ったのではないかと、希望的観測で軽く考えていたというのも確かにある。
だが嵯峨野真沙希は、騎士勇者イカロスが塩になっていたのを見て、これまでアルカディアであった監視者たちが、およそどのような経緯で失踪したのか、その謎が解明したのだ。
アルカディアに囚われた監視役、連絡役だった者たちが消えた現場に残されていた塩の山が何を意味するのかを、たったいま理解した。
いずれ真沙希が通うことになる高校で担任教師となるこの女、3年後に新入生と担任教師として出会う予定の逢坂美瑠香は、生徒と同じ目線で話せる、嵯峨野真沙希にとっていわゆる「いい先生」となるはずだった。
信頼のおける人物だったはずだ。
だが、この逢坂美瑠香こそが監視者たちの失踪に関与している可能性が高い。
いや……、行方不明になった監視者たちはもうみんな生きてはいないのだろう。なぜリビングの椅子に大量の塩が積み上げられていたのかという不可解な謎に解答を得たのだ。
逢坂美瑠香こそ、連続殺人者だ。
屈託のない笑顔を見せながら、小さく手を振っている逢坂美瑠香の会釈ですら真沙希には薄ら暗い不気味さを湛えているように見える。ぞくぞくと背筋に冷たいものを感じる。
嵯峨野真沙希は逢坂美瑠香の呼びかけに応えることができなかった。まるで目の前の小さな女に飲まれたように身体を小刻みに震わせている真沙希に気付いたアリエルは、少し気がかりだったのだろう、すこし下げたほうがいいと判断した。もともと前に出てきたことが不自然だ。真沙希はこんな人の注目が集まるような場面で前に出たりするような性格じゃない。
「真沙希、どうした? 大丈夫か? お前はもうネストに入っとけ。な」
アリエルは少し気遣わしく思って妹に声をかけると、それを受けた真沙希は、ハッと我に返ったように焦点の定まり切らない視線をアリエルに送る。
「あ、ごめんなさい。なんでもないから……」
それだけ言うと真沙希はネストに沈んでいった。とても"なんでもない"とは思えないような表情で。
その表情に気付いて何かあるなと思ったのはアリエルだけではなかった。また後で何があったのか話を聞かせてもらうとして、いまは観空寺たちのほう丸く収めないと。
アリエルは真紗希がネストに沈んだのを確認したあと、同級生たちに視線をやった。
「お前らノーデンリヒトに何の用? ……じゃなくて! そんなことより、おれ先生にムチャクチャ聞きたい事あるんだけど!」
「そう? じゃあその話は後でね。ところで嵯峨野くん、あなたノーデンリヒトの偉い人にコネがあるんですよね?」
「コネ? なんだそれ」
「そう。あなたのコネを使って観空寺さんと中堤さんをノーデンリヒトに受け入れてくれるよう取り計らってもらえないかな? 浅井さんや韮崎くんたちもノーデンリヒトに入ったのでしょう?」
アリエルたちが先行してノーデンリヒトに向かったとき、クラスメイトに同行するかどうか意志確認したが、タイセーを含む身内以外では、韮崎と浅井だけが手を挙げた。こいつら帝国に残って"いずれ敵になるかもしれない者たち"だったはずだ。
つまり帝国に残った中山や瀬戸口たちも意思疎通がうまく行かず、仲間割れを起こしているということだ。アリエルはノーデンリヒト入りしたいという観空寺に、確認の意味も含めて、有り体な質問を投げかけた。
「マジか! お前らも帝国軍を離反してこっちに付くのか?」
『こっち』というのはもちろんノーデンリヒト陣営であり、間接的にはアリエルの側に付くという意味だ。
「あー、中山のボケが超ムカつくんよ。たのむわ嵯峨野」
観空寺の呆れた顔にアリエルは深く頷いた。中山のボケがムカつく理由は理解できるから。
「そうか分かった。だけどその騎士勇者どうしたの? 殺したんだよね? 塩になってたけど。俺さ、実はアンチマジック使う塩人形にちょーっとだけ心当たりあるんだよね。オートマトンだよねそれ! 先生あんた逢坂美瑠香って偽名だろ、本当の名を名乗って。はやくほら」
「んー、私に本当の名なんてないわよ。ねえ嵯峨野くん、あなたは私に何と名乗ってほしいのかな? 名乗ったらどこぞのシスコンに溺愛されちゃうから名乗りたくないのだけど」
これではもう自分がアリエルの前身ベルフェゴールを育てた姉のルーだと言ってるようなものだ。
しかし勇者が現れたことで緊張感が頂点に達していたハリメデは、いまの言葉を聞いて反射的に怒りを覚えた。
「あいや待たれよ! 黙って聞いておれば魔王さまの御前でシスコンなどど……我が王をディスった罪、その命で償わせてやる」
言いながら剣を静かに抜いて構えた。
「ハリメデさん、違うから!」
「違うわよね」
「ちがうの」
「ハリメデさん違います。シスコンは師匠ですっ。昔から年上の妹弟子パシテーにべったりでしたし、この前はグレイスにチューするとこでした」
「ハリメデ! 貴様の言動がいちばん私の胸に刺さり、深くえぐったのだが……」
「いえ、決してそのようなことは! このハリメデ、我が王に誤解されてしまったこと、一生の不覚……」
「ほーう、今の言葉の何がどう誤解だったのか、一から十まで滾々(こんこん)と説明して見せよハリメデ、お前の得意分野であろう」
「魔王さま、そうやって人を虐めるなど王のやることではございませぬ。もっと広い心を持たねば。いまもこうして民はみな魔王さまを見ておりますれば……」
「やかましい!」




