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14-02 塩人形イカロス

―― ガィンンンン……!


 鈍く低い音だった。縮地を用い常人には消えたようにしか見えないほどの加速度から放たれたアマンダの斬撃は、まるで試合開始のゴングのように辺りに鳴り響いた。


 初撃から十分に殺気の籠った剣だった。肩から胸を裂くよう狙い澄ました攻撃を腕で受けた騎士勇者イカロス、アマンダの剣が刃こぼれしたか、それか1センチほど腕を斬り裂いたか。どちらにせよ骨を断つどころか、皮膚を裂いた程度で軽く受け止められてしまった。縮地の速度に体重と装備品の重量全てを乗せて放たれた一撃は、イカロスに大した傷を負わせる事は出来なかった。いやむしろ傷を負わせることができたかどうかも怪しい。盾を用いるでもなく、剣でしのぎを削るでもなく、剣の降ってくる軌道にそっと腕を差し出しただけだ。

 低く鳴り響いた金属の打撃音は、剣の唸りだった。騎士服の袖に防具が仕込まれているということはないはずだが……。


 アリエルはそのイカロスの一挙手一投足に何か奇妙な違和感を感じていた。

 ノーデンリヒト要塞前でのイカロスを知っている。仲間を殺されて怒り、憤るその表情を覚えていた。しかし目の前に立つこのイカロスからは人としての気配を感じない。その無機質としか言いようのない無表情な様からは一切の感情を感じ取ることができない。まるでマネキン人形のように見えたのだ。


「ハリメデさん、あの子を戻して。ほら、あの剣撃を腕で受けたのに血も出てない」

「勇者とは手強いものだと聞いておりましたが、まさかあれほどとは……」

「違う。ゾフィーがアンチマジックを展開してる。あいつはいま強化魔法も防御魔法も使えない生身の状態なんだ。それでいながらあの剛剣を腕で受け止めたんだ。不気味だよ……」


 幅広の両手剣の重い一撃を、強化魔法も防御魔法もなしに腕で軽く受け切って見せたイカロス。それだけで常軌を逸している。

 そして、打ち込んだアマンダも、最も近い位置にいて異変に気付いた。


 いまイカロスの腕を斬り裂いたはずの剣が切っ先から砂のように分解され、ドサドサと音を立てて崩れ落ちていった。まるで剣が命を終えるように、それなりの質量を持った白い砂のような、いや、砂と言うよりも塩のような独特の透明感すら感じる。


 アリエルも同じく異変に気付いた。


 これは……


「まずい!」


 イカロスの視線がアマンダに向いた刹那、たったいま崩れて落ちたアマンダの剣がイカロスの手に集まった。深く青い鋼の剣の形を取り戻してゆくのを最後まで確認することなく振りかぶる。

 さっきまでアマンダの手にあったはずの両手持ちの剣を、白くサラサラとした粉を引きながら鋼の剣に再構成しながら、片手で軽く、まるでその重量を感じさせることもなく無造作に振り降ろされる。その剣の振り降ろされる軌道に剣を奪われたアマンダがいた。強化魔法を使っていないはずのイカロスが、以前ノーデンリヒト要塞前で戦った時よりも更に速くなっている。見違えるようだ。


 アリエルは咄嗟に飛び込み、アマンダを背中から抱き上げて庇う。



―― ガッ……キィン!


 イカロスの神速の攻撃もロザリンドのガードが間に合った。

 だがしかし剣戟の間に割って入ったロザリンドの表情は険しい。一瞬、膝が砕けそうになった。イカロスが片手で軽く無造作に振っただけの、腰も入っていないような攻撃がそれほど重い。


「ロザリンド大丈夫か!」

「くぅっ、速くはないけど重いわっ。ガードするより全部避けたほうがいい」


 ガードした剣を鎬を削って押し返すロザリンドの背後からオレンジ色の航跡を引いて一直線に攻撃する光が見えた。



―― ドオォォ!


 爆破魔法がイカロスの顔面に炸裂した。サオの援護だ。


 爆発炎上する炎の前からアリエルたちがフッと消える。アリエルはアマンダを抱いたまま、ロザリンドは剣を構えたままの状態で、ゾフィーの転移魔法で剣の間合いから下がった。爆破魔法の炎と黒煙が晴れても髪の毛一本すら焦がすことがなかった。もちろんそのすぐ背後で突っ立ってる観空寺かんくうじたちにも被害が及ばない。


 さっきまで丸腰だったロザリンドがいつの間にか剣を抜いていたことを突っ込んでやる余裕がない。

 きっとコソコソ練習していた[ストレージ]が使えるようになったのだろう。

 "ロザリンドおめでとう!"って祝福してやりたいのだが、それは後回しだ。

 そうこうしているうちにアリエルの感じていた違和感が正体を現す。


 サオが握り込んでいた爆破魔法の大きさから推測していたその爆発の威力が小さすぎるのだ。

 爆発し急激に膨張した炎と風と衝撃波が、ある領域に達したところで何もなかったかのように終息していく、この感じは確かに覚えがある。


 サオは爆破魔法が効果を見いだせないと知るや、隙ありと見て一気に間合いを詰めた。

「待てサオ!」

 得体の知れない相手の懐に入るのは得策ではない。

 しかしアリエルとロザリンドが退避した刹那、入れ違いになる形で鋭く踏み込んだサオの拳が唸りを上げてイカロスの急所にヒットした。瞬時に懐に潜り込み左左→右のコンビネーション。サオの得意とする攻撃のかただ。

 だがアリエルの思った通りこの騎士勇者には有効にダメージを与えることができない。いやむしろ殴ったサオの表情が苦悶に歪み、無防備に殴られたはずのイカロスは涼しい顔をしたまま、眉一つ動かすことは無かった。それはサオの拳闘術がこの男に通用していないことを意味する。

 そしてサオの身体から強化魔法、防御魔法の半分ほどが失われているのが見えた。それは信じられない事だった。しかしアリエルは確信を得て大声を張り上げた。


「アンチマジック! アンチマジックだ! サオは間合いをとって下がれ! サナトスもレダも退避しろ!」


 サオがイカロスの前を飛びのいたとき、ジュノーの治癒魔法が飛んだ。どうやらサオの拳が負傷するほどイカロスの身体が硬質化しているらしい。


「サオ、大丈夫か? 状況を報告しろ」

「ううー師匠、あいつの顔が岩のように硬いです。右手首をぐねっちゃいました。ムチャクチャ痛いです。あの勇者、前よりだいぶ強くなってますっ、顔が!」


 アンチマジックに覆われた身体を殴ったのだからマナを利用するイグニスの精霊防御は効かない。

 だがサオは生身でもこれまで門の前に立ち帝国軍を退け続けた鋼鉄の女だ、そんなサオを一発で負傷させるなど考えられない。この騎士勇者が最初からこの力を見せていれば、アリエルたちもあれほどあっさりとノーデンリヒト要塞前から帝国軍を退けることなどできなかっただろう。


 騎士勇者イカロスは、まるで氷の板を背中に突っ込んだかのような、冷たい戦慄を連れてきた。

 まさかアンチマジックの使い手が帝国サイドにいるだなんて信じられない。アンチマジックはアリエルの前身ベルフェゴール第二の妻キュベレーのオリジナルで、これはマナを使った魔導ではなく、空気中どこにでも存在する魔気を操作して、人体から湧き出すマナの働きを阻害する高等技術だ。


 アリエルはその表情にひとかけらの余裕すらなくなってしまった。背筋がぞっとして冷たいはずなのに変な汗をかいているのが分かる。魔導師であるアリエルが、アンチマジックを使う敵と戦うのだとしたら、こちらの魔力と、あちらのマナ消去能力のどちらが上かというチキンレースになることはおよそ想像の範疇だ。


「ゾフィーはみんなと転移魔法でどこへなりと逃げろ! ここは俺が引き受ける」


「ダーメ。あなたに任せておいたらせっかく復旧作業しているこの港がまた吹き飛んでしまうわ。そんなことよりも、その女の子、いつまで抱いてるつもりなの? はやく降ろしなさいな……」


 アリエルはアマンダを抱っこして確保したまま降ろすことも忘れていた。ゾフィーに指摘されるまでそんなことにすら気が付いていなかった。


「アリエル貴様ぁ! 私の可愛いアマンダから手を離さぬか狼藉者ろうぜきものめ!」


 残念な魔王は置いとくとして、ゾフィーの表情からいつもの微笑みが消えていた。眼光鋭く敵を威圧するように睨みつけながら、唇はニヤリとイヤらしく歪ませる。ゾフィーが戦闘モードになったときの表情だ。それはこの騎士勇者イカロスの戦闘力が計り知れないということを意味していた。



 次の瞬間、ドシャッと鈍い音がするとアマンダの剣を奪ったイカロスの右腕は肩から先が丸ごと吹き飛んだ。ゾフィーに間合いなどあってないようなものだ。転移を使ってパッと懐に潜り込み、先制の左ブローを放つと騎士勇者は剣を持った右の肩を瞬時に失ってしまった。


 初撃で勝負がついたと考えるべきだろう、相手の騎士勇者が生身の人間であったならば。

 しかし騎士勇者イカロスは、その吹き飛ばされた肩から先の腕が肉を持たなかった。絶望的な致命傷を受けてなお血液の一滴も流れ出ることはなかった。いやむしろ破壊された肩の断面ですら赤い血の色、肉の色は見えずただ純白でもしかすると日光を受けてキラキラと反射しているようにすら見えた。何やら石像の一部が破壊されただけ? のようだ。


 材質は石? カルシウム? いや、粒ぞろいで僅かな透明感があり比重も重く感じる。あの感じは岩塩? いや、どこの家庭にもある塩のように見えた。イカロスはアマンダの剣をサラサラの塩にしただけでは飽き足らず、自らの身体までも塩で構成していたのだ。


 騎士勇者イカロスは血潮のかよった肉体を捨て、塩の身体でこの場に立っている。あんな無表情で。

 そのザマをみてアリエルは理解した。


 哀れな騎士勇者イカロスは既に勇者ではなくなっていて、人ですらない。

 もはや生者でもなく、この世のことわりから逸脱した存在となっていた。


 次の瞬間アリエルたちが見たのは、ゾフィーのローキックを受け下半身を粉々に散らしたイカロスが崩れる姿だった。右肩に加えて膝から先、両足を吹き飛ばされたのでは立っていることすら叶わない。


 崩れ、うつぶせに倒れたイカロスを[ストレージ]から取り出した剣で背中を突き刺し、地面に縫い付けるとゾフィーはイカロスの背後にいた観空寺かんくうじたちに、その紅く冷たい眼差しを向けた。


 そしてまたゾフィーの手に剣が握られていて、何が起こったのかと狼狽する観空寺かんくうじの眼前に切っ先を突き付けて問うた。どうやら今日のゾフィーは気が立っているらしい。


「答えなさい。この塩人形オートマトンを作った"女"はどこに居る?」


 およそゾフィーもアリエルと同じ解に達していたのだ。人の死体を元素変換で塩化ナトリウムに変え、オートマトンとして操るなんて、そんな悪趣味な人物は、アリエルにもゾフィーにも、思い当たる中ではたった一人しかいない。


 その女、名を『ルー』といった。

 アリエルの前身、ベルフェゴールが両親を殺されてから、成人して結婚するまで育てた姉のような人物であり、幼少期から魔導を叩き込んだ女性だ。塩人形がここにいるということは、必ず近くにルーがいる。


 しかし観空寺かんくうじたち女子生徒はオートマトンの作者を問われたところで、たった今人が塩になって崩れたことに驚いている。イカロスが塩人形だったことにすら気が付いていないなかったように狼狽しながら答えた。


「ええええっ、ちょ、なに? なに? なに? なに? えっと、逢坂おうさか先生ならいまスイーツを買いに露店をまわってると思うけど……」


 観空寺かんくうじがそう言うか言わないか、言葉の最中さなか、ゾフィーは己が手に持った剣に若干の振動にも似た違和感を感じると、その剣からおびただしい数の葉っぱが芽吹き始めた。


 鈍く光を反射するハガネから次々と葉が茂り始めたのを見たゾフィーは得も言われぬ危機感に苛まれ剣を手放すとドスッと地面に突き立つ。


 土を得た剣はみるみる根を張り、柄が枝に別れ、わずか数秒のうちに一本の若木へと変貌した。


 ゾフィーは背後から怪しげな殺気にも似た強力にねじ伏せる気配を感じ、ハッと振り返る。

 しかし声は振り返ったその後ろから聞こえてきた。


「あのー、この子たちが何か?」


 ゾフィーを振り向かせて背後に回り込み、観空寺かんくうじたちを庇うように女が立っていた。間合いの中、突然現れたように見えた。

 ゾフィーがこうもあっさりと間合いに入ることを許すなど考えられないことだ。


 身長190センチ近いゾフィーからすると半分に見えるほど小さな人族の女、アリエルたちの良く知った顔がそこにあった。担任教師、逢坂美瑠香おうさかみるかだ。ゾフィーが見下ろす冷たい視線に負けず睨み返すとび色の瞳は自信に満ち溢れ、少しの苛立ちを湛えていたがむしろ挑戦的にすら見えた。


 逢坂美瑠香おうさかみるかはアリエルたちと久しぶりの再会に笑顔を見せることもなく、まずは風になびく柔らかな黒髪をその手でかき上げ、耳にかける。


 ギリッと歯を食いしばる音が聞こえてきそうなほど睨み合う二人だった。

 だけど逢坂おうさかはすぐ満足したように対峙していた視線を先に逸らし、破壊された塩人形オートマトンの無残な姿を見て残念そうにこぼす。


「あーあ、壊されちゃったのね。まったくもう、これだからガサツな女は……」


 逢坂美瑠香おうさかみるかが手のひらで扇ぐよう風を起こすと、その風を受けたのか? サラサラと戻る塩の粉末が逆回しフィルムのように騎士勇者イカロスの姿に戻っていった。いまのは確かに弱い風の魔法だった。風の魔法に何か別の呪法を乗せたのだろう。


 イカロスは無生物的な動きでユラリと立ち上がると、まずは己が身体を地面に縫い付けていた剣を引き抜き、ゾフィーに手渡しで返した。


 たったいま樹木となって道のど真ん中に生えていたもう一振りの剣も、イカロスが掴むと青々と茂っていた葉は急速に紅葉し、散って元の剣の姿に戻った。これも引き抜いて泥をパタパタと落とし、柄の方を差し出して丁寧にゾフィーの手に返した。


 吹き飛ばされた右腕に握られていたアマンダの剣も無事アマンダの手に戻されたが、いましがた塩になったものが鋼に再構成された剣だ、アマンダもすぐには手を出せなかったが、しばらくの沈黙のあと、その怪しげな剣を恐る恐る受け取った。


 騎士勇者イカロスはもう死んでいる。この男と戦ったことのあるサオには驚くべき従順さに見えたろう。しかしもうこの男に自由意志など存在しない。男と呼んでいいのかすら分からない。今は塩人形オートマトンとしてここに立っているのだ。


 いまのいままで逢坂美瑠香おうさかみるかと睨み合い、一触即発だったゾフィーは戦闘の構えを解き、呆れ返ってもう疲れたとでも言いたげな表情を見せた。


「ほらね、やっぱりピンピンしてたわ。この女がそう簡単に滅ぶはずないと思ってたのよね……」

「あら久しぶりね。んーと、えーっと、16477年ぶりかしら。んー、私もあなたが死ぬなんて思ってなかったんだけど、長い間行方不明だったわね、ベルフェゴールとは別れたと思ってたのに、ちょっと目を離した隙に戻って来るだなんて、いったいどこに行ってたのかな?」


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