13-18 後世に伝えたいこと(後編)
ごくり……と固唾を飲む音が聞こえてくる。聴衆たちも真剣に話に入ってきてるんだ。
「はい、次はこっちね。第三段落にはソスピタの過ちが書かれています。……ザナドゥは世界の全てが灰に埋もれて滅んだ。スヴェアベルムは戦いに勝利したのだ。だがソスピタは他国のように戦勝に浮かれることはなかった。なぜなら光を失ったからだ。暗雲の立ち込める時代にソスピタを率い、一筋の道を明るく照らし出す光の女神を失ったのだ。ソスピタ王はこの過酷な、憎しみの連鎖が止められない大波となり全てが飲み込まれるのを目の当たりにしたことで初めて過ちに気付いた。愚かなるソスピタは生き残るための戦いに勝利したが、その代償に光を消したのだ」
「この石碑は読まれないほうがいいという願いを込めた人が言い残した言葉もある。アマルテア文字もソスピタの儀式文字も片方しか読めないのなら、確かにもう読めないほうがいいのかもしれない。だけどあなたたちの中にはデナリィ族の血を引く者や、ハルジアンの血を引く者もいる。そちらのご婦人の着てる服はアマルテアの民族衣装だ。ソスピタの末裔、赤髪の人たちとここでもう万年も暮らしてる。この石碑に残された碑文は、どちらか一方の文化のみを尊重するでなく、双方の文化をお互いに力を合わせて守る姿を見たかったんじゃないかとおもう。アマルテアとソスピタは戦った。先人たちは血で血を洗う激しい戦を経験して、打ちのめされたあとに訪れた過酷な時代を肩寄せ合って生き延びたんだ。二つの言葉で記された碑文は、二つの言葉で読んでこそ初めて意味を成すのだと思うよ」
「この石碑が読めないほうがいいというのは、ソスピタとアマルテアが戦争していたからなのか? フェイスロンドとダリルでもやってることじゃないか」
「現在の戦争とは規模が違うんだ。ダリルの奴らがフェイスロンドを滅ぼすというのは、単純に領主のフェイスロンダール卿を殺害して、このフェイスロンド領を奪い、エルフを奴隷にして売り飛ばすのが目的だ。だけど過去、神話大戦に至る一連の戦争では、みんな自分たちの存在をかけて、世界を滅ぼすほど激しく戦ったんだ……そして碑文にはまだ続きがある。天星266年、スヴェアベルムに英雄王が顕現され、戦いはまだ終わっていないことを示した。スヴェアベルム人は国土が、森が焼かれることの恐ろしさをようやく理解した……。とあるね、英雄王と呼ばれたベルフェゴールの物語も、ここから先はクロノスが物語の主役になってベルフェゴールを倒す物語、スヴェアベルム大戦、つまり神話戦争に繋がるんだ」
「クロノスは私が絶対に殺すから」
「あのクソは私が切り刻んでやる」
「はいはい、真沙希もロザリンドも、わかった。わかったから」
話を聞いていたひとたちがまたざわつき始めた。たぶん英雄王の話と神話戦争の英雄クロノスの戦いが繋がるとは思ってなかったのだろう。
英雄王ベルフェゴールが深淵の悪魔アシュタロスになるんだから、その落差に驚いてる。
「はい、じゃあソスピタ文字のほうこれが最終段落だから読みますね……、でもこれ本当に読んでいいの?」
「いいんじゃないの? 本当の事だし」
「じゃあ読みますね、えっと。光の女神は再びスヴェアベルムに帰った。しかしスヴェアベルムは再びアルカディアと共に立ち剣を抜いた。そして女神は灰燼の魔女となってスヴェアベルムを焼き尽くした。草原も森も山も、人も街も国までも、眼に映るもの全てが灰になるまで世界は焼き尽くされた。時を同じくしてソスピタは激しい内戦の末、戦わずして敗れた。死を待つのみだった我らソスピタの民を救ったのは業火の魔女アスティ・ウィンズリィだった。ソスピタ人は女神の慈悲によって護られたのだ。ソスピタの民よ、自ら光を閉ざした過ちを忘れるな。ソスピタの民よ、光を灯し続けよ、我々は女神の眷属なのだ。カルナン歴1577年 セナン・ウィッカール・ソスピタ」
ソスピタはジュノーという国を纏める切り札の喪失により、国力の低下も手伝ってか、力で押さえつけていた属国がここぞとばかりに反旗を翻し、内戦で滅びた。しかしソスピタ王を殺害し、王城を焼いたのは転生したジュノーだった。
順当にジュノーがソスピタの女王になり、十二柱の神々第三位に座していれば、属国の名士たちも黙って跪いていただろうが、ソスピタ王自らがそのジュノーに弓を引く決断をしたのだから反発する者が多く出るのも仕方のない事だった。
そしてソスピタを治めていた貴族たちが追い詰められ、殺されそうになっているところをアスティが助けたわけか。
「後半ちょっとややこしいな。どういう事?」
「敵だったはずなのに、いつの間にかジュノーの眷属って書いてあるわね。んー?」
「アスティの考えそうなことね! ほんと打算的だわ」
「つまりアレか、アスティが"ジュノーさまに忠誠を誓うなら助けてあげなくてもないけど? 敵だというなら殺されなさいな、私みててあげるから" みたいなこと言って、強引に配下にしたってことか」
つまり、貴族だからと言って避難先で偉そうにされちゃ困ると思ったのだろう。
アスティは町人の子だった。ジュノーが幼いころカーリナ家の使用人に雇われ、ジュノーの世話を仰せつかったって聞いたけど……だいたいいつも魔法実験で燃やされてたから業火の魔女なんて異名が付けられたのに、敵の軍隊ですら業火の魔女を恐れてたからな……。
「そうよ。あのバカ……他にいくらでもやりようあったでしょうに」
ちょっと何を言ってるのか分からず説明を求める視線を送る聴衆やメルキオールたちにアリエルが分かりやすく噛み砕いて話してやることにした。
「えーっと、アスティ知ってますよね?」
「我らを導いてくれた四世界で最初の魔女と言われてる。原初の炎と呼ぶ者もいる。この町では女神ジュノーよりも人気が高い救世主なんだ。すべての魔法はアスティが使ったものだと言い伝えられている。アスティもアマルテア人なんだ、キミらのいう事が確かだとするとザナドゥから来た異世界人という事になる」
「原初の炎? なんかすごい異名だな。アスティには似合わないカッコよさだ」
「ほんと似合わないわ。アスティ・ウィンズリィはソスピタ人よ。ウィンズリィという町の出身だからウィンズリィを名乗ってたけどね、アマルテアに渡ってからデナリィと結婚したからアマルテア人になったのよ」
アスティ……いつもジュノーに泣かされてたっけ。マジ泣きしてたよな、そういえば。
アマルテア人と伝えられるぐらいだから、アスティはアマルテア人として生きたんだ。
「それは本当なのか。凄い知識だな、それはボトランジュあたりじゃ知られてることなのかい?」
「そうですね、実はあまり知られてないんだ」
「ねえあなた、そっち最後の段落を。このままじゃ、ここの人たちがみんなジュノーの眷属になってしまうわ」
「なんでそう気の毒そうに言うかな!」
「あ、ああ。わかった、ジュノー落ち着け。頼むからお前らケンカするな。えっと……天星294年、スヴェアベルムは焼き尽くされ全てが灰に沈み、英雄王により再び正義は為された。人が愚かであるがゆえに正義は為されたのだ。アマルテアの民よ、いかなる苦難にも立ち向かえ、いかなる不条理にも膝を屈するな。しかし憎しみは捨てよ。憎しみは世界を歪ませるものだ。誇れアマルテアの民よ、我々は英雄王の民なのだ。カルナン歴1577年にセイラムという人が記してる……」
……。
声を上げる者がひとりもいなくなった。ざわついていた聴衆が水を売ったようにシンとなった。
碑文ではスヴェアベルムが焼き尽くされて灰に沈んだことで正義が為されたとある。これを記したのはアマルテア人で間違いないだろう。
「これはたぶん、この碑文を記したセイラムという人がアマルテア人だったからこんな碑文になってしまったんだ。世界を滅ぼす正義なんてありはしないのに、人の愚かさがそうさせたと伝えたいのだろう。たしかにあの時代は力を持つもの達が揃いも揃ってみんな愚かだった。でも最終的には英雄王の民と女神の眷属という言葉で締め括ってる」
「わ、私たちサマセットの民は英雄王と女神の民だと? そういうのか?」
「これってすっごく平和で、愛に溢れた言葉だと思う。なにせ二人は結婚して夫婦になったんだからね。この石碑に書かれてあるのは、もう争い事は終わったということだ。つまり、この石碑が建てられた時代には、きっと心情的に許せない者が居たんだろうね。きっとソスピタ人に家族を殺された者も居たんだ、憎しみは捨てよと書かれてあるのも戒めだろう。だけどアマルテアとソスピタはもう一つになった。さっきメルキオールさんに聞いた話の限りでは……もうこの石碑は役目を終えてるよ」
メルキオールもこくこくと神妙な面持ちで何度も何度も頷いた。
ソスピタが滅びた理由も、アマルテアが滅びた理由も、自らの祖先が何者で、いかにしてこの地にまで流れてきたのかを改めて知ることができた。ある日突然、森に降って湧いたものが王族の末裔であることを隠して辺境に暮らすなど尋常ではないと思っていたが、その理由も分かった気がした。ポリデウケス家は不確かな存在ではなかったのだ。
「個人的なことを聞いてもいいかな?」
「どうぞ」
「では、ポリデウケス家というのはソスピタではどのような? 王家の末裔だと言われてるが……」
「その質問には私が答えます。ポリデウケス家は王家から分家された領主でした。末裔という言葉が血筋にあるという意味ならその通りですね」
「じゃあ先生は、アデル・ポリデウケス・ソスピタになるわけだ。偉そうだ」
「そうね、分家されたとはいえポリデウケス家はソスピタの名士でしたから」
メルキオールは戸惑った。死んだと思っていた弟アデルが戻ってきたと思ったら、その教え子というのが、歴史に埋もれて忘れ去られてしまったこの町の歴史と記憶を呼び起こしたのだから。確かにその内容は重く、胸を丸太で打ち付けられたようなショックを受けた。
しかし子どもの頃、母に読んで聞かされた物語の英雄王や、今も世界が崇める光の女神が自分たちの祖先を導いていたと聞いて、胸に熱いものが込み上げてくる思いもグイグイと感じている。
ざわめく聴衆たちの先頭でメルキオールは胸に手を置いて、ぐっと拳を握りしめた。
「ありがとう。まだ心の整理ができないほどショッキングな話で、すべてを理解するには時間がかかると思うが……ソスピタの地というのが本当にあるとするなら、それがどこなのかを教えてくれないか、いまどうなってるんだ?」
「ソスピタが滅亡してから小国に別れて戦乱の時代がかなり続いたようだけど、いまはアシュガルド帝国に統一されてる。これはアシュガルド帝国で学んだ歴史で書物を読んだ知識なんだけど矛盾することはなかったから概ね正しいと考えてる。ちなみに今も帝国の要職にはソスピタ人が有力者として権力をふるっているらしい。会ったことはないけどね、赤髪でないソスピタ人だというから王家の直系ではないだろうけどね。地理的に言うと、ずーっと東の果てだよ。朝日が昇る方向にある。かなり遠いし、あそこはいま危険な国だから近付かないほうがいいけど、このサマセットと地続きでいまも存在してるよ」
「そうか。もう一つ教えてくれないか、あなたたちは? その知識をどこで学んだんだ? まさかアデルの教え子だからといってあいつが教えられるわけがない」
「ポリデウケス先生は熱血教師ですからね、勉強を教えるよりも背中で語るタイプの先生でした。ボトランジュじゃあ有名人なんですよ。セカじゃあヒーローとして劇場で上演されたこともあるぐらいの有名人ですからね。知識についても、魔導学院の考古学者ならこれぐらい知ってます……。そうだ、アリー教授といって、この世界の興るところまで歴史の深淵を追究してる学者さんがいるんだけど、ここの存在を教えてあげてもいいですかね? たぶん熊のぬいぐるみも引っ張ってこられると思うんですが」
自分が英雄王だなんて言うつもりもない。英雄でもなければ王でもないのだし。
いまはただのアリエルだ。先生が熱血教師ポリデウケスだとすれば、俺は天才少年剣士という役回りだったっけか。あの頃は恥ずかしくてやめてほしいとしか思ってなかったけど、今はどんな演劇だったのか興味がある。チケットを買ってでも見に行きたい気分だ。
「そ、そうかすまんな。あなた方が考古学者だということか。全てではないが少し飲み込めたよ……それよりもあのアデルがヒーロー? はははは、想像できないな、まったく」
「アデル・ポリデウケスはボトランジュでもノーデンリヒトでもヒーローですよ。えっと、この石碑はもう役目を終えていますけど、どうします? このまま記念碑として置いておきますか? それともこの素材を使って、どこかへ転移する門を作りましょうか? こちらゾフィーは魔法陣の権威です」
「おおっ、そんな事が出来るのか……」
そしてメルキオールはアリエルに真剣な、決意を込めた眼差しを送ると、ひとつ提案があると切り出した。
「何から何までありがたい。そこでだ。実はうちの屋敷には村長、町長の家に代々受け継いで伝わるという古文書がある。表紙が石でできた"石の書"というものだ。興味があるのなら……」
「ある! 興味あります! ぜひ見せて欲しい」




