02-09 Pasithee(パシテー)
20170725 ,20181129 加筆
20210728 手直し
気持ちのいい朝、気持ちのいい汗。まだ太陽の上りきらない朝の涼しい時間帯にアリエルはいい感じで朝の鍛錬をしているのだけれど、今朝の鍛錬はちょっと身が入らない。明日には突然降って沸いたような話で、16歳でブルネットの妹と同居することになるらしい。
アリエルの使う部屋の隣室がそのためにこの朝っぱらから鋭意清掃中なのだから、ちょっとエッチな妄想を含め、いろいろ考え事に忙しく、剣を振る鍛錬など身が入るわけもない。
今日は午後から学校だ。何とか飛び級を決めて小学5年生と同じクラスというのは回避できたが、それでも14歳ぐらいという、分かりやすく言うと中学三年生のクラスに編入することになった。
パシテーは魔法クラスを担任していると言う。
もしアリエルが魔法クラス「花組」を選んでいたら妹弟子パシテーの教え子という、訳の分からない逆転現象に陥ってしまう。その16歳の先生と明日から同棲生活が始まると思うと、鍛錬に身が入らないのも無理もない。
ベルセリウス家の朝食は少し固めのパンにゆで卵とハムだった。スープは郷土料理だろうか。ジャガイモの角が崩れてポタージュスープのようなとろみがあって、少々塩が効いている。これはこれでとてもおいしい料理だった。マローニ周辺のコルホーズから新鮮な野菜がどんどん送られてくるおかげなのだろう、ノーデンリヒトでは食べられなかった料理だ。
祝い事だとしたら明日は何か肉でも出したほうがいいかと思って厨房のクレシダにガルグを一頭渡そうと思ったら、今はそんなことをしてる時間はないと言って断られた……。ベルセリウス家本宅の雇われコックをこっちに回してもらうという。
トントン拍子に話が決まったことでアリエルの頭には少々の疑念が浮かんだ。
グレアノット師匠と再会したと思ったらいきなり高弟になって妹弟子を押し付けられてしまったのだ、こんなのもうどう考えても師匠の思い付きに決まってる。似た者同士だからお前ら一緒に居ろってことなのだろうけれど。
ちょっとお金が足りないから狩りに出て食肉を獲りに行こうにも、午後から時間の決められた学校に行かなきゃいけなくなったので、なんとも気ぜわしくて狩りに出る気も起きない。
せっかく朝早く起きたというのに何もしないなんてもったいないので、アリエルはちょっと朝イチの依頼を見るためギルドの掲示板を覗こうと屋敷を出たが、通りに出る手前で何かを思い出したかのように立ち止まった。
ひとつ試しておきたい魔法があったのだ。
街の外に出て、誰もいないところで魔法の鍛錬でもすることにした。
ギルドに行こうと思っていた足を回れ右ターンして逆方向、マローニを東側に出た。この細い街道を東に出て北上するとノーデンリヒトだ。街の東側の出口は商人が荷馬車を引いて行商に行くなんてこともなく、ひっそりと静まり返っている。まるで裏口のような扱いだ。こちら側は小規模な集落がいくつかあるにはあるが、このままノーデンリヒトまで約500キロ以上もひたすら平原が続く。誰もいないから多少大きめの魔法を使っても誰にも迷惑がかからないという理由で東側を選んだ。
アリエルは念のため気配を探ってみた。
もちろんだ誰も……、いや、今日に限って気配が一つ。少し遠いか? 距離にして300メートル。
こんな朝っぱらから人知れず誰にも見られないような場所で何かしてるひとがいる。
アリエルは好奇心がくすぐられ、ちょっとだけ興味を示した。マローニの街を出てたった一人、ただ草ぼうぼうで石ゴロゴロな丘陵地帯で誰が何をしているのかと思ったら、この気配に覚えがあった。妹弟子のパシテーだ。
パシテーの気配は普通の人とちょっと違うから違和感があり、たとえばビアンカよりも判別しやすいといえば理解してもらえるだろうか。アリエルがこれまでずっと一緒に暮らしてきて、気配も知り尽くしているのに、それでもパシテーのほうが分かりやすい。
アリエルはスケイトを起動すると無音で近づき、姿を見せないよう遠くから何をやっているのか、窺うことにした。まるでストーカーのような所業なのですこし気が引けるが、たぶんパシテーも魔法のコソ練だ。接近する男の気配に気づくかどうかも知っておきたい。
パシテーの視界に入らないよう背後に回り込み、慎重に近づいて見ると、思った通り魔法の鍛錬をしていた。ふわっと浮き上がったと思えば、それを維持できずすぐに足がついてしまう。
ドンくさすぎて認めたくはないが、アレはたぶん『スケイト』の練習だ。
昨日初めて見た『スケイト』をコピーしようとしてる。パシテーは起動式を入力しないと魔法が使えない。ということは、身体を浮き上がらせるほどの風魔法、しかも起動式を考え出したのだろうか、それか数ある既存の起動式を組み合わせたのか。さすがグレアノット師をして天才と言わしめるだけのことはある……。兄弟子のアリエルなどはもう、師匠から教わった初めての魔法『トーチ』の起動式すら忘れてしまったというのに。
兄弟子の不甲斐なさを感じた。
しかしパシテーの『スケイト』は不細工というか、身体を浮かばせることに主眼を置きすぎていて安定性がまるで足りない。
「ああっ、風が巻いてるし……ほら転んだ! いわんこっちゃない……」
パシテーはスケイトをみて風の魔法だと判断したようだ。確かに最新バージョンのスケイトは起動するとき同時に空気抵抗を軽減する風の魔法も起動する。そっちを読み取ったのか? パシテーは風の魔法で何とかしようとしているらしい。
それはアリエル自身も通ってきた道だ。結局つまるところスケイトは風魔法では完成しなかった。
遠くから眺めるアリエルは少し不安になってきた。いましがた転んだパシテーが起き上がらない。
こういう時は自分で起き上がるまで手を出しちゃいけない。
「ってそれはヨチヨチ歩きの子供か!」
でも今の首からバックドロップ気味に落ちた。首の骨折れてたら大変だ。
突然不安に駆られたアリエルは、『スケイト』でスルスルと近づき上から覗き込むと、真っ青な空を映し出すとび色の瞳と目が合った。何のことはない、魔法に失敗して転んだついでに空を見ていただけなのだろう。
「ケガは?」
「たぶん大丈夫なの」
「そか、邪魔したな」
そう言うとアリエルは地面に寝っ転がってるパシテーに手を差し伸べることなく放置したまま、もうちょっと北の方に草原を滑って移動し自分の鍛錬をすることにした。せっかく人目のないところに来たのに、他人の視線があると気になってしまう。きっとパシテーも同じように考えるだろうから、アリエルは敢えてと奥の方へと場所を移した。。
ここらでいいだろう。と、イイ感じのくぼ地を見つけるとアリエルは土木工事魔法で土を起こし、的になる柱を作成する。六角錐の柱だ。
高さは自身の身長より高く。そして的らしく二重丸を書き記した。この丸が狙うポイントだ。これだけでモチベーションが上がってくるのだから、我ながら単純だと思う。
今日の魔法実験。それは昨日、パシテーが気を失ったときアリエル自身が突っ込み、呼吸を確保するために外気を導入するための風を起こしたら、マナの燃焼効果がえらく上がったことにヒントを得た。
あれだけ連続して燃焼させたら酸欠になる。ってことは、マナを燃焼させる魔法であっても、効率よく燃焼させるには酸素が必要だということだ。
[ファイアボール]を包んでいる[カプセル]の中ではどうやって高温を保っているのか、その仕組みが分からないのだけれど、とにかく[ファイアボール]の着弾地点に風を入れただけで燃焼の勢いが上がってしまって、えらいめにあった。
つまり、火の魔法と風の魔法は相性がいいということだ。
ならば……と。[ファイアボール]を5個展開して順番に的に向けて撃ち出す!
ヒュッと風を切り裂いて高熱の塊が炸裂する、1発、2発、3発……。
―― ドドゥォウォ!
3個を的にぶつけてから高気圧[カプセル]を投入して、風を流すと同時に、[ファイアボール]を2個追加で投げる。
―― ドッドウォ!……グウオゥオゥオゥ!
思った通りだ。燃焼効率と火力があがった。
でも炎が派手に大きくなるだけで、目に見えて温度が上がるということもないようだ。
マナを濃く出しても温度が上がるわけではなく燃焼時間が長くなるのであまり濃くは出さないのだけど、高温を長く維持できれば有利に戦える場面もあるので、濃いマナでファイアボールを5個作成してまた同じ事をしてみたのだが……、マナを濃くだした分、効率が悪くなった分まではとても回収しきれない。
風の流れがうまくいかないようだ。
アリエルは簡単なチムニー煙突のような仕組みを思いついた。そうだ、煙突をつければいい。
普通の濃さのマナで練ったファイアボールを30発ほど作ってぐるっと回り、円周上に待機させ、3発撃った後に高気圧[カプセル]を爆心地に[転移]させ今度は空気の放出方向を上方向に固定して起動してみた。
―― シュゴオォォアァァァ!
残り27発の[ファイアボール]連続投入して火種を追加し……、徐々に風を強く入れる……。
「ちょ……やばくね?」
火柱が渦を巻いて、ものすごい高さまで上がった。炎の竜巻が起こっている。
放射する熱は十分かと思われる距離をとっていたアリエルが顔を背けるほどの熱量だった。ファイアボールのマナが爆発的に燃焼してる。
「やべえ、ちょっと逃げ……」
振り向いたらそこにパシテーが居た。
実験に夢中になりすぎて気配探知を怠ったせいで、パシテーの接近に気付かなかった!
「んんなトコでなにしてんだ――! ちょ、逃げるぞ」
強化魔法を起動! 慌ててパシテーを抱き上げ[スケイト]で急加速する!
強化魔法のせいかパシテーの身体は紙細工のように軽かった。抱き上げたまま急加速したせいで少々ダメージを負ったようで、パシテーが花びらを散らした。この恍惚としたやられ顔に沸々とわき上がる劣情……。身体が10歳じゃなければ押し倒してチョメチョメしてしまいたいという衝動に駆られるほどだ。
―― ドドドドゥルドゥルォォォ!
激しい熱対流が起こり、吸い込まれる方向に風が吹きはじめる。ここで小規模な炎竜巻が発生したのだ、あらゆるものを吸い込みながらうねる蛇のように周囲を移動しながら焼き尽くすさまは地獄から召喚されたサラマンダーを見ているようだった。
アリエルは最高速付近で丘の傾斜を利用し、大きくジャンプして振り返り、不意に発生させててしまった炎竜巻を目視で観測した。。二人乗りでジャンプが低いとはいえ、まさかこの高さにまで火柱が螺旋を巻いて到達しているとは思わなかった。
二人はそのまま放物線を描いて自由落下する。
着地は重い分、乱れるかな? と思ったが、アリエルの強化魔法でもパシテーの体重を支えるぐらいは十分なようだ。そのまま、またくるりとUターンしてさっき立っていた位置に戻り、パシテーも抱き上げた最初の位置に下ろして、若干クレーター気味になった中心部分を調査することにした。
クレーターになったのは風が巻いて竜巻のように周囲の土などを巻き上げたからか。ってことは、吸引方向に力が加わって、中心に巻き取られた土砂が空に吹き上げられたんだな。いま、土や草を焼いて巻き上げパチパチと爆ぜる音を立てながら降ってる火の粉は、巻き上げた物が灰になって降っている……と。
土を固めて作った的の柱も破壊された上から高温でドロドロに溶けている。魔法効果はいい線いってると思うが、これだけの魔法効果を得るために面倒な手順を踏まなければならない。
んー……、これは使いにくい。止まってる的相手にしか使えないし、竜巻にまで成長させてしまってはどう動くのか術者が操れないのは致命的な欠陥だ。炎の魔法に風を使って火力を上げるという意味では効果抜群で、実験としては成功したけれど、これをうまく魔法にして使うイメージが沸かない。こんシチ面倒くさい魔法をつかってたったこれだけの地面を焼け焦がすぐらいなら『爆裂』一発を手加減なしで起爆した方が、よっぽど威力もあるし、そもそも簡単で手っ取り早い。
「うーん、残念だけど、この魔法はボツだな……さてと、俺は午後から学校なんだけど、パシテーは? 戻る?」
「ん」
パシテーはまだスケイトができないので街まで歩かないといけない。
早くスケイトを憶えてもらわないと移動で時間を取られる。まあ、ここから街まで700メートルぐらいだから徒歩でも10分ちょいぐらいか。学校には十分間に合うから今日のところは問題ないが、ノーデンリヒトとマローニの往復に時間を取られると、移動そのものが困難になる。
アリエルがスケイトをいかに鍛錬させようかとプランニングしていると、パシテーがアリエルの顔を下からのぞき込み、じーっと見つめられていることに気が付いた。
前を見ず、ずっとアリエルの顔を見ながら歩いてる。石に蹴躓いて転びそうになりながら、それでもアリエルから目を離さないでいる。
アリエルが少し早足でツカツカ歩いても、アリエルの顔から視線を外さずに、じ――っと見ながら早足で着いてくる。それも分かりやすく、おもむろに。いかにも『あなたの顔を見ていますからね』とでも言わんばかりに見ている。
メンチを切られているわけじゃなく、露骨に訝しむ表情だ。なにか怪しいと感じているのだろう。
気にはなるけれど、気にしてない振りをしながらマローニに向けて歩くアリエル。躓いて転んでしまわないか心配になるほどパシテーは前を見ないで歩いてる。草原なんだから、動物のウ〇コが落ちてるかもしれないのに、それでも顔から目を逸らそうとしない。
「だ――っ! 降参。じっと見られてるとなんか緊張するし、気になるし、お願いだから何か話して、なにかほら、雑談でもしながら帰ろうよ」
アリエルは歩くペースを元に戻すと、パシテーに雑談しようと提案した。パシテーはこれをより公的に『話をしよう』と受け取った。
パシテーはいままで不審に思っていたこと、怪しいと感じていたことをアリエルにぶつける。
「10歳じゃないよね?」
「お前だって16には見えないぜ? 師匠から聞いてないのか?」
「何も」
師匠には誰にも口外しないことを条件に自分が転生者だと明かした。師匠が約束を守ってくれているとしたら、パシテーはアリエルが転生者だということを知らない。隠し立てしていても、またこの調子でじーーっとみられると耐えらエル気がしないので、ここでアリエルは折れることにした。
「中身28歳」
「ずるいの」
「うん。ずるいんだ。だから天才なんかじゃないって言ったろ」
「中身? 中身ってどういう意味なの? 28歳?」
「うん。カラダは間違いなく10歳だけど、中に入ってる俺が28歳ってことだよ」
ちょっと理解しづらかったのか、それとも訳の分からないことを言って煙に巻こうとしていると思ったのか、眉根を寄せて露骨に『意味が分かりません』という顔をして見せるパシテーに、アリエルは問うた。
「パシテー、魔導を探求する、その目的は何?」
「…………世界を……の」
語尾が途切れて聴き取れなかった。
「ん? すまん、よく聞こえなかった。もういちど頼む」
「…………世界を滅ぼすの」
世界を滅ぼしてしまいたいと言ったパシテーの表情は、すこし陰りを見せた。
アリエルはその言葉に嘘はないと思った。なにも嘘を見破るようなスキルを持ち合わせちゃいないが、その言葉はアリエルの魂まで響いた。
「いいね。大きな夢だな。じゃあ俺は、パシテーの目的を実現するための手助けをする。俺は異世界に転移する方法を探して、元の世界に帰るから、パシテーはその手伝いをする。それでいい?」
「帰る?」
「うん。師匠いわく俺は神子なんだそうだ。ここじゃない別の世界で生きてた異世界人なんだってさ。ある夜に事故で死んだんだけど、目が覚めたらこの世界に転生してたってわけ」
「神子?」
「師匠にそう言われたよ」
「ずるいの。チートなの」
「そうかもな」
「転移魔法をいろいろ試しているけど、難しいんだ。元の世界にたどり着けず死ぬ危険性が高いだろうね。もしうまく辿り着けたとしても、もうここへは戻ってこられないと思ってる。だから俺が転移する前に、パシテーに必要な知識で俺が知ってることはすべて教えるよ。答えられる質問には全て答えるから、パシテーも俺が異世界に転移するのに協力してほしい」
パシテーは珍しく表情を変える。縋るような目でアリエルを見つめながら願いを言った。
「そんなにいい世界なら私も……、連れて行って欲しいの。ここはキライなの」
「こっちの世界のほうがいい世界かもしれないけどな」
パシテーはアリエルの『うん』という色よい返事を待って、じっと目を見ている。じっと。
アリエルは話を続けた。
「俺はね、別に転移魔法が成功しようが失敗しようが、どっちでもいいんだよ。生まれる前な、そう、さっき言った異世界でさ、女の子に好きだと言えなかったから、それを言うため。それだけなんだ。姿が変わってしまって歳も離れてしまったけどね。彼女は当然もう恋愛して、恋人、……いや、夫が居るかもしれないのにね。くだらない理由だろ? 我ながらアホだと思う。俺はたぶん転移魔法を見つけたら、安全性を無視して飛び込むだろう。だから、一緒には行けないな」
「私にはどっちも同じなの。世界を滅ぼそうとして殺されるか、転移に失敗して死ぬかの違いでしかないの。ここじゃない世界があるのなら行ってみたいの」
この世界を滅ぼすことには命を懸ける価値があるとでも言いたげに、パシテーは縋った。
この16歳の少女はこんなにも美しい瞳で、世界を滅ぼしてしまいたくなるほどの絶望を見てきたのだろう。
アリエルはフッ……と、何かを思い出しそうになった。
忘れてはいけないものがあるはず。
絶対に忘れちゃいけないことが。
だがしかし思い出せない。
突然、アリエルの脳裏に、色あせたセピアに染まったヴィジョンが浮かんだ。
赤毛の子ども……。幼い……。5~6歳ぐらいの女の子だ。どこかで見たことのある刺繍の入った服を着てる。
その女の子がこっちに向かって、屈託なく笑いながら両手を広げて、駆けてくる。
アリエルがその女の子を抱き上げようとしたところでフッと消えた……。
静止して何か物思いに耽るアリエルを心配したのか、パシテーが不安そうに声をかけた。
「兄さま?」
アリエルはパシテーの声でハッと我に返った。
まるで魂だけどこかに行って、いま見て来たかのようなフラッシュバックだった。
「あ、ああごめんごめん。この世界にも優しい夜があるんだ。パシテーもこんど連れて行ってあげるよ、ノーデンリヒトまで4時間で行けるようになったらね」
「無茶なの。ノーデンリヒト遠いの。旅慣れた人の足でも20日かかるの。私の足ならきっと25日はかかるの!」
「4時間だ。俺は軽く4時間でノーデンリヒトに着くよ。[スケイト]は風魔法だとうまくいかないんだ。さっきので分かったろ?」
「うん、感じたの。土の魔法なの」
「正解。俺は厳しいからな。覚悟しとけよ」
「うん。覚悟できてる。もう殺されかけたの」
「イタタタ……、返す刀で斬ってくるねぇ」
「教えて」
「なんでも」
パシテーは早足で前にまわりこむように立ちふさがって、アリエルに問うた。
話すまで帰しませんという意思表示だ。
「好きな女のひとのこと話して」
「そこか。そこに食いつくか。んー、どうだったんだろうな。転生してから毎日毎日、思い出し過ぎて、もう記憶が擦り切れてしまったのかな。実はもうあまり覚えてないんだ。髪は黒。目は黒に近い深みのある瞳。身長とか体形はパシテーと似た感じで華奢な女の子だった。でも剣を持つと容赦がなくてさ……、強いんだ。いじめられてる俺をいつも助けてくれてさ……」
「ふうん」
「もういいか?」
「まだ。んと、私、明日からどうすればいいの?」
「うちで面倒見ることになったよ」
「ダメ。貴族の屋敷になんて入れない」
「?? なんで?」
「迷惑かけるもの」
「大丈夫だって」
「…………………………」
「んー?」
「私ね、人を殺したの。3人も」
「そうか」
「魔導学院の寮だったよな? じゃあ、明日、朝9時には迎えに行くからな」
「迷惑かける」
「あーもう面倒だな。これ以上言うなら師匠に叩き返すぞ?」
「やだ」
「9時な」
「…………うん」
「ねえ、私を否定しないの?」
「しない。だってお前、どうせこの世界を亡ぼすんだろ? 3人ぐらい誤差だ」
「聞いていい? なぜ?」
「お前が一緒に異世界転移の方法を探してくれるなら、お前のすべてを肯定するぐらい安いもんさ。それに俺も……、いや、なんだ、外見はこんなガキんちょだが、実年齢28なんだから文句ないだろ?」
「私、口説かれてるの……」
「いいから黙って俺の妹になれ」
「うん。なる。私も一ついい?」
「いいよ」
「どうか私を捨てないで。兄さまの行くところ最後まで連れて行って」
「もしかすると、騒がしくて空気も美味しくないし、景色も水も汚いのに人ばっかり多い、ろくでもない異世界かもしれないぜ?」
「ここに一人で残されるより、兄さまと異世界に行く。ここは嫌いなの」
「分かった。約束だ。お前を連れていくよ。パシテー」
「うん、約束なの。兄さま」
いつも表情がないパシテーが、少し笑顔になった。
やられ姿は妖艶で色っぽくて好きだけど、笑顔は可愛い。
だいたいいつも笑っててくれたら、たまにやられ姿を見るだけでいいのだけど。
「んじゃ、俺は学校。パシテーは? 引継ぎ?」
「うん。午後から次の先生に引継ぎ」
「んじゃ今日のところは5分ずらして登校するか」
「うん」
まるで彼氏と一緒に外泊した朝、登校する時間をずらす高校生カップルのようだが、先にパシテーを行かせておいて、アリエルは当初の予定通り、ちょっと冒険者ギルドの掲示板を見てから行くことにした。
心なしか表情が明るくなったパシテー。
またこれは後日談になるが、パシテーの代わりに新しく来た魔導の教員は頭の薄くなったオッサンだったので、教員や生徒たちの名残惜しさと落胆は計り知れないものがあったという……。
アリエルは、魔導を探求し、異世界転移の方法を捜索するのに最良の道連れを得た。
パシテー。
ただのパシテー。
後に大悪魔、ブルネットの魔女と呼ばれる天才少女の物語も、たったいま始まった。
アリエル・ベルセリウスと出会ったことで、パシテーの人生も動き始める。
孤独な天才少女、ブルネットの魔女が仲間になりました。




