12-15 逢坂美瑠香はイカロスが嫌い
2018 年 あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さかい。
「おとぎ話はこれで終わりです。これは愛する者を奪われたら、どんなに温厚な人でも命を懸けて戦って、流された血は憎しみを呼んで連鎖し、次から次へと血が流されて、誰もそれを止めることができなくなるという悲しいお話です。いつしか憎しみは大きな塊となって世界をも飲み込むほどの戦争となるのです。ザナドゥも憎しみから戦いがやめられなくなり、そして滅びてしまいました。とても悲しい結末です。私たちはこの大きな教訓から学ぶべきことがたくさんあります。守らねばならないものがあります。殺してやりたいと思うほど憎い相手からも、絶対に奪ってはいけないものがあります」
談話室はしんみりとしてしまって、言葉を発することもはばかられるような状況で、中山はまた少しこのおとぎ話の内容がお気に召さなかったのか、少し生意気な態度で尋ねた。
「先生、敵から絶対に奪ってはいけないって何ですか? 命とかそういうオチですかね?」
「たくさんあると思うんですけど、いちばん分かりやすいのは『命よりも大切なもの』です。家族であったり、恋人だったり。あるいは尊厳という目に見えないものだったりしますが、尊厳は取り返せます。だけど、家族や恋人を永遠に失ってしまうと、その人にとって、以後の人生は無価値なものとなるでしょう。残りの人生を復讐のためだけに生きることを誰も責めることはできません」
先ほどと比べて少し饒舌に話し始めた逢坂先生の変化を訝しみながらも、その発言の内容が逢坂美瑠香らしくないと思ったイカロスは、つい問い質すようなことを口走った。
「逢坂先生、失礼ですがそれは……教育者としてどうかと思うのですが。復讐は何も生まない、虚しいだけだと教えるのが正しいのではありませんか?」
「虚しい? それは復讐を果たした者の言葉です。成し遂げた者の発想です。家族を殺され燃えるような復讐心に胸を焦がしている者にはまるで理解できないでしょうね。虚しいなんて言える人は幸せ者です。人生において重要な『やるべきこと』を成し遂げたのですから。……第一あなたは本当にそう思ってらっしゃるんですか? イカロスさん。あなたもたくさんの人の人生を奪ってきたのですよね? そんな相手に向かって復讐は何も生まないなんて、いったいどの口が言うのですか? イカロスさんは4人の仲間を嵯峨野くんたちに殺されたとおっしゃいましたが、復讐なんて少しも考えてなくて、離反した嵯峨野くんの行いや言動の全てを許したうえで、説得してまた仲間になれるのですね? あなたは聖者さまなのですか? 到底おなじ血が流れる人間だとは思えません」
イカロスは急所を突かれ、何も言い返すことができなくなってしまった。
復讐が虚しいだけ? 嘘だ。復讐しても死んでしまったものが戻らないから虚しいというのは理解できる。だが、仲間を4人も殺したくせに今ものうのうと生きていて、枕を高くして安らかに眠っているとしたらどうだ? はべらせている女たちを今この時間にも抱いているとしたらどうだ? 旨いものを食べて、勇者を倒したってことで祝杯でも上げながら、死んでいった仲間たちを倒した自慢話に花を咲かせているとしたら? それでも復讐なんて虚しいだけと言えるのか? 仲間を殺したサガノは今ものうのうと生きているのに。
イカロスはサガノを殺したいと考えていた。だがその殺したいという感情がどこから来るのかなんて、考えてもみなかった。逢坂美瑠香に指摘されるまで自分でも気が付かなかったこのドス黒い感情にいま気が付いた。これこそが復讐心だ。まさか自分がこれほどまで燃え上がる復讐心を持っているなんて思ってなかったのだ。自分の心は冷たく冷え切っていると思っていたから、こんな激情が潜んでいると気づけただけでも新たな発見だった。
「ちょっと先生、それは言いすぎだ」
イカロスが言葉を飲み込んで俯いたのを見て、瀬戸口が逢坂を嗜た。
逢坂の言葉は仲間を4人失ってしまった悪夢のような戦場から戻ってきてまだ一晩しかたっていない人に向けていい言葉ではなかった。
「すみませんイカロスさん、あなたにきつく当たってしまったようです」
イカロスは逢坂美瑠香の謝罪を受けつつも、奇妙な高揚感を感じていた。
いま自分の燃える復讐心に気が付いた。自分にもまだこんな魂を燃やせる感情があったのは再発見だった。そして自分の身体に活力が満ち溢れていることに気が付いた。
復讐心に燃える自分の身体が、いつもより生命力に満ち溢れ、活力とやる気に溢れている。
そう、いま初めてこの世界に来てこれほどまで、生きてる気がする。
まったく奇妙な話だが、仲間が殺されたことによりイカロスは自らの生を強く意識し、生きる目的を得ることができた。やらねばならぬことを得たのだ。目的意識が明確になったことで、何事にも負けない押しとおす意志の力を得た。
イカロスはこれまでサガノに対して、いかに勝つかを考えていた。だからこそ思考の袋小路に陥っていたのだ。
勝つ必要などなかった。ただ一太刀、渾身の一太刀を叩き込みたかっただけなのだ。
「いいえ逢坂先生、あなたの言う通りです。私はサガノを許せません。許す気もありません。殺された仲間の顔が頭から離れません。それはとても酷い光景でした。だけど目を閉じると、あんなに無残に殺された仲間が私に微笑みかけるんです。とてもいい笑顔で笑ってるんですよ。……私は剣を持つ勇者であることを誇りに思っています。サガノが私の戦友たちを奪っていったことには理由があったのでしょう、逢坂先生の言うように、私たちには殺されるに足る非道な行いをしてきたのかもしれません。だけどサガノの方も私の仲間を殺したことに対して報いを受けねばなりません。サガノも死ぬべきです。私の仲間たちと同じように、惨たらしく殺されるべきなんです。ただ願わくば、サガノの胸に剣を突き立てるのは私でありたい」
騎士勇者イカロスが絞り出すようにして語った言葉は殺意そのものだった。
そう殺意だ。
小難しいことなんてひとつもない。簡潔でシンプルでとても分かりやすい、純粋な殺意だった。
命の重さには、軽いも重いも当然あって然りだ。一番大事な命がある反面、同じ世界に生きていることが、同じ空気を吸って吐いてることすらも許せないような、殺されて然るべきといった命も世界には存在するのだ。
「逢坂先生、ははは、あなたの言う通りです。自分は仲間を殺されました。自分の命より大切かと聞かれたらどう答えたらいいか分かりません。たぶん自分の命のほうが大切なんでしょう。それでもこれほどの憤りを感じています。普通に歩いてるつもりでも知らない間に奥歯を噛み締めて早歩きになってるんです。わたしのこの身体がサガノを殺したくてウズウズしてる。逢坂先生はそういうことをおっしゃりたいのですね」
「はい。ですがあなたはとても身勝手です。殺されて当然の人を殺されたことで、怒りの感情に目覚め過度な復讐心を感じているなど、傍目から見るとただの殺人狂ですよ。こんな血も涙もない世界に無理やり連れて来られ、人殺しの片棒を担がされたということには同情します。ですが、これまであなたはこの世界の人々を勇者の力とやらで蹂躙してきたのが、もっと強い力に踏みつぶされただけですよね? なぜそんなに悔がっているのですか? あなたの言う弱肉強食の理論ですよね? あなた方は自分たちよりも強いものに挑んだ愚か者に過ぎません。ただ食われるのみ。自然の摂理ではありませんか?」
……っ。
逢坂美瑠香にここまで言われてしまったイカロス。勇者サガノに砕かれてしまった自尊心を指さして笑い者にされたような気分だった。反論も何もできず、もう声を上げることも出来なくなってしまった。
またもやこの狭い室内が重たい空気に支配された。言い過ぎどころの騒ぎではない口撃を見て、少しでも空気の入れ替えを図ろうとしたのか、中堤葵が小さく手を上げた。
「ああーもうね、話題を変えましょう! 先生、質問があります」
「質問は自由でいいですよ中堤さん。別に手を上げなくても」
「はい、おとぎ話に戻るんですけど、国王になった青年が神の怒りに触れた原因っては何だったんですか? 私すっごく気になります。もしかしたらそこがおとぎ話の核心なんじゃないかと……」
「驚きました。まさかそこまでしっかりと話を聞いてくれていたなんて思いませんでした。中堤さんも、もう分かっているかもしれませんけれど……、それは愛です。国王が娶った3番目の妻は、愛してはいけない人でした。神に嫁ぐ盟約が交わされた許嫁だったのです、親の決めた結婚が嫌で、自分の運命から逃げ出した先、辿りついた行き止まりのような、とても小さくて貧しい国で恋に落ちたのです。ちなみにその娘は燃えるように真っ赤な髪が自慢の、見る者すべてが息をのみ、目を奪われてしまうほど美しい娘だったと言われています」
「先生、わたし分かりました。その人が女神ジュノーなんですよね? そんなひどい目に遭ったのに、なんで女神だなんて言って崇めていられるんですか? わたし悲しいです。国王の青年とジュノーはいったいどうすれば幸せに暮らすことができたんですか?」
「それは私には分かりません。彼らはきっと、最初から神の怒りを買うことぐらい分かっていたのですよ。それでも愛し合うことを選んだ。愛する人を抱きしめて、決して離さないことを選んだのです。もしかすると、それが彼らにとって一番の幸せだったのかもしれませんね」
「先生、やっぱり帝国は悪いことをしてるんですよね? やっぱりわたし、嵯峨野くんたちの方が正しいと思います。だって奴隷を解放しようとしてるんでしょう、自由のための戦いに思えます」
「中堤さん、正義の話をしているのでしたら、きっと誰の中にも正義はあるんです。人が国のために戦うなんて口だけです。みんな家族や大切な人のために剣をとるのです。正義も悪もありません。家族のために、大切な人のために戦うというのは、等しく尊い行為です。どちらかが完全に正しくて、どちらかが一方的に悪いなんてことはないの。もちろんあなたが嵯峨野くんを正しいと思い、帝国側が間違っていると考えるなら私はそれを尊重しますよ」
「まったく、これだから女は。愛とか言われるとすぐに傾く。なあ中堤、よく考えてみろ。人殺しをする動機が愛だなんてひどい話があるか」
「瀬戸口くん、あなたの言ってるのは法と秩序。つまりルールの話よね。中堤さんはモラル、道徳のことを言ってるの。善悪の判断の基準となる法そのものが間違ってるんじゃないかって話をしているの」
「先生、こういうのはさ、きっとスポーツも同じなんだと思う。だからさ、まずルールがあって、モラルなんてのはルールでカバーできない部分を正すために語られるべきだと思う」
「ああー、やっぱりそこから離れられないようね。権力者が弱者をモノ扱いにしていいなんてルールを考えた人こそ間違ってるんじゃないかという事なのよ? そうね、私の最後の授業になるかもしれないわね。数学の授業ならよかったんだけどな」




