12-13 眠っていた龍
「中山くん、瀬戸口くん、私は諸君らに非難されることを承知の上で話した。では逢坂先生、あなたの知っていることを話していただけますか?」
「んー、私がとても言いにくいことを説明してくださって、ありがとうございます。そうなんですよね、この世界じゃあ人権なんてなくて、人も物扱い。みんな権力者の所有物なんですから。でもまだ承服できないことがあります。嵯峨野くんのことですよ。嵯峨野くんってたったそれだけのことで8000もの人を殺すかしら? 柊さんを奪われまいとしたのなら、あなたたち5人を殺せば事足りると思うんですけどね?……ちょっと納得いかないんですが」
「心当たりといえばエルフの少女たちを100人ぐらい連れてました。たぶんその子らもみんなノーデンリヒトに入ったと考えられているので、そうですね、もしかすると奴隷制に対する反発があったのかもしれませんが、確認できるような証言はありませんでした」
「奴隷制か……うーん、どういう心境の変化なのかな。あんな抜け殻みたいになってたのに、急になにか魂でも宿って奴隷たちを開放するために戦う? あの嵯峨野くんが? ないない。それはないわ」
「ハルゼルが殺されたとき、サガノは自らをアリエル・ベルセリウスと名乗りました。あの時ハルゼルがブルネットの魔女を落としたと言った瞬間に、何か雰囲気が変わったような……いや、分からない。私の知ってることはそれぐらいで……」
「ベルセリウス? ブルネットの魔女? たしか有名な三大悪魔といわれた極悪人でしたよね?」
逢坂美瑠香は座学で習ったことと、いまイカロスから聞いた情報を合わせて整理してみることにした。
アリエル・ベルセリウスというと16年前、12万の兵士と10人の勇者、そして日本から来た25人の戦士と治癒師、魔導士が倒された総力戦バラライカの戦いで、最終的には帝国の英雄アザゼルが倒したと記録されていて……。
逢坂美瑠香はハッとしてイカロスに聞き返した。
「アリエル・ベルセリウスにはノーデンリヒトに家族がいたはずよね。たしか資料では次期魔王になる可能性の高い死神、サナトス・ベルセリウスの父親だったはず。すみませんイカロスさん、アリエル・ベルセリウスってどんな人だったの? あと、ロザリンド・ベルセリウスと、ブルネットの魔女もどんな人だったか知りたいわ」
イカロスは椅子の下に置いた革製のショルダーバッグから0231案件と書かれた一冊のレポートを取り出すと組んだ足の膝上でパラパラとページをめくり、すぐに必要な情報が書かれてあるページにたどり着いた。
「アリエル・ベルセリウスは金髪碧眼。身長は170センチ前後、強力な爆破魔法を無詠唱で使う魔導師。バラライカの戦いでは戦死者10万余のうち、そのほとんどがベルセリウスの爆破魔法により命を落としたと言われている。ちなみにこいつの爆破魔法は常軌を逸していて、街を一つ丸ごと吹っ飛ばしただけじゃ飽き足らず直径5キロ以上、地殻表層を捲り上げ最深部で深さ50メートルにもなるクレーターをこさえて今は立派な湖になってる。まるで隕石でも落とすんじゃないかってクレイジーな化け物だよ。……ロザリンド・ベルセリウスはアリエル・ベルセリウスの妻で魔人族というから頭に大きな角が生えてる北方の蛮族だな、およそ2メートルの長身。百戦錬磨の熟練勇者が4人掛かりでも圧倒されるほどの剣を振るったと言われていて、見た目通りのまるで鬼のような女だったらしい。ブルネットの魔女は別名パシテーと呼ばれていて姓は不明、人族に見えるがクォーターエルフの……」
「あーもう分かった! 十分わかったわ。あなたたち本当にバカ。ああっもう、頭がクラクラする。眩暈がするほど大バカ。せっかく眠っていた龍を起こしておいて仲間が殺されました? 当り前よ。あなたが生きていることが奇跡なのに、思い通りにならなければ倒すですって? 大層な自信ね。いったい誰が倒せるのかしら」
逢坂先生の質問に対するイカロスの回答。それは1年1組のクラスメイト達にはすぐ飲み込めるような話ではなかった。座学で習った三大悪魔が嵯峨野たちだったなんて信じられる話じゃあない。
イカロスの回答に対する逢坂先生のセリフは確かに不自然だったが、生徒たちにはただケンカが一番強い嵯峨野深月に対する評価にしては、眠っていた龍などとカッコいい例えをするものだと思った。
この時点ではイカロスですら逢坂先生は勇者サガノが三大悪魔の筆頭格だったという事実を知って狼狽したと。その程度にしか思わなかった。
だけどイカロスの言う三大悪魔の外見上の特徴、特に2メートルの長身で鬼のような女が勇者を圧倒する剣を振るったという、または爆破魔法を無詠唱で使ったという男もいた。
もともとこんな世界に転移して来ること自体が信じられないことだ。この世界にきてからクラスメイトたちはみんな様々な信じられないことを体験してきた。だからこそ、こんなにも信じられないことを突きつけられて、これほど明確に理解しやすいこともなかったのだ。
誰の頭にも嵯峨野深月と常盤美月の顔が浮かんでいることだろう。
ブルネットの魔女にしてもそうだ。そのブルネットという言葉がそのまんま嵐山アルベルティーナの容姿を指していて、その上、パシテーというのは嵐山の愛称として定着しているのだから。
ブルネットの魔女の正体がパシテーというクォーターエルフだったと聞いて、中山は内心穏やかではいられなくなった。
「待て、待ってくれ。パシテーって嵐山の事だよな、この世界ではパシテーって名前が多いのか?」
パシテーが三大悪魔だということを信じたくない中山にむかって、中堤葵が少しバカにしたような口調で答えた。中堤は逆に肯定してみせたのだ。
「嵐山アルベルティーナをどうヒネったらパシテーになるのか分からなかったんだけど、たったいま分かったような気がするのは私だけかな? 中山くん、いい加減認めたらどう? あなたが好きだった嵐山は三大悪魔のブルネットの魔女だったってことじゃん」
イカロスももちろんここまでの話でサガノたちが16年前バラライカの戦いで大災害を引き起こした三大悪魔だと確定したであろうことも理解した。そのことに関してはもう疑わなくていいだろう。だけど今引っかかっているのは、逢坂美瑠香の言葉だった。せっかく寝てた龍を起こしたというその言葉の真意がどこにあるのか、それを聞かずにはいられない。
「逢坂先生、証言を拒否するなどと言わず、話していただけないでしょうか。サガノたちが三大悪魔だとしたらきっとあなたの生徒たちも無事じゃ済まされません。先生が意地を張られても、軍というものは非情です。サガノたちが16年前と同じくまた我が国を攻めた場合、防衛戦に駆り出されるのはこの子たちです。実力が足りないからと言ってあと半年、一年待ってくれなんて要求が通ったためしがありません」
「三大悪魔ねぇ、そんな生易しいもので済めばいいのだけど……、どうしようかな。じゃあ、おとぎ話をしましょうか。むかーしむかし……から始まるおとぎ話」
おとぎ話? だと?……。
まさかの展開に、さすがのイカロスも言葉が出ない。もっとも生徒たちは歓迎の様子だが。
「おとぎ話ッスか」
「先生、私そういうの好きです」
「じゃあおとぎ話でいいですね。えーっと、皆さんはこの世界が4つの世界からなる、四世界って言われてることを知ってますよね、座学で習いました。ちなみに日本がある世界はアルカディアと呼ばれています。そして今からするおとぎ話は、ザナドゥという、もう滅んでしまった世界のお話です」
イカロスは不審に思った。ザナドゥのことは座学では教わらない。かつてあった世界だという程度にしか知らないのだ。
逢坂美瑠香が書物で得た知識を話そうとしているのだとしてもおかしい。
なぜならここに置いてあるのは、まだこの世界の文字や言葉に不慣れな召喚者向けの易しい絵本のようなものだ。ザナドゥのおとぎ話なんて帝国中の図書館を探しても見つけ出すことは難しいだろう。
仮にザナドゥの事が記された古文書や歴史書が見つかったとしても日本から来たばかりの召喚者に読めるような、易しい本など一冊もない。ここにあるのはただ子供に読んで聞かせるのに都合のいい、英雄の話か、童話のようなものしかないのだ。
正直、この世界にきて20年目のイカロスでもスヴェアベルム以外の、すでに滅んでしまったザナドゥの伝記やおとぎ話など、ただの一度も聞いたことがない。ザナドゥなどもう語り継ぐ人もいなくなり、人々の記憶からも忘れ去られようとしているのだから。




